ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
「君も知っているかもしれんが、ユニフォームは特殊な繊維でつくられておる」
《エンジンシティ》の内のビル群の中の一角に佇むクリーニング店。
「この繊維の結合がポケモンの技の余波からトレーナーを最大限保護するために作用する。だから、衣服の汚れ・ほつれによる繊維へのダメージはその都度メンテナンスが必要なんじゃ」
多くの衣服に囲まれた作業部屋。
ハンガーにかけられた作業済の印が付いている衣服や、これから作業をするのか幾つもの籠に押し込まれた服が山のようにそびえている。
そんな、あらゆる服で溢れかえる空間の一角で僕は縮こまっていた。
「過去にも何度もユニフォームのクリーニングは行ってきているが、まさか初日とは。……君が過去最速じゃな」
恰幅の良い白いひげを蓄えたおじいさんはあきれた表情で僕を見つめた。
彼の手にはジュースの染みがべったりとついている、かつてユニフォームだったものが握られていた。
「あはは……」
僕の口からは乾いた笑いが漏れていた。
「ユニフォームはこちらで預からせてもらう。君が次に向かう町は《ターフタウン》かね?」
「……はい。そのつもりです」
僕の同意を確認すると、おじいさんは手慣れた作業で衣服をたたみこみ籠の中へ。
引き出しから髪を取り出し、机の上に置いた。
納品書の様だ。
「明日の昼頃までには《ターフタウン》のスタジアムに届ける。ジムチャレンジの時にその紙を受付に見せればユニフォームが手元にかえってくるぞ」
「えーっと……やっぱり染み抜きって結構時間かかるんですか?」
「まぁ、今回は範囲が広いからな。ざっくり見積もっても一日ってとこじゃな」
天上を仰ぎながら、白いひげをさするおじいさん。
この作業を長年続けているからなのだろうか、その腕は若々しく衰えを感じさせないものだった。
そんな大ベテランでも一日かかるというのだ。他をあたっても同程度だろう。
これでは約束は守れそうもない。
多少覚悟はしていたつもりだが、ショックは大きい。
僕はため息をこぼしながら、小さく肩を落とした。
クリーニング店から出ると、日がだいぶ高く昇っていた。
お昼時だからだろうか、店前の通りは多くの人が行きかっている。
その雑踏の中から見覚えのあるタンクトップが映った。
僕は、深呼吸して目を擦った。
目が疲れていたのかもしれない。ジュースがかかったし。
呼吸を整えて、再び顔を上げる。
タンクトップは大きくなっている。……残念な事にこちらへ向かってきている様だ。
「よお!兄弟。こんなとこに居たのか!」
「……だから兄弟じゃないですって」
僕の苦言が聞こえないのか、ニックはタンクトップを強調するポーズを取り始めた。
僕の視界で躍動する黒い生地達。っていうか普段着もタンクトップなのか。
視線を上げると、相変わらずの暑苦しい笑顔。
この人はずっとこのテンションで疲れないのだろうか。
「寂しいこと言うなよ……!一目で魂にびびっと来たぜ。俺はこいつに笑われねぇ漢になるってな。間違いねぇ!ここの熱がそう叫んでるんだ。二人でガラルの頂点目指すぞ!」
「もう既に失笑ものなんですが……」
親指で左胸を指しながら力説するニック。
彼の変わらぬ平常運転ぶりに僕は思わずため息をついた。
そんな中、不意に電子音が鳴り響く。
スマホの着信音だろうか。ポケットに視線を送るが、僕のではなかった。
「……あれ?ニックのスマホですか?」
「いや、俺のじゃねーな。俺のは筋肉のテーマなんだ。重低音が鳴り響く奴で筋肉に響く感じが……」
自分のスマホを片手に、誰得な情報を熱弁し続けるニック。
そんな言葉を他所に徐々におおきくなる電子音。
こっちに向かってきてない?
