白狼の舞   作:大空飛男

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過ちの記憶

時は遡ること数百年前。

外の世界では徳川幕府絶頂期の最中であり、幻想郷がまだ外の世界と遮断されていない頃である。

もっとも妖怪の山は、過去に富士の山と背比べをして勝ったとされる本来の八ヶ岳であり、幕府絶頂期の頃の山ではない。故にこの頃から現代に存在していなかった。

しかし外の世界と唯一続いている場所があり、そこから限りなく少ない世間の情報を仕入れていた。だからこそ未だに、この権現村には歴史的に見ると誤って伝わった制度が多く残っている。

 

当時の権現村は御嶽山から来た真神露草が政権を取ったことで徐々に穏健思考が広まって行き、平和な空気が流れていた。加えて、横暴を働いていた縞枯一派摘発からすでに年数は経っている。

 

そんな激動の時代が終わった頃、椛は尖刃館を卒業した。

 

当時の彼女は幼く、まだまだあどけない顔つきをしていた。わかりやすく人間で例えるなら、中等学校を卒業した頃くらいであろうか。とは言うもあくまで顔つきだけであり、年齢は遥かに人間よりも上である。

 

この頃からすでに親はいなかった。椛がまだ幼き頃、任務の最中に不幸な事故で死んでしまったのだ。しかし椛は親の残した金をやり繰りしつつ懸命に生きて、一人で犬走家を支えようとしていた。

 

現代の人間が持つ常識と大きく異なり、天狗はこの歳からすでに成人の扱いを受ける。尖刃館を卒業すれば、成人であるのだ。故に椛は一般的な天狗と変わりない訓練を哨戒隊に入ってから受け、みるみる成長していった。

 

犬走家存続のために生真面目に生きて行き、いつしか堅物となって椛は柔軟な頭の使い方を忘れていった。任務に忠実に動く姿はまさに哨戒隊の見本のようであったが、生真面目な性格である椛は他の者と打ち解けることが無意識に苦手となっていった。

 

 だからこそ、毎日椛は仕事に明け暮れていた。

 

仕事もとい任務は自分を裏切らない。成功すれば必ず結果が出る。結果を出せば評価され、犬走家は安泰するのだ。

最近になって獲物を捕らえる目が優れて行き、侵入者を排除する効率が良くなり、結果もそれに付いていった。

 

そんな椛は今日も、目を光らせていた。

 

木の枝を蹴り、次第に獲物へとの距離を詰めてゆく。

そして警告もなく、椛は獲物の前に降り立った。がさりと音が響く。

 

 「な、なんだ!?」

 

体格が良い獲物が声を出した。その声には驚きと困惑が混じっている。

 

 「おまえ達。ここがどこだかわかっているか?」

 

威圧した声で、椛は獲物達に問う。すると獲物達はあたふたとし始めた。

 

獲物の数は十人ほど。おそらく人里で土木関係の仕事をしているだろう。重い物を持ち上げるために発達した筋肉を見れば、一目瞭然であった。

 

どうやら獲物達は、木々の伐採を行っていたようである。斧で切られた木々がいくつも倒れていた。他の木々に比べて比較的若い木を切っていたのか、年輪が少ないものが多い。

 

「ち、畜生!白狼天狗に見つかったか!おめぇら逃げるぞ!」

 

獲物達は斧を投げ捨てて、一目散に麓までの道を下って行った。

逃げてゆく獲物達を椛は冷え切った目で見ていた。

 

白狼天狗は逃げてゆく獲物を襲うことは、暗黙の規則で制限されていた。相手に恐怖心を植え付けることができれば、それで事足りるからである。一度恐怖を覚えた人間は学習し、無暗に近づこうとしないからだ。

 

しかし椛には、そんな融通が利かなかった。

 

まず、最初に目を合わしたあの体格の良い獲物に向かって、椛は走り出した。

 

