暗闇の中、聡士郎はただもがいていた。
体にまとわりつく激しい炎。
これは痛み。迅兵衛に切られ、それが熱を帯びているのだ。
――まだまだ未熟だな。聡士郎よ。
唐突に声が聞こえた。その声は酷く枯れて、それでも落ち着きを感じる声であった。
――お主は何処までも未熟だ。
そんな事は無いと、聡士郎は大声で叫びたかった。だが、声が出ないのだ。胸部から腹部に伝わる痛みが、全身に広がり、声すらも出せないのだ。
――分かるぞ。お主はそうではないと言いたいのだろう。
薄々わかっていた。この声の主は、自分が良く知っている人物だと。絶対的な剣の達人。古来もっとも武に長けたと言っても過言ではない。自分の師匠。
「鞍馬様…か?」
絞り出すように、聡士郎はしゃがれ声で言う。
――儂の教えを間違った解釈で理解したお主を、解き放ってしまった。だが、お前にとっては間違いではないのだろう。自らの流派を開拓したのだからな。
だが。と、鞍馬は一つ間をあける。
――それは儂の剣とは程遠いものだ。
それは当たり前である。鞍馬から教わった「霊魂夢想流」を聡士郎は嫌っていた。だからこそ、守りの形のみを応用し「五輪書」を熟読する事で、鎧兜は必要なくとも傷一つ付かぬ護身流派である、不盾流を開いたのである。
長い魂の修行から、聡士郎は鞍馬の教えた霊魂夢想流に疑問を持った。魂を解き放ち、悪霊を切り伏せ、人をも切り伏せるその流派。それは今の幻想郷で、求められている流派とは違うと思い立ったのだ。
しかし妖怪と戦う事を考えて、鞍馬の教えた霊魂夢想流は有効ではあった。現に聡士郎は鞍馬の元を十五の時に離れ、妖怪退治の専門家として仕事を始めた。そして有無言わず、悪事を働いた妖怪を倒し、ただ慢心をしていた。
だが、とある人物と出会うことにより、それはまた大きく変わった。聡士郎にとってその出会いは、鞍馬に剣を解かれた時と同様、自分の何かを変えたのだった。
――あの女の言っていたことが、お主の志となったのか?
おそらくはそうであろう。たった少しの出会いであったが、聡士郎の考えを変えた。
妖怪とは只切り伏せるだけでは駄目なのだ。切り伏せることだけでは、憎しみしか生まれない。そう彼女は聡士郎に言った。
過去の人里では、妖怪とそこに住む妖怪退治の専門家のいざこざが多々あった。妖怪退治の専門家は自分の力を証明するため力のない妖怪を切り伏せ、それに怒りを覚えた妖怪の仲間がその専門家の子供を殺すなど、最悪な治安状況であったのだ。
憎しみが憎しみを呼ぶ連鎖、これこそがまだ統率されていなかった人里の現状であった。
だからこそ、十手持ちは彼女の思想を志して、共に活動を始めた。妖怪を成敗するだけではなく、横暴を働く妖怪退治の専門家も更生する。これが人里で求められたことだったのだ。
その甲斐があったのか、妖怪の賢者が人間を保守する考えを持ち、十手持ち達の努力もあって治安の維持を確定することに成功をした。そして、確定してから暫く経った後、新たな博麗の巫女が出現すると同時に彼らは仕事を失い、自分たちの役目が終わった事に気付くと、それぞれの持つ本業へと戻っていった。
――お主らが幻想郷を間違った方向に進めた元凶であることを理解しておるのか?人と妖怪は本来合間みえる存在である。だからこそ儂の教えた剣は有効であったのだぞ?
