白狼の舞   作:大空飛男

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※戦闘シーンはありません


番外編
贈物・上


じりじりと太陽が照りつけ、大地は熱気を孕んでいる。

季節は夏。今年一番と思われるほどの暑さが幻想郷を覆い、里の住人たちは苦しんでいた。

それは妖怪の山でも同じであり、天狗達の村である「権現村」も例外ではなかった。

任を請け負っている天狗たち以外は殆ど家から出ず、天来寺へとまっすぐ繋がる中央街ですら、人影は少なかった。

しかし、そんな中を歩む、二つの影があった。

一人は人間を辞め半人半霊となり、天狗を名乗ることを許された男、松木聡士郎。もう一人はガタイが良く、顔に多々傷がある白狼天狗、竹峰春吉であった。彼らの所属する村廻り衛兵隊。通称衛兵隊村廻方による任を受け、この中央通りを名の通り、見廻っていた。

とは言うもの、春吉は任よりも懸命に暑さと戦っていた。彼は厳つい顔を更に歪めており、これでは治安を守る側どころか、治安を乱すゴロツキの様に見えるだろう。

対して聡士郎は、割と涼しい顔をしていた。

先にも記述した通り、聡士郎は半分が霊体である。故に、生きている者より体が気温に左右されないのだ。もっとも温度そのものは感じる為、何処にいても適温というわけではないのだが、それでも並みの人間よりは温度に鈍かった。

「くそっー! 今頃長官や夜間見廻りの待機者は冷たい麦茶でも飲んでるんだろうなっ!」

春吉は天へと叫ぶごとく、大空へと悪態を付いた。

「我慢せんか、春吉。私等はまだ救われている方であろう。住宅通りの見廻りを任されている楼閣や杉原殿に比べれば、天国ではないか」

権現村の村廻りは聡士郎達が行っている中央通り付近を始め、住宅通り付近、天来寺付近へそれぞれ二人が振り分けられる。そこで一ヶ月間見廻りを行うと、それぞれ別の場所へと再び振り分けられるのだ。

そして、三ヶ所の中でもっとも退屈な見廻り場が、聡士郎が名を挙げた八木楼閣と杉原鋼牙が見廻りを行っている住宅通りであった。理由としては、茶店などの休憩所が一つもなく、名の通りただ家が連なっているだけだからである。春吉や聡士郎の様に知り合いや家族がいるならまだしも、どことも繋がりのないごく一般的な村廻衛兵であれば、退屈極まりないのである。

さらに、住宅通りは多くの家が立ち並ぶため木々が少ない。つまりは木陰が少ない故、夏場は地獄の様な場所であろう。

「まあそうだけどよ・・・暑いのには変わりねぇんだ!」

春吉はまるで子供のように大声を出し、返事を返す。

「そんな事、お主に言われなくともわかっておるわい。ほれ、もう少しで双葉庵に着くのだ。それまではもっと気を引き締めんかっ!」

聡士郎は前屈みに歩いている春吉の背中をバンバンと叩くと、叱咤した。それに対し春吉は一時的に姿勢を正すが、歩くごとにみるみる顔を落とし、元の前屈みに戻っていく。

「まったく・・・ほれ、あと少しだ!」

呆れたように聡士郎は呟くと、再度春吉の背中を叩いたのだった。

 

✳︎

 

さて、それから二人はしばらく歩くと、馴染みの店である双葉庵へと到着した。

何時もは繁盛している双葉庵であったが、今日は暑さに準じたのか、何時に無く客数は少ない。故に退屈だったのか、双葉庵の看板娘である双葉土筆は店の座席で座り、暇そうな顔をしていた。

