数週間前から突如として姿を消してしまったサクラチヨノオーのトレーナー。

トレセンや警察の捜査が進むが一向に手がかりを得られないまま時間だけが過ぎていた。

そんな中彼女の元に”ファンから”と記されたメッセージカードと小さな箱が届いた。

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欲しかった貢物

 

 今日も何一つ成果がなかった。

そう思いながらサクラチヨノオーは独り部屋で蹲る。

自分のトレーナーが行方不明になってすでに二週間が経過していた。

その間ずっと警察やトレセン学園、そして実家からも連絡はなく完全に孤立無援の状況である。

唯一の救いは、チヨノオー自身がその事についてさほど悲観していないことだろう。

彼女は自分のトレーナーの事を誰よりも信頼していた。

彼は必ず帰ってくると信じていたし、きっと今もどこかで元気なはずと信じて疑わなかった。

しかしその一方で不安にも襲われる。

 

このままでは自分はどうなるのか? トレーナーがいない今、トレーニングなんて出来るわけがない。そもそもレースに出ることすら出来ないのだ。

そう考えると、不安感に押しつぶされそうになる。

 

(大丈夫……きっとあの人は戻って来てくれる……!)

 

そう言い聞かせるようにしてベッドの上で体を丸めた時だった。

不意に部屋のインターホンが鳴る。

こんな時間に誰だろうか?と思いつつ扉を開けるとそこに立っていたのは、憧れの先輩であるマルゼンスキーだった。

 

サクラチヨノオーにとって憧れの存在。

彼女がいるだけでその場が明るくなり華やかになり、まるで太陽のようにキラキラと輝く存在。それがサクラチヨノオーにとってのマルゼンスキーというウマ娘だ。

そんな先輩がどうしてここに? サクラチヨノオーは戸惑いつつも笑顔で彼女を迎え入れた。

 

「急にどうしたんですかマルゼンさん?私に何か御用ですか…?」

 

突然の訪問に驚きつつ尋ねるチヨノオーに対して、マルゼンスキーは少しバツが悪そうな表情をしながら答えた。

 

「トレーナーさん、まだ見つかってないのよね……?チヨちゃんが心配になっちゃて様子を見に来たんだけれど…大丈夫?」

 

 その言葉にチヨノオーは一瞬驚くものの、すぐに笑顔になって答える。

自分がこんなにも落ち込んでいるのに、この人は私のことを心配してくれているんだと思うと、それだけで心が少し軽くなったような気がした。

だが、同時に申し訳なくも思う。自分のためにわざわざ時間を割いてくれたというのに、肝心の情報は何も手に入っていないのだから。

そんな気持ちが表情に出ていたのか、マルゼンスキーが心配そうに言葉を紡いだ。

 

「顔色も優れないし、ちゃんと寝れてるの?それに少し瘦せて……まさか食事も摂ってないの?」

 

確かにここしばらくまともに食事も取れていないし、睡眠すら満足に取れていなかった。だからきっと目の下にクマも出来ているだろう。そこまでやつれてしまうほどトレーナーの事で頭がいっぱいだった。

でも、それを人に話すわけにもいかない。

そんなことを話したところで何も解決しないどころか、余計に心配をかけてしまうだけだから。

 

「大丈夫です!私は元気ですよ!」

 

そう言って誤魔化すことしか出来ない自分を呪いたくなる。

 

そしてそれは当然相手も同じ気持ちであった。

いつもニコニコしているはずの後輩が見るからにやつれている上に、まともな食事を取れておらず明らかに寝不足だということが分かる。

そんな彼女を見て、マルゼンスキーは居ても立っても居られなかった。

せめて、少しでも気を紛らわせることが出来れば……そう思ってここに来たのだが、かえって彼女の心労を増やすだけになってしまったようだ。

 

 チヨノオーは明らかに無理をしている。

誰がどう見てもそう思うだろう。

しかし、それを否定するかのように彼女は笑顔で言うのだ。

 