「ですが鞍馬様。それがしはそれでよかったと思うのです。それがし達のような、もう古い時代は終わりを告げたのです…。貴方の孫も、そう思っているはずだ」
――…まあ良い。だがお主はその剣ゆえ、あの白鞘の天狗にも負けたのだ。儂の教えた流派であれば負けることは無かった。
恐らくそうだったのかもしれない。霊魂夢想流は攻撃的な流派であり、尚且つ防御にも優れている。もし霊魂夢想流を使えば、あのように中途半端な守りをすることは無かったのかもしれない。
だが、それはもう結果に過ぎない。くよくよして顧みても何一つ変わらないのだ。
自分は負けた。
たとえそれが神の悪戯であっても、負けたのだ。
――同じ二刀を使う流派。二天一流よりもはるかに弱い。奴も不服であろう、自らの流派を改悪されたのだ。
「それは…」
――そもそも、お主は目指す流派の特性をわかっていないから、何時まで経っても未熟なのだよ。
その言葉に、聡士郎は首を傾げる。
流派の特性をわかっていないとは、どういうことなのだろうか。自分が開祖である不盾流。故、その特性は全てわかっているはずである。だからこそ、鞍馬の言った意味が分からなかった。
――儂の流派は何であった?
「広い視野を持ち、迫りくる相手を無心で切り伏せる。三六〇度に緊張の線を張り、死角をも無くす…。さすればおのずと敵などいない」
――そうだ。だが、それは今の流派も同じである。可笑しくはないか?つまりお主は儂の流派をそっくりそのまま、映しているに過ぎないのだぞ?いや、改悪しておるな。お主の目指す流派は、儂とは違うのだろう?ならばなぜ、真意まで同じにするのだ。
その言葉を聞いて聡士郎はハッと、閃いた。
剣の道は一つではない。
それなのになぜ真意まで一緒にしていたのか。不盾流は霊魂夢想流と決別した流派にするはずであったのに、何故真意は同じになってしまったのか。
――簡単な事だ。お前は流派を開く以前なのだよ。未熟者が開く流派など笑い話にすぎん。
「ならば…それがしの流派とは・・・いったい何なのですか!」
聡士郎は叫んだ。
すると、暗闇の中でもがく聡士郎の目の前に、ふらっと白い影が現れた。
顔には天狗の面をかぶっており、白い髪は後ろで結っている。聡士郎と同じく着流しに羽織を着た姿をしており、彼の隣には白玉の様な浮遊物が浮いていた。
この男こそが、かの有名な武将にも剣を教えたとされる大天狗。鞍馬天狗であった。
「…お久しゅう、ございます…」
聡士郎は体にのたうち回る痛みをこらえつつ、膝を着いて頭を下げる。
――儂の孫も、今は迷走をしているようだ。だが、聡士郎。お前は孫よりも上を行き、自分の流派に迷っている。
「…はい」
悔しさを押し殺して、聡士郎は頷いた。
鞍馬はそれを見て鼻で笑うと、唐突に刀を聡士郎に向かって振るった。
聡士郎は瞬時に反応して、暗闇の地を蹴ると後ろに後退する。しかし、鞍馬は追い打ちを掛け、続けざまに剣を振るった。
「鞍馬様!?何をっ!」
――久しぶりの再会であろう?ここで今一度、機会をやる。
「機会…?まさか・・・」
――そうだ。お主が自分の流派の真意を突く。その機会を与えてやる。まずは、儂が相手をしてやる。
*
聡士郎の寝る布団の横で、椛はこくり、またこくりと頭を上下に動かしていた。
昨日の事件からすでに夜は開けて、朝の陽ざしが部屋に差し込んでいる。椛はそれまでずっと聡士郎の容態を見ていたのだ。そして今になって、疲れが彼女に押し寄せてうつらうつらとし始めたのだった。
「・・・っは!?いけない。眠ってしまっては・・・」
椛は自分に言い聞かせるように独り言をつぶやいた。眠っている聡士郎に視線を戻して、再び容態を観察する。
どうやら医師が行った治療の甲斐あって、聡士郎の顔色は良くなっていた。熱もすでに引きつつあって、全身から湧き上がる熱気は感じることはもう無いと言ってもいいだろう。