いうまでもなく、白狼天狗は山を駆ける速度が人間よりも圧倒的に早い。その速度はまさに韋駄天のようである。故、必死に逃げていた体格の良い獲物までの距離を縮めるのに、そう時間は掛からなかった。

 

「ひ、ひぃぃ!」

 

追われる獲物は情けない悲鳴を上げつつ、無駄だとわかっているはずだが、足を止めない。

 

それが癇に障ったのか、椛は着衣に装備されている投擲用刃物を獲物の足元に投げた。

刃物はそのまま男のふくらはぎに突き刺さると、獲物は大きく転倒した。

 

「あがぁぁ!?」

 

獲物はそのまま地面を舐めるに滑って、動きを止めた。

 

「手こずらせてくれましたね…。さて、どうなるかわかっているか?」

 

追いついた椛は、うつぶせに倒れている獲物に威圧した声を出した。

獲物は振り返り、顔をゆがめた。その顔は地面に埋まっている石にぶつけたのか前歯が折れていた。

 

「ご、後生だぁ…助けてくださせぇ…お、お願いします。お願いします!」

 

震えながら言う獲物は、ひたすら頭を下げる。自尊心など捨て去って、頭を地面にこすりつけていた。

 

それを見た椛は、呆れたように一つため息を漏らした。

 

「おまえ達は自分の家に入ってきた害虫を、そのまま外に逃がすのか?」

 

「へっ?」

 

言っている意味が分からないのか、獲物は間抜けた顔をした。

 

「その害虫がたとえ害を及ぼさなかったとしても、未然に防ぐため、殺すはずだ」

 

殺すと言葉が出た時点で、獲物の顔が大きくゆがんだ。

それと同時に、獲物の頭が椛の振るった大剣で真っ二つに両断された。

 

「つまりおまえ達は、この山では害虫そのものだ」

 

屍となった獲物に、椛は冷たく語りかけた。

 

 

それからというもの、椛は残りの九人のうち八人を躊躇なく殺した。

 

後の一人である比較的若い獲物はすでに山を抜けており、深追いをしなかった。もっとも、木々を採りに来る人間たちに恐怖心を植え付ける為にはちょうど良い選択であっただろう。

このように椛は多大なる成果を残してゆき、哨戒隊の長官から仕事熱心で頼りにされ、絶賛されていた。

 

だが同時に、同僚からはより一層白い目で見られるようになった。結果こそすべてであると言った椛の考えは、冷酷極まりなかったのだ。それ以前に、妬みの象徴でもあった。

椛が配属されている第二哨戒小隊の同僚は、度々椛の陰口をたたくようになり、従って椛は徐々に孤立していった。

 

それでもなお、椛は自分の考えを貫いていった。

 

仕方のないことだといえば、そうであろう。犬走家存続のためには結果を残さなければならないのだ。辛いとは感じていたが、親の残した思いを受け継ぎ、考えを曲げなかった。

 

さて、仕事を第一と考えていた椛であったが、彼女の考えを変えるような転機が訪れたのは、外の世界で徳川幕府が終わりを告げ、明治初期ごろに幻想郷が外の世界との繋がりを博麗大結界で遮断し、約数十年後のことであった。

 

この時の晩。椛は夜勤であり、いつも通り哨戒をしていた。この時からすでに彼女は能力「千里先まで見通す程普の能力」が覚醒をし、若くして第二哨戒小隊の副隊長になっていた。

 

その能力により、青色の影――獲物が山に入ってくるのを捕捉した。

 

椛は仲間に知らせるべく遠吠えをすると、一目散にその獲物へと近づいて行った。

 

この時、椛は若干の疑問を抱えていた。ここ数百年間、獲物が夜に山に入ってくることがなかったのだ。

 

この時の人間は夜の山がいかに恐ろしいかを知っており、天狗以前に命の危険があるとして入ろうとはしなかったのである。事実、今でもその考えは人間の中で浸透している。

 

故、何故そのような莫迦けた行為をしたのか、疑問が浮かんだのだ。

 

