学年ビリの彼女に勉強を教えることになる。
これは猫のような僕と花のような君のひと夏の思い出。
好奇心は猫をも殺す、という言葉がある。
過剰な好奇心は身を滅ぼすという意味の言葉だが、
これは正しく僕そのものだ。
きっかけは好奇心だった。その好奇心が全てを変えてしまった。
7月の中旬、世間で言うところの高校1年生である僕は
期末考査を終え、満足げな息を漏らしていた。
学年1位。僕のテストでの順位だ。
前の試験も、その前も1位。
小学生の時からずっと取り続けていたその称号は
僕にとってのささやかな誇りだった。
昔から勉強は好きだった。
この世の中には不思議が沢山転がっている。
その不思議を科学という力でひとつひとつ読み解くという作業。
今までの偉人が積み上げてきた知識の1番上に座って
自分のモノにしていく感覚が好きで好きでたまらなかった。
僕が積み上げてきた"宝物"をみんなに発表する展覧会、
好きでないわけがない。
「あいつ、また1位だってよ」
「まじかよ、すっげえなぁ。やっべえ...」
民衆どもが僕の宝を褒め称える。
年に何度も訪れる恒例行事だ。
知識は宝だ。宝を多く持つ者は豊かだ。
それを持っていない貧しい者は虫けらだ。
僕は社会に何も貢献しない貧民を激しく蔑んだ。
成績最下位。いつも下から数えて1番目にいる彼女が
僕にとっては憎くてたまらなかった。
知識を入れる脳みそを持たないのか、
それとも入れる努力すらしないのか。
いずれにせよ愚かには違いないので僕は彼女が嫌いだった。
テストで今回もビリだったらしい彼女は
教室の隅でまたいつものように項垂れていた。
「また今回もかぁ......」
先生から叱咤と激励を貰っていた彼女は
机に8の字を書いている。解答用紙には沢山のバツがならんでいる。
「まぁ、そんな気にすんなよ」
「今度勉強見てやるからさ」
クラスメイトの適当な慰めのどこに刺激を受けたのかわからないが、
手折られた花のようだった彼女は、その言葉ひとつで息を吹き返す。
「次のテストこそ頑張る...!!!おーーー!!!」
七転び八起き、その後また転ぶのが彼女のルーティンだった。
どうせ次もビリをとるんだろう。
いつまでもいつまでも同じことを繰り返す。
学ばないその姿勢にうんざりした僕は礫を彼女に投げかけた。
「そんなこといって、どうせ次もビリだろ?」
当然落ち込んでいる人間にこんな言葉を投げかければ非難轟々だ。
彼女だって頑張っているだの。
次はわからないだの。
だからお前には友達がいないだの。
でも僕はそんなぬるま湯に浸かってる彼女が許せなかった。
だから言葉を取りやめることはしなかった。
愚か者は愚か者らしくしょげてればいい。
無知であることをそのままにして明るく生きるなど人の道理じゃない。
クラスメイト達の誹謗中傷をさらりと受け流しながら
僕は席に戻ろうと、足を逆側に向けようとした。
「あの、その、良かったら私に勉強を教えてください。」
教室の中がどよめき立つ。そりゃ当然だ。
たった今礫を投げた張本人に教えを乞う馬鹿がどこにいるのか。
冷たくあしらわれるに決まっているだろうに。
彼女はまっすぐと僕を見つめた後、ゆっくりと深くお辞儀をした。
「お願いします。私に勉強を教えて頂けませんか?」
だからこそ逆に興味が沸いた。
何が彼女をそうさせているのか。面白いから知りたい。
僕は好奇心のままにそれを了承した。
思えばこれが分岐点だった。
夏休みが始まってから次の週の月曜日。
お昼をすぎた頃、
今まで訪れたことのない家のインターホンを僕は押していた。
古臭い小屋みたいな風貌のドアから彼女が顔をだす。
「この暑い中わざわざ来てくれてありがと!!!
