ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
木々に覆われた山の麓のとある空地。
黒衣に身を包む男は右手に持つスマホを注視している。
画面にはジムチャレンジ開会式の中継映像が流れていた。
「……いやぁ。ひとまずは成功といったところかな」
中継内容に表情を緩め、胸を撫で下ろした。
ジムチャレンジの開会式で中継を繋いで挨拶を行っていた男。
彼はガラル地方のポケモンリーグ運営を代表して行う委員長のダンデだった。
「帰ったら、打ち上げの店を押さえないとだよな……」
雲1つない晴れ渡った空を見上げながら、男は呟いた。
そんな彼の傍に鶏冠と尻尾を持つ人影が歩み寄る。
気配に気づき振り向くと、彼の眼前に現れたのは壊れた通信機器。
「んー。手がかりかもな。でも、俺は機械に疎いから弟に渡してくれ、インテレオン」
『……』
インテレオンと呼ばれた、青と黒の鱗の様な皮膚を持つポケモンはこくん、と頷くと持っていた通信機器をダンデのバッグにしまい込んだ。
直後、彼のスマホへ着信が入る。
「おお、ポップか。どうかした?……ああ。それなら大丈夫だよ。うちのスタッフは優秀だからな。今度改めて感謝しなきゃだ」
スマホから聞こえてくる通話相手の大袈裟な心配の声に苦笑しつつ彼は歩き出した。
「……別件の方も片付いたよ。今回も外れっぽいけどな」
生い茂る木々を抜けると、そこには一軒の建物が朧気に佇んでいた。
草木に隠れるように作られた建屋は外壁の一部が緑に覆われている。
通話を続けながら建物内に足を踏み入れるダンデ。
室内は薄暗く、窓から差し込む一部の日光により影が鮮明に感じとれる。
「散乱してた資料にも目を通したがデタラメだった。一応、生きてる機材とか内部データをコピーしてそっちに送るけど……良い結果には繋がらないかもな」
彼は損傷した壁の破片、散乱した資料を跨ぎながら歩を進めていく。
「……ただ、個人的に思ったのが、資料のごまかし方に癖を感じるんだよな。やっぱり、例の現象とはなにか関係があるのかも知れない」
通路を進み、大きな扉に手をかける。
扉を開けると、広大な空間に電子機器、実験用具が陳列している。
研究施設を思わせる室内を進み、男は巨大な燃える尻尾を持つ彼と目線を合わせた。
「今回も逃げられたけど、抵抗してくる黒づくめの男。……ああ、それは問題ない。バトルならお前の手持ちの方がよっぽど強いよ。……とにかく、現状の手がかりは奴だな」
赤い鍵爪で示された場所を覗き込むと、小さなエンブレムの様なものが転がっている。
ダンデはしゃがみ込み、バッジにも見えるそれを拾い上げた。
彼の掌の上で、2つの輪と華の様に見えるデザインが鈍い光を発していった。
薄暗い森の中。
辺りの濃霧は木々の輪郭をぼやかすばかりでなく、言葉なき閉塞感を漂わせる。
白い絶海の中に佇む影は2つ。
影の片割れである少女は、静かに歩を進める。
視界を埋め尽くす霧の中、迷いなくもう1つの影に近づいていく。
彼女の前に現れたのは泥と血でくすんだ赤紫色と青い毛並み。
身体中に見られる傷口は大小様々なものに溢れ、多くの傷から今もなお血が流れ出ている。
「もう、諦めたら?」
少女が静かに口を開く。
彼女の言葉に反応するかの様に、傷の持ち主は顔を上げた。
顔の半分を血化粧で覆う中、黄金色に輝く双眸は鋭さを保ち続けている。
「……そういう所、お姉さんそっくりだね」
彼の毅然とした態度に、少女の口からはため息が漏れる。
全身を刻む傷。
疲労の蓄積からくる荒い呼吸。
彼の象徴ともいえる盾の喪失。
ここまで追い詰めても、彼の精神は朽ち果てない。
自分とはすべてが真逆であること改めて痛感させられ少女は眉を落とした。
「尊敬するよ。本当に。……でも、全員が君たちみたいには、なれないんだよ」
少女は力なく腕を突き出す。
彼女の影が歪に蠢き始める。
腕の形をしていた影は姿を変え、容を変え、彼女の後ろに佇んだ。
周囲に不自然な重圧が広がり出した。
木の枝が折れ曲がり、葉の数々が異様な音色を響かせる。
苦悶の表情を浮かべる彼の体からは血しぶきが迸る。
「……お姉さんによろしくね」
少女はゆっくりと指を振り下ろした。
依然として黄金色に輝く瞳で睨み続ける彼の周囲が、眩い紅い光に包まれた。
ふと、瞼が開かれる。
「……が現在の進行確認している状況です。続いて世間が呼称した《眠り病》についてですが……」
周囲の輪郭が妙にぼやけている。
瞬きを繰り返す間に、耳に入る周囲の雑音が人の会話に変換されていく。
視界が鮮明になるにつれて、少女は自分が僅かに寝ていた事に気づく。
