東方漂泊録   作:芳養

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紅い館①

 霧が濃くなるにつれて段々と気温も低くなっていく。上を着ていない状態では厳しくなってくる。腕をさすり、摩擦が起こす熱で乗り切ろうとする。

 刺すような痛みを伴うこの寒さでは丸出しの乳首は少し堪える。見れば赤く腫れていた。これは冷温のせいだ。決して、再会を誓った友に引っ張られていたせいではない。多分。

 

 

 ふと、男に乳首は本当に必要なのかという疑問が頭に浮かんだ。使い道がないのについている。神はなぜ男に無意味なものをつけたのかと。まさに哲学。今の俺は前人未到の地にいる。

 もしもルーミアにその問いを投げかけていたら、間違いなく「食用」と答えているだろう。二つの意味で震えてくる。

 

 宇宙の真理に辿り着きそうな疑問に考えを巡らせていると周辺が完全に白く染まった。何も見えなくなるほどに霧が濃くなったのだ。今日の自分の視界は黒くなったり白くなったりで大忙しだ。 

 何も見えずとも俺は歩みを止めはしなかった。この程度であれば、身動き一つとれなかった闇の世界と比べたら全然余裕だ。大股で歩き、木に正面からぶつかりながら進んだ。

 

 鼻血が止まらなくなるぐらいボロボロになった頃にやっと深い霧を抜けられた。ここまで諦めなかった俺を誰か褒めてほしい。

 視界を遮るものがなくなり、精明な湖の景色が目に入る。

 

「すっげぇ…」

 

 あまりの絶景に感嘆の声が漏れ出た。その大きさは東京ドーム何個分とかで表すような次元だと思うほど。澄み渡る水は満月を鏡のように映しており、もう一つの満月があるのではないかと錯覚してしまう。これほどの眺めは都市化で開発が進んだ現代では見ることは難しいだろう。

 数分程目を奪われ、ハッと我に返った。本来の目的を忘れてしまいそうだった。

 

「なんじゃあれ」

 

 次に湖の畔に建つ洋館が目に写った。それには月に伸びるような時計台が存在し、屋敷の窓はすぐに数え終わりそうなぐらいに少なかった。しかし、それらが薄く見えてしまうほどの特徴がそこにはあった。

 館のすべてが紅かったのだ。屋敷だけでなくそれを囲む塀までも紅一色。もっと他に良い色があっただろうに。なぜ目がチカチカしそうな色調にしたのか。設計段階の場にいたら全力で止めていた。

 

 ここにきて初めての人工物だ。ということは中に人がいるかもしれないことになる。そこで知見のある人物に出会えれば何か手掛かりが見つかるかもしれない。

 そうと決まれば善は急げだ。館に向かって足早に駆け出した。

 

 キキィーと鳴らしたブレーキ音と砂埃を上げながら足を止めた。近づくにつれて館の全体が明らかになってくる。これほどの屋敷であれば高貴な人物が住んでいるに違いない。すかんぴんだと門前払いされる可能性すらありそうだ。

 まず人の家にお邪魔するときは身だしなみが大切だ。自分の姿を再確認する。よし、終わってる。次に手土産があれば家主への印象は良くなる。どんぐりしか持ってねえ。

 

 自分は傍から見たら変態なのだ。開き直るしかない。堂々と門へ歩いていく。

 

 

 紅い館に近づくと門に寄りかかる女性が目に入った。館と同じ紅色の髪を腰あたりまで伸ばしており、翠色のチャイナドレスを身にまとっている。洋風の屋敷に中華風の服とはいくばくかのギャップを感じさせる。

 ここに立っていることから門番で十中八九間違いないだろう。主人に話を通してもらおうと声を掛けるが

 

「寝ている……だと?!」

 

 見事な鼻ちょうちんを作って寝ていたのだ。この体勢でよく寝ることができるな。熟練の匠の技が伺える。

 

「もしもーし」

 

 呼びかけても一向に起きる気配がない。

 ならば仕方ない。俺は彼女を起こすために肺へできるだけの空気を押し込んで腹から声を出した。

 