いつものように椛は枝々を蹴りつづけ、徐々に距離を詰めてゆく。

 

そしてその獲物の前に降り立ったのは、山の麓から少し上がったところであった。

 

ちょうどそこは開けた地であり、月明かりが枝に遮断されず、満点に照らしていた。

 

「そこの者、止まれ!」

 

椛は大声で叫ぶと枝を思い切り蹴り、獲物の前に降り立った。

 

不思議な行動をしていた獲物の正体は、二人の男女であった。しかし、そこで新たな疑問を椛は持った。

 

なんと、土木関係の職人でもなければ猟人でもない、ただの町人であったのだ。武器などは当然装備しておらず、女のほうは何かを抱えていた。

 

明らかにこれは、山に来る人間とは違う。椛は思わず首を傾げた。

 

すると、男のほうが女をかばうように後ろへやると、威勢よく声を出した。

 

「山の守人よ!どうか我々を見逃していただきたい!」

 

「・・・何を言っている。ここは聖域であるぞ。害虫が来るところではない」

 

椛も負けずと、威圧した声で言う。すると、男はさらに威勢よく叫ぶ。

 

「それは重々承知の上!だが・・・情けをかけてほしい!」

 

「・・・何故だ?」

 

 にらみつけるように、椛は男女を見る。男女は顔を見合わせると、頷いて男が口を開いた。

 

「私たちは駆け落ちをして、里から逃げたのだ」

 

その言葉に椛は思わず面を食らった。

 

「か、駆け落ちだと?故ここに?」

 

「そうだ。里では妖怪と人間の恋愛は受け入れられない。だからこそ、我々はここまで逃げてきたのだ」

 

「妖怪・・・?そうか、女は妖怪だったのか」

 

よく見ると、女の方は人間ではなかった。纏う空気がどこか妖艶じみていたのだ。しかし妖怪は椛から見ると朱色に移るので、これはおかしいと思った。

 

すると女は椛の視線に感づいたのか、男の隣に並んだ。

 

「私は・・・文車妖妃なのです。彼の持つとある手紙から、付喪神となりました」

 

文車妖妃とは、手紙に込められた思いが付喪神となった妖怪である。主には人間に害がないとされる妖怪であるが、捨てられたりした手紙などから生まれる文車妖妃は、鬼となって襲うといわれている。

 

おそらくこの場合の文車妖妃は、前者であろう。この時椛は、危険度の高い妖怪は朱色ではなく、青色に移るのかと理解した。山には危険な妖怪しかいないため、今まで気が付かなかったのである。

 

「で、では・・・妖怪と人間の駆け落ちというのか?!」

 

椛は思わず声をあげて驚いた。

 

この時の幻想郷では言うまでもなく、妖怪と人間は相嫌っていた。人里では特に妖怪嫌いが多く、新たに生まれた妖怪やそもそも害のない妖怪でさえ、妖怪退治の専門家がひたすら弾圧し、名声の為に殺す事が多々あった。

 

それを耳にしている天狗たちも「我々が人間を殺すのと同じように、人間も妖怪を殺すのだろう」と考え、疑問を持たなかった。

 

故、人間と妖怪が深くかかわることなど考えられなかったのだ。これはきわめて稀なことである。

 

面を食らっている椛の追い討ちをかけるがごとく、男は再び口を開いた。

 

「それにこの子を・・・我々は守りたいのだ。だからどうか!我々を見逃してほしい!」

 

女の抱えていたものは、どうやら赤子であったようだ。今は眠っているようであり、すこやかな寝顔が見え隠れした。

 

それを知った椛は、さらに困惑した。

 

「子まで出来たというのか…?」

 

「恥ずかしながら、私たちは愛し合い子供を成したのだ」

 

「そ、そんな莫迦な話が・・・。人間と妖怪は殺しあう者同士のはずだ!それなのになぜ!」

 

「わからないのですか?我々・・・我々はこうして歩み寄れるのですよ!」

 

必死に訴える二人を見て、椛は混乱し始める。

 

