女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい【完結】   作:寛喜堂秀介

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10 女子高生、訪ねる

 

 

 春が訪れる。

 葉瀬中学では筒井部長や加賀が卒業し、ヒカルは2年生になった。

 ゆかりはいよいよ高校3年生。最終学年になる。

 

 海王中との対決に向けて、ヒカルは新入部員集めや部員の特訓に余念がない。

 そのあおりで、ゆかりがヒカルと出会う時間が減ったのだが、ゆかりとて、嘆いている場合ではない。

 

 

「──面接、ですか?」

 

 

 日曜日。囲碁サロンでの勤務中。

 市河さんに告げられて、ゆかりはオウム返しに尋ねた。

 

 

「前にゆかりちゃんに就職先のことを、塔矢先生に相談してみるって話してたでしょ? 一度面接したいってことで……明日なんだけど、大丈夫?」

 

「は、はい。塔矢先生がお忙しいのはわかってますし、お時間いただけるだけで……」

 

「うん。なら学校には、私が迎えにいくから」

 

「ありがとうございます……あ、あの、わたし、スーツとか持ってないんですけど」

 

「学校に迎えに行くって言ってるでしょ。ゆかりちゃんが学生だって先生もご存知だし、制服で大丈夫よ」

 

 

 あれよあれよという間に、翌日。

 市河さんの車に迎えられて、たどり着いた先は……見覚えのあるお屋敷だった。

 

 

「あ、あの……面接は囲碁サロンでじゃ……」

 

「それが塔矢先生、急な来客で家を離れられなかったらしくて……じゃあゆかりちゃん。帰りの足は、先生が用意してくれるみたいだから。がんばってね!」

 

「え、待って、市河さん!? 市河さーん!?」

 

 

 励ますだけ励まして、市河さんは行ってしまった。

 置いていかれたゆかりは、去ってゆく車を呆然見送ってから。

 ままよと、塔矢家の門を叩いた。

 

 家に招き入れられ、案内された先は、庭に面した純和風の座敷。

 入ってきたゆかりを迎える形で、塔矢行洋は、碁盤を前に座していた。

 

 

「お、お邪魔します。お世話になります。日宮ゆかりです」

 

「よく来てくれた。話は市河くんから聞いている。まずはキミの実力を知りたい。座りたまえ」

 

 

 ──これ前にもあったー! というかどんな伝え方したの市河さーん!?

 

 

 心のなかで悲鳴を上げるが、もうすでにいろいろ尋ねる雰囲気じゃない。

 

 碁盤の前に座る。

 碁笥の蓋は開いていて、そこに入っているのは黒石。

 置き石の指示はないので、ゆかりが先番で打てということだろう。

 

 たがいに挨拶して、礼。

 

 

 ──どうする?

 

 

 白扇子を手に握りながら、ゆかりは自問する。

 相手は佐為クラス。とはいえ佐為と本気で戦った、あのときのような精神状態にはなれそうにない。

 

 

 ──というかオレ、塔矢先生とまともに打つの初めてじゃねーか!?

 

 

 打つ機会は何度かあった。

 

 最初は、囲碁サロンで。

 塔矢アキラを負かした、その実力を量るために。この時は数手打って逃げてしまった。

 二度目が幽玄の間での新初段戦、三度目がネット碁での対戦。すべて佐為に任せて、自分では打っていない。

 

 塔矢行洋と打つことに、不思議と忌避感はない。

 それは進藤ヒカルだった頃に感じていた、ともに佐為の強さを追っている、仲間意識ゆえかもしれない。

 なにより、塔矢行洋がゆかりを自宅に呼んだのは……塔矢アキラにゆかりの碁を見せないための、配慮じゃないかと感じた。

 

 

 ──だったら、信じて打つ。よく考えれば望むところだ。オレは塔矢先生と戦って……その強さを、手に入れてやる!

