渚の家で色々変な事をしてから、一夜が明けた。催眠術の本を再び回収した後は、数泊の旅行から帰ってきた渚の両親と鉢合わせするというハプニングのような事故が有ったものの、特に何の淀みも無く事は進行した。
……いや、事故の規模が大き過ぎる。
「完全に見られていたな。しかも部屋から出てくる所を……」
「そうだね……」
その時は、お互いわちゃわちゃしていて玄関の扉が開けられる音に全く気が付かなかった。
認識した時にはもう遅い。
部屋から出た途端、何やら目を瞠るお二方が、そこには居た。
思わず、硬直した。
だいぶ暑くなってきた時期なのにも関わらず、全身に冷水を浴びせられた様な気分になった。
幼馴染とは家族ぐるみの付き合いが有るので、当然の如く顔も名前も覚えられている。長期休暇の時にはどこかのレジャー施設に家族ごと誘われたり、庭先でバーベキューをする──というのは最近ちょっと煙の問題やらで難しいが、それに近しい事を食事処で行ったりと、顔を合わせる機会はそこそこ多い。
渚ほど直接会話を交わし合う事は多くは無いものの、比較的良好な関係を築けているのではないかと考えていた。
少なくとも、それまでは。
見られた瞬間、あっ死んだなって思った。
「ご両親にぶん殴られるかと思ったぞ……」
「私もちょっと、やり過ぎたかも……」
愛する娘の部屋から顔見知りとはいえ、男の姿が出てきたのだ。これが日が昇っているうちだったら、まだ色々と理由付けが出来ただろう。が、実際は夜遅くである。普通ならば、何か良からぬ事が有ったと察される。ご両親の心情や、いかに。
その時は娘を思う故の魂の一撃を、一発ぐらいは覚悟していた。
だって、まだ学生だし……。
「でもこれで、私の家族では公認の仲だよね♪」
「ま、まさか何も起こらないとは……」
しかし現実は生暖かい目で見られるだけだった。渚の乱れたお洋服に対して特に何も言及せずに、ニコニコと笑うお二方。果たして何をお考えになっていたのか。
結局あれから言い訳を考えているうちに、渚のご両親に押し切られ、そのまま夕食へと誘われる事となった。とはいっても、そこそこ時間が過ぎていたので軽いものだったが。
「今度いらっしゃったら、お赤飯炊きますよ~ってお母さん言ってたよ」
「絶対に、何か有ったって思われてる……!」
今の時代、一般家庭で赤飯を常備している事は中々無いので、記念日を祝われる事は無かったが、次も連れ込まれる事が確定してしまった。
多分もう、こっちの家族にも何が有ったのか電話なり何なりで報告されているかもしれない。一日遅れで家に帰ってくる父と母が何を開口一番に言ってくるのか、想像は容易だ。
何だか、外堀を徐々に埋められている様な気がする。
そんなこんなで、のちの翌朝。
休日明けなので翌朝は普通に平日である。
「さて。一晩たったわけですが。どうでしょうか……」
「はい……」
登校日。学路に立ちながら、渚へ問い詰められていた。
用件はただ一つ。
告白の返事を、どうするか。
「そうだな。今日の放課後に来て欲しい場所が有るんだが……」
流石にあれだけの勇気を振り絞るって想いを伝えてきた渚を、そのまま無下にする事は出来ない。一晩の猶予が与えられたのち、その答えを出す事が早急に求められた。
そして、今日がその日である。
「……あっ。分かったよ……」
お互い分かりきった答えかもしれないが、それでも結構緊張するものだ。
前日、部屋でやらかそうとしていた事に比べれば随分と初歩的な段階なのに、こっちの方がどういう訳か難しく感じてしまう。
随分と初心だ。
「……うん」
「放課後な……」
道を何気なく辿っていく。何度も通ったこの通りは、無意識の内でも歩き抜ける事が出来るほどに覚えがある所だ。普段ならば何も考えずに隣に居る幼馴染と談笑をしている頃なのに、会話が全く続かない。
「……あ」
「……」
初めて渚と出会った時でも、今に至るまでも、そんな事は無かった筈なのに。不思議な程に、何も思いつかない。
理由が何かなんて。そんな物は明白な話だけれども。
多分、幼馴染を良く知る彼女の友人達と出会ったら、すぐに様子の違いに気が付かれるだろう。囃し立てられるかもしれないし、何が有ったのか心配する声も有るかもしれない。
