ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
草原に風が吹き抜ける。
草原とは言ったものの、森の最深部にあるような地域だ。
所々に巨大な木の根が這っており、それは付近の木々の幹へと続いている。
靴紐を結びこみ、立ち上がるマーチ。
前方に佇む相手を見つめていると先程の会話が脳裏をよぎる。
「各トレーナーの手持ちは二匹ずつ。相手の手持ちを全て戦闘不能にした側の勝利です」
「それだと、あんたは2匹。俺達は4匹って事になるけどいいのか?」
装備品の調整をしながら、会話を続けるビートとニック。
提示された条件の細部を確認していくタンクトップの少年に青年は瞼を閉じ、首を回しながら答えた。
「……問題ありませんよ。ジムリーダーからすれば誤差の範疇です」
風が頬を撫でる様に流れ、記憶から現実へとマーチの意識が戻る。
隣に目をやると、ニックが体上腕二頭筋を膨らませている。
なぜ膨らませるのか理由を考えつつ、彼を眺めていると筋肉の主と目が合った。
「よう兄弟。そういえば初のタッグだな」
「ええ。あなたの隣で戦う事だけは無いと思ってました。」
不敵な笑みを浮かべるニックに、マーチは軽口で応戦する。
今まで、同じ旅路を歩んできた。が、改めて肩を並べるということを意識すると気恥ずかしさを感じる。
マーチは浮足だつ心境を唾と共に飲み込んだ。
「作戦はなにかあるか?」
対面するビートを眺めながら、ニックが呟く。
作戦という単語が耳の中で反芻する中、マーチは一考する。
今回が初めての共同戦線。
隣で佇む彼の戦い方は何度か見たことがあるが、所謂その程度だ。
複雑な作戦を立てたとして、上手く連携できるかどうかは未知数。
噛み合わなかった場合は目も当てられない状況になる。
それに、目の前のジムリーダーに付け焼刃が通じるとは思えない。
ニックに習い、対面するビートを一瞥したマーチは決断する。
「……個別撃破で行きましょう。全力で目の前の相手を倒す。シンプルですけど、一番確実です」
「オーケーだ。……背中は預けたぜ。兄弟?」
「この状況でそれは、挟み撃ちくらうパターンですよ?」
筋肉を膨らませ、暑苦しい笑みが飛んでくる。
相変わらずの冗談に、ふと肩の力が抜けるのを感じるマーチ。
あの笑みをで狙って行っているとは思えないが、それでもこのやり取りをした後は不思議と冷静になれる。
少年は心の中で感謝を述べたあと、思考を切り替えて前方を見据えた。
「……準備が整ったようですね?」
薄紅色の髪を風になびかせながらビートが声をあげた。
ジムリーダーの最終確認に、二人の挑戦者は無言で頷き返す。
両陣営の間に再び風が吹き込む。
周囲の草木をなびかせ、木々は枝と葉を豪快に揺らしていく。
辺りに響く、森の嘶き。
それは次第に勢いをひそめ、やがて静寂が訪れる。
時が止まったかのような空間の中で。
3つの視線が交錯し、それは起こった。
「力を貸して!ワンパチ!」
「よっしゃあ!いけ!ドテッコツ!」
「行きなさい。エルレイド!ギャロップ!」
戦場を舞うボールの分割面から閃光が迸る。
眩い光を飛び越え、大地を踏みしめる四体のポケモン。
少年達が対面するのは静かな気迫を滲ませる二体。
白く細い体躯に、長い手足からは身体能力の高さが窺える。
精々異なるのは足の数辺りか。……落ち着け。集中しろ。
余計な思考を深い吐息と共に吐き出し、マーチは指示を繰り出そうと腕を振り上げた。
直後、隣で噴煙が巻き起こる。
不意に体を突き抜けた衝撃にマーチは僅かに固まり、視線を音源へと向ける。
そこには爆走する筋骨隆々の人影。H鋼柱のような物を担ぎ鋭い眼光を光らせる、ドテッコツ。
「よっしゃ!このまま突っ込めぇぇぇ!」
この戦場で誰よりも早く動いたニック。
ドテッコツはニックの鼓舞を背に受け、短時間で相手との距離を詰める。
