ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
再び立ち上がった彼から迸る声がビートの鼓膜を震わせた。
なんてことは無い、気迫を滲ませただけの幼稚な啖呵。
しかし、その啖呵で彼は自分の周囲の空気を反転させた。
数分前の表情に影を見せていた未熟者は、もういなかった。
「ようやく、土俵に立ちましたか。……まったく、世話が焼ける」
青年の口からため息と共に吐き出された言葉。
苛立ちを見せるのかと思いきや、彼は前方を見据えながら静かに目を細めた。
まるで子の成長を温かく見守る保護者の様な雰囲気が垣間見える。
直後、彼は表情を戻し、場の雰囲気を引き締めた。ビートの周囲へ跪くように集まる純白の騎士たち。
彼らから立ち昇る戦意を身に受け、青年は両腕を広げた。
相対する挑戦者達を己の間合いへ招き入れるかのように。
「迷いが消えたようですね。ですが、戦力差は依然こちらが有利。……さぁ、どうします?」
マーチとニックはおもむろにボールを取り出し、満身創痍の相棒を退避させる。
入れ替わるように迸る、2つの閃光。
草原に足を踏みしめ、佇むのは白い羊毛と桃色の体躯。
『バイウールー』と『ヌイコグマ』の後ろで彼らは目を合わせた。
「「突っ込む!」」
僅かな静寂の後、2つの咆哮が戦場に響いた。
沈黙を破った挑戦者達は猛然と草原を駆ける。
「駆けるよ!ウールー!」
『メェッー!』
主の想いを背負い、気炎を挙げるバイウールー。
地を蹴り上げ、白毛の羊はたてがみを靡かせる白馬の眼前に躍り出た。
両足を踏み込み、迎撃の構えを見せるギャロップ。
白いたてがみの周囲に煌びやかな粒子が漂い始める。
「気合だけでは何も変わりませんよ。マジカルシャイン!」
ビートの声に呼応するように、ギャロップの前方で薄紅色の燐光が爆ぜる。
眼前に飛び込むバイウールーの身体が一瞬で光の中へと掻き消えた。
眩い燐光に照らされる草原。
その光を切り裂くように白馬の前に黒い影が現れる。
「この瞬間を待ってたぜぇ!《ローキック》だ!コグマ!」
『クマァッ……!』
桃色の体躯が躍動する。
眼前に飛び出しだヌイコグマの後ろ脚が白馬の横顔に叩きこまれた。
主の佇む、数メートル先に吹き飛ばされるギャロップ。
脚を振り抜き、空中で無防備をさらすヌイコグマの後ろに紫紺の刃が迫る。
もう一体の純白の騎士の奇襲にヌイコグマは刹那、跳躍した。
想定外の挙動に刃を振うエルレイドの瞳が見開かれる。
跳ね上がる桃色の体躯により死角となっていた前方から現れた一陣の白い風。
「この瞬間を待ってたんだ!ウールー!《すてみタックル》!」
間合いに飛び込んだバイウールーの突進がエルレイドの腹部を貫く。
後方に加速し、地べたに叩きつけられる純白の騎士。
土煙が巻き起こる中、エルレイドは体を震わせながら再び立ち上がる。
一時離脱していたギャロップが歩み寄る。
白いたてがみは所々泥でくすんだような汚れていた。
「なるほど。足りない地力は、支えあって補う……ですか」
ビートの脳裏に先刻の情景がよぎる。
身にまとう羊毛で相手の攻撃を防ぐバイウールー。
小さい体ならではの瞬発力と剛腕で相手を叩くヌイコグマ。
それぞれのポケモンでチャンスを作りだし、それを起点に攻撃と防御を組み立てている。
青年は静かに口角を持ちあげた。
いままでの戦況とは一変して攻勢に出始めた彼ら。
階段を上るように、自分の思い描く理想に近づいていく二人に諦観していた彼の心が高揚し始める。
「しかし、それは私にもできることです」
闘志が自然と体から湧き上がるの感じながら、ビートは再び前を見据える。
彼に呼応するかのように、足を止めていた二体の騎士達も戦闘の体勢に移行していく。
仕切り直し。
僅かな間を開け、両陣営が再び相まみえる。
「いい流れだ。このまま押し切るぞ!兄弟!」
「ええ。背中は任せましたよ。兄弟!」
視線を前に向けたまま、肩越しに通じ合う二人。