大丈夫、平気だと。

 

きっと強がりもあるだろうが、それよりもトレーナーの安否を気にしているのだろう。

一刻も早く彼を探しに行きたいという気持ちを抑え込み、じっと耐えているのだ。

だからこそマルゼンスキーは胸が痛んだ。今すぐにでも抱きしめて、辛いときは泣いてもいいのだと教えてやりたかった。

だけど、そんな事をしても意味はない。

 

トレーナーが無事に戻ってくるわけではないからだ。

 

「……困ったことあったら何でも聞いて頂戴ね」

 

マルゼンスキーの言葉にチヨノオーは頷くことしか出来なかった。

今の彼女に出来ることなど何も無い。ただ、待つしかないのだから。

 

 

 

 

 チヨノオーは今日も待ち続ける。

 

毎日、毎時間、毎分、毎秒と。

来る日も来る日も、ただひたすらに彼の帰りを待ちながら。

時には不安に駆られながらも、それでも信じ続けた。

いつか帰ってくるはずだと。

彼が帰ってきた時に、一番最初にかける言葉は何だろうか? お疲れ様? それとも、お帰りなさい? どんな言葉を掛けようが、彼は笑ってくれるだろう。

 

だって、あのヒトはとても優しいのだから。

 

(トレーナーさん、どうかご無事でいてください……)

 

もう何日も会っていない。声すらも聞いていない。そんな状況の中、ただただ祈り続ける。

 

 しかしトレーナーが行方不明になってからというもの、彼女の中で常に焦燥感のようなものが渦巻いていた。

もしかしたらこのまま二度と会えないのではないか? そう考えただけで気が狂いそうになる。

 

不安に駆られては何度も泣きそうになった。

そんな気持ちを何とか押し殺して今日までやってきた。

でも、ふとした拍子にどうしようもなく寂しくなる時がある。その度に、自分はなんて弱いんだと痛感する。

そんな時はトレーナーの事を思い出して自分を奮い立たせた。トレーナーは必ず帰ってきてくれると信じることで心の均衡を保っていたのだ。

 

だが、それも限界が近いことを彼女自身感じていた。

 

その気持ちを誤魔化すために当てもなく外へ出る。

トレーナーがいなくなってからというもの、外に出るのが怖くなってしまったので部屋にいることが多かったのだが、それでは余計に考え込んでしまうだけだと…。

そんな気持ちのまま、無意識に河川敷へと足を運ぶ。

 

川を眺めながらボーっと歩いていると見知らぬウマ娘にぶつかってしまった。咄嗟に謝ろうとするチヨノオーだったが、相手はどうやら急いでいたらしくそのまま走り去って行ってしまう。

いったい何だったんだろうと思いながらも再び歩き出そうとすると、懐かしい匂いが鼻腔を擽る。

 

「トレーナーさん……?」

 

不意に出た言葉に自分でも驚いた。なぜそんな言葉が出たのか、自分自身でも分からなかった。でも何となく分かるのだ。

これは間違いなくトレーナーの匂いだと。

その匂いに導かれるようにして歩いていく。

次第に足取りは早くなり、いつしか駆け足で匂いを辿っていく。

そして行き着いた先は、自分の部屋だった。

 

(ああ……ついに幻嗅まででるなんて私おかしくなっちゃったのかな…)

 

そう思いながら扉を開けると、そこには見慣れない箱が置かれていた。

『親愛なるサクラチヨノオーさんへ、ファンより』

そう書かれたメッセージカードごと箱を手に取り少し揺らすと、ゴトゴトと若干重みのある音がした。

 

「何かの食品かな…?」

 

そんなことを考えながら開けると、中に入っていたのは人の手だった。

しかも右手だけ。

 

チヨノオーはその異様な光景に思わず息を飲む。

 

そして手が入っていた箱の中には、笑顔で右腕を振るトレーナーの写真が同封されていた。

チヨノオーはそれを見て絶句する。

なぜならその手は、トレーナーのものに違いないからだ。

 

