ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア   作:甘井モナカ

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最終章ってやつです。


#21.胸中

『太陽は沈み、お空は暗くなったが我々はちがーう!なぜなら!今宵は新たな伝説が始まるからだぁ!……皆さん、お待たせしましたぁ!本日開催される、ジムチャレンジ決勝戦!多くのチャレンジャーの中で戦い抜いて勝ち上がったのはこの二人!……』

 

 壁に反響した雑踏が耳の中へ滑り込んでいく。

 

 エントランス内を行き交う人々。

 その多くはスタジアム内へと足を運ぶ観客の様だ。

 様々な応援グッズを手に、歓喜に満ち溢れた表情で進んでいく。

 各所に見える運営スタッフも人の往来を止めないように、慌ただしく動き回っている。

 

 活気に包まれた空間の直上、吹き抜けとなっている2階フロアの端で。

 僕はベンチに座りながら軽食を流し込んでいた。

 

 一階に向けていた視線を手元に戻す。

 自身の手に握られているのはさっき売店で購入した飲料ゼリー。

 決して小さくない緊張で食欲の湧かなかった僕が食べられる唯一の食事。

 胃の奥底から湧き出る不快感をゼリーで飲み込みながら、僕は手元のデバイスに目を向けた。

 

 画面に写っているのは次の対戦相手。

 筋骨隆々の身体に張り付く様なタンクトップが否応なしに目に飛び込んでくる。

 

 かくとうタイプを主流とするトレーナー、ニック。

 チャレンジの始まりからなんやかんや隣にいた彼と今度は対峙する。

 

 二人で頂点を目指して進んだ道のりがここで終わりを迎える。

 

 自分自身が大きな分岐点に立っている感覚に包まれた。

 それと同時に。

 小さな心を押しつぶそうとするかのように背後から暗い重圧が這い寄ってくる。

 

 彼と戦う事で確かめられるであろう自身の強さへの期待感。

 そして、それは避けては通れない、僕達の勝敗を決める事を意味する。

 

 つまり。

 僕達のどちらかの夢が、ここで終わる。

 

 期待と不安。

 相反する感情が渦巻き、胸の奥で歪な塊となって僕の身体に重くのしかかった。

 

 ゼリーを流し込んでいた手が止まった。

 自身の心臓の音が鼓膜の中で反響する。

 背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

 意識するほど次第に圧を増す緊張感に突き上げられるように顔を上げると。

 

 そこには眼鏡の奥から覗く琥珀色の瞳が待ち受けていた。

 

「やっほー。大丈夫かい?」

「うぇ!?」

 

 目と鼻の先で僕を覗き込んでいたのはユウお姉さんだった。

 

 彼女の息遣いが聞こえる距離。

 整った鼻筋に血色の良い唇が目に入り、どくんとバカみたいな高鳴りを上げる僕の心臓。

 弾かれるように上体を後退させた僕の頭は後ろの支柱へと吸い込まれていった。

 

 鈍い音が後頭部から鳴り響く。

 すごい痛い。

 涙が零れそう。

 

「ちょっと。本当に大丈夫!?」

「だ、大丈夫です……」

 

 目を見開いた彼女は慌てた様子でさらに距離を詰めてくる。

 鼻腔をくすぐる甘い香り。

 

 ……ってまずい!かなり近い!

 両手を上げて大丈夫な事を伝えつつ、僕は急いで上体を持ち上げ距離を取った。

 

 僕の視界にユウお姉さんが再び映り込む。

 紺色のストライプが入った白色のワイシャツに膝上で小さくまとまった黒のタイトスカート。

 

 いつもの眼鏡も相まって知的な教師のような雰囲気に再び高鳴る僕の心臓。……ちょろすぎない?僕。

 僕は慌ててかぶりを振って、桃色の妄想を振り払った。

 

「……ユウお姉さんは、お仕事中ですか?」

「そうだよぉ。ここからがチャレンジの本番みたいなものだからねぇ」

 

 ユウお姉さんは、僅かにため息を吐きながら笑みを浮かべた。

 そのままよっこらしょと膝に手を置き立ち上がる。

 

 『本番』という言葉が引き金となり、僕の意識は下の階の喧騒へと引き寄せられた。

 見なくても、簡単に想像できる人の多さ。

 この人数を上手く誘導していくのは骨が折れる事だろう。

 

