勇者に許された業   作:赤穂あに

2 / 2
※勇者の名前が出てきます


たそがれの勇者

 

 ボクには生まれた時から、左手の甲になにかの紋章のようなあざがあった。しっかりとシンメトリーなそれは刺青のようで、そんなものを生まれつき持っているなんて不吉の象徴なのでは、と色々な人が噂していたのを知っている。そして、そういう噂を叩き潰すために父が奮闘してくれていることも知っているし、それ自体が多少の汚さを含むため、ボクから遠ざけてくれていることも知っている。

 ボクは今、修行のためにとある寺院に預けられている。未来の王たる自分の立場を考えれば、決して無駄ではないだろう日々を過ごしながら、それでも漠然とした虚しさが常にお腹の中を漂っていた。だってボクがどれだけ強くなったところで、身の回りにはいつも護衛がいるだろうことは明白なのだ。自分の身を守るための鍛錬を重ねても、ボクのことはいつも誰かが守ってくれる。それはなんだか、虚しいような気分になった。

 そういう気分の時は、いつだって空を見た。道場の片隅からも、寝そべって見上げた木々の隙間からも、世界を見守る命の大樹の輝きや神々しさは変わらない。ふとした瞬間、ボクは大樹に存在すると言われる伝説の勇者の魂に想いを馳せた。

 この世界が生まれる前に、聖なる力をもって厄災と戦いそれを退けた、ロトゼタシアの創世神話。そうして始まった、ボクらの生きる闇のない光の世界。夜には暗闇が訪れるけれど、ほのかに光る月と大樹が眠るボクらの命を照らしてくれる、あたたかい世界。そんな果てしない歴史の長さに思いを馳せていれば、不思議とお腹にくすぶる虚しさはいくらか和らぐ気がした。

 空を見上げると、穏やかに生きていける感謝を思い出せる。けれど、同じくらい決して綺麗なだけではない自分の人生を緩やかに呪ってしまう。修練の時間だと誰かがボクを呼んだ。誰かが筋がいいと褒めてくれることすら、ボクには信じることが難しい。

 

 人に疑心を抱いたまま生きていた十三歳の春、世界は突如変わってしまった。

 おとぎ話の中の存在が、クレイモランを襲ったのだ。不幸なことに、ボクが留学と称してまさしくその国に滞在中のことだった。生きた心地がしなかった。背景の雪の白さの中に、黒々とした巨大な蛇が浮いていた。立派なツノと威厳を携えた長いひげ、鋭い爪を揃えた手足、威嚇するように風になびくたてがみ。これが本物のドラゴンなのだと、感覚だけで理解した。

 冷え込んだ建物の空気が、そいつが吐く息でわずかに生あたたかくなり、同時に恐ろしさで冷たさを増した。ぬるくて寒い空気を吸いながら、ばっくりと裂けた口から覗く赤い舌とずらりと並んだ歯を見た。食べられてしまえば、痛みも感じずに死んでしまうのだろうと思った。

 頭の大きさに比例したぎょろぎょろとうごめく大きな目玉は、しっかりとこちらに向けられていた。声にならない低い呻き声が、ボクを食べに来たのだと不親切に教えてくれた。ここで死ぬんだなとすぐに諦めてしまったけど、ボクの先生は勇敢だった。

 留学生であるボクの面倒を見てくれていた先生は、優秀な魔法使いだった。ボクを庇いながら、見たこともない化け物に立ち向かい、さらには勝った。見掛け倒しだったわねと得意げに杖で床を叩く姿に、ボクは反射的に拍手を送った。暫くして、クレイモランの王宮の使いが来るまで、ボクは呆け続けた。

 ドラゴンの死体は城に持ち帰られた。これがなんなのか調べなくちゃならないから、と先生は言った。囚人用の檻には当然入らなかったのだけど、死んでいるからいいだろうと、囚人の間に運ばれた。ボクはまだ、どきどきしていた。

 心臓が早鐘を打つようにうるさかった。耳鳴りもしていた。襲われた恐怖がまだ抜けていないのだろうと、先生が優しく背中をさすってくれた。ひんやりと冷たい手が、ますますボクの不安を煽った。

「ダメ……ダメだよ……」

「大丈夫よ、怖いものはもうないわ」

「違うんだ!」

 誰かの悲鳴が聞こえた。囚人の間からものすごい音がして、ドラゴンがまたボクの視界に戻ってきた。完全には死んでなかったそいつは、ボクと近くにいた先生目掛けて飛びながら口を大きく開けた。先生が振り返る頃には、胃の中にたどり着いていそうな速さだった。

「やめて!」

 夢中で叫んだ。眩しくて目を瞑ったのか、怖くて目を瞑ったのか、覚えていない。熱を感じるほどの光がその時起きたことは覚えている。光に灼かれるように灰になったドラゴンも、驚愕で目を見開いた先生も、燃えるように熱かった左手の甲も。

 振り返ると存外覚えていることが多いあの日から、世界は変わった。魔物は夢物語から現実になり、ボクは光の神子──次第に、創世神話にあやかって勇者と呼ばれるようになった。

 

 仰々しい呼称は、しばらくの間はほとんど形だけのものだった。信じる人も僅かな、軽いもの。唯一、ドラゴンを城に招き入れた罪として投獄される羽目になった先生を助ける時には役に立ったものの、それ以外では出番すらない。先生を元の生活に戻すだけの説得力は無く、先生を引き止めるだけの信頼もなかった。

「あんたの力は本物よ。だからこそ気をつけなさい。利用される立場になってはダメ、世界が滅んでしまうかもしれないの」

 人を安易に信用してはいけないと、先生は最後に言った。辛く悲しいことかもしれないけれど、と僅かに俯いた先生にボクは平気だと返事をした。人を信じられないことは、辛く悲しいかもしれないけれど、慣れていたからどうってことはない。

 ボクのどうなるかわからない行く末なんかよりも、先生の扱いの方が心配だった。複数の兵士を簡単に圧倒したドラゴンを一人で制圧したにも関わらず、仕留め損ねて城と国に損害をもたらした。先生は邪悪な魔女なのだと国中の人がいきりたっている。間違いなく言いがかりだったけれど、ボクにはそれを止めるだけの力はまだなく、ユグノア王国に連れ帰れば安全だと言い切ることも思ってもらうことすらできない。それだけが、どうしたって気がかりだった。

 先生の冷たい手がボクの頬を撫でて、離れていった。可哀想な子だと目が言っていた。何度か言葉でも直接言われたことのある台詞だ。恵まれているのに貧しくて、豊かなはずなのに満たされない。哀れな子供。ボクを非難する数少ない言葉。ボクが、本当のことを言われているのだと安心できた、唯一の人。

