白狼の舞   作:大空飛男

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動きだす黒雲
侵入者


数か月が経った。

 

季節は冬。年越しも終わり、幻想郷は白く雪で覆われてい た。

 

それは勿論、妖怪の山もである。ほんのり赤と黄色を散りばめた山は既に色あせており、一面は白い雪化粧で染められていた。

 

「いい加減嫌になるなぁ…辺り一面が白いと流石に景色も飽きてきちゃう」

 

哨戒部隊所属の白狼天狗、犬童杏は物見やぐらでため息を着いた。髪は癖毛が入っており髪先がくるりと巻かれ、彼女も何処か幼さを感じさせる顔立ちをしていた。

それもそうである。彼女は椛より年下であるからだ。

 

彼女がここにいる理由。それは椛が舞姫候補に選ばれたので、彼女が小隊長を務める第二哨戒隊の副隊長である犬童杏が椛の後任を引き継ぐことになったのだ。椛は哨戒任務ではかなり優秀であったので、その穴埋めをするのにほかの哨戒小隊では役不足であり、椛の持つ能力「千里先を見渡す程度の能力」と似た力を発揮する「広範囲の音を聞き取る程度の能力」持った彼女が選ばれたのだった。

 

白狼天狗の中でも、特殊な能力を持つ者はそう多くない。彼等は平均的に嗅覚、聴覚、と言った感覚が優れているので持つ必要が無いのだ。強いて言うなら攻撃的な能力を持つ者が大半である。もっとも、能力は自己申告制である為、本当にその能力を持っているのか疑問である者が多いが、それは深く追求するものではないだろう。

因みに椛の持つ「千里先を見渡す程度の能力」や杏の持つ「広範囲の音を聞き取る程度の能力」などの空間把握能力は、白狼天狗達にとっては大変珍しかった。このような特殊能力を覚醒はした白狼天狗は将来有望とされ、主に隊長や副隊長に任命されるのだ。

 

「あっ・・・煙が出てる・・・」

 

杏は遠くに見える人里を見て、ぽつりと呟いた。

 

この時期になると、人里はかなり雪が積もる為に大変にぎわうことになる。深く積もると男たちは総動員され雪かきを行い、女はその男たちに暖を取らせるため、台所で甘酒や握り飯などを作り配布すると言う。これは人里で古くから行われている風習で、民俗行事の一環であるのだ。そして今まさに、その真っ最中であった。

 

「お腹が減ったなぁ…」

 

愚痴を洩らしながら杏は耳を澄ませた。

冬の山風は冷たいが、緩やかに吹く音が心地よいリズムを奏でており、小さく小川の音も聞こえる。そのハーモニーは正に子守唄のようであった。

 

「あう・・・眠たいなぁ」

 

杏は大きく体を伸ばし大きな欠伸をすると、ため息を着いた。こののどかな雰囲気を見ていると自然と眠たくなってきてしまうのは、無理も無い事なのだろう。

 

しかし突如、後方から生物の心拍音が聞こえた。

 

「えっ?」

 

後方を振り返ると、杏は思わず言葉が出てしまった。そこには白と黒の塗装がされた服を着た、白狼天狗が短刀を持って立っていたのだ。

 

「ひっ・・・!?」

 

杏が悲鳴を上げる前に、白黒の装束を着た白狼天狗は彼女を背中から突き倒した。

 

「い、いやだっ!こ、殺さないで!」

 

杏の目元から涙がこぼれて、矢倉の床を濡らす。恐怖心の余りか荒い呼吸をして、じたばたと暴れた。しかし、思い切り押さえつけられると、彼女の耳元で黒装束の男は呟く。

 

「安心しろ。ころしたりはせぬ。眠って貰うだけだ。だが・・・」

 

そう、ぼそりと男は言うと、短刀の持った手を後ろに回し、彼女の両足の腱を軽く切断した。

 

「う、うわぁああ・・・ふひぃ・・・ひぃい・・・」

 