誰が合図するまでも無く、両者は再び駆け出した。
白い羊毛の突進を迎え撃つエルレイド。
紫紺の刃を前足の爪で相殺するヌイコグマ。
空を駆け、桃色の体躯へ迫るギャロップ。
地面を蹴り上げ、白馬の前に身体を捻じ込むバイウールー。
至近距離の超乱戦。
蹴り上げ、叩き込み、突進し、切りつける。数々の閃光と炸裂音が戦場を埋め尽くした。
眼前の敵を討ち倒すべく、命を揺らす4体の戦士。
果てなく続いた攻防の後、遂にその均衡が崩れる。
ヌイコグマの豪脚を紙一重で躱したギャロップが後方へと跳躍した。
「畳みかけんぞ!コグマ!」
『ッ!』
ヌイコグマは主の追撃の意思に背を押され、桃色の体毛を逆立てて身体を前へと押し込む。
地蹴りつけ、後退する白馬に飛び掛かる直前。
その後方で交戦していた二体の内、片割れの影が突如姿を消した。
驚愕で目を見開く、バイウールーとマーチ。
彼らが声を上げる前にそれは、無慈悲にも姿を現した。
「まずっ!?《テレポート》だ!」
『……!?』
ヌイコグマの苦悶の悲鳴。
無防備だった背中に紫紺の刃がめり込んでいる。
意識外からの攻撃に体勢を崩し、前方に転がり込む、ヌイコグマ。
倒れこんだ先に佇む白馬からは薄紅色の燐光が溢れ出ていた。
土壇場での挟撃。
ビートは腕を振り上げ、この戦いへ王手を叩き込む。
攻撃の指示と共に腕を振り下げる直前。
彼の前方で鋭い光が輝きを放った。
彼らはまだ諦めていなかった。光を放つ瞳を見開き、マーチは声を振り絞る。
「まだだ!ウールー!」
『メェ!!』
双眸を吊り上げ、跳躍するバイウールー。
攻撃を終えた直後の僅かな隙に、エルレイドの背後から渾身の一撃を叩き込んだ。
奇襲返し。
同じように体勢を崩しながら吹き飛ばされたエルレイドの先には、見覚えのある桃色の背中。
「まかせろぉ!コグマ!」
『!』
自分を奮い立たせる声音に、閉じていた瞳に光が灯る。
ヌイコグマは上体を振り上げ、宙を舞う騎士の身体を掴み込む。
遥か前方の燐光が強まり、爆ぜる。
瞬間、音と共に飛来する衝撃破。
己の命を刈り取る凶刃が身体を貫くより前に、ヌイコグマは掴み込んだ腕力を開放した。
周囲を切り裂くように駆け抜ける、衝撃音と炸裂光。
次第に発散した燐光が収束していく。
視界が回復し、そこに立っていたのは、桃色の体躯と白い羊毛。
投げ込まれ、奇しくも燐光の盾となった騎士はうつ伏せで地面に倒れ込んでいた。
時間が経過しても、立ち上がることは無い。
それはエルレイドの戦闘不能を意味していた。
「素晴らしい……!あの挟み撃ちをまさかひっくり返すとは……!」
静かにボールと取り出し、気絶した騎士を下がらせるビート。
彼は目を見開き、笑みを浮かべた。
戦力の半減。
己の片腕を捥がれたも同然の状況だが、青年の瞳の奥には燃えるような輝きが宿る。
そう、彼にはまだ奥の手が残されていた。
右手の腕輪が赤い燐光を放つ。
燐光は徐々に形を作り、持ち主の手中に収束する。
朧げな燐光が象る、赤いボールの幻影。
「《ダイマックス》か……!」
「やっぱ、そうくるよなぁ!」
赤く照らされるジムリーダーを見つめ、唾を飲み込む二人。
戦場を包み込む、紅の粒子がギャロップに結び付く。
「さぁ、これがラストです!魅せてください。君たちの可能性を!」
双眸に力を籠め、ビートは幻影の球体を放り投げる。
球体は空高く舞い上がり、鮮やかな閃光を作り出した。
花弁の如き燐光を身に纏う、巨大な白馬。ギャロップが地に降り立つ。
相対する敵を見つめ、白馬は嘶きを上げる。
口元に薄紅色の粒子が集まり出す。
「避けて!ウールー!」
「避けろ!コグマ!」
尋常ではない粒子の量に危機感を覚えた二人は、素早くポケモンを退避させる。
直後、一条の光が地面を貫いた。
吹き荒れる、粒子の嵐。
宙を舞う膨大な花びらを連想させる風景の中で、紫色の瞳の青年が呟く。
「……無論、こちらも全力で応じますがね」
想像以上の威力に息を飲みつつ、思考を巡らせるマーチ。
こちらはもうダイマックスを一度使用している。