「強くなるのよ……なんて、言いたくはなかったわ。ごめんなさい、元気でね」

 勉学の師を失い、数日の滞在を経てボクは国に帰った。聖なる力で魔の眷属を討ち果たしたという御大層な成果をぶら下げて、世界中に増え始めた魔物という脅威に対抗する支柱として、ボクは人々に歓迎された。ボクの帰還を祝う人混みを通り抜けて、てきとうに誰でもない相手に手を振って、笑って。

「王子様がいればこの国も安泰だな」

「ええそうね。なんと言っても、光を授かった神子様だもの」

「私たちを守ってくださるわ」

 何故、そう思えるのだろうか。喉元まで迫り上がってくる疑問をぐっと飲み込んで、笑った。ボクは、後ろを馬でついてくる護衛ですら信用できないのに。

 

 気付けばボクも十五歳になり、成人までもう一年もないという頃、いよいよ世界は混沌としてきていた。ボクがいるユグノアを除く大国は魔物への対処で税金が上がったり、増税反対のデモが起きたり、貧富の差が広がったりと、まるでこの世の終わりに向かうかの如くだ。

 その間に、ボクは形ばかりだった勇者という肩書に中身を作った。下地はあったのだ。幼少期に戦闘の基礎はたたき込まれており、留学の合間で魔法の知識も授かった。実戦相手も日に日に増えていた。力をつけるには、できすぎているほど道が整っていた。馬鹿な話だが、ボクは勇者になるために生まれてきたのだなと漠然と悟った。

 客観的に見て、ボクはとても強かった。事実としてユグノアだけが未だに安寧を保っており、その結果をもたらしているのは紛れもないボクだ。毎日のように国の周辺の巡回に出ては、迫る脅威を遠ざけている。だから誰もが、ボクを頼れる勇者と称賛した。だからボクは、客観的に見て強いのだ。

 主観で見ればなんてことはない。ボクは確かに強いだろうし、勇者としての力も十二分に扱える。この世で誰も使えない雷魔法もボクだけは使える。弱い魔物であれば、戦わなくても手をかざして光の彼方に飛ばしてしまうことだってできる。ただ、どれもこれもほとんど行使をしていなかった。

 ボクはほとんど戦わずしてユグノア周辺の治安を守っていた、と表現するにはあまりにもボクの功績のようなものは少ない。幼い頃のあの日、眼前に迫ってきたドラゴンのような怪物は滅多にいない。それだけ。

 道の整備もされていないような山中は、今ではすっかり人の出入りもなくなってしまった。結果、そこは魔物と動物の巣窟だ。人の居ない空間は心地よくて、入り浸っては魔物と出会い、山の奥へ追い返したり一緒に寝そべったりしている内に、すっかりボクはここの住人になっていた。

 戦う必要なんてなかった。動物だって、犬や猫のように一緒に暮らせる種もいれば、熊やワニのように凶暴だったり危険だったりする種もいる。魔物も同じで、そこを見極めて、適切に対応すればいいだけだったのだ。

 ボクには不思議と、魔物の言葉も動物の言葉もなんとなく理解ができた。彼らは表情が豊かで、感情と異なるそれを浮かべることはない。素直で、わかりやすかった。かつての、初めて出会ったボクへの警戒心も本物で、今の見慣れたボクへの親しみも本物。裏表のない感情は、ボクにとってはかけがえのない癒しだった。

 ボクに向けられる感情が簡素であればある程、安心できた。期待や羨望、嫉妬に苛立ち、愛に憎悪、希望と疑心。ボクの知らない誰もがボクへの勝手な願望を持っている。それはそうだろう、彼らは今ボクの周りで眠るこの子たちに怯えている。ひのきのぼうで殴ってしまえば潰れるようなスライムにさえ。そして、ボクだけは間違いなくその敵を打ち倒してくれると、信じているのだ。勝手に。

 子供の頃、あざを不吉だと嘲られた。全くもってその通りだとボクは気付いたのだけど、言った連中が今ではもうそんな風に思っていないことには笑ってしまう。ボクにはきっと、聖なる力なんてないのだろう。見てくれが輝かしく、目を眩ませるから勘違いしてしまうだけなのだ。

 きっとボクは魔物の王様で、だから言葉がわかるし従えることだってできる。消し飛ばしてさえも見せる。そうする、しないを選べる。それだけだ。そうであればいいと、いつも願っている。

 

 成人したその日にボクへ課せられた使命は、魔物の根源を調べ排除することだった。世界中にわんさか生息している生き物を根絶やしとは、とんでもない無理難題を言ってくれる。しかも実の息子に。表情を見る限り、重臣たちの意見に反対しきれなかったのだろう。相変わらず苦労が絶えないようで少し同情してしまう。

 無難に孝行息子を装っておきたいボクは、二つ返事で了承した。とうとう公認で国を出て行けるまたとないチャンスだ、逃す手はない。浮き足立つのを抑えるのに苦労した。ボクにとっては心が沸き立つ話題でも、ボク以外にとっては暗雲しか見えないような話なのだ。神妙な面持ちでいなければならない。いつだって、世間は勝手にボクの肩に世界を乗せてハラハラしている。ボクを賭けレースの馬と勘違いしている節がある。なんとも、失礼なことだ。

 そんなに心配なら、もっと自分でもできることをすればいいのに。とんでもなく強い魔物なんてそうそういない。少なくともボクは、先生が魔法で打ち伏せたドラゴン以外に一見して強いとわかる魔物に出会ったことはない。それはつまり、立派な剣とある程度の筋力があればその辺を歩いている彼らくらい誰でも倒せるという意味に他ならないのだ。誰もやらないけど。いいご身分だ、王族のボクから見ても、本当にいいご身分だと思う。

 手早く身支度を整えて、父と母に挨拶を済ませ、兵士に国を頼むと胸を叩く。お任せくださいと声を張る姿はたぶん、頼もしいのだろう。おそらく、ボクの方が強いのでよくわからないけど。

 メイドや執事、臣下たちに見送られながら廊下を歩くと、祖父が立っていた。普段からは考えられないほどの軽装で。少しだけ嫌な予感がしたが、不安を無視して行って参りますと声をかけると、予想通り、祖父は自分も着いていくと言い出した。勘弁してほしい。

