女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい   作:寛喜堂秀介

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03 女子高生、打つ

 

 

「進藤くん。また会ったね」

 

 

 時が過ぎ、中学の囲碁団体戦が終わってから、しばらく。

 商店街を歩いていると、書店から出てきた進藤ヒカルを見つけたので、ゆかりは声をかけた。

 声をかけるにはやや離れていたため、小走りに駆け寄る姿は、見様によっては少々危ないが、ゆかりにとっては大事の前の小事である。

 

 

「え、えーと……あ、塔矢の碁会所のお姉さん! 若い方の!」

 

 

 ゆかりのせいで市河さんに深刻な風評被害が生じている。

 

 

「そうそう。碁会所のお姉さんの日宮ゆかり。こんなところで奇遇だね、進藤くん」

 

「え、オレの名前をなんで……あ、囲碁サロンで」

 

「うん。サインして貰ってたし……なんだか妙に縁があったからね。また会えそうな気がしてたんだ」

 

 

 いけしゃあしゃあと言う。

 実際はヒカルの生活圏も行動パターンも把握していて、会いに来ただけである。おまわりさんこいつです。

 

 

「ひょっとして、囲碁の本とか買いに来てたの?」

 

「あー、それとジャンプかな。おかげで今月ゲーム買えなくなったけど……」

 

「さすが。勉強熱心なんだね。わたしも囲碁の勉強中なんだけどさ。身近に打つ相手がいないから、なかなか苦労してるんだよね」

 

「へえ、おねーさんも碁、打てるんだ?」

 

「うん。こう見えてけっこう強いよ。でも友達みんな囲碁に興味がないから……せっかくこういうの持って行っても、五目並べしかやってくれないし」

 

 

 言って、カバンからマグネット式の小さな碁盤を取り出す。

 

 

「わ、ちっちぇー! でも碁盤だ……佐為、騒ぐな!」

 

 

 後半は小声だったが、ゆかりはばっちりと聞きつけている。

 狙い通り、佐為が食いついてきた。あとはヒカルをその気にさせれば。

 

 

「そうだ! 進藤くん、わたしと打ってくれない? お礼にラーメン奢るから!」

 

「え、ホントに? やるやる!」

 

 

 ヒカル用のエサを示すと、一瞬で食いついてきた。

 

 そんなにラーメンが好きなのか。わかるよ。

 ゆかりは内心で、深く同意した。

 

 

 

 

 

 

 それから、近くの公園に移動して。

 休憩所の石のテーブルで、二人は対局を始める。

 碁盤を広げ、石をより分けて、対局の準備を済ませたゆかりは、懐から白扇子を取り出した。わざわざ棋院まで行って購入したものである。

 

 ヒカルがゆかりと背後を交互に見ているのは、佐為の扇子と見比べているに違いない。

 扇子を開いて口元を隠しながら、ゆかりは心のなかで手ぐすねを引く。口の端は、ヒカルにはお見せできない感じにつり上がっている。

 

 

 ──さて、ヒカルが出るか佐為が出るか。

 

 

 この対局、佐為が出てくる公算が高い。

 なにせゆかりは、塔矢アキラと佐為の対局を知っているのだ。

 不審に思われないためには、佐為に打たせるはず……なのだが、ヒカルが「オレが打ちたい」という衝動に抗えない可能性も、なくはない。

 

 

 ──ヒカルが打つなら、オマエが囲碁を嫌いにならないよう、たっぷり甘やかしてやるよ。

 

 

 ヒカルが碁を嫌いにならなければ、またチャンスは来るはずだから。

 心の中でそう決めて、ゆかりは目をつぶる。

 

 

 ──でも、佐為が打つなら。

 

 

 目を開き、マグネットの石を握る。

 ゆかりは白。先番のヒカルが、左下隅小目の位置に、黒石を置く。

 そこに佐為の気配を感じて──ゆかりは無意識に口の端をつり上げる。

 

 

 ──っと、あぶないあぶない。ヒカルを怖がらせちゃダメだ。

 

 

 気づいて、ゆかりは自重する。

 

 最初の一回は大事だ。

 いくら佐為が望んでも、ゆかりとの対局に息苦しさを感じたら、ヒカルがおよび腰になってしまうかもしれない。

 

 

 ──会話は楽しく、笑顔は優しく。

 

 

 そして、打つ手は美しく。

 佐為の布石に合わせて、静かに白石を打つ。

 白と黒、二色の石が、盤面を鮮やかに彩っていく。

 