ドテッコツの瞳に、相手の顔が映り込む。
もうこの距離は獲物の間合いだ。
「かますぜ!《アームハンマー》!」
『ボゴォォ!』
主の声をも置き去りにする勢い。
突進する速度を緩めず、ドテッコツは両腕の腕力を解放した。
相手の顔面へと直撃する軌道を振りぬく。
響き渡る轟音と巻き上がる噴煙。
「よし!いいのが入った!もういっちょ行くぞ!」
痛快な打撃音を耳に、ニックは上腕二頭筋を膨らませながら口角を上げる。
噴煙が消えるまでの時間が惜しい。
逸る気持ちを全面に押し出し追撃の指示を繰り出す。
主の感情が伝染したかのように、ドテッコツも瞳の奥を燃やしながら噴煙へと足を踏み入れる。
「危機感の欠如ですかね……?」
突如、場の空気が凍り付く。
全身の肌が、一斉にざわめき立つ感覚が少年達へ襲いかかる。
「ニック!」
「ああ!ドテッコツさが……!」
噴煙の向こうを凝視するマーチの悲鳴を受け、ニックはなりふり構わず声を張り上げる。
彼の指示が戦場に届く直前、噴煙が形を変えた。
「《サイコカッター》」
『……!』
煙の奥から、溢れる紫紺の輝き。
煙が霧散した瞬間、身を引こうとするドテッコツに鋭い刃が叩き込まれる。
鈍い衝撃音が響き渡った。
彼の口から苦し気な呻き声が漏れ出たと同時に、その身体は十数メートル後ろへ大きく吹き飛んだ。
「あなたは動きが一直線すぎますね。……周りがまるで見えていない」
「なん……だと……!?」
霧散した噴煙の背後から陽炎のごとく姿を現すエルレイドとそのパートナー。
周囲の噴煙を煙たそうに払いながらビートが呟いた。
眼前で起きた衝撃に目を見開くニックの前方。
吹き飛ばされたドテッコツが震えながらも立ち上がろうとしている。
戦場の端で停止していた思考が戻り目の前の相棒に目を向ける。
マーチは慌てて腕を振り上げ、声を挙げた。
「か、駆けろ! ワンパチ!ドテッコツを助けるよ!」
『イヌヌワン!』
まだ、一撃をもらっただけだ。ここから巻き返す。
心の中で反撃の決意を固めるマーチ。
再び顔を上げ戦場を見つめた時、僅かな違和感に包まれた。
心臓の鼓動が鼓膜響く。
倒れ込むドテッコツ。
ゆっくりと歩を進めるエルレイド。
両者の間へ駆けるワンパチ。
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
胸の内で蠢いていた違和感が鮮明になっていく。
おかしい。
相手はもう一体、いなかったか?
「……二手遅いです」
「!」
突如響く、抑揚の抑えられた声。
マーチの視界の端から躍り出る一陣の白い風。
ワンパチの体が真横へ吹き飛ぶ。
戦場の中心で足を止めた白い風は、たなびく白いたて髪へと遷り変わる。
鮮烈な登場を果たしたギャロップは地べたに這いつくばるワンパチを静かに見つめていた。
「そして、もっとも乖離しているのが、君。なぜさっきまで棒立ちだっだんです?……主体性がまるで足りていないようですね」
大気を通して、戦場へ伝播していく冷ややかな雰囲気。
ビートは前方に立ち尽くす少年を見据え、仄暗い笑みを浮かべる。
自分の奥底を見抜かれたような感覚に戦慄を覚えたマーチは、握りしめていた両手から力が抜けていく事に気が付かなかった。
「積極性に欠ける姿勢。迷いの見える判断。怯えが滲むその表情。……君はそこで何をしてるんです?」
「ぐっ……!」
心臓の跳ねる音が鼓膜を震わせる。
密林の奥で継続する彼らの戦況は芳しくなかった。
華の様に咲き乱れる相手に、翻弄され続けている。
白い風目掛けて放たれる、紫電の光球。
ワンパチのエレキボールは躍動するギャロップに肉薄するが、あと一歩足りない。
僅かの差で回避されてしまう。
背後で交錯するエルレイドとドテッコツ。
相手を刻み続ける刃と虚空を通り抜ける獲物の軌跡。
自慢の剛力も相手を捉えなれなければ意味をなさない。