しかし、それは今日だけの話。だから、大丈夫。
……というワケにはいかないか。やはり、緊張するものは緊張してしまう。
渚も同じなのだろうか、いつも口数多めの彼女が、およそ9割程も喋らなくなってしまっている。
何も言わずにただ顔を下へと向けながら、いつもの道を、いつもの歩幅で歩いている。それは何気ない日常なのに、どこか閉塞感を感じさせるものだった。
やがて、渚が途中で歩みを止める。
「……どうした?」
「あれ?」
俯いたまま止まってしまった渚。このまま置いていくわけには行かないので、こちらも歩みを止めて何が有ったのか尋ねてみる。
「放課後、だよね?」
「……そうだ」
「放課後の、外とかでするの……?」
「そうだけど……」
返答はいわゆる告白の場所を聞くものだった。儀式に近いと言われれば確かにそうなのだが、やはりちゃんとした場所を作る場所だと、一晩経て結論付けた。しかし、何かまずい要素でも有ったのだろうか。
少し不安になりながら、後を問い掛けようとする。
「だめっ! それはダメ~っ!!」
「ええ!?」
そうして見ようとすれば、ダメと言われた。ダメとは、もしかして告白の事だろうか。
そんな馬鹿な、早過ぎる。まだ好きのすの字も何も言ってないのに。もうフラれてしまった。
嘘だろう、あんなに一緒だったのに。
「……や、違うの。告白の返事の事じゃなくて……!」
両手を前に出してぶんぶんと振りながら否定の意を何とか体現しようとする渚。
とても焦っている。
「私には分かるの……。今日の午後、絶対何か天変地異が起こるって……!」
「ええ……?」
「そう。例えば、大雨が降ったりとか!」
「朝一の降水確率5%だったぞ……」
幼馴染が言うには、今日は雨が降るから外での告白はダメらしい。梅雨の時期は天気の予測が難しく雨が降り易いとはいえ、流石にこの確率で降るというのは中々レアケースでは無いだろうか。
空を見上げても僅かに雲があるだけで、雨が降るようには感じられない。
「で、でも午後はちょっとだけ上がってた様な気がする!」
「そうだったかな……」
「私、雨女だから分かるの!」
「雨女って自称するものなのか……?」
ここ最近で雨が降ったのは確か、渚が催眠術を使い始めた日だろうか。
う~ん……何か関係有りそうで無いような……?
「ともかく外はまずいの!」
「そうなのか……」
となると屋内でする事になるが、もし雨の日となると校舎の人口密度もかなり上がるだろう。そうなれば屋上も締め切られる事になるし、二人きりになれる場所なんてまず無くなってしまう。
最適な場所は……無さそうだ。傘も持ってきて無いし。
「渚の言う事が本当なら、場所を取るのは難しそうだな……」
「がーん……」
擬音をそのまま発する渚。彼女がこう言っている時は大抵ショックを受けていないものだが、その面持ちは本気だった。
「な、なら……もう今ここで言っちゃってよ……」
「ここでか……?」
そんな幼馴染の様子を見ていれば、なんともう返事を求められてしまった。
今、自分達が居る場所はいつもの通学路。開けた場所ではあるものの、通りゆく人はほとんど居ない。二人きりになれる場所なのは間違いないのだが……。
「本当にここで良いのか? もっと良い場所がありそうだが……」
「うん。気まずい雰囲気のまま一日過ごすのって、やっぱり辛いから」
少しだけ戸惑う。一晩の間にしっかりと何を答えるか決めていたので、答えに窮しているわけではないが……。
まあしかし、渚がそれを望むのならば、今言う事にしよう。
「ならここで、はっきりと言わせて貰うぞ」
「……うん」
街往く道のなか。
ここで、思いの丈を伝える事にした。
「そうだな。率直に言うと……、渚。お前の事が好きだ」
「……!」
何度も渚に言われてきたその言葉を、今この場で当本人へと返す。それは、何度も言われてきたからこそ言えたというのが大きいかもしれない。あれほど情熱的な想いを事前にぶつけられたのだ。否定か肯定か、どちらに転ぶかは考えるまでもない。
だが、いつもの関係から一歩先の関係へと進むのは、やはり勇気の要るものだ。渚の場合は、特にそうだったのだろう。