次の使用まで粒子が集まるのを待っていたらきっとお陀仏だ。
周囲を見渡し、瞼を閉じながら腰のボールホルダーに手を当てる。
だから、考えろ。
今あるもので勝ちに行くんだ。
燐光を輝かせながら巨大な白馬が再び動き出す。
マーチは深く息を吸い込み、両頬を叩いた。
大丈夫だ。落ち着け。
足りないものはここで補う。
覚悟を胸に瞼を開いたマーチは声を振り絞った。
「みんな!」
戦場に響き渡る、覚悟の音色。
主の声に振り向いたバイウールー。ニックとヌイコグマも顔を上げた。
四人の視線が交錯する。
思考が収束する。
「「「「!」」」」」
一瞬の沈黙の後、四人は体を捻り駆け出した。
突如、四方へと散らばった、小さな的に僅かな戸惑いを滲ませるギャロップ。
粒子の収束速度が減速する。
「落ち着きなさい。ギャロップ。依然有利なのはこちらです」
「それはどうだろうなぁ!?」
ビートの指示に水を差すニック。
疲労を滲ませながらも、その瞳の奥には燃え盛る闘志が輝いていた。
ギャロップの側面へ駆ける足を止めずに叫ぶ。
「コグマ!しかけっぞ!」
駆け抜けるヌイコグマが身体を捻り方向を転換。
草木を跳ね上げながら、白馬の足元へ猛進していく。
動揺を振り払い、粒子の収束速度を取り戻したギャロップは眼下に迫る桃色の小熊を睨みつける。
収束していた粒子の輝きが一段上がる。
攻撃準備が整った事を察知したビートが腕を振り上げる。
「まずは彼からです!《ダイフェアリー》!」
白馬の口元に集まった粒子が眩い光を放つ。
狙いは直下で未だ駆け続けるヌイコグマ。
ギャロップが収束を解き、一条の光を放つ瞬間。
1つの影が視界の端が飛び込んだ。
「バイウールー!?」
ビートの声が僅かに裏返る。
今はまさに攻撃をする直前。
一網打尽にされる事を恐れて、先程散ったはずなのに。
自分の予測と乖離した状況に、ビートは一瞬、思考が止まった。
その隙をニックは見逃さなかった。
駆け付ける羊毛の隙間から萌黄色の光が零れるのを一瞥して彼は白い歯を見せる。
このデカい馬を回り込む様に走ったのも。
ヌイコグマを散開させつつ、自分の近くに置き続けたのも。
途中で切り返させて、突進させたのも。
全てはこのタイミングのため。
こっちを囮に、あれの時間を稼ぐため。
タンクトップと覚悟を背負う少年は戦場に生まれた、僅かな空白に自分達の作戦を叩きつける。
「OK!ドンピシャ!後はお前次第だ。踏ん張れよコグマァ!」
『クマァ……!!』
後方から迫る萌黄色の羊と主の声に意識を向け、ヌイコグマはその場上体反転させた。
前へと駆ける前脚と後ろへと伸ばされる前足が交錯する。
前足で仲間を掴み込み、引き寄せる。
その時発生した遠心力を絶やすことなく発生させ続け、回転。
それは草原を巻き上げる嵐と化した。
直後、地表に降り注ぐ薄紅色の光流。
光に飲み込まれる寸前、嵐の中から萌黄色の弾丸が射出される。
それは、地表を埋め尽くす閃光を切り裂きながら白馬の眼前へと到達する。
萌黄色の弾丸。
バイウールーは収束していた粒子の塊ごと、ギャロップの顔面を打ち抜いた。
響き渡る轟音。
爆発による影響か白煙が舞い上がる中、ビートは息を飲んだ。
「あの光、《コットンガード》か!?……まさか、ポケモンを投げてぶつけるとは」
己の守備力を高め、弾丸となって飛ぶ事で光流を突き抜け、最短距離で相手をぶち抜く。
前代未聞の戦略に、彼の表情から驚きと喜びが露わになる。
瞼を閉じ、自然と笑みを浮かべる。
胸の内に浮かび上がる、一幕の光景。
最初は拙いと思っていた。
緊張感の無さに危機感の欠如は今後を考えると致命的なもの。
しかし、窮地に対する精神力と胆力。起点を作り出す発想力と行動力。
爆発的な勢いを見せる今の彼らであれば、いつか訪れる『あの舞台』でも、戦い抜ける。
遥か上空から響く嘶きが鼓膜を揺らし、ビートは現実に意識が戻った。
目を見張るほどの成長速度。
だが、この勝負の行方はまた別の話だ。
