カツりと音を立てたのは、空の上。
靴底に血肉が挟まったのか少し滑りやすいその靴が、空中の透明な床に触れる。
太陽は今から起きる悲劇に目を背けてしまった。残ったのは、監視の目を光らせた月だけ。
それも蛭子の背を照らすだけで、真意を見ることは到底出来やしない。
一歩足を進める度に、空気中の水蒸気が一部凝固し、蛭子の為の足場となる。
別に空中散歩をしたい訳では無い。
この世界を終わらせに来たのだ。真の意味で。
人間も動植物も、文明や意志さえも。
その全てを「殺しに来た」
救うべきだと豪語する者達をも巻き込む虐殺が、誰かの救いになると妄想して。
別に自暴自棄にはなっていない。
蛭子は境地に辿り着いた。
思考の水平線、その先に触れたのだ。
実に、神とは平等である。
生も死も等しく、見届けるだけの存在である。
何故ならば神は人では無い。人であってはならない。神は生命ではない。神は無機質だ。
そうでなければ、平等は与えられない。
しかし、神を殺すのは常に人間である。
信仰を捧げる人間は、神を建前に差別を行う。
それが魔物やらにまで広がればもはや平等は存在せず神の存在意義は無い。
存在意義の無くなった神を、人間は型に流し込みそれを飾ってまた差別を繰り返す。
型は余りに狭く、信仰者のみに何かを与えろと強制された神の涙を入れる隙間もない。
『神の時代』とはハナから存在せず。
さすれば、神など何処にもいない。
だからこそ人の腹から生まれた異物を神に押し上げるしかなかったのだ。
ならば実現不可能の神の時代を可能とするにはどうするのか。
神の定義を変えるしかない。
神は何も与えない。神が用意するのだ、平等を語れる世界を。何もかもを書き換えて。
ではそれを用意する神とは? 世界である。
世界とは生命の集合体。生命は概念の集合体。
概念とは、神である。
神が、正解とする概念を生み出し、概念が絶対の神を生み出す。そうすれば、世界は正しくなる。
概念とは、正しく平等である。
概念とは、“当たり前”である。
「助けて」とは「殺して」である。
だから、蛭子は救う。
何もかもを殺して、取り返しのつかなくなったこの世界を。
蛭子の幸せは、人の幸せである。
もはや善性を失い幸せとは無縁になっても、それでも蛭子は人の為に尽くす。
偽りの当たり前からの解放など、きっと魂の底から喜びを感じてくれるに違いない。
して、幸せを感じたい、その欲事態は悪性である。これが何を意味するかは両性持ち合わせる者ならば分かるだろうか。
仮に悪性しか持ち合わせずとも、人の世代をどれだけ跨ごうと、蛭子は人間である。
何故? 前述したはずだ。
神を殺すのは常に人間である。
今から殺すのだ、この世界の“神”を。
さぁ、今こそ!
今こそ......世界をまっさらにしてやるのだ。
何度人間が、神を作り上げようとも。
蛭子は繰り返すだろう。
神の時代を求めて。
誠に司る者に也て。
蛭子が望むのは、平等な平和である。
空間が軋む様にして、現れたのは無数の核爆弾。
蛭子が用意したものでは無い。
先程、悲しい事に壊滅してしまった国が抑圧力として所持していた物を持ち出しただけの事。
まぁ少しだけ、自立的に飛行出来るようには弄ってしまったが......本来の役目を果たせてこれらもさぞ嬉しい事だろう。
星空は爆弾に埋め尽くされ、異様な影に世界は反応を示す。
示したところで、世界は既に蛭子の手の平の上。人間一人の手の平では踊る事さえままならない。
──────これは、いつかの世で『古代核戦争説』と囁かれる学術の真相。
戦争とは名ばかりの、蹂躙。
唯一その学術が正しかったとすれば、『超文明』等と呼ばれる再興後の文明を凌ぐそれは確かに存在した事。そして、その破滅が自らが生み出し利用したモノによって滅んだと言うこと。
しかし、いつかの世では馬鹿げた話に過ぎず、夢物語としか語られない。
真実は、蛭子のみが知っている。
手を、上から下へと静かに振り下ろす。
それが世界が終わる合図。
一つ、また一つ。
最愛をその目に焼き付けることも、世界に痕跡を残す事も許されず。
しかし、もがき苦しむ事も無い。
星空は薄汚れた雲に覆われ、時期に雨が降るだろう。それまでは、世界が炎に埋め尽くされ続ける。雨が降って晴れゆくなら、もう何も残っては居ない。
「ゴホッゴホッ......酷い匂いだな」
「そうだろうね。世界が死んだ匂いなんだから」
「──────ッ!」
まさか全ての兵器が地に帰り、残った生命は蛭子のみである筈なのに。
地上はおろか、空中でさえ、人体が蒸発してしまうほどの熱を持っているというのに。
飄々と話しかけてくる生命が存在するなんて...