「おう。客が来たぞ、おサボり娘」

暖簾をくぐった春吉が、ぼけっとしている土筆へと声を掛けた。すると土筆は春吉に目を向け、嫌そうな顔をする。

「うわ・・・汗臭い奴が来た」

「なんだとてめぇ!」

悪口を言われて怒りを吐いた春吉には目をくれず、土筆は後から入ってきた聡士郎へ愛嬌ある笑顔を向ける。

「あ、いらっしゃいませ聡士郎様! 暑い中、よくお越しくださいました!」

「ああ・・・しかし何時も言っているが、聡士郎で構わんのだがな。そう言われると・・・こう、背中が痒くなるのだ」

「いやーそれはできまんよ。犬走家に婿入りしたんですからね! 敬意を示すのは当たり前だって、あたい何時も言ってるじゃないですか!」

土筆の言う通り、聡士郎は「松木」の性を改め、「犬走」の性となっていた。

昨年の夏、聡士郎は犬走家へと正式に婿入りすることで、椛と夫婦になったのだ。

何故婿となる必要かあったのか。それは、犬走家そのものは名家と言えども大きくはなかったのだが椛が舞姫となり、その名声が言わずと上がってしまった為である。故に犬走家は舞姫となった由緒ある家系となり、その名を椛は捨てる事が出来なくなったのだ。つまり、夫婦となる為にはどうしても、聡士郎を婿として招き入れなければならなかった。

自分の師から与えられた名を捨てる事となった聡士郎であったが、彼はこの事を難なく受け入れた。むしろ、それで済むのであれば、喜んで引き受けると言ったのである。

しかし、師から与えられた名をそうやすやすと捨てた訳ではないのは、容易に想像がつくだろう。つまり、聡士郎は師よりも椛と一緒になる事を優先したのである。

こうして二人は近所の住人や親しい友を家へと集め、祝言を挙げたのだった。双方が所属する隊の長官から祝詞を吟じられ、村に伝わる民謡を歌い、刀の鯉口を新郎新婦が切り、誓いの言葉を重ね合うと、再び刀を鞘に戻し、鍔打を立てた。

因みに、この祝言は現代人が思い描くだろう「結婚式」の様な大それたものではなく、ましてや式場で行うものではなかった。そもそも権現村では式場で行うと言う概念は存在せず、主に自宅で鍔打を立て、それを見た近隣住民や知人の同意があればこそ、初めて夫婦と決まるのである。この形式は過去の日本で一般的に行われた祝言と若干違うが、基本的には同じ形式であった。