「これでしばらくは貴様の村まではたどり着けぬだろう」

 

男は短刀を大きく振り上げると、杏の背中を思いきり柄で殴りつけた。

急激な衝撃が体に伝わると、杏はそのまま意識が遠のいて行った。

 

 

「~それ故、心配無し。今後も護衛を続ける・・・・と。こんな所か」

 

書いた言葉を復唱すると、聡士郎は机の硯にそっと筆を置いた。久しぶりに字を書いたため肩が凝り首元が重くなったので、こきこきと軽く音を鳴らす。

 

聡士郎が今、何を書いているのか。それは人里に居る十手持ちの友人に宛てた手紙である。内容は現在の自分は今どのような状態にあるのかを、簡単に知らせるためであった。

 

では何故、手紙を書いているのか。それは少し時を遡り、春吉を成敗してから数日後の事である。

 

秋も終わりに近く、何事もなく過ごしていた聡士郎は唐突に、『十手持ち』達と交わした言葉を思い出した。

 

「一日経ったら戻ってくる」

 

こう、聡士郎は『十手持ち』達に伝えたのだ。

しかし、椛の護衛に露草の勝手な都合で選ばれてしまい、それから多くの出来事が起こり多忙であった為、聡士郎は長期の間山で過ごす事を彼らに伝えるのをすっかり忘れてしまっていたのだ。

そこで聡士郎は悩んだ挙句、友人であり、十手持ちでもある北上政直に手紙を書くことにした。自分の現状を伝えることができ、尚且つ情報を簡単に洩らさない人物として思い立ったのが、この男であったのだ。

 

北上政直とは人里の東村を見回りしている十手持ちである。あくまで見回りは副業で、本業は腕の良い指圧師件整体師であり、人里の住人からは何かと評判が良かった。迷いの竹林に居る八意永琳より良心的な値段で治療を行うのが人気の理由の一つでもある。

聡士郎より三つほど年齢が上だが、なにかと馬が合い、夜回りの合間を縫って酒を飲み交わしていた。

因みに、射命丸文と接触しようとして失敗したのは、この男である。

 

さて、渡す相手が決まったのは良いが、手紙をどのような方法で渡せばよいのかと聡士郎は再び悩んだ。自分は春までこの権現村で軟禁状態であるので、山を下りることはできない。そもそも降りることができれば、手紙など書く必要が無いのだ。

そこで椛に何か良い案は無いかと聞いたところ、彼女は迷わずに射命丸文の名前を出した。文は新聞を里に配る為良く山を下りるので、頼めばやってくれるのではないのかと思ったのだろう。

しかし、聡士郎は文に弱みを作りたくはなかった。何故ならば聡士郎にとって、この村一番の脅威は彼女であるからだ。

文屋とは言わずとも情報戦略において優れている。これは幻想郷に限らず何処でも一緒の事で、根も葉もない噂を真実の様に書いてデマを流し、それは炎のように盛り上がると、たちまち周りに広がって行くのだ。いくら聡士郎が実力のある剣豪であっても、こればかりは止める術が無い。その為近い将来、自分を苦しめる危険が無いとは言えないのだ。

だが現状は、彼女に頼る事しかできなかった。白狼天狗達は諜報隊以外は山に下りる事が無く、頻繁に人里に下りる鴉天狗達も、聡士郎に対する扱いからして信用することができない。だからこそ、顔見知りであり、人里と最も近いとされる彼女の助けを借りずにはいられなかったのである。

結局文に頼むことになったのだが、彼女は素直に頷かなかった。自分はあくまで文屋であり、飛脚ではないと言い丁重に断られてしまったのだ。

 

しかし聡士郎は藁にもすがる思いで、文に頼み込んだ。正直伝えなくともいいのではないかと文と椛は思っていたのだが、聡士郎はそうはいかなかった。彼は信頼され、十手を預かる身となったのだ。自ら十手を手放すのはまだ良いが、不手際で返却せざる負えなくなるのは、評判が落ちる以前に、聡士郎の誇りが許さなかったのである。