このまま逃がしてもよいのではないだろうか。ふと、情がよぎった。妖怪と人間が歩み寄れる事を証明した彼らは今後の幻想郷を変える大きな可能性ではないかと考えたのだ。

 

だが、その考えを正すかのように、遠吠えにより招集された部下の白狼天狗が叫んだ。

 

「椛様!どうしたのですか!」

 

その部下は椛の横に降り立つと、帯刀している刀を抜き放った。しかし、男たちは引き下がらず、一歩前に出た。

 

一目散に逃げると思っていたのか部下は少し戸惑いの色を顔に出すと、怒鳴りつけた

 

「貴様らぁ!おとなしく里へ帰るがよい!」

 

「いや、帰るわけにはいかぬのだ!どうか我々を助けていただきたい!」

 

「このっ・・・。では仕方あるまいなっ!」

 

冷酷な声で部下は言うと、刀を振り上げて襲い掛かった。

 

「危ない!」

 

男は真っ先に飛び出し、文車妖妃をかばった。白刃は男の背中をかすめ、血飛び散る。

 

「ああっ・・・!?」

 

文車妖妃が、声を上げる。同時に、椛も心の中で叫んだ。

 

「うぐっ・・・ぐっ!」

 

苦しそうにもだえる男はそれでも立ち上がり文車妖妃の前で手を広げた。

 

「彦助様!おやめください!」

 

「構わぬ!もし私を殺すのなら・・・それでよい。だが、せめて妻と子は見逃してくれ!」

 

鋭い眼光で椛たちを見て、彦助と呼ばれた男は叫んだ。

 

これにはさすがに、部下も一歩足を引いた。今までこのような男を見るのは初めてであったからだ。

 

「も、椛様・・・!いかがいたしますか?」

 

困惑しているのか、部下は思わず椛に問う。しかしそれは椛も同じ気持ちであり、むしろ部下に問いただしたい気分であった。

 

「・・・やるしかないでしょう。里に帰る気がないのなら、やるしかないのです!」

 

椛は首を振って情を捨て去ると、掛け声と共に男に向かって大剣を振りかざした。

 

 

男は震えながらも、目には光を宿し、椛をにらみつけた。

 

「彦助さまぁ!ダメです!」

 

しかしその刹那。文車妖妃が男を突き飛ばし、代わりに彼女の頭が斜めに切断された。

 

 

文車妖妃は彦助を突き飛ばしたそのままの勢いで地面に倒れると、無残に両断された頭部から脳が飛び散った。それと同時に、抱えられていた赤子が大声で泣き始める。

 

「あっ・・・あぁぁあああ!?」

 

突き飛ばされた彦助はすぐさま振り返ると、大声で泣き叫んだ。

 

「な、何故・・・。何故妖怪が人間をかばったの!?」

 

椛は思わず素の声を上げると、大剣を手から滑り落として顔に両手をあてる。すると彦助が心底恨みの込めた恐ろしい顔で、椛をにらみつけた。

 

「き、きまぁ!許さぬ!絶対に許さぬ!うおぁああああ!」

 

男は言葉にならない叫びをあげつつ、立ち上がると懐から小刀を取り出して、椛に襲い掛かった。しかし、部下が横に入ると、いとも簡単に彦助を胴から断った。

 

 

「あっ・・・」

 

彦助は上半身と下半身がそれぞれ別の方向に倒れて、数秒びくびくと手を動かすと二度と動かなくなった。

 

屍となった彦助の顔は涙で濡れていた。

 

「・・・お怪我は?」

 

安否を確かめつつ部下は刀に付着した血を振り払い、帯刀した。

 

「ああ、大事ないです。しかし・・・」

 

そこには無残に広がる男女の肉片が転がっていた。血の匂いが鼻を突き、今まで感じなかったほど、椛は嫌な気分になった。

 

「椛様、その・・・。この赤子はどう処分しましょうか?」

 