「あ、何時もの座席で良いですか?お冷取ってきますので!」

そう言うと土筆は、元気よく台所へと入っていった。

二人はいつも使っている座席へどしりと座ると、聡士郎は帯刀していた追風と衣川を外し、春吉は手槍を隣の椅子へと立てかけた。

「ちっ・・・聡士郎にはいい顔しやがって。たまには愛想よくしてくれってんだ」

左手で頬杖をつき、先ほどの聡士郎と土筆のやり取りを思い出しながら、春吉は悪態をつく。

それを見て、聡士郎は笑いをこぼした。

「ははっ、お主達は本当に仲が良いな。いつか夫婦となる日は近いのかもしれん」

「おいおい、ばっか言うんじゃねぇよ。誰があんなじゃじゃ馬を妻に取るってんだ」

くだらないと吐き捨てるように、春吉は呆れた笑いを浮かべた。対して聡士郎は苦笑いを作ると、懐から紙巻煙草を取り出した。

「しかしまあ、ワシはお似合いだと思うがな。元気な子が生まれそうではないか」

「どうせ小生意気なガキが生まれるんだろうよ。それか、親父似の頑固者じゃねぇの?」

「ふふっ、それは自分の事を言っているのか?」

春吉は自分の口走った事が自らにも当てはまる事に気づくと、聡士郎から視線をそらし「けっ」とつぶやいた。

この動作は、春吉の照れ隠しである。もっとも本人は気がついていないようではあるのだが、聡士郎は春吉と同じくして任を行う事が多い為、気づいていた。

「何の話をしているんだい?」

春吉が視線を逸らした先に、丁度土筆が御盆にお冷を入れて、台所から出てきた。彼女はそのまま聡士郎達の席まで歩み、ゆっくりと二人の前へお冷を置く。

「あ、そういや聡士郎」

土筆が二人にお冷を置いた直後、春吉はふと何かを思い立ったのか、視線を戻した。

「なんだ」

煙草に火をつけて煙を肺に入れると、聡士郎はその煙を吐きながら、春吉へ目をやった。

「もうすぐお前達、一周年を迎えるんじゃねぇのか?」

「ん。ああ、そうなるな。だからどうした?」

「いやよ、何か贈るのか?」

春吉の言葉に、聡士郎は一時動きを止めた。そして少々危機感を覚えた顔で、煙草を灰皿へと押し付ける。

「な・・・贈るものなのか?普通?」

「あったりめぇだ! 何いってんだよ! 普通は贈るもんだ。クソつまらねぇ俺と一緒になってありがとうだとか、気を利かせて贈るもんなんだよ!」

「そうですよ! 椛様だって、きっとお待ちになっている筈です。あたい達女は贈物が大好きですから!」

大声で春吉と土筆に指摘され、聡士郎は「なるほど」と納得するように頷いた。春吉はそれを見るとどしりと椅子にもたれかかれ、腕を組む。

「そもそもよぉ。おめぇら新婚夫婦だってのに、全くもってこう・・・それが感じられねぇんだよな。正直なところ、冷めてる様にしか見えねぇ。本当に慕いあってんのか?」

呆れたように言う春吉に対し、聡士郎は顔をしかめる。

「当たり前だろう。なにもべたべたし合うのが慕いあっているとは言わんぞ」

「ま、そうなんだけどよ。普通新婚夫婦ってのは体を絡め合ったりして、愛を確かめ合うもんなんだぜ? お前らはそれが無いと言うか・・・お互い理解しあってるのはわかるんだが、まるで爺さん婆さんみてぇっつうのか・・・」

「それで良いではないか。ワシらはお互い支え合い、立て合う事を誓った。故にお主が思い描いているような愛とは違うのだ」

「うーん。いやそれでもよ、つまらなくねぇか? だっておめぇ、子もまだじゃねぇか」

呆れている表情を崩さずに言った春吉であったが、言うと同時に「あっ」と理解したように顔を歪めた。

「いや、すまねぇ。その身じゃ難しいか」

「気持ち悪いな、気にするでない。椛はそれでも尚、ワシを受け入れた。故にそれだけでも、ワシの想いは満たされておるのだ」

聡士郎が呟いてからしばし無言が続いたが、唐突に聡士郎が苦笑いを作った。

「まあ、実を言うとな。もしワシが人の身であったとしても、子は出来なかったかもしれぬ」

「え? どうしてですか?」

近くの椅子を引いて土筆は座ると、不思議そうに問いかけた。

「なんでだよ。まさか種族間の違いとか言うんじゃねぇだろうな」

春吉も解せないのか、首を傾げて言う。聡士郎はそんな二人を見て苦い顔を崩さず、二本目の煙草に火を付けた。

「うーむ。土筆がいる故にあえて伏せた言葉を使うが・・・一つ無いのだ」

「は? なにが一つねぇんだ?」

腕を組み直し、春吉は顔をしかめる。土筆も意味がわからないのか、首をかしげた。

「いやだからな、春吉。一つだ。普通ワシらは、二つ持ち合わせておるはずだろう?」

何が言いたいのかわからないのか春吉はしかめた顔を崩さず、明後日の方向を向いて考える仕草を取った。そして直ぐに、青ざめた表情となった。

「え、おめぇそれマジなのか?」

春吉は股をもじもじと動かしながら、引きつった笑いをする。

「うむ。マジもなにも、大マジだ。ワシが若き頃、先代の巫女と・・・」

「ちょ・・・おめぇふざけんな! なにをそんな痛々しいこと唐突に暴露しやがるんだ! おめぇやっぱり頭おかしいよな! なあ!」

「ちょっと春吉うるさい! で、何が無いんですか? 勿体振らず教えてくださいよぉ〜」

幸いにも土筆はまだまだ理解していないのか、聡士郎と春吉をきょろきょろ見て、答えを求める。もっとも、言えるはずもないのだが。

「おめぇは知らなくていいんだよ! てか知るな! おい、親父! あんたも土筆に吹き込むんじゃねぇぞ!」

「ちょっと親父は関係ないじゃない! って、親父もどうしたんだい! なんでそんな顔してるの!?」

どうやら厨房にいる土筆の親父にも聞こえていたのか、何時もの無愛想面を若干歪めて、青ざめている。無理もないだろう。男であれば、誰もがそうなるはずである。

それから暫く春吉と土筆の喚き合いが続いたが、熱りがさめると春吉は椅子に座りなおし、一つ息をついた。

「ふぅ・・・まあともかく、何か渡してやれ。おめぇら夫婦が特殊なのはわかるが、普通は贈るもんだ」

「むう・・・そうか。何か探してみるかな」

聡士郎はそう言うと立ち上がり「そろそろ再行くか」と、刀を腰に帯刀し始める。

椅子に立てかけてる手槍を手に取と、春吉も「そうだな」と、銀子を机の上に置き、立ち上がった。

 