さ、さ、遠慮せず中へどうぞ!!」
以前の改まった口調はどこにいったのやら、
彼女は馴れ馴れしい態度で僕に手招きする。
なんで教える側の僕がわざわざ足を運ばないといけないのか、
その時点で帰りたい気持ちが山々だったが、
約束は約束だ。してしまったものは仕方ない。
多少の面倒くささと抗いつつ
彼女の家に入った僕は目を剥くこととなった。
割れた窓ガラス、
ヨレヨレになって履き潰された、玄関に揃えられている靴たち、
差し出された湯のみの縁は欠けていた。
どうやら彼女の家は随分と貧乏らしい。
一緒に差し出されたお茶菓子の羊羹だけはやけに高そうで、
それが僕に対しての精一杯の歓迎の証だった。
「ごめんいつもはこれ出すの難しいんだけれど、今日くらいは!!」
そういって羊羹が入ってる皿をリビングに
ならべる彼女のジャージ姿はやけにこの空間にマッチしていた。
僕は少し呆気にとられながらも勧められた席に座り
早速、教科書とノートをとりだした。
「じゃあ早速始めようと思うんだけど、
どこの単元がわからないんだ???」
「えっと、その、ほとんど全部...」
全部、全部かぁ…
随分と手のかかるやつだ。
これからの作業量を考えると気が滅入る。
「はぁぁぁ...じゃあ全部やろう。」
「え、え、?ほんとに...いいの...?」
ため息こそ零したものの、あっけなく許諾して勉強に移る僕に
彼女は少し驚いた表情を見せる。
あんな言葉を投げかけてきたクラスメイトが渋らず
勉強を教えようとするという姿勢に驚いたんだろう。
ちょっと気が向いたから付き合っているだけだ。
特に深い理由なんてのはない。
未だに目を見開いたまんまの彼女を
机を叩いて座れと促す。
「じゃあ早速始めるぞ、まずは数学から...」
そうやって勉強を始めてから
気付けば6時間が経とうとしていた。
彼女は意外と飲み込みが良かった。
途中休憩を挟みながらもほぼほぼ休みなしで
やり遂げた集中力も見事なものだ。
愚か者の意外な一面に内心驚きつつも次の日程を相談した。
お互いの都合がつく日にまとまり、僕は玄関の靴に足を通す。
「今日はありがと!!!!またよろしくね〜!!!」
「うん。また。」
ドアを開いて家から出ようとする僕に彼女は手を振る。
肩の上まで腕をあげ大きく大きく。
馴れ馴れしい彼女にその仕草はとても似合っていた。
「ばいばーい!!!!」
「さよなら」
だがその仕草に応じたら、僕と彼女が同じ立場に
立ったような気がしてなんだか癪だった。
僕は教える立場で彼女は教わる立場。
決してそんな手を振りあうような親しい仲じゃない。
だからその身振りには何も返さずゆっくりと家へと帰っていった。
同じ週の金曜日、前回と同じように彼女の家で勉強を教えた。
リビングに案内されると机の上には既に教科書とノートが広がっている。
どうやらやる気満々のようだ。
歴史の教科書を開きながら、授業や本から得た知識を
出来るだけわかりやすく、印象に残りやすいように、
彼女にノートを使いながら僕は教えていった。
旧石器時代から鎌倉時代までの間に起きた出来事を左に、
生活様式や文化をその右にまとめて
概要を空欄に書き込んでいく。
今月の終わりに行われる対再試験用の即席チェックプリントだ。
一通り書き終えたあとで要点を絞って
重要な単語を切り抜いた単語テストを行った。
彼女は前に述べた通り飲み込みが早い。
テストだって1回しか教えていないにも
関わらず7割型とることができていた。
本物のテストよりはレベルは低いものの
初回7割は十分な点数だ。
この点数がぱっとすぐ取れるのにどうしてテストではビリなのか。
彼女の身の上が気になる。
生活の水準からしてやはりバイトに明け暮れていたりするのだろうか?