 目の前の立派な勤労者に僕は心の中で静かに合掌をした。

 

「しっかし、あんな初心者だった君がまさかここまで来るとはねぇ……あ。お姉さんは分かってたけどね?」

「台詞の前半でまさかって聞こえましたけど?」

 

 彼女の感慨深そうに呟いた言葉へ食い気味で突っ込んだ。

 僕の指摘に彼女は満足げな笑みをこぼした。

 

「でも、君の目標的にはここもまだ通過点なんでしょ?」

 

 髪にかかる横髪を耳に掛け直しながら、ユウお姉さんは僕を見つめる。

 

 僕を見据える真っすぐな瞳。

 体の奥底で胎動していた熱が思い出したかのように産声を上げた。

 首の力を抜いて僕はおもむろに顔を下げる。

 

 そうだ。

 ここはまだ通過点。

 僕が見据えるのは頂点にいるあの人。あの人の前に立って僕は……。

 

「そうですよ。まだ続いていく、高みを目指して……僕は認めてもらいたい人がいるんです」

 

 僕は足元に落としていた視線を上げ、目の前に立つ彼女を見上げる。

 眼鏡の奥で儚げに輝く双眸と僕の視線が交じり合う。

 

「……それが君の夢、か。叶うといいね。……ううん。叶うように応援するよ」

 

 ユウお姉さんは静かに瞼を下ろし、ゆっくりと自身に言い聞かせるかのように言葉を紡いだ。

 

 不意に。

 僕の周囲から音が消え失せた。

 

 モノクロになった背景で鮮やかに色づく彼女。

 瞳を伏せて穏やかな表情を浮かべるその姿は、まるで映画のワンシーンを切り出したかの様。

 自身の内側から溢れる何かを知覚した僕は、僅かに震えていた唇に力を込めて――。

 

 そこで、間延びした電子音が僕らの間にこだました。

 

 音が鳴り響いた方向に目を向けると、壁に隣接するエレベーターの扉が開いている。

 搭乗者がいないそれは、どうやら続けて次の階に昇っていくようだった。

 

「あ!この後準備で上の階にいかなきゃだった。すっかり忘れてたよぉ……」

 

 同じくエレベーターに目をやっていたユウお姉さんは『たははぁ』と緩やかなため息を吐いた。

 エレベーターの扉の上のマークが点滅を始める。

 

「じゃ!この後頑張ってねマーチ君!……私、待ってるから!健闘を祈る!」

「……は、はい!」

 

 目を細めてそう告げると、ユウお姉さんは足早にエレベーターに向かって駆けだす。

 跳ねるように小さくなる背中が扉の向こう側へ踏み込んだ瞬間、タイミングよく動き始めた両端のドアが彼女の姿を隠し込んだ。

 

 周囲に漂う、嵐が過ぎ去ったような感覚。

 エレベーターの低い駆動音を耳にしながら僕はゆっくりと視線を手元に戻した。

 徐々に喧騒が戻り、鼓膜を通してスタジアム内の賑わいを再び知覚する。

 

 先程とは変わらない光景。

 でも背後に這い寄っていた暗い悪寒は消え、あれほど体を蝕んでいた緊張感は無くなっていた。

 代わりに湧いてくるのは、軽い空腹感。

 

「……ちょろすぎんだろ。僕」

 余りにも単純な自身の体に苦笑しながら、僕は残りのゼリーを一気に飲み込んだ。

 

 

 

 エレベーター内。

 

 僅かな振動が続く空間で佇んでいた少女はおもむろに眼鏡を外した。

 眼鏡の縁に掛かっていた前髪が緩やかに揺れる。

 頭を軽く振るうと、首元までで切りそろえられていた長さの髪が肩まで掛かる長髪へと変化していた。

 

 間延びした電子音が鳴り、扉が開かれる。

 周囲を行き交うスタッフに軽く挨拶をしながら彼女は道路の奥へと進んでいく。

 

 しばらく進んだ後、1つの扉の前で少女は立ち止まった。

 

『待合室 チャンピオン ユウリ様』

 

 彼女は扉を開けて中に足を踏み入れた。

 扉の横のスイッチを押すと照明が灯り、薄暗かった部屋の輪郭が明らかになる。

 