✳︎

 

既に日が落ちて、権現村に夜が来た。

今日昼時の熱さ故なのか、いつも以上に中央通りは賑わいを見せていた。おそらく休暇であった天狗達は家から出ずに、暇を持て余していたのだろう。

さて、そんな賑わいを見せている中央通りを横切り住宅通りへと向い、聡士郎は自宅へと帰った。

「ただいま戻った」

玄関を開けてながら聡士郎が言うと、奥から割烹着姿の椛が小走りで出迎えた。

「お帰りなさいませ。お務めご苦労様です」

「お、椛の方が早かったか」

「はい。買い物に出向いてたので私の方が後かと思っていましたが・・・」

予想外でしたと椛は言うと、刀を外した聡士郎からそれを受け取る。そして玄関を上がり自室へ向かう聡士郎へと着いていった。

部屋に入ると椛は聡士郎の着替えを手伝う為、着流しを箪笥から出した。次に聡士郎が脱いだ衛兵隊用羽織を手に取り、それを綺麗に畳む。

「今日は少々遅かったですね。どうされたのですか?」

「うむ。奉行所へ戻った後、楼閣と杉原殿に愚痴を漏らされていてな。それを聞いていたら、何時の間にか時が過ぎた」

「ああ、あの二人は住宅通り見廻りでしたね。今日は暑かったので、その為です?」

「そういうことだ。彼奴ら、変わってほしいなどと抜かしおってな。お務め故、我慢しなければならんとは思わんか?」

椛は聡士郎に着流しを手渡すと、少し首をかしげて考え込む仕草をした。

「うーん。その通りだと思いますけど、やはり同情してしまいますよね。私達哨戒隊は木陰を使って哨戒をして良いと許可を出しましたが、衛兵隊はそんな融通、効かないですし・・・」

哨戒隊の指揮系統は、それぞれの哨戒隊長が持っている。村を離れての任であり現場の判断を優先する為、長官の指示がなくとも臨機応変に動き、状況に応じて対応しなければならないのだ。故に今回椛が行った指示も、特に問題は無かった。

対して衛兵隊は長官の指示が絶対であり、それに従わなければならなかった。村内である為にそれは仕方のないとはいえ、やはり融通がきかないことも多く、士気が高いとは言え、こうした隊員達の小さな愚痴も少なくはなかった。

もっとも、事件に応じて現場の判断を優先することもあり、取り分け融通が効かない訳ではない。ちゃんとした理由が存在し、筋が通っていれば、現場の判断による身勝手な行動も、許される。つまり今回の文句は自己による気持ちの問題である為、桔に交渉ししても有無言わず承認されるわけがなく、故に楼閣たちは愚痴をこぼすほかなかったのである。

「ところで今日はどうしますか?既に夕食も出来ていますし、お風呂も一番風呂ですよ」

「うーむ、そうだな。メシを先に頂くことにしよう。腹の虫が騒いでしょうがないからな」

腹を摩りながら聡士郎は呟くと、それを見た椛はころころと笑った。

「ふふっ、わかりました。では温め直しますのでその間、居間でくつろいでいてください」

椛はそう言うと、ぱたぱたと台所へと向かっていった。

それに続くように聡士郎も居間へ向かうと、縁側で煙草盆を置き、煙管に葉を詰める。

煙管に火をつけ暫く煙を楽しんでいると、それに勝るほどの良い香りが漂ってきた。

「お待たせしました」

椛の声に聡士郎は振り返ると、長机には食事が広がっていた。鰻の蒲焼に茄子の梅しそ和え、白米は艶やかに立っており、汁物は鰻の内臓を吸い物であった。

「おお! これは旨そうだ」

思わずよだれが出そうになる聡士郎はそれをぐっと堪え、煙管をカツリと煙草盆に叩きつけ灰を落とす。そして懐へ煙管を仕舞うと、一目散に食前の前へ向かった。

「この鰻と茄子はどうしたのだ?」

まるで子供のように眼を輝かせて言う聡士郎に、椛は得意げな表情をして、説明を始めた。

「茄子はにとりさんから頂いたものです。任の帰宅途中にとりさんの家へと寄りまして、その時に頂きました。あとその鰻は、中央通りの店で買ったものです。夏ですし、性をつけなければならないでしょう? ですから、少々奮発しました」

