女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい【完結】 作:寛喜堂秀介
満を持して挑んだ中学夏季囲碁大会。
葉瀬中は……みごと団体戦で海王中を破り、優勝を決めた。
その直後の、ヒカルとの対局の日。
筒井部長以来の悲願成就のお祝いに、ゆかりはふたりきりの祝勝会を提案した。
「祝! 海王中打倒! いえーい!」
「いえーい!」
ゆかりの掛け声に、ヒカルもテンション高く声を上げる。
場所はいつもの喫茶店……ではなく、好きに騒げるよう、駅前のカラオケボックス。
テーブルには、メニューからチョイスした様々な料理。
ソフトドリンクで乾杯しつつ、ゆかりは本日の主人公と語り合う。
「でもすごいね。ヒカルくんは当然としても、副将の三谷くんまで快勝だし、三将の夏目くんも、囲碁をはじめて一年も経ってないのに、海王中の三将にあと一歩まで迫るなんて」
「夏目が伸びたのは、オレもびっくりしたよ。アイツ性格のせいか碁も大人しくて物足りなかったんだけど、イロイロあってオレには攻撃的な碁を打つようになって、おかげで格段に上達したっつーか……まあ結果オーライだったな……」
なぜか遠い目で、ヒカルは語る。
その理由は、ゆかりには知りようがないが……深く聞いてはいけない気がした。
「女子は2回戦負けで残念だったけど、みんなよく頑張ったよ。とてもじゃないけど、2年前には部員1人の零細囲碁部だったなんて思えない」
「ホントにな。筒井さんが居る内に勝てなかったのはくやしいけど……やっぱ三谷のおかげだな! アイツがイロイロ頑張ってくれたから、海王に勝てたんだ!」
話を聞いて、ゆかりはちょっと泣きそうになった。
塔矢アキラに追いつく。
そのために三谷に、囲碁部に背を向けて、ゆかりはただひたすらに前に進んだ。
そのことに後悔はない。
ただ、あのときの自分はあまりにも無知で、そのためいろんな人に苦い思いをさせてしまった。
だから。ゆかりにとって、今のヒカルはあまりにもまぶしい。
「でも、これで」
ゆかりはヒカルに顔を向ける。
悲願は達成した。
ならヒカルにも、囲碁部を離れる時が来たのだ。
「ああ。囲碁部は三谷たちに任せた。オレは塔矢を追ってプロになる」
ヒカルはそう言って、拳を手のひらに打ちつける。
「自信はどう?」
「バッチリさ。和谷にも伊角さんにも、ほかの連中にだって負ける気しねえ」
「油断は大敵だよ。ヒカルくんは強いけど、ほかにも強い人が受験してくるかもしれないからね」
「勝つさ。長いこと塔矢のヤツを待たせてるんだ。こんなとこで足踏みしてられねえからな」
闘志を燃やすヒカルに、ゆかりは声援を送る。
「その意気だよ! ヒカルくん、がんばって!」
「ああ、がんばるぜ!」
ノリよくふたりでグーをぶつけ合って、それから。
ヒカルはゆかりの様子をうかがいながら、遠慮がちに口を開いた。
「……なあ、ゆかり姉ちゃん、オレ、プロ試験受かったら、お願いがあるんだけど、いいかな?」
「うん。いいよ。合格したら、なんでも叶えてあげる……どんなお願いか聞いていい?」
ゆかりが尋ねると、ヒカルはいたずらっぽい笑みを浮かべて。
「それは……合格するまで秘密で!」
●
「……ってことがあったんですよ」
囲碁サロンでの仕事の合間。
ゆかりは先輩の市河さんに、葉瀬中の優勝とその後の出来事を、身内自慢まじりに報告する。
すると、お願い云々の話をしたあたりで、市河さんが血相を変えた。
「ゆかりちゃん、思春期の男の子になに言っちゃってるの!?」
「え。わたし、そんなにおかしいこと言ってませんよね?」
ピンとこなくて、ゆかりは首を傾げる。
その様子に、市河さんは深い溜め息をついて。
「あのね。思春期の男の子にスキを見せすぎ。え、えっちなことさせてとか頼まれたらどうするつもりなの?」
発想が妄想の域だが、自分の想像で顔を赤らめているのは、どうなのか。
ともあれ、おなじ時期の自分をよく知ってるゆかりにとっては、風評被害も甚だしい。