 

余りにも熱心に頼み込む聡士郎を見て、文は渋々納得することした。見返りとして独占取材の日程を彼女の判断に任せることになったが、こればかりは仕方がないと聡士郎は了承することにした。むしろ、それで済むなら良いと、二つ返事で済ましたのだ。

 

こうして、聡士郎は手紙を出すことに成功したが、返答が帰ってくるとこれまた悩むことになった。その内容は以下に綴る。

 

――聡士郎。君が大変な事はわかった。使命を果たすが良い。だが、これだけ報告が遅いのはあまり感心しない。君の悪い癖だ。親しい者の事をすぐに棚に上げるのは良くない。そこで君に、我々十手持ちが春までに中央村を見回る代わりに、ある条件を出す。定期的に手紙を寄こしなさい。今度は年を越し、冬の中旬ごろに手紙を出すように。では検討を祈る――

 

と、記されていた。つまり再び文に頼まなければならないのである。

 

 このことを文に説明すると、彼女は意外にも引き続き届けると気前よく返事をした。彼女曰く「どうせなら最後までやりますよ」と、仕事にはきちんとしている心意気を聞いて、聡士郎は彼女に対する見方が良い方向に変わったのだった。

 

「さて、これを射命丸の奴に届けなければな」

 

聡士郎は手紙を四つ折りにすると、丸めて紐で軽く縛る。それを懐に入れると、自室から出た。

 

すると、何処からか香ばしい匂いが漂ってきた。おそらく。椛が朝食の支度をしているのだろう。味噌汁と思わしき匂いが屋敷に広がっているのがわかる。

先ほど椛と一緒に走り込みなどの鍛錬を済ませておいたので、聡士郎の腹の虫が騒ぎ始めていた。

 

「早めに食事を終わらせて、これを届けなければな」

 

腹をさすりながら、聡士郎は何処か嬉しげにつぶやいたのだった。

 

 

さて、朝食を食べると聡士郎と椛はとある場所に向かっていた。

 

天来寺の正面門から右折し、山道少し歩くと、年期漂う物々しい木造建築が見えてくる。そこは白狼天狗達が武術を身に着ける道場「尖刃館」と呼ばれる場所があった。

 

椛はここで、舞の本形の練習を行っている。本来は門下生たちが日々鍛錬を行って経験を積み、衛兵。哨戒。諜報と言った部署に配属が決まるのだ。

 

道場であるため、当然教えを説く師範がいる。人数は三人でそれぞれ剣術、槍術、体術を専門としていて、その元で天狗達は鍛錬を積むのである。もっともすべての武術を身に付けなければならないと言う訳では無く、門下生たちは一度すべての基本鍛錬を行い、その中で自分が最も適していると思われる武術を選び、その師範の下で深く鍛錬を積むのだ。結果、白狼天狗を総体的に見るとそれぞれの武術をバランス良く得意としている。

 

因みに現在は舞姫候補の稽古がある為、門下生たちの稽古は休みとなっている。正確に言えば休みではなく、各自鍛錬を行う事と言った内容ではあるのだが、長期休暇であるので不抜けている者が多かった。

 

椛は以前に通っていたと言う事もあって、ここに来るたび聡士郎に様々な自分の過去を話していた。最初は聡士郎の事を客人として見ていた椛であるのだが、一緒に過ごしていくうちに硬い線が緩み始めたのか、彼女本来の性格をあらわにしていた。

 

主な話の内容は同期達とここで鎬を削り、腕を磨いてきた事。何故自分が哨戒隊に配属されたのかといった事。それから自分がどれだけ任務を行ってきた事など、さまざまである。

 

聡士郎はそれを、楽しみながら聞いていた。彼女は自分の事を話すのが誇らしげで嬉しそうであり、それを聞く自分も心が躍っていたのだ。

 

