女子高生に生まれ変わったヒカルは佐為と打ちたい 作:寛喜堂秀介
年が明けて、塔矢アキラの新初段戦の相手が決まった。
逆コミのハンデ付きとはいえ、ライバルと現役のトッププロとの対決だ。ヒカルも興味津々だった。
「新初段戦、塔矢くんの対局相手は座間王座……って、ヒカルくんわかる?」
「和谷に聞いたら『お前座間王座も知らねえのかよバカヤロー!』って怒鳴られたよ」
場所は喫茶店。
小さな碁盤を挟んで、ゆかりとヒカルはおしゃべりする。
「はは、ヒカルくんらしい……ちなみに王座ってわかる? 棋戦とか」
「ああ。怒鳴られた後、和谷が教えてくれたしな」
和谷様々と言うべきか、和谷ァ! と叫ぶべきか。
自分よりヒカルのお世話が上手い和谷に、ゆかりは内心複雑だ。
「でもゆかり姉ちゃん、プロに興味ないわりにはよく知ってるよな。そういう話どこで聞いてんの?」
「碁会所でバイトしてるからかな? あそこでお客さんの話聞いてると、自然とその手の知識はついちゃうから……」
「ああ、碁会所のおっちゃんとか、別に自分がプロってわけでもないのに、スゲエくわしいもんな」
ゆかりの説明に、ヒカルは納得したようにうなずいた。
実はゆかりは、ヒカルに説明するためにも、専門の雑誌や新聞なんかで囲碁界をチェックしてる。
ただ、プロになるヒカルが、「自分の棋譜をゆかり姉ちゃんに見られたらどうしよう」と心配しないよう、興味なさげに振る舞っているのだ。
「そういえばヒカルくん。塔矢くんもいいけど、まずは打倒海王中じゃない? 院生をあきらめてまで選んだ悲願なんだし」
「いや、院生はあきらめたというか、あんま必要だと思わなかったっつーか……」
ヒカルは微妙そうに答える。
院生トップクラスの連中と交流あるからか、本当に院生への関心が薄い。
それでいいのかと、ゆかりは不安になるが、ヒカルのほうはどっしりと構えたものだ。
「でも、打倒海王中は順調だぜ。三谷は碁会所通いでずいぶん腕を上げたし、海王の相手が去年並なら、夏季大会にはいい勝負になってるはずだ」
部活に関しても、ヒカルは自信満々だ。
話が本当なら、三谷はすでに海王の副将相手に迫る実力。
となると、大将のヒカルが負けることは考えにくいから、残る問題は三将だ。
「でも、部長の筒井くんは今年で卒業なんでしょ? 新しく三将になる夏目くんはどう?」
「あー、夏目な……いちおー、三谷が面倒見てくれてんだけど……」
ゆかりが尋ねると、ヒカルは一転気弱になる。
まあ、夏から囲碁を始めて、半年も経っていないのだ。
海王と戦えるレベルまで上達しろというのも無茶な話だろう。
「なら、三谷くんを集中的に鍛えたほうが、まだよさそうだよね……となると、夏目くんに時間を取らせるのはもったいないんじゃない?」
「だよな。筒井さん……には、あかりたちの面倒見てもらってるしなあ」
「手が足りないなら、三谷くんか夏目くん、わたしが面倒見ようか?」
「え──だ、ダメ! それは絶対ダメっ!!」
ゆかりの提案を、ヒカルはあわてた様子で却下する。
急に取り乱したのを不審に思って、ゆかりは小首を傾げた。
「なんで? 週イチくらいなら時間取るよ?」
「だったら、その分オレにつき合ってよ!」
「いいの!? ──じゃない。それだと夏目くんの問題が解決しない」
ガタッと立ち上がってから、気づいて自重する。
「大丈夫だよ。葉瀬中の問題なんだし、オレたちでナントカするから!」
「……大丈夫? 無理してない? 気を遣わなくても、わたしならいつでも喜んで協力するからね」
心配になって、距離を詰めながら尋ねている途中で、ゆかりは遅ればせながら気づいた。
──あ。これ、オレのことが部員のみんなにバレるの嫌がってるんじゃ……
たしかに中学生のヒカルにとって、高校生のお姉さんとの関係を変に詮索されるのは、わずらわしいに違いない。