「ぽぱあああぁぁぁ!!!」

 

「………ッ?!セイヤッ!」

 

 突然の大声で門番の目はカッと見開いた。それと同時に寝起きとは思えないほどの鋭い蹴りを放ってきた。

 

「ぬおっ?!」

 

 急な攻撃に慌てて距離を取る。

 まあ寝ていたら大声で起こされたんだ。それに加えて目が覚めたら上裸の男が立っているんだもんな。女の子がそんなことされたらたまったもんじゃないよな。うん、ビックリしちゃうさ。誰だってそうだ。足が出ちゃうのも仕方ない。こちらに非があるのは理解も納得もできよう。ああ、できるさ。満場一致だ。

 

 でもよぉ………でもよぉ………俺は一つだけ………たった一つだけこの女に対して言いたいことがあるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チ〇コ蹴ることないじゃん………。

 

 

 

 

「オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜オ゜」

 

 俺のゾウさんが()オーンした。股間を両手で抑えて、ピチピチと陸に打ち上げられた魚のように跳ね回る。言葉で表せないものが声として出て、オットセイの鳴き声みたいになっている。

 このままでは蒲公英くんから蒲公英ちゃんにジョブチェンジだ。しかし痛みに悶えることしかできない。

 蹴ってきた当の本人は「うわぁ…」とドン引きしながら憐みの視線を俺に送っている。お前が始めた物語だろ。

 

 羊よりも儚い声を出してこらえている俺の背中から突如として黒い霧が湧き出てきた。

 

「「え?」」

 

 突然のことに思わず門番の声と重なってしまう。形容し難い痛みと混乱の情報が渋滞を起こしている。

 溢れ出た霧はそのまま俺の身体を包んできた。途中で視界が黒く覆われ、まさかと思い焦ったがすぐにそれは晴れた。

 

 霧はそのまま地面に溶け込むように消えた。

 その時には襲われていた激痛はなくなっていた。あの痛みなら数時間は続きそうなものなのに。この一瞬で去勢手術がなされたとは思えない。

 不思議なままに手を見ると食べられてなくなったはずの右の小指が生えていた。それだけではなかった。森を抜ける道すがらで傷だらけになっていた胸や腕も治っていた。お肌がぴちぴちになって潤っている。

 呆然としながらも立ち直った。

 

 一連の事を見ていた門番は声を荒げて問いかけてきた。

 

「貴方は一体何者ですか!何の目的でここに来たんですか!」

 

 先程までは同情的だった視線が敵意と警戒に満ちていた。俺から出た霧を見て態度が一変した。こちらに中国拳法と思われる構えを向けてきている。

 自分について問われたが残念ながら知っていることは少ない。正体だって尚更だ。応えられることはあまりない。

 しかし、コミュニケーションとは自己紹介から始まるものである。相手の警戒を解く意味も込めて元気よく答えた。

 

「たんぽぽ!」

 

「………話し合いの余地はないということですね」

 

 あれ、ちょっと待って。警戒がなくなるどころか更に深まったんだが。もしかして変な単語しか喋らない奴だと思われた?意思疎通は不可能だと判断されてしまったのか。

 誤解を解こうとしたが

 

「ぐほぉっ?!」

 

 門番は一瞬で俺との距離を詰め、重い拳を腹にめり込ませた。胃の中のものが出そうになった。

 

「あなたのような危険人物を通すわけにはいかない!それが私の役目だ!」

 

 気迫と衝撃に負けて腹を抑えながら数歩後ろへのけぞってしまう。門番の瞳からは明確な殺気が感じられる。

 よくわかんないけど戦いはもう避けられないようだ。

 

「息の根引っこ抜いてやる!」

 

 売り言葉に買い言葉。俺は抗戦するために内股で拳を胸の前に構えた。

 

 

 

「アッ、ガッ、ゴッ、グァッ、ブッ、ゴァッ!!」

 

 連撃に次ぐ連撃。息つく暇すら与えてくれない猛攻。人体の急所といわれる正中線を息一つ乱さず的確に、そして素早く突いてくる。俺は手も足も出ずにサンドバッグのように受けるだけだった。フルコンボだドン。