「――それで、私はいち早くそのことを文さんに伝えたのですよ。あの人は足が速いですから、すぐに権現村に伝わって・・・撃退に成功したのです!」

 

「ふむ、なるほど。仲が良いではないか」

 

「でも・・・あの人は鴉天狗ですからね。昔はいろいろやっていたので、白狼天狗からはあまり好かれていません」

 

しかしここの所、椛は文の事をよく話すようになっていた。椛は白狼天狗であるのに、文の事を異常な程に慕っているのだ。尻尾を無意識にぶんぶんと振っている所から、聡士郎はその事を容易に感じ取ることができた。

 

その為内容のほとんどが、種族の違いで仲が良い事をはっきりと表ざたにすることができないので、不満をこぼすと言った話であった。なるほど、だからほかの天狗の事を古いと言っていたのだ。

しかし以前、椛が文に投擲用刃物を投げた時は、あくまでも建前上仕方のない行動であったと言うが、殺す気で投げていたように見えたのはおそらく気のせいではなく、聡士郎は何処かおかしくないかと不思議に思っていた。

 

「なるほどな。お、見えてきたぞ」

 

他愛ない話をしているとすぐに「尖刃館」の目の前に到着した。

椛は何処か話し足りない顔をしたが、すぐに笑みを作ると表情を元に戻した。

既に四人の舞姫候補達は集まっており、それぞれ会話などをして時間をつぶしていた。大体は椛より年上であり、すでに女子ではなく、女性と言った顔つきをしている。

「ここまでだな。ワシはやはり入れぬのだろう?」

 

「すいません。練習風景を見せたいとは思うのですが、師範代以外の白狼天狗すら見ることのできないので、流石に護衛でも見せる事ができないそうです」

 

椛はそう言うと、申し訳なさそうに俯いた。

 

護衛は舞姫のそばを離れてはならないと言う決まりがあるのだが、一つ例外の場所がある。それがこの「尖刃館」の中であった。

その理由は簡単で、護衛がいなくとも先も言った通り、腕の立つ道場の師範代達が三人いるので必要がなく、加えて聡士郎に限っては人間であり、一般の白狼天狗すら舞姫の練習風景を見る事が禁止されている為、言語道断であった。つまり椛が中で舞の稽古を行っている最中の間は権限村の中のみ、聡士郎は自由の身となるのだった。

 

「いやなに、気にはせん。ワシは射命丸の奴にこれを届けなければならぬ」

 

懐から先程包んだ手紙を取り出すと、聡士郎はそれを椛に見せた。

 

「ああ、今日でしたか。はい、いつもの時間に終わりますので、それまでには来てくださいね!」

 

元気よく椛は言うと、舞姫候補達の中に紛れていった。そしてすぐに道場の門が開かれると、椛を含む舞姫候補達は中へと入っていった。

 

「ふふ・・・ワシもどこか緩んだかもしれぬな」

 

小さく手を振りながら、聡士郎は笑みを作った。しかし気持ち悪い顔をしていると勘付きすぐに表情を引き締めると、権現村へと歩いて行った。

 

 

 

聡士郎はしばらく権現村内をぶらぶらと歩いると、すっかり昼頃となっていた。朝食を早く食べたこともあり、昼食をとるために財布の中を確認すると、「双葉庵」へと向かうことにした。

 

通貨は幻想郷内では共通であり、ここ権現村でもそれは変わらない。そもそも通貨が統一されたのはずいぶんと昔の事であり、幻想郷の歴史では妖怪の賢者たちが取り決めたのだと言われている。しかし、それが本当かどうかはわからない。一説によると、幻想郷が外の世界から博麗大結界により隔離された、明治十六年の政変が終わり暫く経った十八年ごろには、すでに決まっていたと稗田家の書く書籍では推測されていた。

 

その為椛に頼らずとも、聡士郎は金を持っていた。十手持ちの以前に、妖怪退治の専門家である彼はそれなりにお金を所持しており、人里から出る際にある程度持ってきていたのだ。それに、ここ権現村では人里と違い物品が安く、春までに生活してゆく金額は十分に足りていた。