「心配せずとも、ワシもおぬしと同じドゥルダの修練を乗り越えた身。足手まといにはならんぞい」

「そうは言っても、お祖父様」

「老い先短いじじいの望みを聞いてやってはくれんかの」

 物腰柔らかなこの老人に、何を言っても無駄だということをボクは知っている。決めたことを人の言葉で容易く曲げるような人に国は治められない。もちろん、忠言の中に正当性を見つけたなら話は別だが、反対に言えば、それに欠けるなら耳も貸してくれないということだ。要するに、ボクが的確な言葉を返さない限り、祖父がボクについてくるということだった。

 冗談ではない。祖父のことが嫌いなわけではないが、ボクは自分が思うより人間という種が苦手だった。人のことを全く言えたものではないが、底無しに嘘つきなのが人間だ。我欲に忠実で、明確に自分を優先する。本当に、ちっとも人のことを責められないのだけど。

 同時にボクは、いつも穏やかな人がより一層苦手だった。朗らかに笑みを浮かべて、軽やかに言葉を交わして、特別なことではないように手を差し伸べることができる人。まさしく祖父や、母のような人のことだ。ボクのこの醜悪さを、彼らに知られることが怖かった。何より、受け入れられたくない。優しい人に許されることが、耐えがたい苦痛のように思えてならなかった。

 そうしてボクは、汚さを隠すように言葉を吐いた。

「わかりました。約束してくださいね、お祖父様。決して無理はしないでください」

「線引きは弁えとるよ、伊達に長生きしておらんわい」

 陽気に髭を撫でつける祖父に、ため息を飲み込むボク。数分前までどこに行こうかとわきたっていた心はすっかり萎えて、本当に魔物をどうにかする方法を探さなくてはならないのかと思うと、ひたすらに憂鬱だった。

 

 祖父との二人旅は、ボクの精神面の問題を除けば順調だった。足手まといにはならないという言葉は真実で、数少ない戦闘でも困ったことはない。二人旅ゆえ万が一があってはならないと、極力戦闘を避けるように提案しておいてよかったと、心からそう思う。真実、魔物を排除する旅になるところだった。

 祖父は城育ちであるにも関わらず、野営にも悪路にも難色を示すことなく、なんならこれくらい朝飯前だと簡単な料理すら披露してくれた。町娘だった亡き祖母の気を引きたくてあれこれと独学で習得したらしい。母を産み、ほどなくして亡くなった祖母の話を聞くのは初めてだった。ボクが知っているのは、名前と肖像画で見た顔くらいだ。

「少し考えすぎるきらいがあってのう。そういうところはお主に似ておる」

「浅慮は人災である、と習ったことがありますから」

「そうじゃな、その通り。考えねばならんよ、どんなことでもより良いものを求めるなら。しかしな、全てに答えがあるわけではないのじゃよ」

「……はい」

「右か左か、ではない。前も後ろも上も下も、近くも遠くも選択肢は数え切れないほどあるんじゃ」

 だから知らねばならないのだと祖父は笑った。いつしか話が祖母からボクへと移っていたのは明白で、少なからず見透かされていることをボクは悟った。ボクの本来の義務を、祖父は静かに語りかけてきた。原因を調べること。なぜ今の世界がこのようなことになっているのかを解明すること。そうした上で、どうするのが望ましいのか、考えること。

 考え続けなければならないのだろう。ボクが優先したいものを他人と違えると言い続けるなら、追い求め続けなければならない。誰もを納得させることができる答えを。それを得られなければ、ボクは。

 

 旅の途中で最初に出会ったのは、大樹の郷と呼ばれるラムダ出身の双子の姉妹だった。命の大樹を挟んでユグノアの反対に位置する山に囲まれたその土地は、大樹の恩恵を色濃く受けた聖なる土地と噂されている。実際に立ち入った人がほとんどいない山奥から、姉妹は旅に出たのだと言った。ボクを探しに。

 二人は示し合わすこともなく、声を合わせてロトゼタシアのおとぎ話をそらんじた。むかしむかし、はるかなむかし。ロトゼタシアがまだ、不毛の大地だった頃のお話だ。命の大樹が自らの力を分け与えた勇者とともに、闇を討ち払い世界に命をもたらした話。ロトゼタシアに住む者なら誰でも一度は聞いたことのある、命の大樹への感謝と敬意を促す教訓のようなもの、とボクは個人的に思っている。

 もちろん、学者の中でも論派は様々だ。何せ、人間という種が生まれる前の話なのだ。最初の語り部が生まれるより前の出来事をどうやって知ったのかという話から始まり、かつての大樹は今のような姿ではなく言語を扱えたのだと主張する学者もいたり、今日まで結論は出ていない。

 しかしそれでも、命の大樹の力そのものを疑うものは少なかった。命の芽生えと結ばれているというその葉は、巨大な本体から離れたのちも枯れることなく、万病に効く薬として重宝されている。重力に逆らい、命を守る。世界を生み出したと言われても納得できるだけの力を大樹は備えている。

「「光の神子よ、栄光の勇者よ。なんじ命の大樹に至りて、真の勇者へ」」

 それが、彼女たちが郷の長より託された使命、ということらしい。数十年に一度ラムダに生まれる、予知夢の能力を持った現長老様が受けたお告げ。この辺りで脳味噌が考えることをやめた。双子でありながら印象が真逆なこの二人が、本気でボクを空に浮かぶ命の大樹に連れて行こうと考えていることしかわからない。それすらも、ボクには信じがたい話なのだけど。

「安心しなさい、アンタの命はあたしたちが必ず守ってあげるわ」

 どこから溢れてくるかわからない自信を声高々に掲げて、彼女は呪文もなしに炎を手に灯した。途端、ボクは臓腑が一瞬、機能を放棄したことを悟った。彼女が口にした「守る」という行為の手段を、肌で理解した。そうしてボクはまた一つ、考えなくてはならなくなったのだ。

 

 当然ながら、命の大樹へ向かうという目標を得たとしても、手段はまるで見当もつかなかった。絵本に出てくる銀河を泳ぐ船だとか、羽根の生えた馬でもいればよかったのだが、そんなものは存在しない。ワープする魔法はあるけれど、行ったことのない、座標を正確に特定しえない場所への使用はリスクが高すぎる。

 ボクたちはあらゆる国を回った。まずはユグノアと親交の深いデルカダール。世界の五大国の一つにも数えられる歴史も国力もあるそこには、結論から言えばなんの成果も得られなかった。

 祖父はデルカダール王と言葉を交わし、姉妹は姫君と交友を深めた。幼い頃に会ったきりだった少し歳上の彼女は、優雅な所作で二人をもてなしていた。相手の言葉に耳を傾け、適切なタイミングで顔を綻ばせ、自分が望む言葉を引き出す彼女は、のちに立派な女王になるのだろうなと確信した。ボクが苦手な、外交的なそれだ。もっとも、わずかながら本当に打ち解けているようでもあったのだけど。確かに姉の方とは気が合いそうだし、その姉にとても懐く妹とも相性がよいのだろう。