白の猛攻に押され、着実に身体に傷を負っていく二体。
「くそっ!このままじゃ埒があかねぇ!どうすんだ兄弟?」
「……」
苦悶の表情を浮かべるニック。
幾度となく駆け抜け、声を張り上げ続けた彼の頬は滝のような汗が流れている。
そんな彼の隣で表情に陰りを見せるマーチ。
目立つ外傷はないが、張り詰めたような瞳からは僅かに影が覗いていた。
「自分の事で精一杯。相棒にかける負担も気にもしない、ですか。……正直、君みたいな人物が一番トレーナーに相応しくない」
「……!」
確実に二人を追い詰めつつある、薄紅色の髪の青年。
紫色の瞳の奥に光を宿しながら、問いを投げかけ続ける。
マーチの顔が苦渋に染まる。
判断が遅れ、行動が鈍る。
彼の前で小さな相棒の体が吹き飛ばされる。
「おい!集中しろ、兄弟!」
異変に気付いたニックの怒声が戦場に響いた。
直後。
轟音と共に紫紺と真紅の閃光が迸る。
周囲の激突音でかき消されたのか、表情を歪ませ続ける少年に反応はない。
「……大方、チャンピオンに会うため、トレーナーになったって所でしょうか?」
「……っ!」
少年の瞳に動揺が走る。対面する青年は続ける。
「甘い。甘すぎる。戦う理由を他人に求めているようでは、ここから先へは進めない」
ビートはさらに踏み込み、未熟者の末路を淡々と告げる。
彼の体からにじみ出る圧が、超えようのない巨大な壁の幻影と重なる。
僅かに動いていたマーチの足が遂に、止まった。
「そのような覚悟では、私にすら及ばない」
両者の間に炸裂する衝撃音。
至近距離で巻き起こる風圧に体を掬われ、マーチは地面に転がり込む。
おもむろに顔を上げると、身体中が裂傷にまみれたワンパチの姿が目に入る。
「……!」
彼は立ち上がらなかった。
混沌と化す思考を投げ捨て体を動かそうとするが、手足に力が入らない。
「遂に立ち上がる事も出来なくなりましたか。……どうやら見込み違いだったようですね。残念です」
這いつくばる少年の前に佇む青年は僅かにため息を吐き、腕を振り上げる。
青年の前に立つ白馬のたて髪が輝きを放つ。
少年も、子犬も、今だに立ち上がれていない。
彼の視界が白い閃光に包まれた時、それは訪れた。
身体が重い。
溢れんばかりの閃光を前に僕の意識は思考の海へと埋没していった。
楔のように全身に巻き付くそれは、紛れもない僕の心の弱さ。
キズ1つ無い体に力が入らないの事が何よりの証拠。
力が入らないのではなく、もう力が無いのだ。
あの人の言う通りだ。
邪な考えでは、純粋な熱意には敵わない。
心のどこかでは、分かっていた。
僕の周りは僕にないものを持っている。それはすごい真っすぐで、熱くて、眩しくて。
直視すると苦しくなるから、無意識の内に避けていた。
自分との違いを明確に突きつけられるようで。
でもそれもここで終わる。
紛れもない純粋な熱量を滲ませる、あの瞳によって。
意識が深い海の底へと沈んでいく。
徐々に体温が失われていき、心まで凍り付く感覚に包み込まれる瞬間。
僕の鼓膜を叩いたのは、天地がひっくり返るような轟音。
不意に視界が現実へと戻る。
視界を埋め尽くしていた閃光は消え失せ、辺りは影に包まれていた。
僕は再度、前を見上げると息を飲んだ。
影と見間違えたものは巨大な体躯。
大量の花弁を連想させる赤い燐光に包まれたそれは、幾度となく見た姿だった。
「……ダイ、マックス?」
『ボゴゴォ……!』
ドテッコツの《ダイマックス》化。
体を巨大化させ、僕の前に立ちふさがっていた。
ドテッコツの背中の向こう側で衝撃音が鳴り響いた。
直後、僕の頭にも衝撃が走った。
「歯ぁ食いしばれっ!」
「がっ!」
襟元を掴まれ、身体が瞬時に持ちあがる。
頭が上がった所に痛恨の一撃。
鋼の様に硬い頭突きが僕の脳内に大地震を引き起こす。
「何ウジウジしてんだ。さっさと勝って帰るぞ」