時間を仕事に割きすぎて単位を落としたとかはよく聞く話ではある。
僕はそんなことをぼーーーっと考えながら
彼女の所々バツのついた答案を見つめていた。
「ん?どうしたの?」
ぐっと身体を乗り出して紙を覗いてくる。
余程珍妙な回答をしたのではないかと心配になったようだ。
それを恥ずかしがる前に、
再試になった自分の学力を恥じるべきだと思うのだが。
「いや、なんでもない。 休憩にするぞ」
「はーい!!」
待ってましたと言わんばかりに彼女は鉛筆を放り投げて、
肩をごりごりと回してリラックスさせる。
ふっと息をついたあと彼女は
来客用にと持ってきたポテトチップスの袋を勢いよく引きちぎった。
ずっと休憩を待ちわびていたんだろう、
肩を回してから、袋を開けに行くまでの動作がとてつもなく素早かった。
その手つきが小学生のようで、あまりの落ち着きのなさに
思わず僕は笑いを零してしまった。
「ん?なにかおかしいところでもあった?」
「いや、なんでもない。」
「えー気になるじゃん!教えてよ!」
「子どもみたいなはしゃぎ様だったから
思わず笑ってしまっただけだ。」
その言葉を聞いた途端かっと頬を林檎のようにして、
急にしおらしく淑女のような手つきで
袋から皿に中身を移し変えるので
余計おかしくなってくすくすと笑うと
「そ、そんな笑わなくてもいいじゃん…」
ますます頬を赤くしていくばかりの彼女を見て、
バカはバカなりに可愛げのあるものだと感じた。
意外にもこの空間の居心地を悪く思っていない自分がいる。
僕だって鬼じゃない。これだけ集中力があって
可愛げも少しだけある奴なら、
まぁ、貧民から庶民くらいに格上げしてやらないこともない。
勉学に励まぬ愚か者には違いないが、
そこは後々矯正してやれば、少しはマシになるだろう。
僕はいままでとっていた彼女に対する態度を少し改めることにした。
今日の分の学習を終え玄関で見送られる。
靴を履き替えた僕に
以前のように大きく手を振りながら別れの挨拶をする彼女。
前は応じなかったそれに今日は応じた。
といっても照れくさいので胸のあたりで
小さく手を振るだけだけど。
それを見た彼女はぱっと花が咲いたような笑顔を見せて、
もう一度大きく手を振る。
また胸のあたりで小さく手を振り返す。
悪い気はしなかった。
その日から僕たちは必ず
手を振って別れるようになった。
光陰矢の如し。
まるで矢のように時間はすぎていった。
彼女の成績はみるみる上がっていき、
再試対策としては充分なレベルになっている。
ゆえに根を詰めて勉強する必要はないのだが、
これを皮切りにだらけて受からなかった、
なんて結果になったら目も当てられない。
それに少しばかり、ほんとのほんとに少しばかり、
彼女と過ごす時間がなくなってしまうというのが
どことなく惜しい気がした。
色んなことを2人で話した。
といっても僕は相槌を打つばかりで
話し手に回るのはいつも彼女の方だったけど。
貧乏生活を送る上での節約術だったり、
海老の尻尾を食べる食べないだったり。
好きなスナック菓子の話から発展して、
コンソメパンチか、のり塩、
どっちが至高かを言い争ったりもした。
僕がのり塩の偉大さについて
15分間熱弁したらやや面倒くさそうに
「のり塩のがいいね、スゴイネ…」
って折れたのが印象的だった。
僕ののり塩愛が彼女を屈服させたのだ。
実にあの日は清々しい1日だった。
勉強以外でも会うことだって増えた。
いつも誘ってくるのは、彼女の方からで、
僕は素っ気ないように見えていたかもしれないけど、
実は案外満更じゃなかった。
一緒にご飯へ行ったり、ただの散歩だったり、
少しずつ少しずつ距離を詰めていった。
そうやって何度も何度も会うことを繰り返すうちに、
最初の理由だかなんだかが
どうでも良くなってきてしまっていた。
そんなことより彼女自身のことを
もっともっと知りたい。
そう心の底で思うようになっていった。
月日は更に流れ去る。
この頃には僕が彼女の家にいくだけじゃなくて、
お互いの家を尋ね合うようになっていた。
彼女とは、いつの間にか連絡先を交換していて、
送りたい時に好きなメッセージを送る仲に。
ここまで来たらもう誤魔化せない。
彼女は僕の中でもう確固たる存在になっている。
所謂友達というやつだ。
最初はあれだけ毛嫌いしてた癖に。
段々とその朗らかな笑顔に
絆され、僕は変わってしまった。
知識だけが宝だったのに、
それ以外にも大切なものができてしまった。
月日はまたまた流れる。
テストの日が近づくにつれ
落ち着きがなくなっていく彼女を宥めながら、
僕も僕で必死に自分を落ち着かせる。
きっと大丈夫だ。
僕の教え方は完璧だ。受かるはずだ。
もやもやしながら毎日を過ごした。
そしてとうとう迎えた再試当日、
僕は自室の中をひたすら歩き回る。
試験はうまくいっただろうか。
教え方が悪かったらどうしよう。
悪い考えがグルグルと頭の中をめぐり
落ち着いて過ごしていられなかった。
昼下がり、待ち望んでいた彼女からのメッセージが
スマホに表示される。
『うまくいったと思う!!』