 そんな共連れからそっと距離を取り、ボクは一人で城下を歩いていた。道ゆく人はボクには目もくれず、喧々囂々と自分の住む国の愚痴を飛ばし合っていた。実戦には乏しい軍隊で、魔物が群れをなして襲ってきたときに対処できるのか。自国の軍の力量を疑いながら、軍備増強のための増税には不満なようだった。模範的にはほど遠い、一番よくいるタイプの人間だ。ボクが一番嫌いなタイプとも言える。

 彼女や彼は、なんにでも不満を持つ。不平を述べる。そうして相手の試みを砕いては、言ったことも守れないのかと糾弾する。どうしてほしいのかちっとも理解できない類の人間だ。自分の幸福をなぜか他者が守ってくれると信じて疑わない、不愉快な人間。それをなぜだか、ボクが守ってやらなければならないのだと多くは言う。父や母、祖父や家臣、姉妹に、顔も知らない誰か。

 そういうものらしい、勇者というのは。みんなの希望なんだってさ。笑っちゃうよね、ボクが誰よりも自分に期待なんてしてないのに。

 綺麗な服着てんな兄ちゃん。そんな下品な声を地面に叩きつけながら、不意に、可哀想な子だと頬をさすった冷たい手を思い出した。ボクを哀れみ、どこか突き放すような声。本当にそうだろうかと、いつも思う。こんな奴らを信じられないことは僥倖じゃないか。希望を上っ面だけ叶えるのは容易くて、盲目な羨望だけは窮屈ではあったけど、力を従えていることは間違いなく幸福だ。

 ボクだけが叶えられる何かがあって、ボクだけがそれを選ぶことができるのだ。そう思うことが、ただ一つの心の支えだった。人を見捨てる選択をする。想像するだけで多幸感に押し潰されそうだった。

 たまらず、足元に転がった男の体を足でつつく。完全に伸びていて反応がない。身なりは小汚く、このまま放っておいたところでこれ以上の被害を受けようもないことは明白だった。盗られるようなものを何も持っていないのだから、当然だろう。食人文化があれば話は別だが、そのような鉄臭さは感じない。

 だから放っておいた。きっと数時間も経てば目が覚めて、また何かしらをやらかして、小汚いまま生きていくのだ。何も持たないまま。ああ、腹立たしい。

 

 デルカダールでは何も得ず、むしろ王女の同行という負荷を増やし出立することになった。最悪だ。ボクの護衛ということらしいが、なまじ腕が立つのがまた厄介だった。じりじりと戦闘しない理由がつぶれていく。迷惑極まりない。

 本当の目的が実績稼ぎとボクの監視というところも煩わしい。王女にそのつもりはないのだろうが、支援をする余裕がないデルカダールが差し出せるのが王女の武勇だけだったということだ。現状の打開に貢献できれば最良、できなくともボクに助力するというだけで大義名分は立つ。

 ついでに、現時点では名ばかりの勇者とやらが実際のところどうなんだと探りを入れることもできる。定期的にデルカダールからの手紙を届けに飛んでくる鷲を見るたびに、無表情で王女のことは気にせずに務めを果たしてくださいと話しかけてきた騎士を思い出して身震いする。感情も色眼鏡も抜きでボクを評価できる人は、怖い。

 肝心の連絡役である王女が、目に見えてボクに悪感情を抱いていないことだけが救いか。と、絆されそうになって、そもそも彼女が着いてこなければと、決して表には出せない溜息を吐く。

 日に日に蓄積していく精神的な疲労を、誤魔化すように足を動かした。手がかりを求めて色んなところを巡った。

 穀倉地帯として栄え、世界の食糧庫と呼ばれるバンデルフォン。やはり手がかりはなく、なぜか傭兵の男性が一緒に来ることになった。

 名馬の産地として名高いサマディーでは人こそ増えなかったが、虹色の枝と呼ばれる、大樹へのこれ以上はない手がかりを得た。

 大樹に至るにはオーブという秘宝が必要だとわかり、歴史と知識が集まるクレイモランへ。金になりそうだからと船を出してくれる商人と出会った。

 内海と外界が自由に行き来できるようにと、水門を管理するソルティコの地主を訪ねると、頼みを快諾してくれた。祖父の旧い知人だというその人は、一夜の宿に町のホテルを取ってくれた。翌日、出立の際にそこの支配人が旅に着いてくることになった。

 一つ一つとことが進み、なぜか一人一人と連れが増える。金銭目当ての商人以外、少なからずこの世がよくなっていくのならと望んで共に来ているのが恐ろしい。

 オーブが一つ二つと増えるたびに、ボクは眠れなくなっていく。海底で出会った女王の愛が次の道を示すたび、ボクの心臓が早鐘へと変わる。神託を受ける老人が神聖な森への扉を譲る頃、ボクはいよいよ生きた心地がしなかった。

「きっと命の大樹に、魔物を消す手掛かりがあるはず」

 空に架かる虹色の階段は、さぞかし幻想的な光景だったのだろう。高いところが苦手だという王女と、登山での疲労が抜けきっていない祖父以外、浮き足立っていたように思う。それと同じくらいに、希望に向かう覚悟のようなものが滲んでいた。

 さながら絞首台に向かう気持ちのボクと似通っていたのは、終わりの近さを感じているところくらいだっただろう。

 

 せりあがる吐き気を飲み込んで、ボクは大樹の中心にたどり着いた。そこでは外殻を持たない輝く球体を蔓が包み込んでおり、水に浮かぶように一振りの剣が待ち構えていた。誰もが、その光景に息を呑んだことだろう。清らかさを感じさせないまでの神々しさは、安堵を通り越して畏怖の念を抱かせる。

 安易に近づくことすら躊躇う光。後退りを堪えることで精一杯のボクの背を、祖父がそっと撫でた。そんな気後れするボクとは対照的に、商人は躊躇いなく近くまで歩み寄り真剣な眼差しで剣を見つめ、支配人は安全を確認するように手をかざした。しかし、彼では駄目なのだろう。球体に差し出された手は、何かに拒絶され弾かれた。

 痛むのだろう。拒まれた手をさすりながら支配人はボクを振り返る。姉妹は半歩前の左右に立ち、ボクを見つめる。王女はボクの名前を呼び、傭兵は静かにうなずく。ボクでなくてはならないのだと、全員が感覚で理解していた。