しかし、聡士郎の表情はあまり良くは無かった。何かにうなされているような、とても苦しそうな顔をしていたのだ。
「…悪夢でも見ているのでしょうか」
心配しながら、椛は聡士郎の額に乗せている手拭いを取ると、彼女の隣にある水の張った檜の桶にそれ入れて再び湿らせる。そして軽く絞ると、再び額に乗せた。
それでも聡士郎の表情は和らぐことは無かった。むしろ動きが激しくなって、胸に掌を乗せるとかきむしるように動かし、もう一つの腕は震えているが勢いよく、布団の外に出した。
「っ・・・」
無意識に、椛は布団から出たその腕の掌を握った。
これでどうかなるわけではないだろうが、少しでも楽になってくれる事を願っての行動であった。片手では足りないと思ったのか椛は両手で握って、ひたすら言葉を連なった。
「心配ないですよ…怖くないですよ…。私が着いています…」
聡士郎はどのような夢を見ているのか分からない。だが、人に手を握られる事は時に心強さを与え、安心させる効果がある。だからこそ、椛はその手を優しく握り時に摩った。
その後も椛はうつらうつらとせず、懸命に聡士郎に付き添い、暫く時が経った頃であった。玄関を叩く音と声が響いてきた。
「椛、いますか?楓くんでもいいですよー」
誰が聞いても、耳障りではなく心地よいと思えるその声の主は射命丸文であろう。
どうしたのだろうかと椛は思い、立ち上がろうとする。だが、それよりも先に楓が玄関を開いたのか、ガララと音がして、下駄の軽い足音が聞こえた。
「楓くんありがとうございます。では入りますね」
「あ、勝手には言っちゃだめですって!」
困ったような楓の声もむなしく、文は強引に玄関から廊下に上がったのかドタバタと足音が聞こえた。そして、この聡士郎の部屋の扉を開いた。
「椛・・・」
「文さん・・・」
二人は少しの間お互いの表情を見つめ合い、文から先に目線を外すと椛の隣に座った。
「松木さんの、お見舞いに来ました。彼、負けたそうですね」
「はい・・・。ですが相手はあの迅兵衛様です。さすがに人間では肩の荷が重かったのでしょう」
本心ではないが、椛はそれが当たり前であると口にした。
だが、文は再び椛の顔を見て、顔をしかめる。
「肩の荷が重い?それは違うと思いますよ」
「えっ?」
「おそらくこの人は、迅兵衛にも勝てる実力を持っているはずです」
文はそう言うと、胸元のポケットから手帳を取り出し、それを開く。
「私、少し気になったんですよ。貴方達白狼天狗の主である真神露草から信頼を得て、椛の護衛となった・・・。普通、可笑しくは無いでしょうか?あの白狼天狗の主が人間を信頼したのですよ?」
言われてみれば、確かにそうであった。何故人間を、この松木聡士郎をわざわざ権現村に迎え入れたのだろうか。村の人々は受け入れたものが多かったのだが、白狼天狗の上層部は人間を差別する考えを持つ天狗が多いので、絶対に許さなかったはずなのだ。当然椛も、その疑問は持っていた。
「何故・・・でしょうか?」
「気になった私は、いろいろと調べました。最初は直接聞こうと乗り込みましたが、貴方達白狼天狗の幹部たちからは当然何も教えてもらえませんでし、私達鴉天狗の幹部たちも、それは一緒でした」
「え、鴉天狗の方々も何か知っているのですか?」
「後になって、なるほどと、気づかされた感じですね」
ここ権現村では当然ではあるが、鴉天狗も多く住んでいる。その為白狼天狗の幹部達が聡士郎を受け入れたとしても、鴉天狗の幹部たちが受け入れるとは到底考えにくく、ましてや犬猿の仲であるため、現在の与党と野党の様に反発する事は明らかであった。
「この人の過去。それは厄災と言われている『がしゃ髑髏の暴走』のから、ヒントを得ました」
がしゃ髑髏の暴走とは、幻想郷に起きた巨大な厄災の一つである。