「あぁ、不思議だ。私の体は何度も熱に溶け、その度に再生を繰り返している。今まで感じた痛みとは比べ物にならない......しかし、お前は平気な様だ」
「熱には耐性があるんだ」
「はぁ......随分と軽く言う」
自分が隠してしまった鱗と同じ色で覆われた何かが笑っている。
人型では無い、大きな体と前に突き出た顔、そして風を切る羽。魔物か? いやここまで大きな図体を持つ魔物を蛭子は知らない。
「困惑してるみたいだ、 挨拶をしよう。
ボクはヴェルダナーヴァ、この世の“創造主”にして現在唯一の竜種。君には初めましてと言うより、久しぶり...いや、“お帰り”の方が適切かな」
「創造主......この世の?」
「そうだよ。今君が壊してしまった自然も生命もボクが創り出した。そして君もボクが創った」
「私を、創った...だと」
「正確には君の体は、君のご両親が創った訳だけど、その中身はボクが創ったんだ。
ボクの“悪徳”...それが、君だよ。けれど人間の体は少し脆くてね、想像はしていたけどやっぱり少しだけ異形になってしまった。悪いと思ってる」
何処までも巫山戯た話だ。
蛭子が、今目の前にいる竜の悪徳だと?
信じられる話では無いし、信じたくもない。
だが、蛭子の中でその言葉がストンと落ちて行く。創造主が発する一言一言が、蛭子の脳で“事実”として巡っていく。
そして同時に、蛭子が認識していた自分自身がやけに滑稽で空虚なものへと変わっていく。
創造主は言うのだ。
蛭子が生まれたのは世界の均衡の為だと。
悪徳の化身である蛭子を中心に世界に真なる均衡を作り出したのだと。
それらは欲となり、欲が文明を生み出した。
蛭子は否と示す。
それでは、蛭子のせいで劣勢が生まれた事になってしまう。
文明が格差を生み、優越を付ける。
優越の結果、下と見なされれば奴隷の様な扱いを受け、誰かに縋るように死んでいく。
蛭子が助けたいと思った者達も、そして“彼女”も“当たり前”も蛭子のせいで生まれたのだ。
なら、蛭子は今なんの為に生きている?
──────あぁ、そうだった。
「一つ、問いたい。創造主よ、何故世界の死を黙って見届けた?」
「少しだけ、傾き過ぎてしまった」
「悪徳が?」
「飲み込みが早くて助かるよ。そうだ、確かにこの世界は発展した。ボクの想像以上にね...けれど、君を中心に広がった悪徳が特に色濃く出たあの国は、また新たな悪徳となってそれを広めた。それ自体は別にいい。だけど、対抗力が無い、または生まれない環境は均衡を崩してしまう」
「やけに均衡を気にするのだな」
「君もそうだろう? 平等な平和...それは均衡だ」
「...お前と私が同一なのだと今理解した」
創造主は何処までも真っ直ぐに、蛭子を見つめている。
鱗は同じ色なのに、目は全くの別物らしい。
「手を組もう」
「ほぉ、私とお前が?」
「ボク達で均衡を作るんだ。善徳と悪徳はもはや大地に根付いた。ボク達がその大地の上に、もう一度世界を創り出すんだ」
「クックッ...アッハハ!」
「何が面白い?」
「ふふっ、いや何...夢見がちな現実主義者だと思った迄だ」
都合のいい事だ。
健やかに生まれてくる予定だった生命を捻じ曲げて、知らぬ間に役目を押し付けて。
役目満了となれば、今度は奴隷として働けと言ってきた。世界の為に。
『何かがパキリと音を立てる。』
奴隷? 蛭子がか?
巫山戯るな、蛭子は救う側の存在である。
しかし創造主は蛭子を劣勢に出来るらしい。
『何かが、割れた隙間から溢れ出す。』
蛭子が劣勢なら「助けなくてはいけない」
劣勢とする原因を「殺さなくては」
それはなんだ? ──────
神は正解とされる概念である。それこそが世界である。
なら、間違いはどうなる?
間違った概念とはなんだ? 間違った神とは?