思わず部屋の中で
ガッツポーズをする。
ずっと2人で頑張ってきたんだ。
まだ結果は分からないにしても
きっと良いに違いない。
スマホに更に通知が送られる。
僕は画面をもう一度見た。
『発表の日よかったら
家に来てください。
伝えたいことがあります』
一体この時期に伝えたいことってなんだ。
わざわざ連絡するってことは余程大事な要件なはず。
頭の中にハテナが浮かぶが、
優秀なこの頭脳はあるひとつの解にたどり着く。
これは、もしかして、告白というやつか。
僕だって思春期の男子高校生なので、
淡い期待をそのメッセージに抱いてしまう。
その日はウキウキして上手く寝付けなかった。
再試の結果が帰ってきた日、
普段の様子とはまるで違う
真剣な切り詰めた表情で僕は迎えられた。
これはいよいよそういう事かもしれない。
内心溢れそうになる期待を
必死に抑えながら彼女の部屋に向かう。
「まずはね、試験の結果から伝えようと思うんだけれど…」
ごくりと唾を飲む。
大丈夫と信じてるとはいえ、さすがに少し緊張する。
「合格だったよ。ほんとに今まで ありがとう。」
僕はほっと胸を撫で下ろす。
あれだけ勉強したんだ。
当然といえば当然だがめでたい結果だ。
まずは労ってやらなければ。
「えー、こほん、まぁ僕が居たのだから当然だが、
一応言っておくよ。 おめでとう。」
素直じゃない僕の言葉に
彼女は苦笑しながら口を開いた。
「今日は伝えたいことがあってここに来てもらったの。
長い話になるから座って欲しい」
来た。いよいよ告白だ。
さてなんて返そう。
彼女は今勇気を振り絞って熱い想いを
僕に伝えようとしてくれている。
失礼がないようにしなけ--
「私の余命、持ってあと2年なの。」
は…??
彼女は今なんて言った。
余命…? 2年…? 誰が…?
頭をかち割られたようだった。
彼女がもってあと2年…?
だってあれだけ笑っていたじゃないか。
おくびにも出していなかったじゃないか。
コンソメかのり塩かとかバカみたいな言い争いしたじゃないか。
遊びにだって行った。あんなに元気だったのに、
何かの間違いじゃないか。
理解ができなかった。
無言のままの僕に彼女は更に言葉を続ける。
「入学する時には分かってたの…分かってたのに…
ごめん… l ごめん…ごめんね…」
彼女の目から大粒の涙が零れる。
ボロボロと涙を零して床に染みができる。
その涙がまぎれもない真実の言葉であることを証明していた。
「あ、いや、え、え…?」
僕はこんな時だっていうのに気の利いた言葉ひとつもかけられない。
優秀な頭脳とやらはどこへいったのか。
ショートしたまんまの脳みそは真っ白のまんまで。
それでも必死に必死に聞きたいことを探す。
よくなる可能性はないのかとか。
でもそんな事を聞いても無駄なのは
目の前の彼女を見た僕が1番分かっていた。
あの後はどう帰ったのか覚えていない。
気づいたら家の中に居た。
夕飯は何を食べたんだっけ。
それすらも覚えていなかった。
彼女があと2年…
あと2年でもう二度と会えなくなる…
そう思うと無性に悲しくなって仕方なかった。
ベッドの中で枕をぎゅって抱いて咽び泣いた。
嫌だ、なんで。
心にぽっかりと穴が空いて何もする気になれなかった。
それから数日が経った。
彼女とは連絡を取らないまま。
僕がどれだけ立ち止まっても時間は止まってはくれない。
こうしてる間にも彼女のタイムリミットは刻一刻と迫っている。
何か行動に移さなきゃ…
でも彼女と会って仲が深まれば
心の傷もどんどん深まるばっかりだ。
鉛のように身体が重かった。
ベッドの中でぼーっっと君のことを考える。
ああ、どうすれば。
僕はどうすれば。
そんな時だった。
ふっと頭の中に疑問が湧いてでてきた。
彼女はずっと学校に通っていた。
残り僅かとわかっている命をどうして
好きな事に使おうとしなかったんだろう。
聞かなきゃいけない、
そう思ったら後は早かった。
さっきまで鉛のようだった身体が動くようになっている。
僕は彼女にメッセージを送る。
「今からそっち行っていいか」
程なくして君から答えが返ってくる。
「いいよ」
僕はその返答を見た途端既読もつけずに
部屋を出る支度をして君の家に向かった。
今は時間が惜しい、少しでも早く会わなきゃいけない。
そんな思いだった。
もう何度も見慣れたボロ家が見える。
彼女はいつもと違い家の入り口に立っていた。
その立ち姿から彼女も僕と同じ気持ちだって事が読み取れた。
少しでも早く会いたかったんだって。
彼女を待たせてしまった。
メッセージが返ってからじゃない、
僕があの日家に帰ってからずっと、
ここに帰ってくるのを彼女は待っていた。
僕は謝らなきゃならない。
「ごめん。ほんとにごめん。 逃げてしまって。」
「ううん、こうしてもう一度来てくれて嬉しいよ」
「聞きたいことがあるんだ。中に入ってもいいか?」
彼女はもちろんと頷き返し、家の中に招き入れた。
今日はお茶も何も無い。用意している時間も惜しいんだろう。
部屋に入ると僕は早速、君に尋ねた。
「入学した時から分かってたんだろう?