しかし、幻想郷に住む住人達や、天狗と河童の様な古参である妖怪ですら知るものが多くはなく、公言に出ることはほぼ皆無と言っても良かった。
その理由として、上白沢家が関係しているのだが、その多くは謎に包まれており幻想郷の歴史を書き留めている「幻想郷縁起」にも記されていなかった。しかし稗田阿求による一説によると、妖怪の賢者が上白沢家の協力の元、意図的にこの事を無くしたのではないかと言われていた。
「えっと・・・それはいったい?」
「詳しく話すと話題がそれてしまうのでそれは流します。あの時何が起きたのかは残念ながら詳しくはわかりませんでしたからね」
少し悔しそうな顔をして、文は呟いた。
「さて・・・それでその厄災には、十手持ちが関係していたらしいのです」
「あ、なるほど。それで文さんは十手持ちに聞きに行ったと?」
「はい。わんこの癖に良い勘ですね」
文は椛を茶化すが、表情はいたって真剣であった。どうやら悪意なく言ったようである。
「知っていると思いますが私は十手持ちのとある人物に手紙を渡すように言われています。だからこそ、接触するのは難しくありませんでした」
今頃になって、椛は気が付いた。文が何故、あんなに気前よく聡士郎の頼みを呑んだのか。それはこの事、つまり幻想郷の謎のひとつである『がしゃ髑髏の暴走』を解き明かすために、あえてパイプを作ったのだろう。聡士郎と接触した時からすでにこの厄災と十手持ちの関係を知っていたのだ。
文は数少ない、『がしゃ髑髏』の厄災を知った人物、もとい天狗である。理由としては千年以上この幻想郷にいるので、彼女は鴉天狗の中でも地位が高いからである。
しかし管理職止まりであり、いわゆる軍隊で言う佐官に上がることはできない万年大尉の扱いであった。だが一兵からのたたき上げである彼女だからこそ、この厄災の事を知る権利があったのだろう。
「そして、その人に話を聞いたのですが、面白い事がわかりましてね」
「面白い事ですか…?」
椛は文の言葉を聞いて、思わず固唾をのんだ。
「はい。先代の巫女を殺したのは、松木聡士郎。おそらくこの人です」
話しが急に飛んで理解できなかったのか、椛は思わず耳を疑った。しかし文の顔は真剣その物であり、それは真実であると、椛は悟った。
「何度も言いますがこれは正確な情報ではないかもしれません。事実、十手持ち皆が被疑者であるらしく、この人だけで殺したとは言えないのです。残念ながらなぜ殺したのかは教えていただけなかったのですが、とどめを刺したのは、間違いないそうです」
なるほどと、椛は頷いた。
つまり聡士郎は、絶対的暴力を誇った先代の巫女を殺した一人であるのだ。それもとどめを刺したとあれば、その実力は計り知れなく高いと、誰もが思えるだろう。恐らくそのことを知っていた双方の上層部は、一致合意をしたのだ。
だが、椛は疑問を持った。本当にそれだけなのだろうか、何かほかにも理由があるのではないだろうかと文に目線を促す。
すると、文はその椛の意図を感じ取ったのか、首を振って大げさに手を上げた。
「これ以上はわかりませんでした。松木さんの過去も聞こうと思いましたが、それは本人に聞けと言われましてね…。ですが先代の巫女を殺したと言う実績は、確実に大きいと思います。だからこそ、実力は信頼に値する人物であると、白狼と鴉の幹部たちは思ったのでしょう」
残念そうに、文は呟いた。どうやら聡士郎個人の過去は、本人の了承が無い以上、流石に教えてもらえなかったようである。
「そうですか…」
「おそらくこの人が負けたのは、何かしらの理由があるかもしれませんね」
その言葉を最後に、文はいつも通りの笑顔を作って椛ににこにこと目線を向けた。
「時に椛。貴方はこの人の事を好いているのですか?」
「えっ・・・!」
余りにも唐突に切り出す文に、椛は思わず顔を真っ赤にしてたじろいでしまった。
