女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい【完結】 作:寛喜堂秀介
──進藤ヒカルとお近づきになる。
下心満載で求人はないかと特攻して、なんとか囲碁サロンでバイトを始めたゆかりは、店の雰囲気にすぐに馴染んだ。
なにせ囲碁とは縁のない日常に現れた、囲碁一色の空間だ。
先輩の市河さんは優しいし、碁を打ちながら囲碁談義に花を咲かせる北島さんや広瀬さんには、懐かしさも手伝って親近感を抱いてしまう。
自然と上機嫌になるし、そうなると常連のおじさんたちも気分がいい。
こうして囲碁サロンに受け入れられたゆかりだが、唯一塔矢アキラには困らされた。
サロンの片隅で、指導碁がない時は一人で棋譜を並べている彼を見ていると、つい声をかけたくなってしまうのだ。市河さんこいつです。
──仕方ねえだろ。昔はそうしてたんだから。
進藤ヒカルだった頃は、ここでよく塔矢アキラと対局していた。
対局のあとの検討では喧嘩腰で、みんなには迷惑だったかもしれないと、店員になったゆかりは、いまさらながら反省する。
「──あの」
と、視線に気づいたのか、塔矢アキラが遠慮がちに声をかけてきた。
ゆかりの記憶よりだいぶ幼く、おかっぱっぽい髪型のせいで、見ようによっては女の子に見えなくもない。
「はい。なんでしょうか」
勤務中なので違和感と戦いながら敬語で返す。
まあ、いまのゆかりが、昔のように塔矢とタメ口で話したら問題だ。
距離感の詰め方がおかしいし、狙っているのかと市河さんに詰められる。ゆかりだって命は惜しい。
「気になってたんですが、日宮さんは、囲碁を勉強されてるんですか?」
「えーと、そうですね。いろいろと勉強中って感じです。アルバイトも、碁盤と碁石が欲しいなあって思って始めたんですよ」
「そうなんですね。石の並びを目で追う姿が、強い人のそれだなって思ってたので」
──あぶねえ。すました顔して細けぇとこ見てやがる。
平静を装っているが、内心は冷や汗ダラダラである。
「打ってみませんか」って言われたらどうしようと肝を冷やしていると。
「へえ。じゃあ一度こっちで打ってみないか?」
「北島さん、そりゃズルい。ゆかりちゃん、よければわしが教えてあげよう」
「いやいや俺が」「俺が」
常連の北島さんがなんの気なしに言ったのがきっかけになって、周りのオッサンどもが、我も我もと声を上げはじめた。
どっちにせよここで打つのはマズいと焦るゆかりだが、周りは盛り上がって断る空気じゃなくなっている。
「はいはい! ゆかりちゃんが困ってるでしょう! 勤務中は控えてください!」
市河さんが注意して、なんとか事なきを得た。
──アセったー。
ゆかりは胸をなでおろす。
その後、囲碁サロンにやってきた子供が塔矢に挑戦したことで、話はうやむやになった。
子供名人だけあって、それなりに実力はあったのに、ばっさり一刀両断。容赦なしである。
ゆかりは内心苦笑しながら「それでこそ塔矢」とうなずいた。そんなゆかりを見た市河さんがジト目になった。
○
ゆかりがバイトを始めて、しばらく経った日曜日。
待ちかねたその日が、ついに訪れた。
進藤ヒカルが、囲碁サロンにやってきたのだ。
「いらっしゃいませ。もしかして塔矢くんにご用ですか?」
勝手がわからずきょろきょろしているヒカルに声をかける。
塔矢に意識を向ける意図もあるが、先日の子供名人の一件もあるから不自然ではない。
「え? 塔──なんだよ佐為……こないだ会った?」
佐為と会話してるのを隠せていないが、ゆかり以外が気づくことはないだろう。
──というかハタから見て完全に不審者だな、昔のオレ。
そんなことを考えながら、ゆかりは笑顔を向ける。
「出会ったというか、挨拶しただけというか。覚えていてくれてありがとう」
「いや、オレは……」
「キミも碁を打つんだね──ここは初めてだよね。とりあえずここに名前をお願いします。あと棋力はどれくらい?」
「いや、ここもなにも、まるきり初めてなんだけど……キリョク? とりあえず碁が打てれば……あ、なんだ。子供居るじゃん!」
ゆかりの説明に、ヒカルは困ったように視線をさまよわせて。
同年代の少年を見つけて、喜び勇んで塔矢アキラに絡みだした。
──うんうん、懐かしいなあ。オレと塔矢の初対面、こんな感じだった……こんな感じだったか? 記憶より8割増しでクソガキなんだけど……うわー。まあ塔矢相手だからいいか。