「正直な話をするとな。いつも横にお前が居るのが当たり前過ぎて、最初のうちはそれが普通だと信じて疑わなかったんだ」
「あ……」
「だが、それもいつまでも続くものじゃない。まあまだ、後一年半程は残っているが、その先の進路がどうなるかは誰も分からないのだから」
「そうだよね……私どうしよう……」
彼女が初めて催眠術で告白をしてきた時は、お互いの気持ちなんてものは当然分からなかった。事故的なものだったとはいえ、それを伝えてしまった事を後に気が付いた時、渚は一体どんな思いだったか──
とても怖かったのかもしれないし、苦しかったのかもしれない。
どうだったのかは、彼女自身に聞いてみないと分からない事だけれども。
それらをしっかりと噛み締めて、想いを伝えなければ。
「渚。お前にはずっと傍に居て欲しいんだよ」
「わ、わたし……」
「余りにも隣に居るせいでな……多分居なくなると、とても空虚な人生になってしまうと思う」
「しょーちゃん……」
「お前が居ないと耐えられない身体になってしまった。さて、どう責任取ってくれるんだ?」
「それ、私が言いたかったやつ……」
ずっと溜めていたセリフだったのか、それを取られた渚は、悔しいような──それでいて嬉しい様なよく分からない表情をしていた。
「だからな、もう一度言うぞ。お前の事が好きだ。付き合って欲しい。誰にも渡したく無いし、いつまでも傍にいて欲しい」
それが自分が一晩経って出した答え。
全てを言い切ったので、後はもう渚の返答を待つだけだ。
「ねえ、しょーちゃん……ちょっと質問よろしいでしょうか」
「渚?」
「しょーちゃんは私の事が好き。オーケー?」
「オ、オーケー……」
「よし。そして、私もしょーちゃんの事が好き。オーケー?」
「それは自分自身に聞いたほうが良いのでは……」
「もしかしてこれって、両思いなのではないでしょうか?!」
「おそらくそうだと思います……って、それはもう催眠術で既知の話だったような」
そう事実確認をしてみれば、どういうワケか渚は少し溜める様な動作に入った。
「やっ……たぁーっ♪」
「え? ちょ、ぐはっ……」
すると、幼馴染が歓喜の声と共に勢いよく胸元に飛び込んできた。
そのまま抱きついて来るのかと思いきや、そのまま肩に手を置いて身体を横に回そうとする。締め技だ。
いや違う。あれか、カップルでよく見る抱きついて回転するヤツなのか。
「く、くるじい……寝不足でちょっと体幹に自信無いから勘弁してくれ……」
「秘技・回転ハグが止められた……?!」
割りと苦しかったので、どうにか飛びついてきた渚を腕の中に抑え込む。すると渚はまるでそこが特等席だと言わんばかりにすっぽりと収まった。良い御身分である。
「あ~堪らん堪らん」
「どうしてそんなじじくさい言葉を使うんだ……」
「いや~ずっと待ち望んでいた事が叶ったんで」
変な言葉を使う幼馴染をどうしようかと考えていれば、渚が腕の中で顔を擦り付けてきた。どこかの家で飼われてそうな愛玩動物の様に、それはもうべったりと。
「暑い……。とにかく、これは成立したという事で良いのか……?」
「うん♪ というか、それしか無いよね♪」
「たしかに」
六月の終わり目に近付いた頃なので、照りつける日差しが眩しく、そしてだいぶ暑苦しい。服が蒸れ蒸れになってしまうので流石に離れて貰いたかったが、渚はそんなものはお構いなしらしい。
「このままだと、遅刻するんだが……」
「ちょっと、しょーちゃん。デリカシー無いんじゃない?」
「そうかもしれん」
「もうちょっと、このまま……ね? いいでしょ?」
時刻は既に走らないと間に合わない程に迫っていた。
でも流石にそれを言うのは無粋というものだっただろうか。
「……まあ、良いか」
いつもの道でのいつもの時間。
そんな中で、全てがどうでも良くなってしまう程にゆったりとした時間を──
「お、朝からしっぽりやってんな」
「渚っちついにヤったな?!」
「あわわ……」
「ですよね」
二人で一緒に遅刻したので、流石に関係を誤魔化すのは無理だった。
次でおわりです
催眠要素が無かったので次回ちょっと入れます