 

 

 大きく、息を吐いて。

 それから大きく息を吸って。

 ゆかりは、右上隅星に、黒石を打ち付けた。

 

 

 

 

 

 

 塔矢行洋は、あくまでゆかりの筋を見るつもりだったのだろう。

 序盤の進行に、問いかけるような一打が混じる。それに今後の展開をにらんだ手を返しながら、盤面は穏当に進む。

 

 だが、布石の段階での一打が、次第に存在感を増し始めたあたりで、雰囲気が変わった。

 ゆかりの実力を認め、本気の碁を打ち始めたのだろう。塔矢行洋は一手に時間をかけはじめ、静寂とともに空気が重く沈んでいく。

 

 状勢は、次第に悪くなっていく。

 塔矢名人の序盤の手控えのお陰で、なんとか優勢は保っているものの、対面する塔矢行洋の無言の圧力が、ゆかりの打つ手を重くしていく。

 

 

 ──息苦しい……まるで水の中だ。

 

 

 動きが鈍る。

 呼吸がか細くなっていく。

 

 だが、思考は緩めない。

 白扇子を握りしめながら、盤面を凝視して、無数に枝分かれする展開を予測する。

 

 

 ──いまの塔矢先生は、佐為を知らねえ。

 

 

 白模様の渦中に黒石を叩き込みながら、ゆかりは心中で吠える。

 

 

 ──だったら、オレにも勝機はある! 気後れすんな!

 

 

 潜る。

 溺れるのではなく。

 塔矢行洋の大海の如き圧力の中に。19路の碁盤の中に。

 

 

 ──思い出せ! 佐為と塔矢先生の対局を! あの時、対局の一番真ん中に居て、その最深を覗き込んだ、あの感覚を!

 

 

 藻掻く。潜るために。

 思考をフル回転させながら。

 盤面の奥底を覗き込みながら。

 かつて一度触れただけの、おぼろげな感覚を頼りにして。

 思考以外の、ありとあらゆる感覚を投げ出して──ついに、届いた。

 

 塔矢行洋の意思が伝わってくる。

 大模様に打ち込まれた。無理にコロすより、攻めながら上辺をニラむ厚みとするか。

 

 

 ──だろうな! そうされると打ち込んだ旨味が少ない!

 

 

 だが手抜きすると一手足らずでコロされる。

 上辺の攻防で先手に回られる。そこで応手を間違えなければ……全体で黒がやや損。数目を争う情勢になる。

 

 

 ──攻防を、下辺に誘導……できるか? いや、その先を読め! 塔矢先生よりも深く! もっと深く!

 

 

 塔矢行洋が、打ち込まれた黒石を攻める。

 ゆかりが、白石に応じながらコロしあいを演じ……死活が定まった、その代償にもぎ取った先手で、上辺を押しつぶさんと白石が黒の模様に突き刺さる。

 

 塔矢行洋にとって思い通りの展開。

 でありながら伝わってくる、わずかな困惑の意思。

 

 そう。現出した石の流れは、塔矢行洋の狙いとは微細にズレている。

 先のワカレはゆかりにとってやや損な、しかし、いまの局面にはわずかに有利な。

 新たに読み筋を生じさせ、塔矢行洋の思考に負荷をかけながら、ゆかりは白扇子に指を沿わせる。

 

 

 ──佐為なら……そう、こう打つはずだ!

 

 

 キビしい手には、よりキビしい手を。

 塔矢行洋の打ち込みに、ゆかりは迷わずハサミツケた。

 

 ぶつかりあった黒白の石の働きが勝敗を決する。

 その一手は塔矢行洋の進行を外し……ヨミの深さだけが頼りの、ノーガードのたたき合いが始まった。

 

 伝わってくるのは、歓喜。

 表情は巌のよう動かさぬまま、塔矢行洋は、強烈な一打でそれを示した。

 

 最終的に、ゆかりは2目、届かなかった。

 だが名人、塔矢行洋の心胆を寒からしめるのに十分な対局だった。

 

 

 

 

 

 

「──予想外の、だが素晴らしい一局だった」

 

 

 対局を終えて、塔矢行洋はどこか満足気に語る。

 