そんなものは存在しない。正しいからそうなったのだから。
──────あぁ、そうだった。
『何かが、限界を迎えている。』
『それ以上はいけない。それ以上、壊れては......』
劣勢は、間違いと悪を押し付けられた存在であるらしい。
蛭子は理解してしまった。
『神の時代』はハナから存在せず。
さすれば平等な平和だってありはしない。
均衡とは上下関係の植え付けでおる。
蛭子は決めたのだ、自分の為に生きると。
だから、「殺して来た」のだ。
劣勢を生み出す全てを。
それが正しいさやら善やらなら、殺してしまおう。
世界を、ひっくり返すのだ。
『ヒビが広がっていく。』
『ここまで来てしまったら、誰にも、もちろん蛭子自身にも止められない。』
世界の“間違い”を蛭子が“正す”のだ。
世界の“善徳”を自称する愚かな“悪徳”に自覚させてやるのだ。
蛭子が望むのは、人の幸せ。
蛭子の視界の中だけが、平等と平和の中で笑顔に溢れていればいい。
だって、知らなければ知らないフリをすれば、そこはずっと幸せだ。
──────何処までも人間臭い。
『何かが割れる音がした。』
蛭子に都合の良い概念を、創るのだ。
「創造主よ、それはとても素晴らしい案だ」
「そうか。なら...」
「あぁ私も“世界”を創ってみたくなった」
「......! 君、まさか」
「返答をしよう。断る、他を当たれ。まぁ他など居ないかもしれないが」
蛭子がニッコリと、それはもうとても綺麗に笑った。細められた目は全ての光を吸い込んでしまうかのような漆黒。
その目を見て創造主は思うのだ。
失敗したなぁ、と。
創造主と蛭子は同一体に限りなく近く、互いで互いを殺す事は出来ない。
これを次の世代に託すというのも忍びない。
何よりもこれを野放しにすれば、もう一度世界を創り直す事すらままならない。
蛭子を一時的に活動停止にする事は出来る。
しかし、それをすれば次の世代に現状よりも遥かに強い悪徳を託す事になってしまう。
世界が発展と進化の中で、その脅威を乗り越えなくてはいけなくなってしまう。
どうやら創造主の仕事は、世界一つ創るだけではダメらしい。
全ての次元を魂が循環するような、並列世界が必要な様だ。そしてそれらは条件を変えそれぞれに監視者をつけて、熟成された魂がこの悪徳の化身と対抗出来るようにするのだ。
創造主としても孤独に耐え兼ねた結果生み出した世界が一つ失敗に終わったのは心苦しい。
次はもっと、思考を巡らせて最高のシステムを構築させなくてはいけない。
決めた、やはり一度この悪徳には眠っていてもらおう。いずれ自力でその眠りから覚めてしまったとしても...世界の基盤が出来上がるまでは。
「少し、悪く思うよ。ここでパッタリと終わらせてやれないことを......」
「何を、言っ──────ッ!」
突如として襲い来る眠気に蛭子は体を揺らした。創造主が何かをしたのは明白だった。
このまま眠りにつけば、真っ逆さまに血肉臭い火の海に落ちてしまう。
何よりも、こんな蜥蜴の前で眠りこけるなど絶対に嫌だった。
《告。創造主︰ヴェルダナーヴァより申請を受領。
これより対象者を低位活動状態に移行します》
「この世界の言葉も少し改良しなくてはいけないな...お休み、せめて数億年程度は」
「この.....善者気取りが、」
「なんとでも」
倒れゆく蛭子の体が、突如として消える。
おそらく眠りに入る瞬間に、
残ったのはヴェルダナーヴァと、本人に届かなかった声だけ。
《告。ユニークスキル「奇形児」の進化を開始
──────統合に、所有者の「一番幸せな記憶」を使用します。》
「頼んだよ、次の世界達」
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これは、完全に消滅した十数億年前の話。
蛭子さえもが覚えているか怪しい過去の話。
馬鹿らしい、皮肉な話。
これは無意味な話。全てが、無意味なのだ。
過去のお話もここまで。これ以上先は必要ないだろう。
だって、次の世界では出来事がきちんと記録されている。
天使や悪魔が、それらが新たに均衡を保つ事も。蛭子が新たな呼び名で人々から称される事も。全ては誰かが知っている。
誰も知らないから、話す価値があった。
誰も知らないから、無駄なのだ。
これは、反逆者が生まれるまでの過程の話。
そういえば伝え忘れていた事が一つ。
蛭子が育んだ国は、新たな世界でも国であった。
その国の名を、『ジュラ・テンペスト連邦国』と言う。
誰かさんの過去はこれで終わり。
この小説の根底な話なのでめちゃくちゃ頑張りました。約3万字......
次、戦争開始!(頑張ります...)