 もう、諦めるほかなかった。

 鉛のように重い左腕を持ち上げて、いっそ何も起こらなければと心から願う。ボクのこのあざには何の価値もなくて、どうにかする術はなくて、共に生きていくこともできないのなら、人間など敗れて廃れて滅んでいけばいいのにと。本当に、思うのだ。

 ボクのことを災いの子だと呼び始めた父の家臣が、今では光の神子よ勇者よと持ち上げているのが腹立たしい。

 ボクと同じ立場で修練を積んでいたはずだった門徒たちの、さすがはユグノアの王子様だと称えた言葉が耳障りだ。

 ボクの言葉で、先生の命だけは助けてやると踏ん反り返ったクレイモランの重鎮が恨めしい。

 ボクの名前を呼ばない他人が、ボクに救われようとしている姿が、この世の何より、憎い。

 そして全てを取り繕うことしかできない自分も、嫌いだ。

 この世が全てが嫌いだった。何もかもなくなってしまえばいいと日を重ねるごとに強く願って生きてきた。それなのに、世界はボクを救世主に仕立て上げたがる。こんな仰々しい光に縋らせてまで。

 ボクの願いとは裏腹に、光はボクのあざに応えた。畏れを抱く輝きは強さを増し、蔦は道を開けるかのように左右にゆっくりと散り、中央に浮いていた剣がゆるゆるとこちらに近づいてくる。眩しさと、絶望で目を閉じた。目蓋も、眼球も、網膜まで焼きそうな光が収まって、再び視界を取り戻した時、ボクは信じられないものを見る。

 光は優しさと温もりを覚える程度まで落ち着き、剣は消え失せていた。その代わりに、一人の青年が立っている。薄茶色の、肩より少し上で切り揃えられた髪。同じく薄茶色の眉に、浅葱色の目。鏡で、水面で、研いだ剣身で、数えきれないほどに見た顔だ。

「……うそ」

 ボクと同じ顔を持つその人は、二、三度瞬きしたのちに目を背けたくなるほど綺麗に笑った。

 

「はじめまして。この命の大樹まで遥々、なんの用かな?」

 世間話でも始めるような気軽さで、その人は口を開いた。自分とまるで鏡写しであるボクのことには微かにも触れず、辺りを軽く見渡し、来るのは大変だったでしょうと付け足した。

 初めに動いたのは商人だった。その人に静かに歩み寄り、頭から足先までを観察して、ついには手を取り脈を測った。された方は相変わらず笑顔のままではあったけど、目に見えて困惑している。それもそうだろう、何せ終始無言でされるがままなのだ。

「人間、に見えるな。もしかして、伝承に出てくる勇者本人か?」

「僕は人間じゃないよ?」

「……どういうことだ?」

「それに答えるのは君たちの目的を聞いてからかな」

 僕は最初に聞いたよ、なんの用かなって。その言葉には、柔らかい声色に反して有無を言わせぬ圧力があった。その外見と合わせて、母を彷彿とさせる人だ。まあ、母と同等だとすれば、まだ序の口なのだけど。

 ボクたちは今の時点で知りうる全てを彼に伝えた。数年前から世界中に魔物が現れ始めたこと。近年では数も増し、あらゆる国や町で弊害が出ていること。この状況を打破できる手段を探していること。そして、神話で闇と邪神を討ったと伝えられているこの命の大樹に、勇者の魂が眠るとされるこの地に、その手掛かりがあるのではないかとやってきたこと。

 一通りの話を聞き終え、彼は腕を組み黙り込んだ。目の前で自分と同じ顔が、この事態を憂い頭を悩ませているのだと思うとなんとも言えない気分になる。これが本来望まれたボクの在り方なのだろうと思うと、やりきれない。

 いっそ代わってくれないだろうか。漠然とだが、彼に力があるのはわかる。ああでも、そうなるとボクは彼に倒されてしまうのだろうか。世界の破滅を願う魔王として。

「そう、そうか。うん、わかったよ。じゃあまずは、さっきの質問に答えようか」

 彼は自身を、命の大樹が生み出した闇に対抗する手段だと言った。

「見ての通り、大樹は強大な力を宿しているけれど、それを行使するできる存在じゃない。動かぬ物言わぬ一本の樹だ。だから、僕のような武器を生み出して戦いに使った。ここにきた時、僕ではない何かがあったでしょう?」

「……あの剣が」

「そう。勇者の剣と呼ばれるものが僕の正体、人間じゃないんだ」

「剣が勇者の魂……ってこと? ありえる話ね」

「それでは、あなたがまた剣の姿に戻れば、闇と戦う力が……?」

「申し訳ないけれど、僕はもう剣には戻れない。古の戦いで、力は使い果たしてしまったんだよ。ここに残ってるのは残骸だ。僕が君たちにできるのは……そうだね、助言と案内くらいかな」

 必要なものを集めなければならないと彼は言う。一つ、この世の何よりも硬い金属。二つ、その硬度を打ち破るほどの熱。三つ、熱に抗い金属を打つことができる槌。立てた三本の指に、彼は人差し指を軽快に弾ませながら語る。

「素材と、鍛冶場と、道具だ。これを集めるだけでいい。そうすれば、君だけの勇者の剣を鍛えることができる。大丈夫だよ、役に立たないかもしれないけど、僕も協力するから」

 そうして、ボクの旅路には新たな目標と新たな同行者が加わった。

 

 彼はまず、空を移動する術を授けてくれた。戦う力はなくなってしまったが、かつて培った経験や知識は残っているらしい。真っ白な横笛が受け取った途端に釣竿になって、雲の間から鯨を釣り上げた日のことをボクはきっと忘れないだろう。

 鯨は名前をケトスといって、彼と同じく命の大樹から恩恵を受けた存在だという。笛を吹けばどこへだってボクたちを迎えにきてくれて、その巨体が降りるだけの広さがあればどこへでも連れて行ってくれるそうだ。ただし、人に見られると面倒なことになるので、降りる場所は選んだ方がいいと言われた。

「おとぎ話のような存在はね、おとぎ話のままがいいんだ」

 空を飛ぶ鯨も、命の大樹にかかる虹色の階段も、闇を討ち倒した伝説の勇者も、全て。空想上の話だと、信じて疑わないのならそれ以上のことはない。驚きで心臓の音が耳に届きそうな興奮も、塞いだ耳を通り抜けて鼓膜に突き刺さるような恐怖も、木漏れ日に目を細める退屈さには勝らない。彼は風に踊る髪を耳にかけながらそう言った。