彼は冷静に思考を切り替えた。
嘶き声から察するにギャロップにはまだ僅かに余力がある。
「素晴らしいです。まさか相手の攻撃に合わせてカウンターを合わせるとは」
しかし、対峙する二体のポケモンは限界が近い。
全身に走る傷。荒い呼吸音。
最後の特攻じみた攻撃で、文字通り全てを出し切ったのだろう。
決着を決める指示を出すべく、青年は顔を持ち上げた。
「……しかし、後一手足りませんでしたね。残念ですがこれで終わりで」
「後一手なら、ここにありますよぉ!」
青年は遥か後方から響く声に目を見開き、弾かれたように振り向いた。
そこには巨大な根の上を駆け抜けるもう一人の少年の姿。
「……そんなところに。しかし、そこから何ができるです?」
今までの激戦の裏で木の根をよじ登っていたマーチを見上げた、ビートから滲むのは微かな動揺。
彼は間髪入れずに呼吸を整えて、動揺を振り払う。
相手のポケモンは二体とも余力がない。
かたや相対するのはいまだダイマックスしているギャロップ。
トレーナーが根の上を駆けた所で、できる事など何もない。
冷静に戦場を俯瞰する青年の直上で、マーチは息を弾ませながら口角を持ち上げた。
そうだ。
一見すれば、こんな行為は無意味だ。馬鹿げている。
でも、あなたは1つ見落としがある。
僕らにはまだ、もう一人仲間がいる!
少年は足を踏み込み、思考をも置き去りにするかのように根から空へと身を投げ出した。
青年の目が大きく見開かれる。
囮を引き受けた相棒が笑みを浮かべた。
「あなたを、倒せる!ウールー!《バトンタッチ》!」
マーチの声に呼応して、自由落下中の羊が光に包まれ、こちらへ飛翔する。
空中に身を広げつつ、左手で空のボールを構える。
《バトンタッチ》。
攻撃でも、防御でもない技。
でも、この技は戦闘中にどんな場所でも使用者をこっちへ引き寄せられる。
僅かな思考の隙間を縫って閃光が飛来する。
ボールへと伝わる衝撃に体勢を崩しながらも、彼は右手にあるボールを掲げた。
手にするのはもう一人の相棒。
「さっきはごめん。でも、もう大丈夫。迷いはない。……だからさ」
少年の誰にも聞こえるはずの無い小さな呟き。
直後。
ボールの継ぎ目から僅かな雷電が零れ出た。
少年の瞳の奥が燃え上がる。
全身を包み込んでいた熱が臨界点を突破する。
「……ああ!頼む!もう一度力を貸してくれ!ワンパチ!」
マーチは空中でボールを振りかざし、放り投げる。
宙を舞うボールの継ぎ目が割れ、眩い紫電が弾け渡る。
閃光を纏い姿を現す、黄色い毛皮の子犬。
『イヌヌワンッ!』
巨大化したギャロップの頭上に躍り出たワンパチ。
お互いの間合いに相手が映り込む。
うねりをあげる大気を突き抜け、交錯する両者の瞳。
そして。
ギャロップが瞬く粒子を集約させ、膨大な光の渦を構築する。
同時。
ワンパチが周囲の雷電を集約させ巨大な光球を作り出した。
直後。
巨大な白馬の眼前から解き放たれる、燐光の奔流。
より前に。
背後に雷を背負った子犬は、上空から決死の一撃を叩き込む。
大気を焦がすかように、迸る雷光の塊。
それは周囲を轟かせながら、瞬く間に視界を埋め尽くして――。
白馬の意識を黒く塗りつぶした。
天を仰ぎ決着の行方を見届けた青年。
彼の目には小さな身体で宙を舞い、戦場に雷鳴を轟かせた彼らが映り込む。
その表情は、あの遥か彼方で垣間見た夢想を彷彿とさせるものだった。
ビートは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
「とりあえず成功、ですかね。……みんなお疲れ様」
落雷のような轟音が響いた瞬間。
ギャロップを纏っていた赤い燐光が唐突に崩れ始めた。
気を失ったように、力なく崩れ落ちるギャロップを僕は落下しながら見つめていた。
あれ?……落下?
「わあああああ!」
しまった!着地の事考えてなかった!
徐々に近づく地面。
僕の命のタイムリミットが爆速で時を刻む。
どうする!?捕まるものも無い!