どうして残り少ない時間を学校に…?」
デリケートな質問である事は重々承知していた。
それでも聞かなきゃいけないと思った。
問いに対し、君は静かに答え始めた。
余命を知らされたとき、彼女は悲しみにくれた。
どう頑張っても伸びない命。
学校を辞めることを家族には勧められたらしい。
残り僅かの命を好きに生きて欲しいと。
でも、彼女は怖かった。
誰の記憶にも残らずに、この世から去ってしまうということが。
だから学校には通った。
誰かの記憶に残るために。
言葉を失う。
あの明るい顔の裏にそんな葛藤を抱えて生きていたなんて。
そんな僕を横目に君は話を続ける。
通学こそするものの、
勉強にまで時間を割く気など毛頭ない彼女は
いつもテストではビリだった。
「仕方ないかなって思ってたんだ。 どうせ死んじゃうしね…」
期末考査があったあの日も
言葉では頑張るなんて言ってたけど、
ほんとはなぁなぁで終わらせる気だった。
僕が侮蔑しなければ。
「腹が立った…
こっちの事情も知らないくせにって 思った。
でもなんも言い返せない自分に、もっと腹が立った…」
彼女に新たな欲求が生まれた瞬間だった。
最期に死ぬ時くらい胸を張って死にたい。
馬鹿にされたまんま、半端に人生を終えたくない。
頑張って生きた証をちゃんと残したい。
それが彼女が僕に頼み込んだ理由だった。
馬鹿にしてきた人間に
誰よりも近くで努力を認めて欲しいから。
なんて強い生き方なんだ。
なんてまっすぐな生き方なんだ。
僕は過去の僕に叱ってやりたかった。
彼女は懸命に足掻いて生きている。
甘いぬるま湯に浸かって
のうのうと生きてたのはお前の方だと。
ほんとに愚かなのはどっちだと。
叱ってやりたかった。
でも過去はどうにもできない。
悔しさに唇を噛み締めながら彼女の言葉を聞き入れる。
「ありがとう。胸を張らせてくれて」
「ありがとう。私に勉強を教えてくれて」
愚かな僕に優しい言葉をかける君。
涙が止まらなかった。
彼女はそこで息を吸い直して空気を入れ替える。
「折り入ってお願いがあります」
お願い、何だろう…?