「隠しても無駄ですよ。何でも松木さんに自分の過去の事を嬉しそうに話しているとか?恋愛に興味が無いのか婿を取らないとは思ってはいましたが、まさか人間に好意を抱くなんて・・・椛は物好きですねぇ」
にやにやといやらしい笑顔を作って、文は椛をからかった。これには椛も黙ってはおれず、思わず文につかみかかる。
「そんなわけ・・・無いです!ただ、その・・・あの人とは話がしやすいだけでっ!」
椛は文の顔を掴むと頬を引っ張り、攻撃をする。文はそれを辞めさせようと、椛を押して抵抗するが椛は一向にやめようとしなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいって。あ、松木さんも嬉しそうに語っていましたよ。椛が過去の事を話してくれて自分はうれしいんだーって」
「えっ?」
そのことを聞いた椛は、思わず動きを止めた。自分ばかり話していたので迷惑ばかりかと思ってしまっていたのだが、どうやらそうではなかったようで、「そっか・・・よかった」と、自然と顔がゆるんでしまった。
「…やっぱり本当に好いているじゃないですか」
「そんなのじゃないです!」
恥ずかしそうに椛は赤らめた顔を隠す様に両手で顔を覆う、しかし尻尾がぶんぶんと振っており、隠しきれていなかった。
文はそんな椛の事を優しく、慈愛の含んだ目で少しの間見ると、すぐに顔をしかめた。
「ですが椛、あなたは本当の過去を語ってはいないでしょう?」
「っ・・・!?」
恥ずかしそうにしていた椛はその言葉により一気に冷めて、むしろ顔を蒼くした。
「ずるいですよね。この人は椛の事を優しい白狼天狗だと思っていますよ」
「それは・・・その・・・」
先程の表情とは打って変わり、椛は辛いことを思い出すような顔をして茫然と文を見つめた。
文は椛のその表情を見ると、その場から立ち上がって帰り支度をする。
「もし、本当にその人の事を好いているのであれば、目を覚まし次第話してあげなさい。そうすればやっと対等になると思います。松木様がもしあなたの過去を受け入れなければ、きっとその程度の人間だと言う事です。それでは私は仕事に戻りますね」
厳しい口調で文は椛に言うと、ちょうどお茶を入れてきた楓に別れを告げてそのまま家を出ていったのだった。
*
暗闇の中、白刃がぶつかり合い、火花が飛び散る。
すでに聡士郎は鞍馬に負けたのだが、鞍馬に変わって霊体化した数人の武人や兵法家の英霊と戦っていた。
現在はその一人、一刀流の開祖と剣を交えていた。正式の名を聡士郎は知らなかったが、鞍馬には『弥五郎』と言われ、過去に聡士郎が修行した際、手合せをしたことがあった。
この『弥五郎』だけではない。今、この場にいる霊体化した数人の侍や兵法家などの武人達と、聡士郎は過去に剣を交えていたのだ。
これが、聡士郎が若くして悟りを開けた修行、『霊魂修行』である。自らの魂を肉体と一時的に別れさせる事により『時』と言う概念を無くすことができ、死と生の境目から作り出される空間の中で、過去に名を馳せた侍や兵法家の武人と戦うことにより、実力を叩き上げるのだ。
「どうした?蒼吉よ。儂の剣を弾くのに精いっぱいか?」
懸命に剣を弾く聡士郎を見て、弥五郎はニヤリと笑った。霊魂修行を行った聡士郎であったが、過去の武人や兵法家たちの足元にも及ばなかった。所詮は時間の概念を狂わせただけの付け焼刃であり、真の時間を積み重ねた過去の英霊たちに勝つことは、到底できない。体に武術を覚えさせる事はできても、いかに経験や場数を踏んだとしても、真の時間と共に悟りを開いている人の剣術家に勝つことは、まだ聡士郎にはできなかった。
「がっ・・・」
聡士郎の腹部に弥五郎の放った神速のような速さの刀が、音も無く突き刺さった。