 なんとか反撃の隙を見つけて拳を繰り出しても風の如く受け流され、そこにカウンターが加えられる。腕で守りに徹するしかない文字通りの一方的な戦い。

 食らっているからわかる。相手の拳は喧嘩に使われるような野蛮なものではなく、武芸を極めた者の研ぎ澄まされた拳だと。それに対してこちらは拳の握り方すらままならない素人だ。

 

「ハアアァァ!!」

 

 怒涛の攻撃は勢いを増してくる。流れるように繋がる拳と蹴りは一つの動作に思えるぐらい精錬されている。

 何十、何百発と食らった身体は痣だらけとなり、目も当てられないほど痛々しいものとなっている。

 

 しかし、どれだけやられようとも自分の身体は倒れなかった。意識はがっちりと保たれている。気合とかそういう精神面の頑張りじゃなかった。何か別の力に支えられているような感覚がある。滅多打ちにされているのに倒される未来は少しも見えなかった。

 門番もどうやら自分のおかしな状態に気づいているようだ。攻守はあちらが圧倒的に有利なのに顔には焦りの表情が見えている。

 

「トドメッ!」

 

「がふっ?!」

 

 締めの掌底が胸に叩き付けられた。肺の空気が全て押し出され吐血した。目まいを起こし、片手で頭を抑えながらふらふらと後ろへ下がる。

 尻もちをつきそうになった時、黒い霧が身体中から湧き出てきた。それはまた同じように包み込んできた。

 

「ッ?!」

 

 門番の愕然とした声が耳に届いた。それとは逆に俺は驚きはしなかった。今度は確信があったからだ。

 霧が晴れると痣だらけの身体は元通りに治っていた。折れた骨も切れた口も何事もなかったかのように治っている。

 

「すげえだろ」

 

 謎めいた霧のおかげで完治したのをアピールするために軽く腕を広げて自慢げに言ってみた。俺もすごいと思っている。

 

「ええ、確かにすごいですね。しかし回復したところで私との差は埋められないはずです!」

 

 そう己を鼓舞するかのように言い放ち、構えた。

 彼女の言っていることは的を射た指摘だ。傷が治るからといってあの実力差がなんとかなるとは到底思えない。またボコボコにされるだけの永久サンドバッグが出来上がっただけだ。

 なのになぜ俺は自信満々かというとあの霧は回復するだけじゃ終わらせなかったからだ。

 

「来いよ」

 

 指を自分の方にクイッと二回曲げる。

 

「………わかりました」

 

 あからさまな挑発だったが、彼女もあえてそれに乗っかて来た。

 息を深く吸って腹筋に力を込めて受けの体勢へ入る。防御の構えはもういらない。

 

「デヤアアァァ!!」

 

「ぐぼあああぁぁぁッッッ?!?!」

 

 全体重を乗せた拳が強い踏み込みと共に腹へ撃ち込まれた。目玉が飛び出して倒れそうになるがその場に踏みとどまる。

 

「もう慣れた」

 

 そう吐き捨て、腹に伸びる腕を掴んだ。それと呼応するかのように黒い霧が背中から溢れだし、俺の腕を伝って今度は門番を包み込み始めた。

 

「ぐっ…離せ!」

 

 言われた通りに腕を離し、ゆっくりと数歩下がった。しかし霧はまだ纏わりついている。徐々にそれは門番の体力を奪っているように窺える。彼女はそれをなんとか振り払おうと試みているが実りがなく終わっている。

 見間違いだろうか。霧の隙間から見える彼女は色を失っていくかのように半透明になっている。比喩ではなくそのままの表現だ。

 少しの時間もがいていたが、

 

「す、みません…お嬢、様」

 

 そう言い残して膝をついて倒れてしまった。どうやら力尽きたようだ。黒い霧はいつまでたってもなくなる気配がない。

 

 息も落ち着いてきた戦闘後の賢者タイム。俺は今の状況を冷静になって考える。

 

 やべぇ、どうしよう。

 




チ〇コ蹴られて能力が覚醒しました。
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