「市河さん。ヒカルくんですよ? そんなこと言うはずないじゃないですか」
「ヒカルくんも男の子なの! 男なんか、みんな狼なんだから油断しちゃダメ!」
唐突に始まった女子の話に、囲碁サロンの常連たちは、ちょっと居心地悪そうにしているのは、さておき。
市河さんの注意に、ゆかりはやはり納得がいかない。
昔の自分の下心まで疑われている気になって、なおも言葉を返す。
「えー。じゃあみんなって言うなら、塔矢くんもですか?」
「なに言ってるのよ。アキラくんはそんなこと言わないわよ」
市河さんは真顔で言った。
秒で矛盾させてくる彼女だったが、ツッコめる者は誰も居なかった。
○
あっという間に夏休みになった。
進藤ヒカルにとってはプロ試験に挑む、大事な時期だ。
ゆかりも高校3年生。
本来受験に向けた大切な時期なのだが。
すでに就職が決まったゆかりは、友人一同からのうらめし気な視線をものともせず、夏と囲碁をエンジョイしている。
「お、ヒカルのやつ、順調に勝ってるな」
クーラーの効いた自室で、ゆかりは今日もヒカルの勝敗をチェックする。
日本棋院のホームページを調べれば、プロ試験の対局結果が掲示されるので、ゆかりは毎日これを確認していた。
ちなみに対局は週3日なので、毎日調べる意味はない。
ネット碁の合間に、ついでに、という言い訳で、一日に何度も見ているが、もちろんあたらしい情報が出てくるわけもない。
予選を危なげなく通過し、すでに本戦。
伊角や和谷、越智などのライバルも、初戦を良いスタートを切っている。
意外だったのが、受験者の名前に門脇の名が無かったこと。
学生タイトルを総なめにした実力者である彼は、偶然から日本棋院で当時院生だったヒカルと対局。
門脇のことを知らなかったヒカルは、佐為に打たせて……結果彼は、鍛えなおすためにプロ試験受験を一年先延ばしにした。
だから、ヒカルが院生になっていない今回は、彼が参戦してなくてはおかしい。
「……いや、ヒカルと対局した可能性もある」
ゆかりは気づいて、口の中でつぶやく。
院生でなくとも、ヒカルは二度、日本棋院を訪れている。
プロ試験に必要な書類を貰いに行った時と、提出した時。
「そん時なら……ヒカルが門脇さんとやりあう機会はある」
可能性としては、無くはない、程度か。
本当にそうだったとしたら、ひどい衝突事故もあったものだ。
まあ、どのみち受験していない人間のことを考えても仕方ない。
そんなことより、いま気になるのは……
「もどかしいな。ヒカルの実力を直接測れたら、こんなに心配することはないのに」
言動を考えれば。
そしてヒカルが早くから本格的に囲碁を始めたことを考えれば。
いまのヒカルは、おなじ時期のゆかりより、おそらく相当強い。
だが、実際どれくらいの強さなのか。
佐為としか打てないゆかりには、知りようがない。
「自分で言うのもナンだが、この頃のオレはまだガキンチョだ。カンタンに平常心を失っちまう。ちょっとした動揺でいつもの碁が打てなくなる。そんな風にハマったら……マズイぞ」
もっとも、ヒカルには佐為が居る。
動揺による敗北を、長々と引きずるような真似はさせないだろうが。
「……昔オレもやらかしてるからなあ。それだけが心配だ」
だが、ゆかりの心配は杞憂だった。
2日目以降もヒカルは順調に勝ち続け、対戦表には白星が並んでいく。
大島に勝ち、フクを退け、本田を制する。ゆかりが負けた相手にも、勝利を重ねていく。
「おいおい。まだ和谷や越智が残ってるとはいえ……伊角さんをはじめ、強敵を軒並み倒して無傷の20連勝?」
結果を確認して、ゆかりはつぶやく。
強いとは思っていた。
だが、ここまでとは。
「ヒカルくん……キミは、どこまで強くなってるの?」
思わず。
ここにはいないヒカルに呼びかけて。
ゆかりは、椅子に体重を預けて天を仰いだ。
白扇子をしっかりと握りしめて、こみ上げてくる得体の知れない感情を、なだめながら。
結局。
進藤ヒカルは全勝のままプロ試験を制した。
そして奇しくも同日。
日宮ゆかりは、ある奇妙な挑戦を受けることになる。