照明が落ちた仄暗い空間。
壁に映し出された情報の光が網膜に刺激を与えてくる。
顔を上げると、円状の机を前に幾人もの人影が見えた。
人影は陽炎のごとく不定期に揺れていて、空間に投影した実体のない映像であることが確認できる。
「……症状としては想定通り、深度C相当で発現中です。試験エリアの該当結果が出次第、次のステージに引き上げてよろしいかと。機材の進捗状況ですが、試験運用が第3フェーズに移行中です。《αデバイス》に対する機種の構築理論が……」
目まぐるしく変わる情報ウインドウの数々。
現在進行している計画の詳細が次々と開示されていく。
定期的に行われる作戦会議。
この会議を取り仕切っているのは、ウインドウの前で進捗状況を説明している人物、幹部《薔薇》。
依然から人前に出る事が得意なのと、口が達者であることから自ら名乗りでて会議を進行させている。
少女は円状の机の前で揺れ動く人影に再び目を向ける。《牡丹》《桔梗》《柘榴》《竜胆》《紫苑》《皐月》……総勢12名の幹部の席にはいくつかの空席が存在していた。
「先日からジムチャレンジが開催された事もあり、世間の関心も大部分を誘導できています。今後、内部いる人間から情報も引き出せるので計画の障害は最小限に抑えられるはずです」
提示される情報を聞き流しつつ、少女の目はある空席で動きを止める。幹部《孔雀》。
ふと、彼女の脳裏によぎる《孔雀》の後ろ姿。
雨上がりの夕焼けの何処か。
黒衣を震わせ、何かを抱きしめている。
その先を思い浮かべる前に彼女は《薔薇》と目が合った。
目を細める彼を、言葉なく拒絶するかのように少女は目をそらす。
「……目下の課題は要観察者、ダンデ委員長でしょう。現在、ダミーの施設を設置して注意をそらしていますが想定以上の戦闘力ですね。半数近くの施設が現在潰されてしまいました。穏便に進めたいとはいえ悩ましいところですよね、《鬼灯》さん?」
肩をすくめながら続けていた《薔薇》が一人の人影に目を向ける。
《鬼灯》と呼ばれた男は、頭を持ち上げる。顔を包むローブから覗く瞳は鈍い光を発していた。
「悩ましくなんかねぇよ。どっかの陰湿野郎から騒ぎにさせねぇようにってクソみてぇなお願い事されてっから、仕方なくおままごとやってんだよ」
「ほう、ほう。単細胞の自分でも本気を出せば彼に勝てると?」
「……喧嘩、売ってのんかぁ?」
《薔薇》の不敵な笑みを、《鬼灯》が睨みつける。
空間に緊張が走る。
それは両者の間ではなく別の場所から。
冷ややかな重圧の発生源である少女は静かに二人を見つめ続けた。
彼女を包み込むの影の輪郭が微かに胎動を始める。
「これは失礼しました。あなたの前で非常にお見苦しいところを」
「……ちっ」
少女の前で《薔薇》と《鬼灯》は膠着を解き、定位置に戻った。
彼女は音もなく立ち上がり、机の前に佇む。
「計画遂行お疲れ様。大きな後れなく進められていると思います。この調子で今後も頑張っていこう。……最後にあった要観察者の話だけど、いずれ対処するから今は放っておいて」
少女は《鬼灯》を一瞥する。
彼は依然ローブの奥から目を光らせていた。
「それじゃ、今回はここまで。みんな、気を付けて帰ってね」
彼女の言葉を合図に、机の前に佇んでいた人影が順に消えていく。
通信回線が遮断されていくかのように、投影が溶けて空白が広がっていった。
最後に残ったのは少女と《薔薇》の二人。
「ずいぶんとお疲れのようですね?……やはり彼らの掃除は堪えましたか」
沈黙を破った男の声が虚空を伝播する。
彼の言葉を引き金に彼女の脳裏に浮かぶのは白霧の情景。
少女は再び椅子に身を下ろした。
「しかし、これで計画の進捗度も半分を超えたといった所ですね。あと少しで私たちの思い描くものを手に入れられる……」
「……不要な接触は避けるんじゃなかったの?」
《薔薇》の恍惚とした表情を横目に少女は天井を見つめる。
照明の輪郭を縁取る陰影が妖しく蠢く。
「おっと……!私としたことが。年甲斐もなくはしゃいでしまいました。それでは、今日はこのあたりで。今後もわれらの導きであらんことを。《総帥》」
「……」
沈黙を貫く少女の前に男は静かに歩み寄った。
仰々しい一礼の後、《薔薇》は姿を空間に溶かしていく。
静寂が辺りを包み込む。
部屋に響くのは壁に掛けられた時計の秒針を刻む音。
一人残された《総帥》と呼ばれた少女はぽつりと呟いた。
「……そうだよ。私は手に入れる。私が望む世界を」
そして、少女の姿も蜃気楼のように薄れ、消えた。
誰もいない空間。
円卓状の机に描かれた奇妙な標章が、音もなく照明に照らされ続けていた。