「なるほど。ああ、ではいただきます」

冷めてはせっかくの料理が不味くなると言わんばかりに、聡士郎は早速料理に箸をつけた。鰻の身を箸で切りそれをぱくりと口に入れると、脂の乗った鰻が口の中で蕩けて広がり、それが甘辛のタレと絡むことで、何とも言えない旨さになる。

「美味い!」

空腹は最高の調味料と言うが、聡士郎は思わず声をあげると箸に勢いが乗り、あっという間に白米と鰻を平らげた。

「ふふ、良かったです。茄子の方は如何でしょうか?」

「では、こちらもいただくとするかな」

この茄子の和え物は、椛の手作りであった。白狼の舞の際に知り合った天来寺専属板前である西山惟草から、稀に料理を教わるようになり、作れる料理が増えたのだ。

理由は言うまでまでもなく聡士郎の為であるが、椛の友人である河城にとりから「料理のできない女性は嫌われるよ」と冗談を言われ、それを本気にしてしまい危機感を覚えたのが動機である。それから惟草に頼み込み、努力に励んでいた。

「これもまた絶品! 良い塩梅とはまさにこれだな!」

結果的に今ではこうして聡士郎の笑顔を見ることができ、椛はその度に努力が報われたと実感していた。そして同時に、今度はどんな料理を作ってあげようかと、再び努力に励む意欲も湧き上がってくるのだ。

「ふう。ご馳走様でした」

それから聡士郎は気持ちの良い食べっぷりを見せると箸を置き、手を合わせた。

「はい。お粗末様でした」

椛は微笑みながら言うと盆に食器を乗せて、流台へと向かっていく。

「なあ、椛よ」

「はい? 何でしょうか?」

唐突に声をかけられて、椛は流台から振り返った。その透き通った瞳に若干聡士郎は若干照れた様な表情をすると、頬を掻く。

「いやな・・・その・・・。何か欲しいものは無いかと気になってな」

「えぇ? いきなりどうしたんですか? 」

困ったように椛は微笑み返すと、食器を洗いながら考え始める。

「そうですねぇ・・・最近包丁の切れ味が悪くなってきたけど・・・ああ、でもそれは研ぎ師に頼めば良いですし・・・」

「いや、別に家庭用品ではなくても良いぞ。なにかこう・・・個人的に欲しいものだ」

「個人的・・・にですか?」

食器を拭きながら椛は理解するように頷くと、「うーん」呟きながら再び考え始める。

それからしばらく経つと、椛は「特に無いですかね」と申し訳なさそうに答えたのだった。

 

✳︎

 

さて、日を跨いで翌日の朝が来た。

いつも通りの時間に聡士郎と椛は目をさますと、日課である走り込みを行い、木剣での打ち合いを行った。眠った体を起こすにはちょうど良い運動量である為に、非番であれど毎日欠かさずこの鍛錬を行っている。

最近は苦手な朝を克服すべく、義弟である楓も参加するようになっていた。以前の楓は朝起きるのも辛そうであったが、今ではすっきりと目がさめるようになり、同時に聡士郎と剣を交えることで、少なからず腕も上達していっていた。楓も遂に道場の卒業過程を受けているため、志を持つようになったのだろう。

