女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい   作:寛喜堂秀介

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11 女子高生、訪れる

 

 

「あなたが日宮ゆかりさん……ですか」

 

 

 ゴールデンウィークを直前に控えたある日。

 下校の折、校門の前で、そう声をかけられて。

 振り向くと、そこに居たのはよく見知った顔──ヒカルの幼なじみ、藤崎あかりだった。

 

 

 ──あかりがなぜ? しかもなんか怒ってる?

 

 

 戸惑いながらも、ゆかりは笑顔を作って答える。

 

 

「はい。お姉さんが日宮ゆかりですよ。キミは……ひょっとして、ヒカルくんの幼なじみで、おなじ囲碁部のあかりちゃん?」

 

 

 一応、ゆかりとしては初対面ということになる。

 距離感を測りかねながら尋ね返すと、あかりは先制パンチを食らったようによろめいた。

 

 

「は、はい! あかりです! ヒカルの幼なじみの!」

 

「うん。ヒカルくんから、あかりちゃんの話は時々聞いてるよ。キミも、ヒカルくんからわたしの話を聞いたのかな?」

 

「いえ……ヒカルはなにも言ってくれませんでした。今年高校生になったお姉ちゃんから、あなたの話を聞いて……」

 

 

 そういえば、あかりには姉がいる。

 彼女がゆかりとおなじ学校に入っていて、ゆかりの学校での評価は……ものすごく嫌な予感がして、ゆかりは冷や汗が流れるのを感じた。

 

 

「こ、これ以上ヒカルをたぶらかさないでください!」

 

 

 場所は校門の前。下校する生徒も多い。

 女子中学生から男子中学生を寝取った女の誕生である。

 

 いまさらだが。

 

 

「……あかりちゃん、落ち着いて。わたしたち会話が必要だと思うの。ものすごい誤解があるから」

 

 

 興奮するあかりを、ゆかりは必死でなだめる。

 大声で注目を集めまくっていることに気づいたのか、あかりは顔を真っ赤にして……それから、声を潜めて聞いてきた。

 

 

「……じゃあ、ヒカルと毎週デートしてるってのは嘘ですか?」

 

「喫茶店や公園でいっしょに碁を打って、その後ラーメン屋には行ってるかな」

 

「デートじゃないですか! じゃあ、三谷くんに聞いた、ヒカルを家に連れ込んだっていう話も!」

 

「ネット碁をやらせてあげただけだよ……わたしの部屋で」

 

「事案じゃないですか!」

 

 

 全力でツッコまれる。

 周りでは、下校途中の生徒たちが何事かと視線を向けている。

 あかりは再び周りの視線に気づいて顔を赤らめるが、それなら始めから大声出さないほうがいいのでは。ゆかりはそう思ったが、まあ我慢できないものがあるのだろう。

 

 

「えーと、とにかく、どこか落ち着ける場所に行こうか。このままだとわたしの世間体は死ぬ」

 

 

 なぜまだ生きていると思うのか。

 

 この後喫茶店で説明して、無事事情を理解してもらった。

 あかりは別れ際に「こんなのぜったいおかしいですから!」と言い捨てて、帰っていった。

 

 理解とはなんなのか。

 

 

 

 

 

 

「──ってことが、昨日あったんだよ」

 

 

 恒例の、ヒカルとの対局の日。

 喫茶店で対局を終えた後、あかりとの一件を話すと、ヒカルはうんざりしたような顔になる。

 

 

「あかりのやつナニやってんだ……囲碁部でも、ゆかり姉ちゃん関係でひと騒ぎあったんだ。みんなイロイロ聞いてきてうっとーしいったらなかったぜ」

 

「部のみんなが?」

 

「ああ。あかりがゆかり姉ちゃんの名前を出して、三谷がオレたちがいっしょに打ってるって話をして、そしたらみんないろいろ聞いてくるし、夏目のやつがひたすら『藤崎さんが居るのにその上……こんなことは許されない』って繰り返して」

 

 

 そこはわかっておいたほうがいいのだが、ヒカルが気にする様子はない。

 

 

「──にしても……ゆかり姉ちゃん、なんか急に強くなってねーか?」

 

 

 打ち終えた盤面に視線をやりながら、ヒカルは眉根を寄せる。

 

 

「あ、わかる? 今日はわたし、碁盤が狭く感じたんだ。ひさしぶりの感覚だよ」

 

 

 以前、“sai”と塔矢行洋の対局の後にもあった感覚だ。

 

 もちろん、それでも佐為の領域には届かない。

 とはいえ、今日の碁は上出来で、ひさびさに半目勝負に持ち込めた。

 塔矢行洋との対局のように、碁盤の最深まで潜ることは出来なかったが……佐為にも冷たい汗を流させるくらいは出来たんじゃないかと自負している。

 

 

「……なんかキッカケとかあったの?」

 

「きっかけ? ……やっぱり塔矢先生との対局の影響かなあ」

 

「え、ゆかり姉ちゃん塔矢先生と対局した──あーっ!? 騒ぐな佐為っ!」

 

 

 言葉の途中でヒカルが悶絶する。

 塔矢行洋に執着してる佐為なら、まあこうなるよな。とゆかりは苦笑した。

 

 

「負けた碁だけど……あとで並べてあげる」

 

「うん、でもどうやってゆかり姉ちゃん、塔矢先生と打てたんだ?」

 

「それがね。塔矢先生に就職先を紹介してもらう時に、まずは実力を知りたいって……そうだ! おかげで囲碁サロンへの就職が内定したんだよ! えへん!」

 

「え、就職? 塔矢の碁会所に?」

 

「そう。これで将来の心配せず、心ゆくまでヒカルくんと打てるよ!」

 

 