 人ではないと断言した彼の感性は、ここにいる誰よりも人らしく豊かであるように思えた。人に安らぎを与える美しい笑顔、考える時間を許してくれる穏やかな語り口。足がすくむほどの高さを鳥に例え、風にさらわれそうな衣服を洗濯ものだと笑った。

「ねえ、彼、本当に人間じゃないのかしら?」

 言外に人間にしか見えないと言いながら、支配人は彼に視線を投げた。その先では、傭兵の陰で風除けをしている王女と、ケトスの魔法について簡単に説明している彼の姿があった。

「ケトスってとても速く飛ぶでしょう? だから、乗ってる人がいるときは背中に魔法がかかっているんだよ。地面に降りるまで、自分の背中にある物が離れないようにする魔法」

 彼が腰のポーチから取り出した薬草は、ケトスの背中から風圧に吹き飛ばされることはなく、けど確かにその葉を風に揺らしながらそこに留まった。だから大丈夫と、彼は王女に微笑み、王女はありがとうと礼を言った。どうやら、いくらか気分は紛れたらしい。

「そうですね、人間の中でもことさら立派な部類に入ると思います」

「反対なんじゃねえか? 人間じゃねえから、ああもご立派なことが言えるんだよ」

 会話に入ってきた商人が、少なくとも只者じゃないことだけは確かだなと笑った。彼はいつも、物珍しければなんでも大歓迎だという姿勢なので困る。そしてその審美眼がまるで外れないので、なおのこと。

 欲と利益に忠実な彼は、不必要な嘘を好まない。ということは、少なくとも有益なのだろうと思う。まあ、これから探す三つのうち、鍛冶場はともかく他の二つは世界的にも希少な品であることは間違いないので、彼にとっては正体などどうでもいいということだろう。宝の地図が在り処を喋ってくれるなんてありがたい、とでも思っていそうだ。

「やっぱついてきて正解だったな。世界は平和に、オレは大金持ちに。いいことしかねえ」

「ほっほ。おぬしほどの話術と眼があればわざわざ危険をおかすこともなかろうに」

「ねえ? 本当に素直じゃないわぁ」

「わかってねえなぁ。危険とか関係なく、勇者サマの旅の途中で得たものってのが箔になんだろうが」

「ボクの名前があなたのいう価値につながるなら、好きにしてもらって構いませんよ。そのくらい返さないと、助けてもらっている分に釣り合いませんし」

「さすが、物わかりがよくて助かるぜ」

 商売の道具の一部になるくらい、好きにすればいい。言葉にしてはっきりと利用すると表明する人間は、実際には言葉ほどその扱いを悪くしない。多くの人を見てきたからこそ、商人の内面の善良さが理解できる。だからこそ、祖父も支配人も彼の言葉に微笑むのだろう。

 反抗が二人の餌になると理解している商人は、過剰な反応も無意味な反論もしない。ボクよりほんのいくつか年上なだけだったはずだが、彼はしっかりと大人だった。幼くして両親を亡くし、苦労したのだと聞いている。海賊船で働き、貿易を自ら見聞きし、若くして自身の商団を抱えるにいたった苦労を、ボクは理解できない。

 衣食住に欠いたことはない。記憶もない頃に祖母は亡くなったが、それ以外の親族は健在だ。手厚い教育を受けてきた。望めば、大抵のものは手に入るだろう。代償に、生き方だけが選べなかっただけ。それだけだ。

「アンタね……勇者をなんだと思ってんの!? だいたい、世界の危機に金儲けなんてしてる場合?!」

「まあまあお姉さま」

「世界の危機だろうが腹は減るし宿にも泊まるんだ、金は多いに越したことねえだろ。あんた恵まれてんだなぁ」

 イヤミですらない商人の言葉に、双子の姉の怒りは噴火した。世界が終われば、金は意味を失う。意味を失わせないために旅をしているのなら、金は引き続き率先して集めるべき。鶏が先か、卵が先か。そんな会話を延々と繰り返す二人を、気付けばみんなが見守っていた。

 本気で止める人は誰もいない、根底に救われる未来という前提を敷いたたわいない言い争い。一歩引いたところで、眺めてしまう。不可思議な自信に満ちたこの空間を。ボクへの期待を疑わない、彼ら。

 ふと、彼と目が合った。舌戦を挟んで正面に立つ彼は、のどかないさかいを通り越してボクを見ていた。優しい目だった。穏やかで、許してくれるような目をしている。そこまで考えて、背筋が凍った。

 何故かはわからない。でも、彼は知っている。愚かなボクの本心を、彼は見抜いているのだと確信した。

 

 口火を切ったのは傭兵だった。

「誰も聞かないから聞いてしまうが、おまえたちがそっくりなのは何故なんだ?」

 傭兵はボクと彼を目で行ったり来たりしながら、血縁や双子というわけではないだろうと至極当たり前のことを聞いてくる。しかし、ボクが何かを答えるより早く、彼は信じられないと言わんばかりの声色を発した。

「そうなの? こんなに似てるのに」

 自身の隣を歩く双子の姉妹を見ながら、彼は呑気に答えた。どうやら彼は、傭兵の言葉の片方は自分だとは思わなかったようだ。彼が自身を剣であると語ったことを考えると、人間の姿をしている自覚はあれど、その詳細は理解していないのかもしれない。

「私とお姉さまのことではありませんわ」

「アンタ、もしかして自分の見た目わかってないの?」

「人型になるのは初めてだから、鏡でも見ないとわからないなあ」

 姉から差し出された折りたたみ式の手鏡を覗き込んでから、彼はボクを見た。そして、再び鏡に目線を戻す。そんなことを幾度か繰り返して、彼はようやく最初の傭兵の言葉を正しく理解したようだった。

 なるほど、うーん。大樹で見た時と同じような顔で考え込み、彼は仮説を口にした。

 封印を解いたのがボクだから、その姿を模倣したのだろうと。もともと、彼は一本の剣である。太古に戦い、力を失ってはいたものの、力を得る道筋はその本質に刻み込まれている。それを、善意なき誰かに悪用されるわけにはいかなかった。

「本来、僕の封印は解かれるはずはなかったんだ。けど、闇はまた生まれてしまったから、対抗するための勇者が生まれ、勇者に更なる力を与えるために封印を解く必要ができてしまった」