先ほどから泣き止まない赤子の声が山森に響いている。部下はどうやら殺す気はないらしく、近くまで寄り添っていた。

 

「所詮は赤子です。放っておけば死ぬでしょうね。ですが・・・」

 

この時初めて椛は人を殺すという罪悪感が湧き出たが、それがいったい何なのか分からず、変な嫌悪感を覚えた。

 

 

 

この件の後、椛の仕事ぶりは著しく低下した。

 

もっとも、低下してと言ってもごく普通の哨戒隊員と同じくらいに落ち着いただけであり、同期や部下からは不思議がられた。だが、同時に仕事にがっつく事がなくなり落ち着いた椛に興味を示し始めていた。

 

故、度々声をかけられるようになり、いつの間にか彼女に対しての妬みは消えつつあった。

 

しかし、椛の仕事ぶりが低下したのは動機や部下との交流を求めたわけではないのは、言うまでもないだろう。あの時の男女についての疑問を消せずにいたのだ。

 

今まで妖怪と人間の在り方については一切の疑問を持たず、ひたすら与えられた任を果たしてきた。いや、与えられた任と言っても、どちらかというと過剰に頑張りすぎていたのだ。

 

つまり、これまでやってきた殺生はいわば、無益な殺生であったのではないか。そう、椛は思うようになっていた。

 

それから、あの男女の件から半年がたち、紅葉散る秋の終わりを示す頃合いの時である。

 

今日の椛は夜上がりであり、中央区のある行きつけの飲み屋で、酒を飲んでいた。

 

椛は一人で酒を飲むことが多い。これは数百年前からずっと同じであり、むしろ他人に関与されず居心地が良かった。酒場の親父も口数が少なく、娘もそれは同じであった。

 

そのためか、ここはお忍びで上級階級の白狼、鴉の天狗が度々訪れ、密かに繁盛していた。

 

椛はいつも通りも、店の端にある机で飲んでいた。上級階級の天狗たちは奥にある別室を主に使うため、店に入ってすぐの席は使わないのだ。つまり哨戒隊就任後の当時から椛はずっと通っている為、ここはいわば椛の指定席のようなものである。

 

さて、椛が酒を飲み始め、だいぶ酔いが回ってきた頃合いであった。

 

珍しく、この店に一人の客が入ってきた。その客を、椛は見たことがあった。

 

「ここにいたのですか。椛殿」

 

それは自分の上司である第二哨戒隊の隊長を務める、柳坂狼吉であった。

 

現在の彼は穏健派幹部の一人となっており、哨戒隊を引退している。自分の息子である柳坂狼助が第二哨戒小隊に所属した際に、まるで息子にバトンを手渡すかの如く、現役から去ったのである。その時に、椛は隊長の座を譲られたのだ。

 

椛は入ってきた狼吉をもの珍しそうに見ると、立ち上がり頭を下げた。

 

「ああ、どうかお気になさらずに。自分も今日は夜上がり。固くなるのは仕事の時のみにしましょう」

 

そういうと狼吉は、親父に酒を頼むと椛の正面に座った。

 

「椛殿。最近丸くなったようですね」

 

「えっ…。あっ、申し訳ありません。腑抜けているようで、恥ずかしい限りです」

 

申し訳なさそうに椛は言うと、狼吉は苦笑いをした。

 

「べつに攻めているわけではありませんよ。むしろ良くなったと思います」

 

「それはいったい?」

 

「最近、椛殿は極力人を殺さなくなりましたね。それに致し方ないと判断した下衆人は、部下に任せているようで?」

 

実はあの男女の件からというもの、椛は人を殺さなくなっていた。むしろ、人を避けるようになり、脅しばかりで済ましていたのだ。致し方ないと判断された下衆人は部下が殺すようになり、椛の独断場ではなくなった。つまり手柄が行き滞るようになったの

である。

 

「あなたの能力は、殺しのために発達した能力。ですがそれをあえて脅しに使う。自分はそれが大変良いことに転んだと思っていますよ」

 