 戦いは静かに始まった。

 左下隅から中央に広がる黒の一団に、ゆかりの白石が突き刺さる。

 左辺全体を巻き込んだ戦いはたがいに譲らず、五分のワカレとなる。

 

 

 ──さあ、ヒカル。オレたちの対局(うちゅう)を見やがれ。

 

 

 石の流れは綺麗でよどみない。

 紡がれる棋譜の美しさは、いまのヒカルにも理解できるだろう。

 

 これは指導碁だ。

 佐為が厚意から始めて、ゆかりが精一杯に応えた攻防。

 ゆかりの技量を量る一手が、次第に厳しいものになっていく。

 すべての問いに、優等生のように答えて……最後は半目差の負けで決着がついた。

 

 

「……ふう。ありがとうございました」

 

「ビックリした。お姉さんスゲえんだな」

 

「ははは、それはこっちのセリフだよ。とんでもなく強いね進藤くん……やっぱり中盤のここで後手踏んだのが敗因かな?」

 

「えーと……そうだな。そこはノビて先手でこっちに手をつけたほうが大きかったかも」

 

 

 佐為からの伝言なのだろう。

 ヒカルが半ば棒読みで敗因を説明する。

 その指摘に、在りし日の佐為を思い出す。

 ヒカルの言葉が、佐為の言葉で再現される。

 

 

 ──ああ、佐為と打てたんだ。

 

 

 ゆかりは感動に身を震わせる。

 出来れば指導碁などではなく、自分のすべてを佐為にぶつけたい。

 

 だけど、いまはまだ無理だ。準備が整っていない。

 佐為の碁を現実のものにしている進藤ヒカルが、精神的にあまりにも未熟なのだ。

 

 

 ──早く熟せよ、進藤ヒカル。オマエの準備が整ったら……いまの佐為が知らない未来(オレ)の碁を、見せてやれるから。

 

 

 白扇子を指先で撫でながら、ゆかりは心のなかで佐為に語りかける。

 その視線は、獲物を狙う獣のそれで……そんな視線を男子小学生に向ける女子高生が居るらしい。

 

 

 

 

 

 

「進藤くん、今日はありがとうね」

 

 

 ラーメン屋で注文を済まして、待つ間。

 ゆかりはヒカルに、感謝の気持ちを伝えた。

 絶対にかなわないはずだった佐為との対局を、実現してくれたのは、ヒカルだ。

 たとえ本人が無自覚でも、ゆかりがそう仕向けたとしても、お礼は言っておきたかった。

 

 

「いいっていいって。佐為もよろこんで──違う違う。かわりにラーメン奢ってもらってるんだし」

 

「でもほんとに楽しかった。いままで打つ相手が居なくて困ってたから」

 

「……えーと、おねーさんはどうやって碁の勉強を? 師──先生とかいなかったの?」

 

 

 この問いは、佐為がヒカルに頼んだものだろう。

「ゆかりでいいよ」と前置きしてから、ゆかりはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

 

「そうだね。しいて言うなら本因坊秀策かな」

 

「えっ虎次郎?」

 

 

 秀策のことを幼名の虎次郎で呼ぶのは、わかる人にしか伝わらないんじゃないだろうか、と思いながら、ゆかりはうなずく。

 

 

「そう。秀策の棋譜は、ずっと並べてるから」

 

「キフ? なるほど、対局で打った手順……それで、虎次郎が先生なんだ」

 

「まあね。でも進藤くんも似たようなものなんじゃない? 進藤くんの打ち回し、ものすごく秀策っぽい」

 

「え? あー、そうそう。オレも虎次郎ベンキョーしてて。ハハハ」

 

 

 盛大に目を泳がせながら、ヒカルは答えた。

 そんな少年に、ゆかりはズイ、と身を寄せる。距離が近い。

 

 

「ねえ、進藤くん。これからもさ……わたしと打ってくれない? なんでも好きなもの、奢ってあげるからさ」

 

「えっなんでも──っ、佐為! よろこぶな! 騒ぐな!」

 

 

 佐為が騒いでいるのか、目を輝かせたヒカルは次の瞬間、悶絶する。

 ゆかりは佐為の姿を想像して、慈しむような目でヒカルの様子をながめている。

 

 

「わかった。そんなにオレと打ちたいんだったら、つき合うよ……ゆかり姉ちゃん」

 

「ありがとう進藤くん!」

 

 

 感激して、ゆかりはヒカルの手をぎゅっと握りしめる。

 さきほどからの様子に、通報したほうがいいのか迷いながら、店主は出来上がったラーメンをふたりに差し出した。

 

 

 




おつきあいいただき、ありがとうございます。
毎日20時に投稿出来たらと思っております。

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