 そして情報をより正確に伝えるために、人の姿を得た。封印を解いた者の姿を生き写しにして。

「服が違うのはなんでだ?」

「写せなかったんじゃないかな? 特別な魔法とかがかかってると、見た目と本質に違いが出るだろうし」

「確かに、この装束はユグノアに伝わる守護のまじないがかけられておる」

「王族仕様を引っぺがすとこんな感じの旅装束になるってことか」

 紫を基調とした裾の長いコートをしげしげと見つめ、商人は実用性は文句なしだと太鼓判を押した。腰に巻かれた太い皮のベルトはしっかりとポーチを支えており、手首までをしっかりと覆う長袖の生地は厚い。丈のある若草色のブーツは長いズボンの裾ごと脹脛を包んでおり、補強された靴底は長い旅路に耐えられそうな作りをしていた。

「それか、君たちの認識が彼かってところかな」

「認識?」

「闇を討ち払うだけの力を象徴するもの、そういう概念自体を彼と結びつけているから、僕がそういう風に見えるってこと」

 全てを守るために、世界中を探し回ってでも耐えられそうな服を身に纏った『ボク』が、彼らの望みなのだとしたら。

「まあ、それはないだろうけどね」

 込み上げる吐き気を飲み込んで、彼が後者を軽快に否定する言葉を聞く。無意識の投影で、服装まで一致するのは不自然だからという簡単な理屈だった。

 彼と目が合う。試されている。ボクが相応しいかどうか。彼は世界を救うための機構として、ボクを見定めているのだ。

 

 彼が最初に案内してくれたのは、空に浮かぶ島だった。ボクらとは異なる外見に文化。その島の住人は自らを神の民だと名乗り、ボクの左手を見ては、こんな日が来なければいいと願っていたと悲しんだ。

 人が地上に命を栄えるより遥か昔に生まれた彼らは、ボクらよりも多くのことを知っていた。命の大樹が戦った闇を従える邪悪の神。その底知れなさと、歪んだ在り方を。命を蹂躙するためだけに生まれる命の、残虐さ。

「だからこそ、かつての大樹は邪神が力をつける前に倒しました。……一振りの剣と共に」

「? 変な言い方ね? それだと大樹が剣を振っていたように聞こえるのだけど……」

「……ずーっと引っ掛かってたんだけど、創世神話って人間が生まれる前の話よね? 勇者ってもしかして存在しなかったの? 実際、勇者が眠るって言われていた場所にあったのは本人じゃなくて武器だったし」

「それに関しては、長老さまからお聞きになった方がいいと思います」

 彼らの長は、ほとんど目を覚ますことがないという。大樹が闇を退けた太古より生き続けている、まさに歴史の生き証人。この世界でたった一人、現実としてかつての戦いを記憶している人。

 こんこんと眠り続けていると言われていた長老は、こくりこくりと舟を漕ぎながらボクらを迎えてくれた。しかし、それもほんのわずかな間だけ。程なくして揺らめいていた頭は止まり、丸められた背筋は緩やかに伸ばされた。目蓋は下ろされたままではあるが、彼の意識がしっかりとこちらに向いていることは理解できる。

 とうとうこの日が来てしまったのか、と彼は嘆いた。来ないことを願っていた、原初の願いが叶わぬことが、残念でならない。

「原初の願い……?」

「遥か昔に世界を救った、哀れな勇者の願いじゃよ」

「えっ、いたの?」

「……いいや、おらぬよ。初代の勇者はそこにおるそなたらの仲間。かつての男は勇者であって勇者でない、力を持ってしまったが故に歪んでしまった、優しい人間の成れの果て」

「どういう意味でしょう……?」

「よいのじゃ、過去のことは覆らぬ。されども、前には進まなくてはならぬ。そなたらが未来を守ってくれると信じて、聖なる鉱石のありかを授けよう」

 そう言って長老が差し出したのは、小さなランプだった。

「ケトスに乗って、ここより南西に進むがよい。そこに大樹の残した鉱脈がある」

 このランプがあれば、封印された鉱脈へ入ることができるのだという。ランプの中には小さいながらも勢いのある炎が煌々と燃えており、燃料もなくその火は尽きることがない。隙間から溢れるそれに触れると、落ち着くような熱を感じる。なんだか、太陽のかけらを手に入れたようだった。

 長老へ礼をいうと、彼は初めて視界に入った時のように背中を丸めた。俯いた顔に、てっきり眠ってしまったのかと思いきや、一拍置いてボクとその人を呼ぶ。ボクたち二人と話がしたい、他の者は席を外してくれ。

 他のみんなが元来た道を戻り、動く台座と共に離れていったのを確認したのち、長老は再び語り出した。しかし、それはボクに向けられたものではない。

「大樹の剣であるあなたと、二度と会うことがなければよいと願っておりました」

 その人は返事はとても短く、簡素だった。そうだねと、送られた返答に乗る感情をボクは理解できない。ただ、変わらぬ表情に想いを馳せるのみだ。

「今生の勇者に、告げることはないのですか?」

「ないよ。全ては彼が自分で決めることだ」

 彼は、どこを見るわけでもなく笑って言った。長老もボクも視界にいない、開けたそこには上にも下にもただ雲だけが泳いでいる。

「……そなたはそれでよいのか?」

「それでよい、とは?」

「この者について尋ねたいことは、尽きぬほどあるであろう。わしなら、いくらか答えてやることもできるやも知れん」

 少しだけ、心臓がうるさく鳴った。好奇心のまま口をつくほどボクは愚かではなかったが、反対に、ボクの中で優先したいものが浮き彫りになっていく。この人の存在は、間違いなく、ボクを除く全ての人の願いを叶えるために有用だ。

 だって長老は言ったのだ。ボクを見て、今生の勇者だと。双子の姉の問いに答えたのだ、かつての勇者が姿を歪めたのだと。言ったのだ、優しい人間の成れの果てが、居たのだと。

 おとぎ話に過ぎなかった伝説は、正しかった。どうしようもないほどに。勇者の魂は、間違いなく大樹の中で眠っていたのだ。その姿を、剣に変えて。

 どうしてボクと同じ姿をしているのか、それはわからない。もしかして、勇者はみんなこういう姿になるのかも知れない。けれど、そんなことはどうでもいいことだった。初めて会った時、双子が揃えて口にしたお告げを思い出す。

『光の神子よ、栄光の勇者よ。なんじ命の大樹に至りて、真の勇者へ』

 あれは、続きがあるのだ。『会いに行け』と。真の勇者である彼に。やはりボクは、世界を救えなんかしないのだ。救うつもりなんてなかったくせに、そんなことを思う。

 

 ボクはついぞ、長老の問いかけに答えることができなかった。彼が手を引いてくれなければ、一生そこで立ち止まっていたかもしれない。そして彼はボクではなく、長老をほんの少しだけ責めた。