 

「ふう、だいぶ村の地図は頭に入ったか」

 

聡士郎は「双葉庵」の長椅子に座ると、一つ息を付いた。

すると奥から土筆がお茶と焼きおにぎりを持ってきて、床几の上にそっと置いた。

 

「おや、まだ頼んでいないのだが」

 

あたかも当たり前の様に持ってきたので、聡士郎は戸惑った顔をした。それを見た土筆はからからと笑いかけ、理由を話した。

 

「どうせこれを注文するつもりだろう?最近はいつもこの時間にくるし、これを頼むし。だからオヤジと相談して、作っておいたのさ!」

 

「いや、ワシもたまには他の物を頼むつもりだが」

 

「お?じゃあ何を頼むのさ?」

 

土筆の問いかけに、以前彼女から聞いた店で出す料理を書き記した紙を聡士郎は懐から取り出して、それを眺めた。

「双葉庵」では品書きを置いていない為、忘れぬようにと聡士郎は書き留めておいたのである。

 

聡士郎はしばらく唸ると、彼女に視線を戻した。

 

「やはりこれだ。握り飯は力が出るからな」

 

思わず表情を崩して、聡士郎は頭を掻きながら言った。

 

「ほらみろ!まあいいさ。ほかの物を頼んでも、これはオマケってことにするつもりだったから」

 

「いや、それは申し訳ないだろう。まだまだ金は手元にある。何処かの誰かと違ってツケはせず、ちゃんと払うぞ」

 

ふふっ。と、軽く笑いながら聡士郎は添え着きの焙じ茶をすする。しかし、土筆はその誰かの事を意外にも訂正するように再び大笑いをした。

 

「それがさ、春吉の野郎。おまえさんに成敗された次の日にはツケを全部払ったんだよ。なんでも堕落した生活はもうしないで、鍛錬するんだってさ」

 

「ほお、口だけではなかったと言う訳か。感心したな」

 

「まあね、腐っても白狼天狗だし、お前さんに負けたのはいい薬だったんだろうよ」

 

「むう・・・だが妖怪は自尊心が高い。復讐のために襲ってきたらどうしようか」

 

「いや、襲わねぇよ」

 

唐突に土筆と聡士郎の会話に割り込むように、野太い声が聞こえた。

二人がその特徴的な声の方に振り向くと、巨漢の男、春吉が居心地悪そうな顔をして立っていた。最初に会った時と変わらず衛兵隊専用の装備をしていることから、仕事の最中であろう。

 

「おう、久しいな。あの時以来か」

 

何事も無かったように声を掛ける聡士郎を見て春吉は表情を一瞬歪めたが、すぐにいつも通りの厳つい顔に戻ると、先程の言葉を詳しく話した。

 

「正々堂々、果たし状を出して挑むからな。まあ、そのころまでにテメェが生きているかどうかだがな」

 

「どういうことだ?」

 

「あん?寿命の事を言ったンだが?」

 

「なるほど」

 

聡士郎はぽんと拳で掌を叩き、閃いた様な仕草をした。

 

「ところでどうしたんだい?またサボりにでもきたのかい?」

 

意地悪そうに土筆は春吉に言うと、春吉は居心地悪そうに頭を掻いて、視線を空へと外した。

 

「それはもう言うな。俺も反省してんンだよ…。ここに来たのは別件だ」

 

「なにさ?」

 

「どうやら、侵入者が入り込んだみてぇだ」

 

 「侵入者?」

 

 聡士郎と土筆は首をかしげて、春吉の言葉を復唱した。すると春吉は空いている座椅子に座り槍を肩にかけると、口を開いた。

 

「ああ、犬童杏がやられた」

 

「え、杏ちゃんが!?」

 

思わず大声を上げて、土筆は驚いた。

周りの客がなんだろうかと一斉に土筆に目をやると、彼女は恥ずかしそうに口を噤んで、春吉に話の続きをしろと目で促した。

 