三人は鍛錬を終えて朝食を取ると一緒に家を発ち、それぞれの場所へと向かっていく。聡士郎は中央通りを跨ぎ、奉行所へと足を運んだ。

「おう。今日も暑くなりそうだな」

奉行所の中へ入ると聡士郎は衛兵達が集まる壱ノ間へと向かい、軽く挨拶を交わした。既に数人の衛兵が中におり、皆それぞれ挨拶を交わす。

「あ、聡士郎さん。おはようございます!」

その中でも一際大きく声を出し、八木楼閣は頭を下げた。楼閣は衛兵達との話を切り上げると立ち上がり、聡士郎の前へと向かう。

「昨日は申し訳ございませんでした。わざわざ愚痴を聞いていただいて」

「いやなに、気にする事はない。辛い任務故、気持ちもわかるのだ。だが昨日も言うた様に、任には励めよ」

聡士郎は楼閣の肩を叩くと、部屋の端へと座る。楼閣はどうやら迷惑ではなかったのかと気になっていたのか、ほっと胸をなで下ろしていた。

「ところで春吉はまだ来ておらんのか?」

何時もならそろそろ春吉が顔を出している頃なのだが、今日は珍しく姿が見えなかった。すると、部屋の片隅で本を読んでいた鋼牙が言葉を返した。

「彼奴は昨日。浅芽殿と飲み歩いていたぞ」

「ああ、なるほど。彼奴は酒癖が悪いからな、浅芽殿も大変であっただろう」

「だろうな。私と楼閣も犬走殿に愚痴を漏らした後、飲みに行ったのだが・・・浅芽達を見かけた際には、既に春吉は出来上がっていた」

鋼牙の説明に聡士郎は何となく情景を想像すると、苦笑いをした。

「しかし春吉さんに何か用だったんですか?」

何時もなら春吉が来たか来ないかを気にするような聡士郎ではない為、不思議だったのか楼閣は問う。その問いに聡士郎は腕を組み教えるかどうかを唸ったが、口を開いた。

「いやな、ワシと椛が夫婦となり早一年。感謝の意を込め、贈物をしようと思っておるのだ」

「おお!それは良いですな!何を渡すんです?」

意外にも楼閣の絶賛に加え、鋼牙も頷きながら賛同をする。

「これは確かに良い案。もし私にもお力添えできることがあれば、言ってくだされ」

良心的な対応をした二人を、聡士郎は見直した。てっきり茶化されるかと思っていたからである。

「いやまあワシが思い立った訳ではないのだが、言われてみればなるほどと納得してな。ともかくこの点に関してあまり声を出さんでくれ。こう・・・恥ずかしいからな」

聡士郎は小さな声で言うと、鋼牙と楼閣は承諾の意思表示をすべく、こくこくと頷く。

「あ、なるほど。春吉さんの入れ知恵ですか。それで探していたと」

「その通りだ。どうもワシはこう言う事に疎くてな・・・」

「はて・・・?犬走殿は人との恋はしなかったのですかな?」

不思議そうに鋼牙が問うと、聡士郎は顔を歪ませて、苦笑いを作った。

「十手持ち時代。ワシは全くもって女子に人気が無かった・・・。いや、まあ御勤め故に嫁を取らなかったのだが、虚勢を張っている様にしか取られなくてな。妖怪とデキているなどと馬鹿けた噂もたった程だ」

