女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい   作:寛喜堂秀介

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14 女子高生、渡す

 

 

 ヒカルとの対局から、数日。いつもの待ち合わせの日。

 公園の石のテーブルの前で、ゆかりはなんとも複雑な表情でヒカルを待っていた。

 

 

「……ヤバ。ヒカルにどんな顔して会ったらいいかワカんねえ」

 

 

 ソワソワしながら、ゆかりはつぶやく。

 これまで無条件に可愛がっていればよかったわんこが、急に人間に化ければ、接し方も行方不明になるだろう。

 

 ゆかりにとって、いまのヒカルはそんな感じだ。

 

 

「ゆかり姉ちゃん!」

 

 

 悩んでいると、当のヒカルがやってきてしまった。

 小走りで駆けてくるヒカルに、微妙に引きつった笑みを向けて、ゆかりはとりあえず棚上げすることにした。

 

 

「ヒカルくん、プロ試験全勝突破おめでとう!」

 

 

 いつもの通りに出来ているだろうか。

 不安になりながらも祝福すると、ヒカルは思いの外落ち着いた笑みを返してきた。

 

 

「ありがと、ゆかり姉ちゃん」

 

 

 ──いや、落ち着いたというか……疲れているような?

 

 

 内心首を傾げるが、ちょうどよかったかもしれない。

 ヒカルを心配していると、ゆかりにいつもの調子が戻ってきた。

 

 

「どうしたの? 調子悪いの? ちょっと横になる? 膝枕してあげようか?」

 

 

 おまわりさんこいつです。

 

 

「あー、大丈夫……軽い寝不足。ちょっと、実力の倍くらい出せた会心の碁を打ったせいでスランプになって、カンを取り戻すために打ちまくったから」

 

 

 ヒカルがあくびを噛み殺しながら答える。

 

 会心の碁、というのは、ゆかりとのネット碁での対局のことだろう。

 しかし会心の碁がきっかけでスランプになるなんて、どこかで聞いたような話だ。

 

 ゆかりは思わず苦笑する。

 

 

「そう……わたしも最近、ネットでいい対局が出来たんだ。負けた碁だけど……調子悪いならそれを並べて検討する?」

 

「あー……いや、打とう。わかってるって佐為」

 

 

 後半は小声だったが、ゆかりはしっかり聞いている。

 たぶん佐為に急かされたのだろう。「ヒカルばっかりズルい!」とか言ってそうだ。

 

 想像して、ゆかりは思わず口角を上げる。

 

 

「じゃあ、始めようか。今日のわたしは、ちょっと本気だよ」

 

 

 気合を入れて、宣言する。

 いまのヒカルの前で、ヌルい手は打てない。

 

 

 ──さあ、打つぞ、佐為。

 

 

 心のなかでそう伝えて、ゆかりは第一手を打った。

 

 

 

 

 

 

「やっぱ強えなゆかり姉ちゃん。ここの展開は読み切り?」

 

「うん。ヒカルくんの狙いは読めてたから、その先で使えそうな部分探ってて」

 

「ああ、ならヒイておけば……ああ、やや損になるな。ここは咎めようがない感じか」

 

 

 対局が終わって。

 石テーブルを挟んで、ゆかりとヒカルは検討を始める。

 注意して聞いていると、実はヒカルの意見っぽいものも混じっていることに気づかされる。

 

 

 ──そりゃそうか。いまのコイツは、オレと佐為の対局の一番真ん中に居て、両方の考えが見えるんだ。

 

 

 強くなるはずだ、と、あらためて納得する。

 単純な実力なら、まだまだゆかりのほうが上だが……

 

 

「一人前に……いや、ヒカルくんもプロになるんだね」

 

「あらためて言われると、合格したんだなって実感が出てきたぜ」

 

 

 思わず出そうになった失言を誤魔化すと、ヒカルはそう言って拳を握った。

 

 

「──いよいよプロだ。塔矢との勝負も、そう遠くねえ……楽しみだぜ」

 

 