「…死んではねぇ。だが足の腱を切断されていて気絶していた。背中に打撲跡があったことからどうやらそれで気絶したンだろうよ。まあ腱を切られたんだ。しばらくは立ねぇな」

 

重い口調で言う春吉を見て、聡士郎は事の重大さにいち早く勘付いた。

 

「なるほど足の腱を切るか。殺さなかったのはよくわからぬが、仲間意識の高いおぬしら天狗たちの時間を稼ぐには十分な方法だ。手練れの可能性は十分にある」

 

「そうだろう?だがな、これには疑問が残る。犬童杏は『広範囲の音を聞き取る』と言った特殊な能力を持っている。それを掻い潜って接敵したのは、普通じゃあ考えられねぇンだよ」

 

うーむと唸りながら、春吉は首をかしげる。彼の口調からして、犬童杏と言う白狼天狗の能力は相当に強力であったのだろう。

 

だが、それすらも掻い潜ったと言う事は。

 

「つまり白狼天狗の持つ特性が、まるで意味をなさなかったのか?」

 

「そういうことだ。この侵入者には俺らの鼻、耳は役に立たないのかもしれない。今の所よそ者が入った形跡の臭いはまったく感じられなかった。つまり、頼るものが肉眼だけになるンだよ」

 

苦い顔をして、春吉は舌打ちをした。

 

「俺たちは目よりも嗅覚と聴覚が優れている。椛に限ってはそれに加え目も優れているが・・・彼奴の能力でも、探し当てるのは難しいかもな」

 

「なぜだ?椛は『千里先まで見渡す』能力を持っているのだろう?判別できそうではないか?」

 

聡士郎の意見に驚いたのか、春吉は思わず「えっ」と言葉を洩らした。

 

「お前護衛なのに知らねぇのか?」

 

「なに?なんだと?」

 

「アイツが見えるのは。あくまでも生物の形とその色だ。例えば能力を使えばお前は・・・青色に見えているンだろうよ。人間と半妖は青色に見えるらしいぜ。それで俺たち白狼天狗と鴉天狗は朱色、すなわち赤色に見えるそうだ」

 

そうなのかと聡士郎は頷くことしかできなかった。彼女は昔話をしてくれるのだが、自分はまだ、椛の事を何も知らなかったのだ。そう思うと聡士郎は何故か無性に空しい気分になった。

 

「だから、見分けがつかねェだろうな。そもそも同族に使う能力じゃねェんだよ。椛の能力はな」

 

「じゃあどうするんだい?椛様の能力も杏ちゃんの能力も無意味なら、見つけることは困難じゃないか」

 

「だから忠告をするために村を周っているンだよ。お前らも注意するんだな」

 

春吉はそう言うと、聡士郎の残していた焼きおにぎりを奪い、何事も無かったように槍を担いで立ち上がった。

 

「む、お前」

 

「情報料だ。これくらいいいだろう」

 

勝ち誇ったように春吉は言うと、焼き握り飯を口に運びながら歩いて行った。

 

 

「双葉庵」を後にした聡士郎は文に手紙を渡すために、住宅街を歩いていた。

 

先程、権限村内を歩いていた時に渡すつもりだったが、彼女は新聞を人里に配りに行った為、家にはいなかったのだ。別に手紙を出すことが急ぎでは無かったので、聡士郎は後回しにしたのだった。

 

 住宅街の入り口から西側にしばらく歩き、大きな梅の木が見えてくる。そこが、射命丸文の家である。彼女の庭の梅の木は、何でも彼女が文屋になってから埋めたものであり、春ごろに美しい花を咲かせることで村の中では有名らしく、ほかの鴉天狗からは評判が良いのだと言う。

 

 聡士郎は文を呼ぼうと玄関の扉を三回ほど叩くが、反応が無かった。まだ帰ってきてないのだろうかと聡士郎は首をかしげると、まるで狙った様なタイミングで突風が吹いた。

 