「いやぁ、でも今は誠になっているじゃないですか」

「むう・・・まあそうではあるが」

ニヤニヤと口元を歪ませて言う楼閣の意見に、聡士郎は頷く。

「あっ、ところで犬走殿。椛様の贈物は何を渡すおつもりで?」

唐突に思いついたのか、鋼牙は聡士郎に問う。すると聡士郎は首をかしげ、難しい顔をした。

「いや実を言うとな・・・。まだ決まっておらんのだ」

「え! 決まってないんですか!?」

声を張り上げて驚いた楼閣に、鋼牙は軽く横っ腹をど突いた。

「これ! 声が大きい! ・・・では椛様が欲しい物を贈るのはどうでしょうか?」

「それが昨日、何となく問うてみたのだ。しかし、『何も欲しいものは無い』と言うてな。困り果てておるのだ」

「あれ? そこまで聞いたのなら春吉さんに聞く意味ないじゃないですか?」

楼閣の指摘に、聡士郎は「まあそうだな」と返答を返す。

「ではお主達に問うが。椛が贈られて喜びそうな物、何がある?」

その問いに楼閣と鋼牙は暫し考え込んだが、鋼牙は申し訳無さそうに首を振った。

「正直な話。私は椛様とあまり関わりを持っていない故、あの方が喜びそうな物はとんと思いつきません」

「女ですから花とか甘味が無難でしょうか? 不快にはならないでしょうし」

「八木郎。犬走殿は椛様が心底喜ぶものを送りたいのだ。故にそれではつまらんだろう?」

「なるほど、でしたらやはり、聡士郎さんが一番知っているんじゃないですか?夫婦なんですし」

二人の話が止まらずにいると、なんだなんだと他の衛兵たちも集まってきた。どうやら二人の言い合いが目立ったらしく、気になったらしい。

「お主らはなんだかんだで隠す気がないのか・・・。まあ良いか」

結果的に他の衛兵たちに知られ、聡士郎は呆れながら言う。すると、それと同時に一人の男が入ってきた。

「御前達。朝から元気だな」

「お、長官!」

楼閣の言葉で皆は気が付いたのか、一斉に桔へと頭を下げる。

「うむ。で、なんの話をしておったのだ?」

桔は一つ頷くと、皆に問う。聡士郎はもう隠す意味は無いかと一つ息を吐き、桔へ事情を話した。

「ふむ、なるほど。椛が好きなものか」

そう呟くと桔は壱ノ間の上座に座り、考え込む。

「あ、彼奴は確か将棋の強者だったな。好きなものってったら、これくらいしか思いつかん」

「そうでしたね! 天狗の中で右に出るものはいないって言われてますし!」

大声を張り上げて楼閣が同意すると、他の衛兵たちもそういえばと騒ついた。

椛が持つ将棋に対しての情熱は、その道ではかなり有名である。過去による休暇の際にたまたま始めたのがきっかけであったが、戦略の深さと先の読み合いに面白みを感じ、武と同様に将棋にも打ち込むようになったのだ。それからは心の傷も癒え、椛は休暇から復帰すると同僚や友人、さらには名家の主人と幾たびも指し、今では大天狗にも認められるほどにまで強く成長した。加えて最近では腕に覚えのある天狗以外の妖怪にまで対戦を申し込まれるようになり、その度に幻想郷での将棋界で名を知らしめるようになっていた。

もちろん、聡士郎もその事に関して知らない訳が無かった。聡士郎も十手持ち達と度々将棋を指しておりそこそこ腕が立つのだが、所詮は人間。いざ椛と指したところ、まるで月とスッポン並みの実力の違いにより、大敗を喫していた。

聡士郎はあまりにもぼこぼこであった為にすっかりと将棋の事を忘れており、なるほどと思い返す様に呟く。すると、桔は大きく笑いを上げた。。

「はっはは! まあその線で行くのもいいと思うが、椛はどんなものでも贈られれば喜ぶと思うがな。贈物ってのは物が重要な訳じゃねぇ。感謝や敬愛。つまりは気持ちを贈るもんなんだ。だからおめぇが椛のことを想って贈るのなら、椛も嫌な筈はねぇと思うぞ」

そう言うと桔話を切り上げる為に、ぱんぱんと手を叩く。

「おし、そろそろ時間だ。おめぇら勤めに励むめよ」

桔の号令により衛兵達は声を上げると、ぞろぞろと壱ノ間から出て行く。聡士郎もそれに続いて部屋から出ようとすると、桔が声をかけ、近寄ってきた。

「待て待て、聡士郎。おめぇは今日非番だ」

「はて? 恐れながら、今日ではなかった筈ですが」

真面目な表情で言う聡士郎に桔は苦笑いを作ると、後頭部を掻いた。

「春吉は珍しく食い物に当たったらしくてな。こればかりはどうも天狗も人間も関係無くつれぇもんだ。だから代役を立て、休ませた。だからおめぇも今日は休みだ」

「いや、しかしながら・・・」

「まあまあ、偶には羽を伸ばせってんだ。此処のところおめぇと春吉はずっと働き詰めだしよ、気にすんじゃねぇ」

そう言うと桔は聡士郎の肩を叩き、縁側を歩いて行ったのだった。

 




どうも、お久しぶりです。飛男です。
最初にお詫びしたいのは、完結作品と申し上げていたにもかかわらず、番外編を投稿してしまいました。完璧詐欺まがいである為、本当に申し訳ございませんでした。ですが様々な不幸が重なり合い、自分の身を癒すために如何しても書きたかったんです。番外編。
さて、今回の番外編は、一切の戦闘シーンはありません。完璧ほのぼのとした感じで書いていきます。また、短編でありますので、次でこの贈物の話は終わります。終わる予定です()。

では今回はこの辺りで。また次回にお会いしましょう!

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