揺れる視界の中、目と鼻の先でニックが呟いた。
顔中に大粒の汗を流しながらも、いつもと変わらない不敵な笑み。
この状況で、なぜそんな表情ができるのか。
僕の口から自然と疑問がこぼれ出る。
「……勝つって、どうやって?」
「決まってんだろ?ここだよ」
白い歯を見せる彼は親指で自分の左胸を指し示す。
筋肉、いや根性論ってところか。
余りにも周囲が見えていない所に僕は苛立ちを隠せなかった。
心の奥底で張り詰め居ていた何かが崩れ落ちる音がした。
「気持ちで勝てるなら誰も負けてませんよ!」
まとまらない思考とぐちゃぐちゃな心情の爆発。
想像以上の声音に驚いたのか、眼前に立つ男の目が大きく開かれる。
ああ……。最低だ。まるで八つ当たりじゃないか。
言葉にした瞬間、言動を後悔した僕は逃げる様に顔を背けて視線を逸らした。
「……無理ですよ。そんな事じゃ状況は変わらない。あの人の厚みはそんな単純なものじゃ」
「気持ちで負けてたら、誰にも勝てねぇぞ」
僕の口から零れていた言い訳が止まる。
普段とは真逆の言い聞かせるような落ち着いた口調に、自然と僕の目線は正面へと吸い寄せられた。
再び、彼と目が合う。
目の前の男は息を深く吐き出すと、白い歯を見せた。
「ったく。弱気になりやがって。何言われたか知らねぇが、忘れんなよ。お前の想いを」
彼は僕の左胸を指す。
そこは脈打つ心臓が位置する場所。
「……間違ってるとか正しくないなんて関係ねぇ。その熱を持ってお前はここまで来たじゃねぇか?ならそれはもう、立派な理由で覚悟だよ。違うか?」
襟を掴む手が微かに震える。
目と鼻の先で聴こえるその声からは、静かな闘志が滲み出る。
「絶対に違わねぇぞ。隣にいた俺が保証してやる。だから……」
いつもと変わらない、瞳の奥に炎のような輝きを宿しながら彼は続けた。
「自分を信じろ、マーチ」
僕は目を見開いた。
目の前の男が初めて発した自分の名が鼓膜を突き破り、体の奥底へと溶け込んでいった。
自分を、信じる。
その言葉は、僕の心の内側で幾度となく響き渡った。
刹那、脳裏に浮かび上がる旅路の情景。
陽気に照らされる研究所での会話。
相棒と二人で踏み入れた草原の感触。
飛沫と雷光が舞う最初の戦い。
受け取ったかつての腕輪と熱。
潜り抜けた数々の冒険の一幕。
凍り付いたように冷たかった身体に熱が灯る。
鉛のように重かった手足に力が戻っていく。
追憶する情景の遥か彼方。
意識の果てで朧気に浮かんだ彼女の姿を幻視する。
自然と笑みが零れる。
変わらないのは僕も同じだった。
そうだ。
この想いが僕なんだ。
『ボオォォ……!』
僕の背後で轟音が響いた。
巻き上がる噴煙と共に、巨大な筋骨隆々な身体を纏っていた赤い燐光が霧散していく。
襟元の手が静かに離れる。
支えられていた身体は地面に戻り、力の戻った両足で再び踏みしめられる。
「おかえり。気分は晴れたか?」
立ち上がり、口の端を上げるニック。
考えるより先に僕の口から言葉が溢れ出す。
「ありがとうございます。おかげ様で思い出しました」
「……気にすんな。兄弟だろ?」
ニックは片目を閉じ、身体を伸ばしながら答える。
彼の湧き上がる闘志を肌で感じながら、僕は彼の隣に並び立った。
舞い上がっていた噴煙が薄れ、薄紅色の髪のジムリーダーが姿を現す。
胸の奥底で何かが弾けるような感覚が広がった。
「そうだ、この熱だけは、想いだけは騙せない。……誰がなんと言おうとこれだけは譲れないっ!」
これが僕を、あの人へ近づける原動力なのだから。
心を突き動かす声が響く。
脈動する熱は瞬く間に広がり、全身に伝わっていく。
視界の端に灼熱が灯る。
「だから、こんな所で止まってなんていられない!立ち塞がるなら、超えるだけだ!」
超えるべき壁を見据え、僕は力の限り叫んだ。
隣で笑みを浮かべる男の存在を。
「行くよ!兄弟!」