痛みは無い。手持ちの追風と衣川を聡士郎は投げ捨てると、弥五郎の突いた刀の刀身を握り、切り裂かれぬように押さえつけた。
しかし、弥五郎はゆっくりと刀を引くと、そのまま帯刀をした。あくまで死ぬことは無いこの霊魂修行の中で、もう勝負はついたと判断し、剣を治めたのである。
「ガッハハ。未熟だのう蒼吉よ。お主はまるで変わっておらんわい」
弥五郎は聡士郎の旧名をわざと使って、豪快に笑いながら言った。
聡士郎はその言葉に何も返す気が起きないのか、ただ地面に膝と両手を着き黙っている。それをつまらなそうに弥五郎は見ると、鼻で笑って奥にいる鞍馬に視線を向けた。
「・・・聡士郎よ。何か掴むことはできたか?」
鞍馬は重い言葉で聡士郎に問う。
「…わかりませぬ。それがしの剣は未熟であることしか、わかりませぬ!」
奥歯をかみしめて、聡士郎は悔しがりながら言った。
結局、聡士郎の開いた不盾流は、数人の英霊たちに、一太刀も浴びさせることはできなかったのだ。
時に刀を軽く奪われ、時にその剣に軽く添えられる様に切られ、時に長物の刀に一刀両断され、終いには弥五郎に、一突きされてしまった。
この事から聡士郎は嫌と言うほど理解した。自らの開いたこの不盾流は、未完成であったのだ。鞍馬の元を離れてからの培ってきた技術、経験、そして時間。それらをすべて否定されて聡士郎は何も言えなかった。ただ未熟でしかなく、英霊達誰もが不盾流に苦戦をせず、軽く受け流されてしまう。不盾流を使い、これまで戦ってきた妖怪などこの剣術家たちからすれば、倒すのは造作なかっただろう。
しかし今更、霊魂夢想流に戻ろうとも思わない。あの流派に頼ることになれば、また失い、後悔をする。聡士郎はそう思っていた。
「聡士郎。お主はまだ、巨大な山の麓にいることをわかっているか?」
悩み葛藤する聡士郎を見て、鞍馬は重く、口を開いた。
「それは・・・?」
「儂らが過去に教えたのは、あくまでもその山を登る為の手段。お主はそこから独自の登り方を見つけ、麓に立っておるのだ。しかし、その登り方では何か間違っている事がある」
「つまり・・・それがしが開いた不盾流は未熟ではなく、間違っていると?」
「そうだ。改めて言うが、お主の流派は守りの形だ。儂の使う霊魂夢想流とはまるで違う物に仕上がっておる。だが儂の様に剣を見切るのではなければ、緊張の線を張るのではない。お主の流派は第五感までで止まっておるのだ」
そう言うと鞍馬は、静かに瞳を閉じた。
「聡士郎よ、目を閉じてみるがいい」
言われた通り、聡士郎も瞳を閉じる。
そこは言わずと、光の入らない深い闇の世界が広がっていた。
「そこには、何が見える?」
暫くして鞍馬は口を開いた。
「何も見えません・・・」
「そうだ。だが、逆に考えてみろ」
「逆・・・ですか?」
「無限。何も見えない事こそが無限であるのだ」
その言葉に聡士郎は「あっ」と言葉を洩らした。
「目から見える景色ではなく、心から見る物・・・そう、心眼を開くが良い。心の目から見ればいかに自分が小さいか、そしていかに相手も小さいかと分かるはずだ。その意味を理解すれば絶対的護身は完成するであろう」
目の前の物に捕らわれてしまっては何も見通すことはできない。たとえ紅葉の目付をとっても、認識することのできない死角は当然の様に存在する。だからこそ不盾流は完璧な防御になる事は出来なかったのである。
「それだけではないぞ?自然の声に聞き耳を立てよ。自然とは優しいものだ。お主の在り方、そして様々な物を教えてくれる。その声を聴くのだ」
「つまり・・・第六感を極めよと?」
「そう捉えても構わんよ。虫の知らせとも言うからの」
鞍馬が言ったことは、すべて聡士郎の求めていた事ばかりであった。先ほどの葛藤がバカらしくなるほど、聡士郎の目指す流派の真意を鞍馬はいとも簡単に伝えたのである。