「う……そ……」

 

 震える声で恐る恐る手に取る。

それは紛れもないトレーナーの手だ。

写真に写っている姿と全く同じだし、なによりもこの肌触り。触った瞬間伝わってくる温もりのようなものすら感じる。

間違い無い、これは正真正銘本物のトレーナーの手なのだ。

 

「いやだ…なんで、どうして……!?」

 

そう言いながら泣き崩れるチヨノオー。

 

 今まではどこかで必ず帰ってくるという根拠のない希望があったからこそ耐えられた。

それが今、目の前の現実によって脆くも崩れ落ちてしまったのだ。

そして同時に理解する。

トレーナーはもう帰ってこないということを。

それと同時に、もう二度と会うことが出来ないということも。

その事実を理解した瞬間、チヨノオーは狂ったように泣き叫んだ。

 

「ああああああ!!!!!!」

 

 喉が張り裂けんばかりの叫び声を上げながら、部屋にある物を壊していく。壁に穴が空き、床に亀裂が入るほどの衝撃音が響き渡るがそんなことはお構い無しだ。今はこのやり場のない感情をどこかにぶつけなければ気が済まないのだ。

そうして一通り暴れ回ったあと、糸が切れたかのようにベッドに倒れ込むチヨノオー。その顔は涙や鼻水などでぐちゃぐちゃになっており、とても見られたものではない。だが、そんなこともお構いなしに嗚咽を漏らし続ける。

 

 

もう何もかもがどうでもよかった。

 

 

 

 

数日後、そんな彼女に追い打ちをかけるようにして、再びあの箱が送られてくる。次の日、また次の日と、続けて送られてくる”ソレ”に彼女は段々狂い始めていた。

最初は右手、次に左手、右足、左足と。

 

まるでバラバラ殺人のように解体されたトレーナーの部位が詰まった箱。

もはやチヨノオーの精神は崩壊寸前にまで追い詰められていた。それでもなお待ち続けようとする姿は異常としか言いようがないだろう。

 

ある日、いつものように送られてきた箱と手紙に共に添えられていたのは1つの動画データだった。

そこに映っていたのは見知らぬウマ娘がカメラに向かって何かを喋っている様子だった。

 

そしてその映像から聞こえる音声は明らかに異常なものだった。

まるで何かに取り憑かれたかのように支離滅裂なことを喋るウマ娘の声と、それに対して反応する知らない誰かの声。会話の内容はよく聞き取れないが、何やら興奮した様子でトレーナーに詰め寄っているようだ。

そして物恐ろしいチェンソーを始動させるとトレーナーの首元へ近づけていく。

 

そこで動画は終わっていた。

 

 

「……嘘だよね…」

 

 

 映像を見終え恐る恐る箱へと目を移す。

今まで送られてきた物とはサイズが違うその箱からは、とても濃い匂いが漏れ出ていた。チヨノオーはその箱を開けて中身を確認する。

 

それを見た彼女は嘔吐した。

胃の中にあるものを全て吐き出すかのような勢いで吐瀉物を撒き散らす。だが、それでもまだ足りないと言わんばかりにひたすら吐き続ける。

涙を流しながら、涎を垂らしながら、何度も何度もえずく。もう胃液しか出なくなったというのに吐き気は治まらない。むしろどんどん酷くなっていく一方だった。

 

「…ごめんなさい……トレーナーさん」

 

チヨノオーは自らの吐瀉物が僅かにかかった”ソレ”を優しく抱きしめる。それは彼女が待ち望んでいたものでもあると同時に、決して望んでいなかったものだ。

 

「こんなことしちゃいけないって分かってるんですけど、私どうしても我慢出来なくて」

 

そう言って“ソレ”に頬擦りをするチヨノオーの表情は恍惚としていた。

 

「でも、これでずっと一緒ですよね?私も嬉しいです」

 

彼女の瞳にもう光は無かった。

 




その顔…最高です。


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