目前に迫る地面。口元からよだれが吹き飛ぶ。
「ひぃぃぃぃぃ!」
思考が止まり、目をつむるくらいしか出来なかった僕はしばらくして、まだ息をしている事に気が付いた。
恐る恐る瞼を開くと、地面を踏みしめる足が目に映る。
そして自分の身体を纏う温かな光は、青く燃え広がる空色の炎を連想させた。
呆気にとられ自分の腕を眺めていると、不意に光が消えた。
包み込まれていた感覚が無くなり、自分の体重が両足に加わる。
ふと視線を感じ、僕は顔を持ち上げた。
森の幹の向こうに一瞬人影のようなものが見えたが、瞬きの間に姿が消えた。
見間違いか?と訝しみ、無言で遠くを見つめていると後ろから声が響く。
「おーい。無事かぁ?」
『ワフ、ワフ』
振り返ると、タンクトップを濡らすニックが歩み寄っていた。
その両脇にはヌイコグマとワンパチが抱えられていた。
「ええ。ありがとうございました、ニック」
「……もう、兄弟とは呼んでくれねぇのか?」
腕から飛び抜け、こちらの足元にすり寄るワンパチ。
足元で丸まる子犬を撫でているとニックが悪い笑みを浮かべていた。
「テンションが可笑しくなってたんですよ。それにニックだって僕の名前呼んだじゃないですか」
「ははは。ちょっと熱くなりすぎたな」
うん。あの時はちょっとどうかしてたと思う。
僕の弁明に、ニックは口を大きく開けて笑った。
「まぁ、飛び降りるとまでは思わなかったが、結果オーライだな!よくやれたじゃねぇか。お疲れさん!」
ニックはそう言うと、手を差し伸べてきた。
あの時と同じ、優しい眼差しに僕は頬が緩むのを感じながらもその手をとった。
「まったくです。今回は色々と君達には驚かされましたよ」
不意に乾いた音が響きわたる。
僕がニックの隣に立ち上がると、ビートさんが手を叩きながら歩いてきた。
「先程の意地の悪い発言を撤回します。……君達の本気を見たかったので、つい発破をかけすぎました。君達は十分トレーナーの素質がある」
「……!」
わざとだったのか。
彼の言葉の真意が分かり、僕は密に胸を撫で下ろした。
すると、ニックが隣で鼻を鳴らす。
「へへっ。かけすぎて火傷したんじゃねぇのか?」
「いえいえ。暖がとれそうで、ちょうどよかったですよ」
ニックの軽口に、ビートさんは瞼を閉じて薄く笑いながら応じた。
草原を漂っていた緊張感が解れていく。
ニックは短く息を吐き、手を伸ばした。
「じゃあ。さっさと約束の品を渡してもらおうかね」
「そうだ!僕らが勝ったんだから……」
ジムバッジ。
この死闘を受ける切っ掛けとなった、輝きを放つそれが脳裏に浮かぶ。
「ええ。こちらになります。どうぞ」
ビートさんは胸ポケットに手を入れ、僕らに放り投げた。
放物線を描く飛翔物を僕らは胸の前でキャッチする。
手の中で光る、鮮やな黒と桃色のコントラスト。
僕はしばらく眺め、違和感に気づいた。
裏面にバーコードと小さな文字が付いていたのだ。
『お土産シリーズ第6弾!なりきりジムバッジチョコ。ストロベリー風味』
え。これって。
「おい!これバッジじゃねぇじゃん!いやバッジだけどチョコじゃねぇか!」
隣で悲鳴を上げるニック。
僕も目を見開き、これを渡した人物に再び顔を向ける。
彼は心底悪い笑みを浮かべていた。
「本物とはいってませんよ?……それにこれは個人的なバトルです。ルールも、レギュレーションも滅茶苦茶だったのにバッジなんて差し上げたらルール違反で失格とかですよ?」
「まじかよぉ……」
「うそでしょ……」
僕らはそろって肩を落とす。
確かにそう言われれば、その通りでルールに抵触しそうだけれども。
なんとも言えない感情が胸を駆けまわり、僕達はしばらく言葉がでなかった。
「ひどい落ち込みようですね。……ま、とりあえず町に戻って食事でもどうですか?僕がおごりますよ」
僕らの消沈具合を見かねてか、ビートさんの提案には苦笑が滲んでいた。
バッジから目線を逸らし、隣で同じようにへこんでいる瞳を見る。
しばらくの沈黙のあと、僕達は復活した。
「「じゃあ……焼肉!で!」」