過去の自分の行いを反省しながら、ゆかりはふたりの対局が見える位置に移動する。
さすがにサボってると怒られるので、仕事をしながら、ときどき盤面に視線を送る。
──うわあ。昔の佐為って感じだなあ。
ゆかりは感慨にふける。
定石が古い。にも関わらずヨミの深さを感じさせる応手。
まるで本因坊秀策が現代に来て、初めて碁を打ったかのような。
石の置き方は、不釣りあいに頼りなく、たどたどしい。
その向こうに、佐為の姿を幻視して──ゆかりは衝動に駆られる。
いますぐ打ちたい。佐為と戦いたい。
このヒカルは、まだ未熟と評することすらおこがましい状態だけど、ちょっと味見するくらい……
──ダメだ。
かろうじて我慢する。
いまのヒカルは、まだ囲碁に対して本気じゃない。
無理やり打たせて囲碁に苦手意識を抱かれてはマズイ。
──ゆっくりと。囲碁の沼に腰まで浸かってから、引きずり倒して捕まえりゃいい。
自然、口の端がつり上がる。
その表情を、佐為に見せないように、ゆかりは碁盤に背を向ける。
背を向けながらも、思考は勝手に次の手を想像している。
──こんときの佐為は、コミすら知らねえ。だが、それでも……塔矢は佐為に、はるかに及ばねえ。
背後で、塔矢が息を呑む気配を感じる。
ど素人のような少年が持つ、はるか高みの──藤原佐為の技量を肌で感じてしまったのだろう。
ここから、塔矢アキラの、佐為の幻影を追い続ける旅が始まる。
以前と同じように……だが。
──お前に佐為は渡さねえ。あいつと打つのはオレだ。
ゆかりは心のなかで告げる。
たしかに塔矢アキラと進藤ヒカルはライバルだった。
目標であり、振り向かせたい相手であり、追い越したい強敵だった。
北斗杯でともに戦ったという意味では、仲間と言っていいかもしれない。
──お前には進藤ヒカルがいる。いまはまだスタートラインにも立ってねえが、いずれお前に追いつくライバルだ。
進藤ヒカルが、囲碁に真剣に向き合うことを願っている。
塔矢アキラが、ヒカルにとってのよい目標になってくれることを期待している。
すべては、ゆかり自身が藤原佐為と碁を打つため。
──早く育てよ進藤ヒカル。佐為の碁は……スゲエんだぜ。
静かに、拳を握り込む。
類稀なる囲碁の上手は、対局の気迫に鬼が宿るという。
鬼の気迫を揺らめかせながら、日宮ゆかりは心の内で対局の行方を追う。
その姿を目で追う、この世ならざる棋士の視線に気づかぬままに。
対局が終わり、ヒカルは席を立った。
受付の市河さんがヒカルに声をかけた、その横から、少しだけ口を挟んで、じわりと距離を縮める。
このあたりで「顔見知りのお姉さん」くらいに思ってもらえればしめたものだ。などと考えるゆかりの横で、市河がジト目を向けているがこいつも同類である。
●
まずは第一歩。
この一件でゆかりは「ヒカルが強いと知る人間」になれた。
もし打つ機会が出来たとき、ヒカルが佐為に打たせやすくなったということだ。
来週には、こども囲碁大会。
そして塔矢アキラとの二度目の戦いがある。
ヒカルと出会う機会には事欠かないが、対局してもらうとなると──問題がある。
「いまのオレって囲碁に興味ねえからなあ……本気になりだしたのは、加賀に無理やり連れてかれた中学の団体戦からだ」
ゆかりの記憶がたしかなら、大会は葉瀬中の創立祭の翌週の日曜。
それ以降のヒカルなら、頼めば対局してくれる……かもしれない。
「でも打つっつってもこの頃のオレ、身の回りに囲碁の道具、まったくねえんだよなあ」
ヒカルが囲碁部に入って日常的に碁石を触りだしたのが春以降。
祖父に碁石と碁盤を買ってもらったのが、その年の冬くらいだった。
ゆかり自身は、バイトしたお金で、安いものではあるが、ちゃんとした碁石と碁盤を買った。
しかしだからといって、女子高生のゆかりが男子小学生のヒカルを家に誘うのは……完璧に事案である。
「あれだ。昔使ってた布の碁盤とか……いや、マグネットのおもちゃみてえな碁盤でもいいや。それを買って……」
あくまで佐為と打つための作戦である。
しかしどうやって男子小学生を誘うか、真剣に戦略を練る姿は、犯罪の匂いしかなかった。
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