 ヒカルは不敵な笑みを浮かべる。

 目標だった塔矢アキラと、ついにおなじ舞台に立てるのだ。闘志を燃やすのも仕方ない。

 

 だが、自分をないがしろにされているようで、ゆかりはちょっとムッと来た。

 

 

「でもプロになるのは4月からだよね? 新初段戦があるとはいえ、時間が出来るのはたしかで。これからいっしょに打つ時間増やせるね。週2……いや、週3くらいは……」

 

 

 言いながらゆかりが身を乗り出すと、ヒカルはちょっと困った顔になる。

 

 

「オレもそれはうれしいんだけど……囲碁部の連中も放っとけねえ。オレが大会に出れないんだから、その分鍛えてやらねえと」

 

 

 激しく文句を言いたかったが、ゆかりは引き下がった。

 囲碁部に押しかけては追い出されていた自分のことを思い出して、言える立場じゃないと気づいたのだ。

 

 と、唐突に。

 ヒカルはなにか思い出したように手を打った。

 

 

「そうだ、ゆかり姉ちゃん忘れてないよな? プロ試験に合格したら、お願い聞いてくれるって話!」

 

 

 その約束は覚えている。

 というか、市河さんが余計なこと言うから、ゆかりはちょっとだけもやもやしてた。

 

 

「うん、約束してたよね。なんでも言ってみて?」

 

 

 変なこと言わないとは信じてるが、ちょっとだけドキドキしながら、ヒカルに促すと。

 

 

「じゃあ、ゆかり姉ちゃんのその扇子、貰っていい?」

 

「扇子を?」

 

 

 ドキリとした。

 ゆかりにとって、この扇子は、佐為から受けとったバトンだ。

 少なくとも、ゆかりは勝手にそう思って、対局の場には白扇子を身に着けている。

 

 そんな事知る由もないヒカルは、思いを語りだす。

 

 

「オレの勝手なこだわりだけど……ゆかり姉ちゃんといっしょに勝負の場に立ちたいなって」

 

 

 ──オマエ……なんていい子なんだ。ホントにオレかよ。

 

 

 話を聞いて感動しながら、ゆかりは少し迷う。

 佐為からのバトンであるこの扇子は、おいそれと他人に渡していいものではない。

 

 これが以前のヒカルだったら、「十年早い」と突っ返したところだが……

 たとえ出来過ぎでも、実力以上の碁だったとしても、対局で負かされたなら、無下には出来ない。

 

 

「半分……かな」

 

 

 そう言って、ゆかりは白無地の扇子を差し出す。

 

 

「ありがとう、ゆかり姉ちゃん……半分?」

 

「そう、半分。この扇子は大事なものだから、全部は渡せない。だから、あげるのは半分だけ。その扇子はわたしとヒカルくん、ふたりの物だから……大切にしてね?」

 

 

 ヒカルが、白扇子を手に取る。

 いずれヒカルも、佐為からこの扇子を預けられるだろう。

 そうなったら、かわりにヒカルの扇子の半分を、貰ってもいいかもしれない。

 

 そんな事を思いながら、扇子から手を離した。

 

 

「ありがとう、ゆかり姉ちゃん! ゼッタイ大事にする!」

 

 

 扇子を受け取り、はしゃぐヒカルに、ゆかりは口の端を吊り上げる。

 

 

「うん。大事にしてね。その扇子を持ってる時は、わたしに見られてると思って……気を引き締めてね?」

 

「ゆ、ゆかり姉ちゃん……なんか怖くねえ?」

 

 

 おっと、とゆかりは自重する。

 いつもなら扇子で口元を隠していたところだが、その扇子はすでにヒカルの手の中だ。

 

 

 ──扇子を受け取った以上、半端な碁は許さねえからな。場合によっては、取り返しに行ってやるから、覚悟しろよな、ヒカル。

 

 

 笑顔で繕いながら、ゆかりは心の中で、そう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 それから佐為と打って、打って。

 一度、再戦を仕掛けてきた“hikaru”を撃退して、季節が巡る。

 

