女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい 作:寛喜堂秀介
「こんなことは許されちゃいけない」
夏目洋介は激怒した。
かならず世の理不尽を正さねばならぬと決意した。
夏目は男女の恋愛を知らない。夏目は彼女いない歴=年齢である。
アイドルを追いかけ、クラスの気になる子をちらちら見ながら過ごしてきた。
それゆえ彼女持ちへの敵愾心だけは人一倍であった。
などと、走れメロスの冒頭のごとく怒りながら。
放課後の理科室で、夏目は嫉妬心もあらわに主張する。
「──おかしいじゃないか。進藤くんには藤崎さんが居るんだよ? それだけでも、もう、なんか、有罪! って感じなのに、あんな綺麗なお姉さんまで! うらやましすぎる! 進藤そこ替われ! って感じだよ!」
本音全開である。
話を聞いているのは、囲碁部の同級生、三谷、金子さん、津田の3人。
進藤ヒカルと藤崎あかりは、日宮ゆかり来襲騒ぎのあと、一足先に帰ってしまっている。正確には、逃げたヒカルの後をあかりが追いかけていった。
「……まあ、夏目のたわ言はともかく、姉ちゃんから聞いた話でもっと、こう、アレなの想像してたけど……あれならなんつーか、問題ねえだろ」
三谷はボカしたが、三谷の姉からの情報はすでに共有されている。
小学生に貢ぐ、筋金入りのショタコン女。
それが正しいかどうかはさておき、そこに「美人の」と形容がつくと、問題大アリだ。夏目にとっては看過できない。ただただうらやましい。
「問題あるよ。あかりがかわいそうじゃない。幼なじみでずっといっしょだったのに、急に出てきた年上のお姉さんに盗られちゃったなんて」
と三谷に反論したのは、あかりの親友、津田久美子。
一見あかりの肩を持っているようだが、あかりがすでに負けたと決めつけている気もする。
「というかそもそもあのお姉さん、本当に進藤狙ってるの? そこから疑問なんだけど」
津田の言葉を受けて、金子さんが意外なことを主張する。
「──三谷のお姉さんが聞いたのも、あくまでうわさ話でしょ? そうだと怪しまれるようなマネをしたのはたしかだと思うけど、どっちかというと、進藤と同じで天然っぽい感じがするのよね」
怪しまれるマネをされた時点で、夏目的にはうらやま死刑なのだが、同意は得られそうにない。
いや、女二人はともかく、三谷は「ちょっとうらやましい」くらいには思っているはずだ。でないと「進藤有罪」なんて言葉は出て来ない。
と夏目は勝手に決めつけている。
「ちょっとまとめてみようか。あのお姉さんについてわかってることを」
夏目は当然のように場を仕切りだした。
「名前は日宮ゆかり。三谷のお姉さんと同じ学校で同い年、クラスは隣。美人で気さくな感じで進藤けしからん。ショタコンのうわさがあるけど、たぶん原因は進藤と碁を打ってること。ただしお姉さんの真意はわからない。進藤を狙ってるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どのみちうらやましい」
「夏目くん。
「うらやましい!」
「だれがノイズ100%にしろって言ったの」
情熱のまま語る夏目に、金子さんが冷静にツッコんだ。
●
「……でもまあやっぱり、鍵は囲碁よね。進藤、小6の終わり頃に急に囲碁興味持ち始めたっていうし」
「そうだね……お姉さんに誘われたのか、進藤くんがお姉さんに頼み込んだのかうらやましい」
金子さんの冷静な分析に、夏目が私情しかない感想を吐く。
「どっちにせよ、進藤がプロ試験受けようってくらいに強くなってるんだし、デートにかこつけて、みたいな感じじゃなくて、ちゃんと本腰入れて囲碁やっては居たんだと思うわよ」
それと下心のある無しは別だけど、と金子さんはつけ加えた。
「本当に、進藤のヤツ強くなりやがったな……昔はいい勝負出来てたのによ」
「え、アンタが進藤と置き石なしに打ててた時期あったの?」
