「私ね、知ってるんだよ。そこに有る窓から私のあられも無い姿を毎晩見ていたことを」
「ど、動揺を誘っても無駄だぞ……何を言い出すんだ」
ジリジリとにじり寄ってくるそいつに、そのまま襲われるかと思った直前。何故か歩みを止めた渚は、簡易的なバルコニーへ続く窓を指差していた。
どういうワケかそのバルコニーは、ちょうど隣合う一軒家の窓と同じくらいの位置に存在している。つまりそこに住んでいる以上、意識せずともたまに一部の生活様式が見えてしまう。渚の家と我が家は隣同士なのだ。
建築基準法はどうなっているのだろうか。
「お風呂あがりの私が着替えている所、じっくりと見てたよね」
「知らないですね……。何の事だか」
とはいえ、流石にある程度の距離は保たれている様で、そこからお互いの家を行き来するのが厳しいと言えるくらいには離れている。昔、この幼馴染が無理に侵入しようとして問題になった。
普段ならば、遠目で何となく部屋の一部が見えるくらいだろうか。バラバラに本が散らかされていても、多分気が付かない。意図的に動いて、やっと部屋の
「まじまじと、舐め回す様に見てたよね」
「お、おい。もうちょっとその……言い方があるだろ」
しかし、ここ一年の渚は違った。
部屋の明かりが付いているのを見るやいなや、こちらの存在を確認しているのにも関わらず着替えを始める事が多々あったのだ。
「
「どこで覚えたんだ、そんな難しい表現」
「官能小説となっております」
「聞かなければ良かった」
近くに住んでいるとこういった事故が起こり得る事は知っていたので、特に何も言及せずにさっとカーテンを閉めていたが──
今なら分かる。
コイツ、絶対わざとやっていた。
わざと見せつけていた。
「隙を見せるほうが悪いんだよ」
「無茶を言うな」
理由は恐らく、誘惑する為だったとかそんな感じだろう。アホな渚らしい思考回路である。
翌朝待ち合わせると、ニヤニヤしている幼馴染がいつも居たから分かるんだ……。
「そんなしょーちゃんだから知ってると思うけど、私頑張ったんだ」
「何をだよ……」
「バストアップをだよ♪」
「え」
渚が口角を上げて笑みを浮かべている。
聞き慣れない言葉。しかし今までの流れから予測が付いてしまった。
「何もせずに大きくなれる女の子なんて、一人も居ないんだよ」
「……?!」
「創作やアニメによく居る天然系ゆるふわ巨乳女子だって、裏では壮絶な特訓を行っているの」
その言葉を皮切りに、渚はセーラー服のタイを緩め始めた。括られていた真紅がするすると
「あれれ、視線を感じるなぁ~? 一体どこを見ているのでしょう~」
「お、おい……」
「食い入るように見つめちゃって、可愛いね♪」
「お前が見せつけてるだけだろ……」
外気にふれた部分を白く揺らめかせながら、渚はそう言った。僅かに崩れ落ちた襟が、繊維の擦れる音を小さく、柔らかに立てている。
空調が効いているにも関わらず、
「ささ、感想をどうぞ」
「……ちょっと不健康そうだ、もう少し日頃から運動をしたほうがいいぞ」
「これから一緒に運動するからセーフだよ♪」
「言いそうな気はした」
日頃から行われている、減らず口に憎まれ口を返す行為。もはや癖になっているのでは無いかと錯覚する程多々あるソレは、今この場において、完全に要らざる発言だと認識させられる。間違いなく、余計な事を言った。
幼馴染がとても饒舌になってしまっている。
こうなった時の渚はもう、止められない。
「そこはさ。臆さずに、大きく育ったなとか言ったほうが良いよ、しょーちゃん♪」
「くっ……。昔はちんちくりんだったくせに……」
「大きくて形の良いのを維持するのは中々大変なんだから♪」
果たしてそれがどれくらいの努力を必要とするのか男である自分には分からないが、徐々にこちらへ距離を詰めてくるこいつが、碌でもない事をやろうとしている事だけは分かる。
「ご、合意も無しに、無理矢理やるのはダメだからな……」