 塔矢行洋との新初段戦は、ヒカルの中押し勝ちで終わった。

 棋譜を見れば、佐為の碁なのは間違いないが、だいぶユルメて打っているのが見て取れる。

 

 

 ──おそらく5目半。それくらいで勝つと決めて打った碁だ。逆コミで有利な分、手もユルメる必要がある。

 

 

 甘いが、たしかに佐為の碁。

 それを自分の碁として良しとできる。

 いまのヒカルには、それほど実力があるということだろう。

 もっとも、佐為にとっては自分が圧倒的に有利な、不本意な勝負だっただろうが。

 

 それから、卒業の季節が訪れた。

 先生方の温情もあって、かろうじて留年を回避できたゆかりは、友人たちといっしょに、無事卒業式を迎えることが出来た。

「卒業まで事案起こさずエライ!」と褒めてくる。そんな素敵な友人たちとも今日でお別れかと思うと、晴れ晴れするような、寂しくなるような、複雑な感傷を覚える。

 

 

「明日からは高校生じゃなくなるのかー」

 

 

 つぶやくと、「社会人になってもアウトなものはアウトだからね!?」と念を押される。

 この誤解は、はたしていつになったら解けるのか。ゆかりは苦笑いを浮かべるしかない。

 

 卒業式が終わると、皆それぞれの集まりで話している。

 部活動の後輩に見送られたり、別れの日に感極まった親友同士が抱き合ったり。

 中には後輩や、一緒に卒業する同級生に告白したりされたりしている姿も、見かけたりする。

 学内の活動そっちのけで、アルバイトやら囲碁に勤しんでいたゆかりにとっては、別世界の出来事だ。

 

 

「……さて、帰りますか」

 

 

 ひとしきり話してから。友人たちに声をかける。

「ゆかりはタンパクだね」と苦笑されながら、後日みんなで集まる約束をして。みんなでいっしょに校門に向う。

 

 ちょうど同じタイミングで、他の卒業生や、下級生らしい生徒たちも、5、6人ほどが、ばらばらと校門に向かい始める。

 全員男子で、微妙に視線をさまよわせながらだったので、友人たちはピンときて、それぞれソワソワしていたが、ゆかりは気づかない。

 

 

「あの──」

 

 

 誰かが、声を上げた、ちょうどその時。

 校門から、葉瀬中の制服を着た、幼さの残る顔立ちの少年が、ひょこりと顔を出した。

 

 

「あ、ヒカルくん!」

 

 

 顔を輝かせて、ゆかりが校門に駆けていく。

 その様子を見て、ゆかりの友人たちは「やれやれ」と頭を振り。

 友人たちの後ろから近づいていた男子生徒たちは、泣きそうな顔になっていた。

 

 ゆかりはそんなこと眼中にない。

 飛び切りの笑顔をヒカルに向ける。

 

 

「卒業式だから、来てくれたの?」

 

「ああ。真っ先におめでとうって言いたかったから……卒業おめでとう、ゆかり姉ちゃん」

 

「ありがとう! ヒカルくんが来てくれて、すっごくうれしいよ!」

 

 

 いいやつだなお前、と、感激で抱きしめたくなったが、ゆかりはさすがに自重した。

 卒業した学校での風評被害を気にする必要はないが、まあ、公衆の面前では無理だと思ったのだ。

 

 ゆかりが友人たちの方を向き直ると、みんなあきらめ顔で「行け行け」と促す。

 みんなに手を振ってから、ゆかりは学校を後にする。

 

 

「じゃあ、行こうかヒカルくん。どこへ行く?」

 

「せっかくだから、ちゃんとした石で打ちたいな。ウチかゆかり姉ちゃん家で」

 

「じゃあウチで打とうか……今日はほんとにありがとう。来年のヒカルくんの卒業式には、わたしも葉瀬中にお祝いに行くからね!」

 

「いやー、それはいいかなあ……」

 

 

 そして日宮ゆかりは、校内の伝説になった。

 

 

 

 


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