僕は辺りを見回した。
同時に聞き覚えのある声が耳に飛び込んだ。
「マーチ君!」
雑踏の中からかけてきたのはユウお姉さんだった。
首元にかけているスマホからは、聞こえていた電子音が鳴り続けていた。
「ユウお姉さん……!」
会場から走ってきたのか、少し息が上がっている。
呼吸を整えながら、彼女は首元のスマホを手に取り電子音を停止させた。
「ユニフォーム見に来たよ……!さぁ!私にも見せて!」
ずいっ、と。
ズレた眼鏡の位置を直しつつ、ユウお姉さんは顔をこちらに近づける。
僅かに息が弾んでいて、頬も熱を帯びている。
まずい、刺激が強い。直視できない。
僕は慌てて後ずさった。
「あの、ほんとすみません!ユニフォーム汚しちゃって、さっきクリーニング出してきちゃいました」
「な、なんだってー!」
開会式の前の約束を反故する僕の告解に彼女は残念そうに肩を落とした。
再び彼女の首元から電子音が鳴り出す。
「なぁ。兄弟。この人は?」
肩を落としつつスマホを操作するユウお姉さんを前にニックが耳打ちしてきた。
「あ、そっか。初対面でしたね。彼女はユウさん。僕がこの町へ来る時色々お世話になった人です」
自分の名前が聞こえたのか、ユウお姉さんはスマホから顔をあげた。
頬にかかった髪を指で直しつつ、彼女は背筋を伸ばす。
「はじめまして。ユウっていいます。君はマーチ君のお友達かな?」
「おう!半分正解だ!」
「……?」
ニックの思わぬ回答に固まるユウお姉さん。
顔が?で埋め尽くされている。
「……俺とこいつは、魂のきょうめ」
「彼はニックって言います!さっき開会式で知り合ったばっかで!」
僕は慌ててニックの発言を食い止める。
彼女にこの暑苦しい口上を聞かせる事だけは避けなければ。
このままだと絶対に引かれてしまう。
「そ、そっか~。ライバル同士ってやつだね」
ユウお姉さんの目がちょっと泳いでる。
どうやら間に合わなかったようだ。
再度なり始める、電子音。
ユウお姉さんは、無表情でスマホを操り電子音を止めた。
「あの、さっきから鳴ってるって電話の着信ですか?」
「……うん。……まぁそんなところかな」
僕の問いに対して、歯切れの悪い言葉を返すユウお姉さん。
「もしかして、仕事の電話なんじゃ……」
「まさか。だってもうお昼だよ?ご飯食べる時間だよ?」
僕の問いに対して、明後日の方向を向きながら答えるユウお姉さん。
「えーと。なんでこっち向かないんですか?」
「……」
ついにユウお姉さんは黙り込んでしまった。
そんな彼女の沈黙を破るかのように、道路の隅々に設置してあるスピーカからアナウンスが流れだした。
『ジムスタッフにお知らせです。各スタッフへお知らせしたい事があります。一度スタジアムまでお戻り願います。繰り返します……』
僕は再びユウお姉さんの方を見つめる。
彼女は肩を落としため息をついた。
「残念。逃げられなかったぁ……」
「あの。お疲れ様です……」
彼女の燃え尽きたような後ろ姿に僕は、精一杯の言葉を投げかけた。
お仕事って大変なんだなぁ。
「それじゃ。私はいったん戻らなきゃだけど、君たちはこれからだね。……頑張って!」
両手を上に上げ、飛び跳ねるように背筋を伸ばした彼女はくるっと身を反転させた。
先程までのどこか拗ねたような表情はなく、笑顔。
不意に訪れた落差に僕は心臓が飛び跳ねる感覚を覚えた。
「あ、ありがとうございます!」
「おう!まかせとけ!」
動揺を引きづったのか、思わずどもってしまった。
こういう時はニックの精神力が羨ましくなる。
自分の精神力の未熟さを普段のペースで不敵な笑みを浮かべるニックを横目で見ながら痛感する。
「それじゃあ、またね!」
ユウお姉さんはこちらに手を振ると、身を翻して雑踏の中に消えていった。
しばらくの間、彼女が駆けて行った方向を眺めていると不意に横から小突かれた。
顔を向けると、にやついた表情をするタンクトップの姿が。
「品のいい姉ちゃんじゃねえか。意外と隅におけねぇな兄弟。」
「そ、そんなじゃないですよ!からかわないでください!」
「おうおう!いい反応するじゃねぇか。今後が楽しみだな兄弟!」
前言撤回。
こいつは精神力が強いのではない。たぶん人の話を聞かないだけだ。
腹が立ってくるようなにやついた表情を続けるニックを前に、僕は先程の思考を記憶の奥底に封印する事を決意した。
「それじゃあ。そろそろ行くか。兄弟」
ひとしきり笑った後、ニックが不意に真剣な表情を始めた。
相変わらずのマイペースさにもう悩むのも煩わしくなってくる。
「そうですね。行ってみますか、ターフタウン。」
「お。珍しく意見があったな」
「こっちが合わせたんですよ。どうせ断ってもついてくるんですよね?」
僕の苦言に満面の笑みを浮かべるニック。
ユウお姉さんとは違って、ずっと見ているとぶん殴りたくなる感じがしてくるのが不思議だ。
エンジンシティを抜けるべく、僕らは《3番道路》の方角へ足を進めた。
「そーいえば、気になってたんですけど。ニックはなんであの人込みの中で僕を見つけられたんですか?」
僕は歩きながら、頭の片隅で引っかかっていた事を思い出す。
思い返してみれば、ニックも、ユウお姉さんもあの雑踏の中で真っすぐこちらに向かってきていたのだ。
「そりゃ。兄弟の魂が見えたって言ってやりてぇが、今回は少し違ってな……」
「……?」
珍しく言葉を途中で区切るニック。
何か考えこんでいるのか、しばらく黙りこんでから口を開いた。
「兄弟の頭の後ろ側がさ、まるでコーラかぶったみたいに茶色くなってんだよ。それが滅茶苦茶目立ってた訳」
「……!」
思わず頭に手を回す。
確かに該当箇所から砂糖が固まったような、ざらざらする感触が見つかった。
ほのかに甘い香りも漂ってる気がする。
隣で一人爆笑しているニックを無視し、僕は無言でUターンしてホテルに向かって駆け出した。
「この後、ジムチャレンジ進めてく中でさ。鉱山内で開催されたチキチキトロッコレース、伝説のジーマーが残した黄金のプロテイン収穫作戦、上空で起きたまさかのサスペンス、ガラルタクシー失踪事件とかを俺と兄弟で乗り越えていくんだが……こいつはまた別のお話ってやつだな」
ちょっとそれ、僕のセリフ!