三谷の言葉に、金子さんが首を傾げた。
入部が遅かった三谷以外のメンツは、入部当初のヒカルの実力を知らない。
つまりこの場で三谷の言葉が本当だと証言できる人間はいないのだ。だからってみんな疑ってるわけじゃないが、三谷はムキになって反論する。
「あのな! 言っとくけど入部した時はオレのほうが進藤より強かったんだぞ!」
「で、あっというまに追い抜かれたと」
秒でやりこめられて、三谷はぐぬぬ、とうなった。
抜かされたとはいえ、三谷も海王中のトップクラスと五分に戦えるほど上達している……と、進藤も言っている。
といっても、夏目たちにとって、三谷は最初からはるかに格上で、どれくらい強くなったか、イマイチよくわからない。
「それもお姉さん効果か……」
「んなわけねえだろ。いくら先生がよくても進藤にやる気がなきゃあそこまで伸びねえよ」
夏目の私情の挟まった分析に、三谷がツッコむ。
「問題はそのやる気よね。進藤飽きっぽいらしいし」
横から、金子さんが口を挟んだ。
あかり談である。
「生徒のやる気を高いまま居させるのも、いい先生ってのは、あるんじゃない?」
「なるほど、勝ったらデートとかだね許せない」
「夏目、全然違う。あとそろそろブレーキかけないと怒るよ?」
「理不尽じゃない!?」
理不尽でもなんでもない。
○
「結局、あのお姉さんは、進藤にとっては悪い人じゃないと思う。だから問題は──」
「あかりよね!?」
金子さんの言葉を、身を乗り出した津田が強引に引き継いだ。
「……まあ、藤崎さんにとってはストレートに悪い人よね。悪い人というか都合の悪い人というか」
「許されない」
今度は夏目が金子さんの言葉を引き継ぐ。
いや引き継いでない。私怨を挟み込んだだけだ。
「かわいそうなあかり……なんであんな美人のお姉さんがライバルなのよ。勝てるわけないじゃない……」
津田が嘆く。
なぜ「なんでこんな強い子が低段に居るのよ」みたいに言ったのか。
「お姉さんが勝った、負けた、みたいな話にはならないと思うけど、藤崎さんが負けた、ってなる可能性は十分あるわよね」
「あかり、じわじわ距離を詰めようとしてるけど、進藤くんまったく気づいてないし……」
「進藤、見た目通り子供っぽいもんね……」
「つーかさ。もうじき海王中との団体戦だし、それが終わったら進藤のやつプロ試験だろ? いまつき合うだのなんだのって話されてもウザってえだけなんじゃねえか?」
女子の会話に三谷が口を挟むと、みんなちょっと引いた。
「三谷くん、ひどい……あかりがかわいそう……」
「言ってることは正しくても泣いている藤崎さんも居るんだよ! いや別に泣いてないしここにはいないけど!」
「あんたそれ藤崎さんには絶対言っちゃだめよ。ただでさえ気持ち的に追い詰められてるんだから」
さすがに三谷もあかりがいる場で言うつもりはなかったが、総ツッコミに気圧された。
「わーってるよ。さすがに本人には言わねえっての……で、結局お前らこの件どうなったら満足なんだよ?」
「進藤くんには両方から手ひどくフられてほしいね!」
「夏目、おまえ爽やかな笑顔でなに言ってやがる」
「進藤くんには、あかりがなるべく傷つかないフり方をして欲しいの」
「津田、おまえ藤崎がフられるのはいいのかよ」
夏目と津田にツッコむ三谷。
その様子を泰然とながめながら、金子さんは口を開いた。
「とりあえず、現状を維持するためにも、進藤にはこのまま小学生の心を持って生きていってほしいわね」
たしかに。
ヒカルが一般的な思春期男子だったら……とっくの昔に、日宮ゆかりに惚れるか、藤崎あかりとくっつくかしていただろう。
現状ヒカルの無関心によって絶妙な均衡が保たれていることも、プロ試験を控えたヒカルにとって、それが最適解だと金子さんが分析していることも、なんとなくわかる。
だが、それでも、三谷はツッコまざるを得なかった。
「オマエはマジでなに言ってるんだ」
夕暮れの放課後。
葉瀬中囲碁部は今日も平常運転です。