「ふふ・・・それがしは、やはりまだまだ未熟だ。あなた方にいつも気づかされる」
「これでまた一歩、山を登ることができたな」
鞍馬がそう言うと同時に、彼の姿が消え始めた。
「最後に、お主にもう一つの課題を与える」
「課題・・・ですか?」
「そうだ。お主の振るう剣は何だ?その答えは、儂らが教える事ではないからな」
「理由・・・」
「そうだ、その答えは死ぬまでに見つけるとよい。では、またどこかで会おうぞ」
そう言い残し、鞍馬は姿を消した。その後を追うように、残った英霊達も、姿を消し始めたのだった。
*
二日目の朝、椛はふと目を覚ました。
まだ日も登っておらず、ほんの少しだけ周りが明るくなっていると感じる程度であろう。ともかく、相当朝早くであると椛は思った。
寝てしまったのかと椛は思い目元をこすった。昨日は文が帰ってからもずっと、寝ずに聡士郎の容態を確認していたのだ、そのため疲労がピークに達して、無意識のうちに気絶、つまり意識を失ったのだろう。
「あれ・・・?」
椛がうつ伏せから身を起こすと、肩から何かが滑り落ちる。それは掛布団であった。
なるほど、寒さを感じないと思ったのはこれが原因であったのだ。しかし自分は掛布団を出した覚えはない。つまりこの掛布団は。
「松木様・・・!?」
朦朧としていた意識を瞬時に目覚めさせると、椛は部屋のあたりを見渡した。しかし、人気の気配はなく、それどころか刀掛台に置いてあるはずの、二振りの刀すら無かった。
「えっ・・・えっ・・・?ど、どこに・・・?」
おどおどと椛は再び周りを見ていると、庭の方から何やら音が聞こえた。
その音は風を切る音であった。リズムよく奏でられるその音は、間違いなく人が何かを振るって奏でている音であり、自然の音ではない。
椛は急いで聡士郎の部屋から出ると、廊下をつたい、庭へと出る。
そこにいたのは、言わずと聡士郎であった。追風と衣川を交互に振るい、何事も無かったかのように、素振りをしていた。
「な・・・何をやっているんですか!まだ安静にしていないと・・・!」
縁側から素足で椛は降りると、聡士郎の元に駆け寄る。すると、椛の目の前に、追風の剣先が、ぴたりと止まった。
「ひゃあ!?」
「うむ?」
いきなり刀を向けられたため思わず声を出す椛に勘付いたのか、聡士郎は椛に向けた追風を肩に担いだ。
「すまぬ、夢中になっていたわい」
「び、ビックリしましたぁ・・・」
胸を両手押さえて、椛は思わず息を付いた。
「おはよう、椛」
「あっ・・・おはようございます・・・じゃなくて!」
聡士郎のペースに飲まれそうであった椛は顔を左右に振って、自分のペースに戻した。
「絶対安静にしろって、医者は言っているんです!おとなしく寝ていてください!」
椛はそう言うと聡士郎の背中を押して、家へ戻そうとする。
「むうう・・・。ワシはもう元気だ。ほれ!こんなにも元気だぞー!」
腕をぶんぶんと回して、聡士郎は万全であるとアピールをするが、椛はそれでも背中を押した。
「そう言う問題じゃないんですよ!傷口が開いたらどうするんですか!」
「ま、まあ待ってくれぬか」
そう言うと聡士郎は、背中を押す椛からひらりと身をかわして少しだけ距離を取った。
「ワシはまだ未熟だったのだ。お主の護衛として、そして剣術家としてだ。しかし今になって、ワシは自分に足りないものを掴んだ。だからこそ体を動かさないわけにはいかんのだ」
真剣な表情で、聡士郎は椛に言った。だが、椛はそれを聞くとさらに不機嫌な顔つきになった。
「貴方は未熟じゃないです!だって…あんな・・・」
「あんな・・・?」
聡士郎が首をかしげて椛の答えを待っていると、椛は言いとどまり、一つ深呼吸をした。
「すいません、何でもないです。ともかく、早く家へ戻ってください!」
椛はそう叫ぶと、聡士郎の言葉も聞かずに、家へと戻っていった。