「いえーい!」とゆかりが上げた手に、ヒカルは苦笑を浮かべながら、ハイタッチで応じる。

 

 

「……まったく、気楽だなあ、ゆかり姉ちゃんは……おめでと。つぎはオレだ。まずは海王中との団体戦。それからプロ試験。キメて来るから、応援してくれよな!」

 

「もちろん! わたしも力になれるなら、なんでも手伝うから、ヒカルくんもがんばってね!」

 

「ああ──佐為うるさい! さすがに塔矢名人との対局はムリだって!」

 

 

 話の途中でヒカルは明後日の方向を向いて、虚空相手に戦い始める。

 その様子を、ゆかりは菩薩の如き笑みでながめていた。

 

 

 

 

 

 

「手伝う、とは言ったけど……」

 

 

 そんな話があってから数日。平日の放課後。

 ヒカルの頼みで葉瀬中を訪れることになったゆかりは、すこし緊張しながら校門をくぐった。

 

 日宮ゆかりは葉瀬中の卒業生である。

 なので母校を訪れることに、あんまり抵抗はない。

 だが進学先について、先生の頭を悩みに悩ませた日宮ゆかりが、他人の進路について、先生に説明する日が来るとは思わなかった。

 

 

「日宮さん」

 

「あ、タマ子先生。ご無沙汰してます」

 

 

 玄関口で、待ち合わせの相手と会えて、ゆかりはほっと息をついた。

 進藤ヒカルが囲碁部の顧問としてお世話になっている先生であり、実はゆかりも、中学のころ副担任として見てもらった。

 

 近況を報告しながら、向かった先は、生徒指導室。

 そこでゆかりは、タマ子先生と向かい合って座る。

 

 

「今日は、進藤くんのことで、無理言って来てくれてありがとう」

 

「いえいえ。わたしも、進藤くんがプロ棋士になるのを応援していますから、囲碁の世界のことを知りたいっていう先生のお気持ちはうれしいです」

 

 

 軽く挨拶して……タマ子先生がため息を吐く。

 

 

「囲碁のプロを目指すっていう進藤くんのことは応援したいんだけど、プロ試験のことも、囲碁の世界のことも、よくわからなくて……」

 

「強い人なら中学生でプロ入りする世界ですからね。進藤くんの挑戦は決して早くはありません。普通は院生として腕を磨いて、プロを目指すんですが──」

 

「ちょ、ちょっとまってね日宮さん、メモするから」

 

 

 軽く説明すると、タマ子先生はあわててメモを取りはじめる。

 

 

「ちなみにインセイってなにか聞いていいかしら?」

 

「簡単にいえばプロ候補生として教育を受けてる子供たち、ですかね」

 

「進藤くんはそのインセイじゃないのよね?」

 

「はい。実力的には見劣りしませんが……なのでヒカルくんの場合は外部受験生として、プロ試験に挑むことになります」

 

「外部受験生……はい」

 

 

 メモを取りながら、タマコ先生が促す。

 

 

「プロ試験は予選を経て、約2ヶ月間の本戦を戦います。8月下旬に始まって、だいたい10月末までですね。平日の対局もありますので、その日は公欠することになります」

 

「うん……はい」

 

「本戦は受験生による総当たり戦です。上位3人が合格者として、プロへの道が開かれる……って感じです」

 

 

 プロ試験について、試験合格後について、そもそもプロ棋士とはなんなのか、どんな仕事をするのか、収入はどれくらいでどんな生活になるのか。

 ゆかりは進藤ヒカルの頃の記憶を引っ張り出しながら、一通り説明した。

 

 ようやく一息ついて。

 

 

「ふう……ありがとう、日宮さん。進藤くんから聞いてたけど、本当にくわしいのね」

 

「プロの方が来られる碁会所でアルバイトしてますからね、いろいろと耳に入るんですよ……タマ子先生。進藤くんのこと、よろしくお願いします」

 

「ええ、もちろんよ。これでご両親にもきちんと説明できそうだし……日宮さん。進藤くん、プロ試験に合格する見込みはありそう?」

 

「はい。実力的には、まず問題ないと思います」

 

「そう……進藤くん、夢を叶えてほしいわね」

 

「ええ。本当に……」

 

 

 しみじみと、語り合う。そのあと軽く雑談してから。

 ゆかりがいとま乞いして、生徒指導室の扉を開けた──その時。

 

 

「──わっ!」

 

 

 と、幾人かの声。

 廊下には、とても見覚えのある顔が並んでいた。

 三谷、夏目、女子のあかり、津田、金子さん、1年生の小池。囲碁部のメンバーだ。

 

 

「えーと」

 

 

 ゆかりが戸惑っていると、囲碁部一同は、ジロジロとゆかりの顔を見てから、たがいに目配せして。

 

 

「許されない。進藤有罪」

 

 

 夏目の言葉に、他の部員が次々と声を上げた。

 

 

「……進藤有罪」

 

「み、みんな騙されちゃだめだよ。有罪はあっちなんだから……!」

 

「わ、わたしはあかりちゃんに同意で」

 

「これ有罪は進藤よね?」

 

「えーと、進藤先輩有罪で」

 

 

 これはなんの裁判なのか。

 首を傾げていると、背後からタマ子先生が顔をのぞかせる。

 

 

「なにやってるのあなたたち」

 

「な、なんでもないです! 失礼します!」

 

 

 囲碁部員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 そのうしろ姿を、しばし見つめて。

 

 

「……いったいなんだったんでしょう?」

 

「さあ……とりあえず、みんなが居る前で、日宮さんに会いに来なかった進藤くんは、有罪ってことかしら?」

 

 

 先生まで妙なことを言い出したので、ゆかりは首を傾げた。

 

 

 

 

 


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