これはまだ彼が疑うことを知らないほどに無邪気な齢のことだった。
決して裕福とはいえない家の生まれではあったが一人っ子で両親から有り余るほどの愛情を注がれて、彼はその日々の生活に何も不自由なく満足していた。両親は彼を愛し、彼も両親を愛していた幸せな普通の家庭だった。
ただ一つ普通と違うことは、その子が時代にそぐわぬ力の持ち主であったことだったといえよう。
それは俗な言い方をしてしまえば霊感があり、同年代の子たちと比較して規格外なほどに身体の力が発達していた。特別な血筋でもなく、突然変異の産物のようなものだった。
だが本人も親もそれを大して気にはしなかった。常識外れな力があるといっても彼はそれを言いはやすような性格でもなければ、その才を活かした将来設計を考える歳でもなかった。ただそれを除けば他と変わらぬ年相応の男の子であった。
考えなしに動いてしまうような節操のなさはあれど、親からの賜物で約束を一度も違えたことがない程には情に厚かった。毎日泥だらけになるまで遊んでから帰るそんな彼を両親はこの世に二つともない宝物のように可愛がっていた。
その出会いは偶然ではなく必然に起こってしまう。
純粋すぎる心、特異な体質、そして抱え込む"欠落"。人ならざる者を引き寄せるには十分すぎた。
『えっと、むずかしいことはわからないんだけど………おまえのかわりにその…ようかいってやつらをやっつければいいのか?そしたら―――』
素直な心を利用して騙すように結ばれた契約。その身体を持たぬ者との契約の対価として彼は一つのことを望んだ。
そしてその望みは契約の前渡金のように果たされた。
彼の愛する両親をこの世から消して。
「彼……最後は泣いていましたね」
早苗は蒲公英であった灰の山の前にしゃがみ、目を閉じて祈りを捧げていた。そしてその灰を指先で撫でるように触れると少し前まで生きていたとは思えないほどに温もりを感じさせなかった。
初めて出会った彼は見るだけでも恐怖を与えるような風貌へと変化していたが、その最後の終わり方には哀れさの気持ちが込み上げてくる。上空から断片的に聞こえていた萃香との会話から苦しみから逃れるための苦肉の策として禁忌に手を出してしまったことはわかっていた。
しかし、このような結末だといくら悪人だろうと同情を抑えることはできなかった。死力を尽くして掴み取った勝利の先がこれでは救いがなさすぎる。せめて彼の冥福を祈ることぐらいはしなければならないと思ったが故の行動であった。
「なあ、いい加減あの男のことを教えてくれ……あいつは何者だったんだ?」
魔理沙は死んだ蒲公英の力がいまだに忘れられず、その正体を少しでも知りたい思いから自然に口が動いて霊夢に問いかけた。
「そうね、一言でいうなら“時代を間違えた大馬鹿たち”よ」
「大馬鹿って…それよりも
一人ではなく複数人を示していることに疑問を持ち、それについてより詳しく知っている藍が口を開いた。
「神にも妖怪にも成り得なかった半端者。あの使っていた能力本来の持ち主が奴の身体に宿っていたんだ。名は紫陽花と言ったそうだ」
「そ、それじゃあ彼はそいつに操られていた被害者だったってことですか?」
「いや、そういう簡単なわけではないみたいなんだ」
妖夢への返答に藍はどこか言い切れない様子だった。
「むしろ訳がわからないのはあの蒲公英という男の方だ。自我を紫陽花に奪われるどころかその能力を自在に使っていた。それに最後の萃香殿との闘いを見てただろう?あれは間違いなく人間としての完成の領域にいた」
「人間の……完成」
その言葉に魔理沙は小さく呟き返し、続いて唾を呑んだ。
「紫陽花は恐怖や信仰を取除く目的があったんだ。だが蒲公英はそれに協力するのではなく逆のことをしていた。あの男の狙いが全く理解できないのに加えて最後に残した言葉も気にかかる」
藍は蒲公英の存在を主人の紫から知らされた際には彼を最重要の警戒人物としてまず情報を集め始めていた。そしたらまず彼が執事として紅魔館で働く姿をスキマから目に映した。こいつは何がしたい。
その能力の由来を辿れば妖怪に仕えるなど到底考えられない。しかし、紫陽花もそれを拒絶する様子も見受けられなかった。過去を知っていれば知っている程に現在の謎が深まっていく。
そして次に藍は更なる情報を求めて外の世界に足を運び、彼の痕跡を探しに行っていた。幻想郷の生まれではない彼は確実に外の世界から来たと見て、何かしらの手掛かりはあるだろうと考えていた。
しかし、それは徒労に終わった。驚くほどに何もなかったのだ。ここに来る前の生業も住処も名前も何一つ残されていなかった。まるで世界からそこだけ切り抜かれたように。