「ふふーん。本当に嫌なら、こういう時は嫌って言うものだよ~。でも否定しないって事は……」
どこで覚えたのだろうか、良くある誘い文句を極めて甘い口調で囁いてくる。
とても、痛い所を突いてくるヤツだ。
全てがなし崩し的に進んでも良いんじゃないか──そんな思いが、薄々と脳内を駆け巡り始める。
「そ、それは……」
「催眠術で本心を聞いても良いんだけど、流石に無粋ってヤツかな。ほれっ♪」
「ちょっ……」
いかがわしい手つきですり寄ってくる渚をどうにか躱す。しかし、相変わらず催眠術の肉体への効果は残っている様で、思うようには身体が動かなかった。
渚が手に持っている催眠術の本は何というか、己の欲望をそれとなく開放させる働き掛けをしてくる効果が有る。その例を考慮すれば、渚は今まさにその効果に支配されてしまっている可能性がある。余りにもたがが外れすぎているからだ。
「だから欲望に流されるわけには……」
「私が手取り足取り──腰取りも教えてあげるからね」
……いや、やっぱり支配されてないかもしれない。これ、いつもの幼馴染だ。どこにでも居るセクハラおじさんの様な発言は、平時の渚から往々と連ねられている。
割りと、結構な頻度で。
それはそれで問題だ。
「うーん。本心ではえっちしたいはずなのに、しょーちゃんが渋っている理由は何だろう……」
「ちょっと直球過ぎる……」
「むむむ……。あ、分かった。これが有るからかな」
ぺちぺちと分厚い催眠術の本を叩きながら、納得が行ったという表情で頷いた。
何が分かったのか、こっちは納得が行かない。
「初めては催眠術無しで真っ当にやりたいんだね」
「どうしてそうなるんだ」
「うんうん。言わなくても分かるよ」
そう言って一人で心得た渚は、今にもベッドインしそうだった所から一歩引いて退いた。そして悠々と部屋を闊歩すると、普段使っているであろう学習机の引き出しを開け──何を思ったのか、その中に催眠術の本を仕舞いカギを掛けてしまった。
「これでもう、私はしょーちゃんに新たな催眠術をかけることはできなくなった」
「な、何が言いたいんだ……」
「こういう事だよ」
すると、突然渚は右手をにぎにぎし始めた。先程までカギを握っていた手である。
謎の動作に何も言えずにそれを眺めていると、何度か繰り返した後にグーを解いて掌を上に向ける。
握っていたハズのカギはどこかに消えていた。
「手品か?」
「どこに消えたんだろうね。それは私のみぞ知る」
予め催眠術で認識阻害を発生させておいたのか、それとも単なる早業だったのか。どちらとも取れる話だが、しかし重要なのはそこでは無い。こちらが見ている中で、隠し場所をわざわざ示す様な行い。これはつまり……。
「私とえっちしてくれたら、カギの在り処を教えてあげるよ」
「そんな事だろうと思ったよ!」
そこそこ簡単に予測できた結末。
やはりコイツは馬鹿だ。それ以外の何者でも無い。
「ふふ、こうでも理由付けしないと動いてくれないもんね」
「そ、それは……」
近寄って来た渚が、上目遣いに成りながらこちらの衣類へと手を伸ばす。
手始めに、高校指定の真紅のタイがするりと掠め取られた。
随分と淀みのない動作だ。特におかしくは無いのに、日頃からよく「ネクタイ曲がってるよ」なんて言い出してきた成果が出ている。
「しょーちゃんは何も考えなくて良いんだよ。ただ身を任せるままで良いの」
そして、そのまま乗り上げる様にして体重をかけてきた。
このままだと、寝台に押し倒される。そして特に何の前準備も無いらしい。
「いやいや、それは不味いだろ……! だ、だいたいまだお互い高校生だぞ! 万が一があったらどうするんだ!」
「大丈夫♪ 何かあっても催眠術で何とかなるから♪」
「確かに!」
なんて事だ。全てはお膳立てされていた。万が一が起こった際の未来予想図を描いていたが、全くもって不要だった。
催眠術なんて便利極まりないモノが横行していた時点でそんな予感はしていたけれども!
