女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい【完結】 作:寛喜堂秀介
佐為との勝負後、ゆかりは燃え尽きていた。
念願の対局が叶い、しかも我ながら最高といっていい出来。
その後のモチベーションが保てず、碁はぐっだぐだに崩れた。
「なあゆかり姉ちゃん、もういっかい! もういっかい!」
反対に、やる気全開になったのはヒカルだ。
ゆかりと佐為の対局を、とにかく一局でも多く観たいらしく、対局のあいだも盤面を食い入るように見つめている。
「あの、ヒカルくん。うれしいんだけど、ここからもう一局打ってラーメン屋行ってたら門限が……」
「じゃあラーメンはいいから!」
「!?」
進藤ヒカルがラーメンをあきらめるという異常事態に、ゆかりは恐怖した。
ともあれ。
おかげで徐々に調子も上向き、自分の成長を実感しはじめたころ。
いよいよヒカルが待ちわびた海王中との対決──中学夏季囲碁大会が始まった。
といっても、あくまで中学の部活イベントだ。
一般女子高生のゆかりが紛れ込んで観戦するのは難しい。
というか、友人に相談したら「おまえそこまでやるのかショタコン極まってんな」みたいな目で見られたので、さすがに自重した。
そして大会当日。
囲碁サロンで働きながら、ゆかりは大会に思いを馳せる。
──いまごろヒカルたち、頑張ってるんだろうなあ。
「アキラくん、中学校の囲碁大会今日よね。ああ、応援に行けたらよかったのに!」
市河さんも、乙女の表情でそんな事を言っている。
「この人とはいっしょにされたくない」と思うゆかりだが、はたから見れば弁護の余地なく同類である。
「そういえばゆかりちゃん。あれから碁の勉強はどうだい? 頑張ってるかい?」
店員がふたりしてぼうっとしていると、常連の北島さんが、ふいに聞いてきた。
「あ、はい。いっしょに打ってくれる友達がいて、もっぱらその子と」
ヒカルのことである。塔矢アキラにバレるので言えないが。
ゆかりの言葉に、北島さんはアゴに手を当て、機嫌よさげに目を細める。
「いいねえ。ゆかりちゃんくらいの年頃の娘さんが、碁なんてシブい趣味の仲間に困らないなんて、おなじ碁打ちとしてうれしくなる。なあ広瀬さん」
「そうですね、北島さん。なによりも、まずは相手が居ないと、碁は打てませんから」
「いいこと言うねえ。じゃあいい
「望むところですよ、北島さん」
いい話になってしまっているが、ゆかりの相手は男子中学生である。
だがゆかり自身は、それで話が台無しになるとは思ってないので、「そう、まずは相手が居ないと碁は打てないんだ……昔の塔矢や、佐為のように……」とか感慨にふけっていた。
それから、午後の時はゆるやかに過ぎて。
大会の結果は、終了後、囲碁サロンにやってきた塔矢アキラにより、もたらされた。
海王中と葉瀬中の対戦結果は、全勝で海王中の勝ち。
これは、ゆかりが知る、かつての結果と変わらない。
だが、不思議と塔矢アキラの表情に、失望はなかった。
「進藤が言ったんです。『先にプロに行ってろ。絶対追いつくから』って。正直、対局には戸惑いしかなかったけど、進藤はそう言ってくれました。だから市河さん。ボクは今年のプロ試験、受けるつもりです」
……あれ? オレ昔そんな事言ってたっけ?