幻想郷は外の世界で忘れられたものを呼び寄せる唯一無二の特性を持つが蒲公英もその影響だと最初は考えた。彼ほどの実力者が忘れられる?まずありえない。
そしてその様々な分析の結果、彼に関して言えることが一つだけあった。『“否定する程度の能力”で自身を世界から消して幻想郷に辿り着いた』。その先の目的がわからずとも決して穏やかなものではないはずだ。
「能力は借り物だったけどあの身体能力や霊力自体は天然ものよ。言ってて意味がわからないわ」
霊夢はその無茶苦茶ぶりに呆れていた。負けるつもりはないが萃香との戦いの後で漁夫の利をしたような形であり、彼が本調子であれば無傷じゃ済まなかったのは確かだといえよう。
「では時代を間違えたというのは…」
「もう少し早く生まれていればその力を存分に発揮し英雄として歴史に名を連ねていただろうに。現在は妖怪がほとんど消えて必要とされなくなってしまった時代だからな」
妖怪を倒す力を妖怪がいなくなってしまった時代に持って生まれたという点では同情のしようがある。その持て余す力の時点で並みの人生を送ることはほぼ不可能なようなものであるから。
人と違う境遇。外の世界から幻想郷に移住してきた早苗はその気持ちが痛いほど理解できた。
この時代に生まれた自分も同じだったからだ。他者とは違う能力のせいで色々と苦労した経験がある。しかし、今はその能力のおかげで自分の拠り所を見つけられている。
彼はどうだっただろう。もしかしたら似た者同士で友達になれたかもしれなかった。
「とりあえず今日のことはもう終わったんだからさっさと帰って忘れなさい」
「せめてお墓だけでも」
「悪いけどそれだけは絶対に許さないわ。中途半端な同情心は身を滅ぼすわよ」
「なっ!?いくらなんでもそこまで酷いことを言わなくてもいいじゃないですか!!」
早苗はその言葉を聞いた瞬間に怒りで霊夢の肩を掴み寄せた。対して霊夢は氷のように至って冷静であり、淡白に言い返す。
「そもそもあんたたちはこの時点でも十分に首を突っ込み過ぎなのよ。説明してあげたんだから大人しくここで引き下がりなさい」
二人の間には今にも爆発しそうな火薬庫のようにピリピリとした沈黙が張りつめる。
その空気を払拭させるために妖夢が割って口を開いて入った。しかし、彼女の視線は二人ではなく何故か空を見上げていた。
「待って下さい……。まだ
その言葉に妖夢と同様に二人は空を見上げた。
それは“否定する程度の能力”で滅茶苦茶にされた空の景色のままであった。歪に太陽と月が混在する調和のない空模様のまま。能力の使い手であった蒲公英は霊夢の手で消えたはずなのに、元に戻る兆候を見せるどころか逆に酷く広がっている様相を見せていた。
能力はまだ生きている。
「まさか…」
霊夢にその不吉な予感が電流のように背中を駆け巡ってきた。今まで感じたことがない程に大きく胸の奥底でざわめている。この嫌な予感だけは的中しないでくれと心の内で切に願った。
瞬間、何の前触れもなく霊夢たちのいるすぐ近くに激しい轟音と共に空を二つに裂くような黒い稲妻が落ちてきた。
「きゃあっ!?」
「な、なんだぁ!?」
腹の底まで響く重い轟音と大地を割くような衝撃が辺りを包み、少女たちは身を低くして吹き飛ばされないよう耐える他なかった。
「みんな大丈夫か!」
やがて衝撃が止まると魔理沙は一番に立ち上がって辺りの状況確認に移った。幸いなことに今の落雷による怪我人は出なかったようである。舞ってきた土埃の汚れはあるもののそれは仕方のないものであった。
だが二人、霊夢と藍だけは他の皆と違い、一旦の無事に安堵するのではなく落ちてきた雷の地点を呆気にとられたように見つめていた。そこにはまだ深く土煙が舞っており、魔理沙には何があるのかまでは目が届かなかった。
「霊夢!一体何が落ちてきたんだ!」
「………構えなさい」
「え?」
その意味のわからない言葉に聞き返すと霊夢は切羽詰まるような様子で声を荒げた。
「いいから構えなさいって言ってるでしょ!“あいつ”………」
雷の落下地点の煙が徐々に薄くなっていき、そこに立っている一人の
その姿を目に映した魔理沙、そして早苗と妖夢は驚愕で全身が固まってしまい、喉から言葉が出てこなかった。
髪の色は世との繋がりを捨てたかのように純白へと脱色されており、潰えた右目からは涙の跡をなぞる亀裂の一本線が走っているがそれ以外は生前の“彼”の姿そのものだった。
「肉体を捨てて戻ってきたのよ!!!」
土煙の中からゆっくりと歩みだしたその男は、辺りをまるで初めて見る世界かのように見回した後、誰に聞かせるわけでもなく一言呟いた。
「どこだここ?」