「私達は両思いなんだよ? 何を迷う必要があるの……?」
「い、いや節度というものが……」
「そんなもの、捨てちゃえば良いのに。え~い♪」
「ちょっ……!」
色々と逡巡していれば、その隙を突かれたのか、ついに後ろ側へ倒される事となってしまった。
下が柔らかいシーツとはいえ、勢いが有ったので割りと頭が痛い。
少しクラクラしながら何とか抜け出そうと試みれば、無慈悲にマウントポジションを取られてしまう。いくら女子相手でも、この状況で全体重を掛けられれば抜け出すのはかなり厳しい。
「ただ本能の赴くままに……」
「ほ、本当にヤるつもりなのか?」
「ふふふ。官能小説で鍛えた愛の語彙力、とくとご覧あれ♪」
渚が何かよく分からない声を漏らしながら近付いてくる。シングルベッドはこうした用途に使うモノじゃないのに、コイツは全く分かっていない。
「くっ……普段からマトモなものを読み聞かせておくべきだった……!」
「一緒に骨の髄まで溶け合おうね……」
嘘偽りの無い愛を囁かれる事が、どれ程までに魅惑的で抗いがたい存在か。小説に限らず、あらゆる唄と詩で紡がれてきたそれは、比較的身近なモノだったにも関わらずいつもどこか他人事の様に思っていた──
しかし、なんて事だろう。決してそんな事は無かった。
もうこのまま幼馴染が言う通り理性をかなぐり捨てて、思いをぶつけ合うのも良いかもしれない。
そんな風に思ってしまえるほど、その欲望は甘美なもので──
「いや、このバカに上手くしてヤられるわけには……!」
「……! あっ、しょーちゃん……」
それはただの反骨心の様なものだった。土壇場で発揮した力を存分に振るい、体勢を無理矢理崩させると、いつの間にか幼馴染が下になっていた。
形勢逆転である。
「あはっ。そっちの方がお好みなんだね……♪ でも、一人でやりきれるの?」
「どこかで聞いた様な台詞回ししやがって……」
これから何が行われるのか期待している様な──そんないじらしい表情をしながら、後ろ手でシーツを掴む渚。ちょっとわざとらしいが、素でやっているとしたら天性のものだ。
途端にしおらしくなったが、しかしその奥にある喜色を隠しきれていない。
「いいよ……そっちがその気なら、私はそのまま……」
「渚……お前には、日頃からどれだけ苦労させられてきたか……」
これはまたとない絶好のチャンスだ。こいつは全くもって分かっていない様子だが、こういう時が一番チャンスだ。
今後の為にも、ここで分からせておこう。
「ふふ。来て、しょーちゃん……」
「今までしてきた事をよ~く反省する時間だ」
渚が何やら全てを受け入れるかの様な笑みをしながら、両手を広げてきた。
しかし、今はどうでも良い。
同じ歳の気が置けない幼馴染の間にも、礼儀や上下関係がある事をその身に教えこんでやる事にしよう。
そんな意気込みをしながら、残る渚の服へと手を伸ばした──
◇
「ううっ……酷いよ、しょーちゃん……」
事が終わった後の幼馴染は、ベッドの上で正座をしながらさめざめと泣いていた。
どうみても嘘泣きだ。泣いたフリをして隠している指の間からは、少し憎らしげに睨む瞳が見える。
「私の純情を弄ぶなんて……」
「人聞きの悪い事を言うのはやめなさい」
渚が睨んでいる先は、こちらの手の中。
そこに有るは、催眠術の本を閉まった引き出しのカギだ。
それをどうにか渚から奪い取り、今に至る。
「一生の不覚……まさか身体目当てじゃなく、無機物が目当てだったなんて……! いくら草食でもそれは無いよ……!」
「お前は何を言っているんだ」
渚が隠したカギの在り処。いくら目に追えない程の早さだったとしても、一瞬の間に隠しておける場所には制限がある。そうなると、どこに有るかはもう明白だ。
しかし、探すのにだいぶ時間がかかった。当然の事ながらセーラー服の構造なんて知らないので、ポケットの場所を特定するだけでも大変だった。
「あれこれ私の身体を楽しんだ挙げ句、そこで止めちゃうなんて……!」
「まさか、胸ポケットが服の裏側にもあるなんて思わなかったぞ」
だいぶ意図せずに弄る羽目になったが、目当ての物を何とか回収する事ができた。目の前にいる幼馴染が死ぬほど悔しがっているが、全く気にしない。
この勝負、渚の完封負けである。
「うう……私もうお嫁にいけない……」
「……」
「お嫁にいけない……」
「何も言わんぞ……」
よくある返しを期待しているのか、チラチラとこちらを伺って来るが、それすらも無視した。
「とりあえず、床に降りて正座しなさい」
「えぇ~っ……酷すぎるよ、しょーちゃん。これが一晩愛し合った人への仕打ちなの……?」
「どうやら幻覚を見ているらしいな」
「だって……だって! あそこで積極的になったら、普通いちゃラブえっちする流れだよね?!」
訴えかける様な目線を飛ばしてくる渚に教えを説く。人生とは、ままならないものだと。
勿論、催眠術をもってしても。
それはまさに人の世の
「ちょろいな」
「~~っ!」
「全く抵抗せずに止まっていてくれたおかげで、だいぶ探し易かったぞ」
「~~~~ッ!」
決してそんな事は無いが、こう言って置くと悔しがるというものである。
予測通り、渚は怒りやら羞恥やらが色々混ざった表情を思いのままに体現していた。
器用なものだ。
「あぅ……私の幸せ家族計画が……」
「反省するまでは、しばらくそこに座ってなさい」
「はい……」
とりあえず、一時間くらい正座させた。
後もうちょっとで完結です。