横で聞いていたゆかりは、盛大に首を傾げる。
いや、言ってない。絶対に言ってない。
というか失望して背を向けた塔矢に、なにか言えるような空気じゃなかった。
──おいおい、スゲエじゃねえかオレ。どんな魔法使ったら、塔矢をこんな笑顔にできるんだよ。
気になりすぎて、誰かくわしい話聞いてくれないかな、とゆかりはアキラの方をチラチラ見る。
市河さんがものすごい勢いで牽制してきた。
●
大会後、最初の対局の日。
待ち合わせの場所に駆けてきたヒカルは、悔しげに大会の結果を語った。
塔矢アキラとの対戦が気になって仕方ないゆかりが、くわしく聞き出そうとしたところで。
「ゆかり姉ちゃん……オレ、プロになる」
ヒカルは自分から、その話を始めた。
「──塔矢と約束したんだ。つぎの対局はプロの舞台でだって」
「まあヒカルくんたちの強さなら、そういう話になるのもわかるけど……ずいぶん唐突な話だね」
内心しめしめとほくそ笑んで、ゆかりは説明を求める。
「あっちの……海王中の先生がな、言ったんだよ。こんなところでモタモタしてるよりも、君たちはすぐにでもプロに行くべきだって。じゃあ次はプロで──って話になった」
ちょっと変だな、とゆかりはいぶかしむ。
ゆかりの時は、最初は佐為が打ち、途中からヒカルが出しゃばって勝負を台無しにした。
似たような有様だったら、海王中の尹先生から「プロになれ」などとは言われなかっただろう。
──佐為が長く打ったか、それともヒカルがマシになってるのか。
どっちもありそうな話だと、ゆかりは考えた。
塔矢の事情はゆかりが教えたし、ヒカルが碁に本腰を入れたのはゆかりの時より半年は早い。
その結果いい感じの対局になって、大きくは評価を落とさなかった、というのが妥当なところか。
「なるほど……つぎの対局はプロでってことなら、塔矢くんが今年の、ヒカルくんは来年のプロ試験を受けるの?」
「あ、プロ試験って一年に一回なんだ?」
オマエそこからかよ、と心中ツッコんだが、我が身を顧みて仕方ないかと思い直す。
そもそもこの頃のヒカルは、どうやったらプロになれるのかすら知らない。というか院生すら知らなかった。
「ちなみにヒカルくん。プロ試験ってどんな内容かわかる?」
「……教えて?」
てへ、とかわいく教えを乞うヒカル。クソガキである。
「予選を勝ち抜けた受験者による、約2ヶ月をかけての総当たり戦。合格するのはその上位3人。試験は夏に始まって、合格者が正式にプロになるのは春になるかな」
「げっ、じゃあ塔矢とプロで勝負するのは、早くて2年後!?」
「待ちきれないなら、塔矢くんといっしょにプロ試験、受ける?」
「……ダメだ。塔矢とはまだ戦わねえ。一年間みっちり鍛えて、プロになってやる」
塔矢を自然に上に置く発言は、微妙に失言っぽい。
まあ塔矢との戦いに負けてるので、流しても不自然じゃないと、ゆかりは指摘しないことにした。
「がんばって。わたしも手伝うよ。いつでも対局するし──なんだったら毎日でも!」
「いや、その……オレ独学だったから、知らない人と打つ経験も積まねえとなーって……」
ゆかりがつめ寄ると、ヒカルは困ったように言い訳する。
それも当然か。ゆかりが相手だと、ヒカルは佐為に任せるしかないので、実践練習にはならない。
「じゃあ碁会所とか行ったり……院生目指したりする? いや、ヒカルくんの実力で院生を『目指す』ってのも変な話だけど」
「インセイ? たしかプロの卵って言ってたっけ?」
「そうそう。プロを目指してる子たちと打てるから、いい環境だとは思う……院生になると中学含めてアマチュアの大会には出れないけどね」
「え、マジで?」
「うん。それに、院生は18歳まで。プロ試験の年齢制限が30歳以下だから、試験の時はそれくらいの年の人とも対局することになるかな」
「30とかオッサンじゃん!」
残酷なことを言う。
まあゆかりも椿のヒゲ面を見て、オッサンと思わない自信はない。
「まあどっちにしろ、つぎの院生の募集締切は8月末だし、それまでにどうするか考えればいいと思うよ。単純に強い人たちと打つだけなら、ほかにも方法があるし」
「え、ほんと? ゆかり姉ちゃん、教えてくれよその方法!」
頭を悩ませていたヒカルは、ゆかりの言葉に身を乗り出す。距離が近い。
ゆかりは動じることなく、自信たっぷりに胸を張って。
「ヒカルくん、ネット囲碁、って知ってる?」
そう問いかけた。
この女、自室に男子中学生を連れ込む気まんまんであった。