 「おやぁ?夜這いにでも来ましたか?」

 

 からかったように声を色っぽくして、文が聡士郎の横に立っていた。

 

 「今は昼時だぞ」

 

 呆れたように聡士郎は一つ息を付くと、文は体をくねらせる。

 

 「ああ~そうですねぇ…じゃあ夜に来てください」

 

 「・・・冗談はそれくらいにしろ」

 

 「つれないですねぇ…。私には魅力が無いですか?」

 

もはや声も出さずに聡士郎は呆れた顔をしていると、流石の文も冗談をやめて、いつも通りの営業スマイルに戻った。

 

「それで?何の用です?」

 

やっと聞く気になったのかと、聡士郎は再びため息を着くと、懐から手紙を取り出した。

 

「ほれ。頼むぞ」

 

「あやや!恋文ですか!いやーそう来ましたかー。松木さんはロマンチストですね!」

 

「…」

 

 「はい。冗談です。これをまた北上さんに届ければ良いですね?」

 

 「うむ。昼前に一度訪れたがいなかったからな。再び頼んだ」

 

 聡士郎は軽く頭を下げると、文は「了解しました!」と元気よく返事をして、手紙を彼女の肩に下げてある手提げバッグに入れた。

 

 「あやっ。そういえば」

 

 バックを見て思い出したのか文は唐突に声を上げると、そのバックの中に入っている一冊の新聞を取り出した。

 

 「これ、余ったんですよ。いります?」

 

 「ワシは新聞を読まぬが」

 

 「ほら、先々週の独占取材の内容が書いてありますよ」

 

 先々週に文から独占取材を受けたので、流石の聡士郎も興味を惹かれ、新聞を手に取った。

 

 新聞に書かれていた内容は別に特別おかしいと言う訳でもなく、「十手持ち、天狗の村で年を越す」といった見出しの元に作成されたものであった。年越し時、様々な行事を聡士郎が淡々とこなすと言った事が書かれていた。

 

 「勿論、この内容は村の外には出してません。あくまで権限村で私の新聞を取っている者のみにしかわたってないはずです。人里に配った新聞は別の物ですね」

 

「うむ。そうか。まあ正直切り札と言われてもピンと来ないのだがな」

 

 聡士郎はそう言って苦笑いをすると、文はいつになく真剣な顔をして、聡士郎に迫ると小さな声で呟いた。

 

「…自覚を持ってください。椛を任せているんですから」

 

「う、うむ。それはわかっておる。手を抜いたら命に保証はないからな」

 

威圧する様に言う文に思わず意表を突かれてしまい、聡士郎は身をたじろいで言葉を返す。すると文は何事も無かったように表情を営業スマイルに戻すと、人差し指を立てて忠告するように言った。

 

「一応、椛とは付き合いが長いですから。凶暴なわんころでも飼いならせば可愛いものです」

 

「むう。そうなのか。正直羨ましいな。彼女の昔話を聞いておると、自然と心が躍るのだ」

 

何処となく楽しそうに言う聡士郎を見て、文は若干感心したような顔をしたが、何かを察したのか、どこか憐れんだ表情をした。

 

「ん?どうした?」

 

不思議そうな表情をする聡士郎を見て、文は顔に出ていたのかと慌てて表情を繕う。

 

「いや、別に。変な顔してました?」

 

「うむ。なんというか・・・言葉では説明しにくい顔をしていたぞ」

 

「あ、椛の恥ずかしい話、聞きたいです?」

 

「いや、遠慮しておく。それはじきに椛が自ら話すかもしれないからな。たのしみに取っておく。さて、時間もいい頃合いだ。ワシはそろそろ椛を迎えに行くとするかな」

 

聡士郎は再び文に「では、手紙を頼んだぞ」と言うと、その場を後にした。

 

「…あの子の本当の過去を知ったら、松木さんはどう思うのでしょうかね」

 

文はひっそりと、聡士郎の背中を見ながら呟くのだった。


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