「ですがっ・・・、我々妖怪の在り方では・・・」

 

殺しを行わなくなった椛はその妖怪の在り方について、深く迷っていた。自分のやっていることは間違いではないだろうか。そう不安が押し寄せてきたのである。

 

「自分たちは妖怪。ですが、それを細かく分けると白狼天狗という種類です。つまり、種族によって妖怪は変わることができます」

 

狼吉は運ばれてきた酒に手を付けると、再びゆっくりとつぶやいた。

 

「白狼天狗は元来。山との共存をしてきました。故、新たに山と共存を試みようとする人間に、教える義務があるのです」

 

「それはごもっともですね」

 

同意する意思を示し椛は頷いた。狼吉はそれを見て苦笑いをすると、話をつなげる。

 

「・・・ずっと自分は、あなたを見てきました。就任してからずっとですね。当時のあなたは何かにあせっていたようで、本来の白狼天狗の在り方をわからずにいた。ですが自分は、あなたがいつか気づく日が来ると思い強く言わなかった。まあ正直、あなたは

 

長官からの信頼を得てしまって意見を聞くことなど考えられませんでしたが」

 

首をかしげている椛が面白いのか、狼吉はすこし笑うと表情を改め厳しい顔つきになると、言葉をつづけた。

 

「厳しいことを言うかもしれませんが、あなたは手柄にこだわり続け、いくつもの命を奪っていった。それは、我々が殺すべき存在の人間。下衆人と変わらないのですよ」

 

それを聞いた椛は、思わず机を叩き、身を乗り出した。

 

「なっ・・・!?私は下衆人なんかではありません!白狼天狗としての義務を果たしてきただけです!」

 

「その義務は、誤りだったという事です。先ほど言った通り、我々は人間に教える義務がある。それは殺しとは程遠い物です」

 

「なんですって…?」

 

「おそらく、尖刃館で教えてはいないのでしょう。ですが、我々白狼天狗は、あくまで人間との共存を示さなければならない。それは山の意思でもあり、石長姫様の意思でもあります。それに人間たちは、我々の示し方を理解して指定された木々を切っていたことを知っていましたか?」

 

「えっ…?」

 

「彼らは無闇に切っていたわけではなく、基本的に切るに値する木々を切っていたのですよ?」

 

それは初耳であった。椛はふと何が走る。

 

故にこれまで椛がやったことは、山そのものを荒れさせるために動いていたのと変わりなく、過剰に木々を切り自分の利益のみを欲し、森林の循環を阻害する下衆人たちと変わらない。そう、狼吉は言いたいのだろう。

 

山と天狗のことを第一に考えてきた椛にとってこの言葉は、あまりにも強烈であった。

 

つまり自分は、必要のない殺戮をしてきたのだ。それはある意味下衆人と言われても間違いはない。

 

衝撃の事実を知った椛はこれまで行ってきた殺戮に、多大なる罪悪感を覚えた。最も嫌ってきた下衆人たちと変わらず、加えて心の奥底では見本となる白狼天狗であると思っていた自分に、激しい嫌悪感が押し寄せてきた。一気に酔いもさめ、顔は青白くなり、手足が震えだす。

 

「・・・無益の殺戮を行うのは、嫌人派の連中のみで良いです。あなたはいずれ、白狼天狗の星となる。ですから今は、ゆっくり休むと良いでしょう。それまでの間は自分の罪を認め、ひたすら我々白狼天狗の在り方について考えるべきだと思います」

 

そう言い残し、狼吉は懐から金を取り出して机の上に置くと、居酒屋を後にした。

 

こうして椛は自分の過ちに気づき、長期休暇をとった。そして家の中でひたすらに引きこもり、自分の罪をかみしめた。それがいわば心の傷となり、心的外傷――トラウマとなってしまったのだ。

 

しかしその後も椛は立ち直ろうと、数々の白狼天狗についての史料を読んで過ちをただし、哨戒隊に復帰したのはそれから数十年後のことであった。

 


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