「もう一度言うよ。全ては、この子がすることは、この子が決めるんだ。それはね、世界の行く末なんかには、ちっとも関係ないんだよ」

 長老がボクに何か言っていたような気がするけれど、聞こえなかった。えずくほどに泣いてしまって、自分の声以外聞こえたものではない。包まれた手があたたかくて、申し訳なくて、歩きながら泣いた。

 自分のことを、決められたことなんて一度もなかった。朝に着替える服も、昼に訪れる散歩道も、夜寝る前に読む本ですら、ボクは選んだことがない。きっと選べたのだろうけど、ボクは選ぶことを放棄した。寂しかった寺院で過ごした日々、先生を失った図書館の出来事のような、やりきれない何かに、自分の選択で遭遇することが恐ろしかった。

 ボクは呆れるほどに臆病で、弱かった。誰かを不快にすることが怖い、敵意を向けられることが怖い、争いが怖い、何もかもが怖い。だから、善人でいたかった。できることなら、いつも笑顔で穏やかな彼のようになりたかった。

 ぐずぐずと何も決められないボクの選ぶ道を待ってくれる彼のようであれば、きっと世界は救われたのだと思う。そんな彼は、世界の未来とボクは関係ないのだと許してくれる。それがただ、情けなかった。

「ボクは……、ボク、ダメなんだ。選べ、選べないよ。友達が、国の、外にいて」

「うん」

「人じゃ、ない」

「うん」

「殺されちゃう、やだ、なんで、そんなことするんだよ。人間と同じだよ、いい人も、悪い人もいるのに、魔物だけ、なんで」

 いつの間にかボクの足は止まり、足の裏は天を向いていた。膝が地をつき、手は縋り付くように彼の腕を握り締めている。視界の真ん中では大地が小さく色を変え、徐々にその範囲を広げていく。

 力の入らない腕が、ゆるりと降りてくる。手のひらを布が滑っていく感触に、顔を上げる。片膝をついてこちらを真っ直ぐに見つめる彼は、女の子の憧れの姿そのものだった。握り直された手から伝わる温もりは、変わらず優しかった。

「それが、君の願いかな」

「ボクの、願い」

「そう。世界のためじゃなくていいんだ、誰のためでなくてもいい。君が、君自身のために、本当にしたいことを言って?」

 魔物の王様になりたいだとか、全部放り捨ててどこかに消えたいだとか。馬鹿みたいな夢を願った日は数えきれないほどあった。今でもほんの少し、願っている。それでも、許されるなら、あり得なくてもいいから、ボクはただ穏やかに生きたい。

「け……」

「け?」

「喧嘩が、なくなってほしい」

「それは……すごく、難しいね」

 彼は言った。実現できるように頑張ろうと。君には頼れる仲間がいるんだから、大丈夫だと。そうしてようやく、彼で隠れて見えなかった向こう側の景色に気が付いた。聞かれていたことに気がつくまで、いくつかの瞬きが必要だった。

 みんなは泣いていた。ボクのようにぼろぼろと、拭いきれないほどの涙を地面に落としていく。唯一、商人だけが困った顔で頭をかいている。情けないボクに、呆れているのかもしれない。大きく吐き出されたため息に、思わず肩が震えた。

 近くにしゃがみ込んだ商人は彼ほど優しくはなかった。荒っぽく腕を掴んだかと思ったら、力任せに引き上げた。船乗りでもあるからだろう。見た目以上に強い腕力に、しくしくと蹲っていたボクの足も芯が入ったようにしゃんとした。

「ほら、立てって。やりたいことがあるんだろ?」

 呑気に座ってる場合じゃないだろう。泣いてたって待ってたって、誰もなにもしてくれねえんだよ。そう言いながら、ボクの背中を押してくれた。

 みんながなにを思って泣いていたのか、ボクに教えてくれることはなかった。でも、理解できることもある。彼がボクの手を取ってくれたように、商人が背中を押してくれたように、ボクを想ってくれていたのだと。それだけでも、ボクは救われたような気がした。

 

 あの日以来、彼の姿は見ていない。

 

 

 

***

 

 日当たりのよい窓辺でまどろんでいたような心地よさから目を覚ますと、懐かしい顔ぶれと共に『僕』がいた。寝起きの靄がかかった頭でも、目の前の彼らが呆然と、恐怖や困惑や警戒で顔が強張っているのが理解できた。こういう時は、安心させるために笑うのが正解だと思っているのだけど、どうにも『僕』だけはそれでますます萎縮してしまったらしい。

 少しだけ悪いことをしてしまった気分に浸りながら、だんだんと頭の靄が取れていく。僕がかつて歩んできた道とその結果を、胸の中に取り戻していく。ああ、そうか。再び、この時代まで戻ってきたのだと、理解するのに時間はかからなかった。

 装いの異なる面々に、僕がねじ曲げた人生を悟る。若返っていない彼女、個性的な服を着ていない彼、国章を纏わない彼。数え出せばキリがなく、考えたところでもう戻らないそれ。歪んだ願いの成れの果て。その答えが、僕に怯える『僕』なのだとしたら。

「はじめまして、この命の大樹に、なんの用かな?」

 僕にできることなど、もう何もない。君の答えは、君が見つけなくてはならないのだから。

 

***

 

***

 

 彼はどうしようもないほど『僕』だった。傲慢で、夢想家で。きっといつか、その身をもって自身の愚かさに気が付く日が来ることだろう。叶わない夢を見たことを、大切な人を蔑ろにする夢を見たことを。戻れない日々に気が付いた時、彼は過去を求めるだろうか。可能性はあるだろう。何せ彼は『僕』なのだから。

 僕の願いは、叶わなかった。悠久の時間の果てに成されたと思ったはずの夢は、叶わなかった。きっと、世界とはそういうものなのだろう。光があって闇がある。朝が起きる時、夜が眠る。聖竜が、大樹という光がいる限り、それに引き付けられるように闇の化身は現れる。だからきっとまた数百年、数千年後に、勇者は生まれる。僕の願いは永遠に叶わない。

 ならばせめて、僕以外の誰も過ちをおかしませんように。失われる過去に囚われませんように。どうか未来の光を取りこぼしませんように。それが僕の、新しい願い。死ぬこともできずに、眠りにつくことも許されなくなった僕が、守ってあげられる最後の、希望。

「元気でね、イクシス」

 僕と全く同じでありながら、それでも名前が違うように、どこかで全く異なる君が、せめて幸せでありますように。いさかいがなくなることを心から願う優しい君が、どうか傲慢なまま安らげますように。

 

***

 




こうして、世界は平和になりました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。