僕にできることならなんだってしたい。
涙でぐしゃぐしゃの顔で君のことを見る。
「これからも私、頑張る、頑張るから。
私って人間が最期まで頑張ったこと
ずっとずっと憶えてて欲しい」
彼女は花のようだった。
枯れる時が来るまでずっと輝きを放つ。
そういう生き方を君は自分で選んだんだ。
なら僕は最期の最期まで
彼女の勇姿を見届けてやりたい。
彼女が消えてしまうのが怖いなら
僕がその不安を和らげてあげたい。
目を見てはっきりという。
「ああ、約束だ。絶対絶対、約束だ」
次の日。
少しでも彼女とのことを心に留めたい。
そう思った僕は初めて自分から、
どこか遊びにいかないかと誘った。
彼女は大層驚いていたが快く了承してくれた。
平日の昼間この炎天下の中、
駅前で約束の時刻を待つ僕。
ギラギラとした陽の光がアスファルトに反射して
ゆらゆらと空気が歪んでいる。
しばらく待っていると
彼女は時間ちょうどにやってきて
心底申し訳なさそうに僕に頭を下げる。
「ごめんね、待たせちゃったね…」
そうやって落ち込んでいる姿は見たくない。
こっちが早く来ただけなのだから。
「いや、いい。そんなことより早く行くぞ。」
沈んだ彼女の肩を叩いて
ショッピングモールの方を指さす。
今日の目的は買い物だ。
といっても彼女はお金がないので専ら
ウィンドウショッピングになるのだが。
僕達は元気に外を歩き回り、
ブティック、本屋、その他色々なお店を見て回った。
商品を手に取ってあれこれ使い道を話したり、
目を輝かせて見とれたりする彼女はより1層輝いて見えた。
結局何一つ買えやしない、全くもって無駄な時間ではあったのだが、
僕にとっては、そしておそらく彼女にとっては
何かしらの意味があるものだった…と思う。
お昼時になり、休憩をしようと休憩スペースで
アイスクリームを2人一緒に買う。僕は抹茶味。彼女はイチゴ味。
何も買えない僕達2人のささやかな思い出だ。
その笑顔はとても眩しくて
とても2年後には見れなくなる光景とは思えない。
神様とは理不尽なものだ。
でもそういうものなんだろう。
どうしようもない。諦めるしかない。
それが道理なのだから。
食べ終わったあと僕たちは一緒に帰路に着いた。
これからの夏の予定を話している彼女に相槌を打ちながら
ゆっくり歩道を歩いていく。
今後迎えるであろう、小さい小さい夢を語っている彼女。
だがそんな君に神様はとてもとても残酷な仕打ちをした。
見通しの悪い横断歩道、
事故が起きるのは当然だった。
青になった信号を歩く彼女はお喋りに夢中で、
迫ってくる後ろの車に気付くのが遅れる。
どうやら足がすくんで動けないみたいだ。
このままでは彼女は死んでしまう。
君は残りのたった2年すら生きれずに終わってしまう。
僕の脳裏に今までの思い出がフラッシュバックする。
教鞭を執った最初の日、文句ひとつ言わず
懸命に勉強に取り組んだ彼女。
初めて振り返した別れの挨拶に対して
花が咲いたような笑顔を見せる彼女。
泣きながら持病のことを告げてくれたときの彼女。
告げるのにどれだけの勇気を要しただろう。
でも他の誰でもない僕に教えてくれた。
何が道理だ。
友達が死ぬのをただ見てろってのか。
何とかしなきゃ、僕が。全部知ってる僕が。
歩道に向かって彼女を押し飛ばした。
車は僕の体をいとも簡単に弾き飛ばす。
大きな衝撃と共に骨が砕ける嫌な音がした。
赤黒い血がまだ熱いアスファルトに広がっていく。
自分からしたこととはいえ、一瞬理解ができなかった。
ああ、今、僕、轢かれたのか。
通行人が慌ただしく僕を取り囲む。
その中には見覚えのある彼女が、
顔をくしゃくしゃにさせながら五体満足でそこに居て。
無事で良かった、
なんて柄にもなくそう思ってしまった。
意識が遠のいていくのを感じる。
瞼が重い。なんだか、眠い。
生きなきゃ、彼女と約束したんだから。
生きなきゃ、まだ、何も君にできてないんだ。
反抗しても段々、瞼は閉じていく。
どれだけ抗っても無駄だってことがなんとなくわかってしまった。
なら、せめて。
僕はいつものように彼女に挨拶をする。
胸のあたりで小さくゆっくりと手を振る。
別れの挨拶くらい、せめてちゃんとしなきゃ。
何にもできない僕だけど、これくらいは。
僕は涙でボロボロの彼女に看取られながら
ゆっくり、ゆっくり、瞼を閉じていった。
僕は猫だ。
知りたいことを好きなように追いかけて。
僕は猫だ。
いつもツンとしていて。
素直になれなくて。
僕は愚かだ。
昨日約束したばっかりなのに、
もう約束を破ってしまった。
彼女の最期を看取ってやることすら出来なかった。
僕のエゴで彼女を押し飛ばして、
1人にされた君はこれからどう生きていくというのか。
僕は愚かだ。
でも愚かだろうがなんだろうが
彼女に少しでも生きていてほしかったんだ。
だって友達だから。
僕は愚かなまま、
君みたいに特別な何かにはなれず、
息を引き取った。