とくにあかりは絶対に問い詰めてくる。
根掘り葉掘り、微に入り細に入り……これはめんどくさい。
まあ、これに関してはヒカルの意思を尊重するかと、ゆかりは決めた。
「とにかく、ゆかり姉ちゃんは楽しみにしといてくれればいいの! 夏の大会では絶対勝つから! 葉瀬中メンバーで海王中を叩きのめして、オレはプロに行く!」
「おー!」
勢いで誤魔化すつもりなのか、ヒカルは力強く宣言し。
ゆかりもつき合って、天に向けてぐーをつき上げた。
騒がしいと店の人に怒られた。
●
塔矢アキラの新初段戦は、座間王座の勝利に終わった。
その翌週。
恒例の対局の日だが、今日ばかりは、ヒカルの興味は新初段戦にしかない。
喫茶店に来てすぐに、ヒカルは対局を観戦した和谷に教えてもらったという、塔矢アキラ対座間王座の棋譜を、小さな碁盤に並べていく。
「……ここで塔矢が投了だ。ゆかり姉ちゃん、どう思う」
なつかしい対局だと、ゆかりは思った。
ゆかりの時は、日本棋院でモニタ越しに観戦していた。
塔矢アキラが佐為以外に負ける姿を見た初めての、だけど、見ていてワクワクした対局。
あの頃より成長した目で見ると……塔矢アキラの碁が、より深く理解できる。
「すごいね。座間王座相手に手を縮こまらせず、めいっぱい攻めた。しかもそれが無謀じゃない。たしかな力に裏打ちされた攻め……とはいえ、最後には地力の差が出たって感じかな」
盤面をにらみながら、ゆかりはつぶやく。
考えることしばし。座間王座の手抜きを許した左下隅への一手。
一気に形成を悪くしたそこからの、挽回のスジをヒカルに示しつつ、また言葉を続ける。
「負けたとはいえ、トッププロ相手に終始攻めたいい一局だね。塔矢くんの、プロになるって気概が感じられる」
「プロになる、気概?」
よくわからないのか、ヒカルは首を傾けた。
ゆかりは苦笑しながら説明する。
「プロになれば、棋譜を人に見られる。一打一打に、見る者を納得させる説得力が求められる……塔矢くんは、逃げなかった。格上の強者をまっすぐに見据えて、目をそらさなかった。前に向かって進み続けた。それが塔矢アキラ新初段の碁だと、見る人みんなに示した」
血が熱くなっているのを感じて、ゆかりは心を鎮める。
塔矢アキラと向き合うのは進藤ヒカルだ。日宮ゆかりじゃない。
──大丈夫。そのかわり佐為はもらっていくから。
自分に言い聞かせて、ゆかりは心を落ち着ける。
だが視線の先に居るのはヒカルなので、獲物を狙う目で少年を見る女子高生の図になっている。はよ来いおまわりさん。
「塔矢の碁か……」
ヒカルはつぶやいて、手の中の、マグネットの碁石をじっと見つめる。
「オレの碁は……」
ヒカルの独白に、ゆかりは思い出す。
かつて北斗杯で
遠い過去と、遠い未来を繋げるために、進藤ヒカルは碁を打つ。
では日宮ゆかりは?
考えて、変わっていないと気づいた。
自分の中で育てた未来の佐為の碁を、いまの藤原佐為に伝えるために……日宮ゆかりは碁を打っている。
──佐為が消える、その日まで。
ゆかりは白扇子を握りしめる。
今回も、佐為が消えるとは限らない。
だが、佐為は今回も塔矢行洋との対局を望み……消えてしまうのではないか。ゆかりには、そんな予感がある。
止められない。
塔矢行洋との対局は、佐為にとって今生の悲願だ。
佐為がどれだけ塔矢行洋にこだわったか。佐為がどれだけ塔矢行洋と戦いたがったか。日宮ゆかりは知っている。
──だから、オレは佐為を止めない。
そのかわり……ゆかりは心の中で決意を口にする。
──オレが佐為と、いくらでも打ってやる。今生で、思うさま碁を打てて……最期の時に、楽しかったって、笑ってくれるくらいに。
熱い視線を、そこにいるだろう佐為に向ける。
そうなって、はじめて。
日宮ゆかりは、自分のために歩み始めることができるのかもしれない。