 

「これほどの打ち手とは思わなかった。勤め先と聞いて、2、3当ては有ったが……よければうちで面倒を見よう」

 

 

 一方、ゆかりは消耗しきっている。

 両手を畳についてなんとか身体を支えながら、行洋の不穏な言葉に思わず確認する。

 

 

「あの、うちってのは、先生のお宅じゃなくて、囲碁サロンのことですよね?」

 

「キミが望むのであれば、内弟子なり家政婦なり、なんらかの名目で迎えてもよいが」

 

「望んでません。囲碁サロンがいいです。あそこが好きです」

 

 

 市河さんに殺されそうなことを提案されて、ぶんぶん首を横にふる。

 とはいえ、就職口が、なんだかゆかりの望むところに落ち着きそうなので、ちょっと安心してしまう。

 

 だが塔矢行洋は、碁盤に目を落としながら、静かに口を開く。

 

 

「少し聞いてもいいかね。キミほどの碁打ちが、なぜプロを目指さないのだ」

 

 

 はっとするような問い。

 思わず身をこわばらせると……初めて、塔矢行洋の口元がやさしく緩んだ。

 

 

「心配しなくていい。これに答えないからといって、話を反故にするようなものではない。嫌ならば答えなくていい」

 

 

 ゆかりは迷った。

 厚意に甘えて言わずに済ませる方法もある。

 だが、ほかの誰でもない。塔矢行洋になら、秘密の一端くらいは、うち明けてもいい気がした。

 

 

「……たとえば、おなじ扇子の表と裏。そんな碁打ちが居ます」

 

 

 手に持つ白扇子をばっと開いて。

 ゆかりは、静かに語りだした。

 

 

「表と裏は、いっしょには存在できない。すくなくとも、表が日の当たる場所で打つなら、もう一方は日の下には居られない……わたしは、そんな裏の碁打ちが、遠慮なく打てる相手でありたいんです」

 

「……そのためには、プロの立場にはこだわらない、か」

 

 

 塔矢行洋は独白する。

 

 この告白は、いまの彼にとって意味の通らぬ話だ。

 だが、行洋は静かにうなずいて、ゆかりの言葉を噛み締めた。

 

 これで、本当に面接は終わった。

 タクシーを呼ぶ間の待ち時間、ゆかりはふと気になって尋ねる。

 

 

「そういえば市河さんは、わたしのこと塔矢先生になんて話したんです?」

 

「ふむ……囲碁サロンのアルバイトの高校生が、就職先を探しているので、どこかいい働き口がないか。その娘はプロ顔負けの碁打ちなので、それも考慮してあげてほしい、だったかな?」

 

 

 就職に重点を置くなら、彼女は必要なことを語っている。

 それに、相手は口の固い塔矢行洋だ。なら、市河さんにそこまで非はない。

 ただまあ、心の準備無くつれてこられて、死ぬほど肝が冷えたので……就職祝いも兼ねて、なにか美味しいものでもおねだりしてみようと、ゆかりは思った。

 

 

 

 

 

 

 タクシーで送ってもらい、帰宅後。

 あらかじめ事情を話していた母に、本日の首尾を報告すると、母は喜色をあらわにした。

 

 

「いろんな意味で将来を心配してたけど……囲碁が趣味でよかったねえ」

 

 

 手放しで喜んでくれたのは、正直ゆかりもうれしかったのだが。

 続けて母は、こうも言った。

 

 

「そろそろゆかりも大人なんだし、そこまで一途なら、しつこく言う気はないけど……ヒカルくんが18歳になるまでは待たないとダメよ。ふたりのためにも」

 

「なにがっ!?」

 

「きちんと判断できる年齢にならないと、やっぱりゆかりがたぶらかした、みたいに思われちゃうし……」

 

「わけわかんないんだけどっ!?」

 

 

 母の中で、自分とヒカルの関係が一体どうなってるのか。

 ゆかりがきちんと説明しても、母はわけ知り顔でうんうんうなずくだけだった。

 

 

 

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