 誰もいないその部屋の中央には丸机とソファ。

 壁際に置かれた棚の上には差し入れか幾つかのお菓子が置かれている。

 そして部屋の奥にある大きな姿見。

 

 その横に掛けられているハンガーには黒と赤を基調とするユニフォームに巨大なマントが掛けられていた。

 

 この部屋の主である少女、ユウリはぽつりと呟いた。

 

「あれだけ一緒に居たのに、結局気づかれなかったなぁ……」

 

 不満げな声音とは裏腹に彼女の口元は僅かに綻んでいた。

 

 姿見の前まで歩み寄り、手元のソファへと座り込む。

 大きな化粧台のような印象を彷彿とさせる鏡の前で彼女は覗き込むように顔を近づけた。

 

「まぁ、こっちもユウお姉さんとして会うのに慣れすぎたっていうのもあるよねぇ」

 

 纏まりを気にするかのように前髪に触れながら彼女は言葉を零していく。

 僅かに首を傾げると、姿見の前に置かれていた櫛と手に取った。

 

「私がチャンピオンだって知ったらびっくりするかなぁ?マーチ君なら……驚きすぐて固まっちゃうかなぁ?」

 

 ゆっくりと前髪に櫛を通しながら、呟いた彼女は吹きだすように笑みを咲かせる。

 まるで思い浮かべた人の反応が余りにも出来すぎていて自身のツボに入ってかの様に。

 

 ころころと笑い続けた彼女は、やがて落ち着きを取り戻し静かに目を細めた。

 

「……あの子なら、叶えてくれるのかな。……私の夢を」

 

 前髪を整え終えた櫛を戻しながら、少女の口から言葉が零れる。

 彼女以外いない部屋に響いたその音声は、誰に聞かれることなく虚空へと溶け落ちていく。

 

 そのはずだった。

 

「何を言っているの?」

 

 自身の中に直接飛び込んできた鋭い一声。

 

 びくりと身を震わせた彼女の手は手元に置かれていたリモコンを意図せず弾き飛ばす。

 直後に響く衝撃音。

 リモコンは床へ落下し、二転三転と転がった。

 

 その音を皮切りに部屋を灯していた照明が落ちる。

 静まり返る闇の中でユウリはおもむろに顔を上げ、思わず息を飲んだ。

 

 目の前にある、姿見そこに映っていたのは彼女自身。少女と同じ顔に身体。

 しかし、そこに佇んでこちらを見る彼女の表情、身なりは鏡の前で震えるユウリとは真逆だった。

 

 鏡の奥で無表情にユウリが口を開く。

 

「自分の立場を分かってるくせに、そんな甘い事が言えるの?」

「……!」

 

 相対する自身の鋭い一撃に言葉を詰まらせるユウリ。

 周囲の影に同調するかの様に、不気味な雰囲気が鏡の奥から立ち込め始める。

 

「私はもうみんなとは違う。みんなの元へは帰れない。自分が一番解っているでしょう?」

 

 淡々と紡がれる、少女の心を静かに抉る言葉の数々。

 抑揚の抑えられたその声音は姿の見えない圧となり、ゆっくりとユウリの身体を蝕んでいく。

 

「あの子もきっと、本当の私にはついてこれない。これは呪いなの。あの人の夢を潰して尚、愚かにもその道を進もうとした私への罰。……もうこの世界では私に平穏は訪れない。待っているのは緩やかな孤独」

 

 その言葉を引き金に少女の脳裏に呼び起こされる、1つの情景。

 歪に開かれた唇から空気が零れる。

 

 体を這う震えに懸命に耐えていたユウリは、力が抜けたかのように顔を落とした。

 重力に引きずられた前髪が瞳を覆い、彼女の周囲はさらなる闇に包まれる。

 

「計画は最終段階に入った。もう後戻りはできない。……いつまでも演じられないよ。ユウリ?」

 

 鏡の前に置かれていたデバイスから電子音が鳴り響く。自動的に点灯したウインドウの中である一文が彼女の目に入った。

 

『計画事前準備 全行程完了 《差出人》:薔薇』

 

 それは彼女の最後の退路を断つ、ある種の宣告。

 

 ユウリはうなだれたまま目線をゆらりと前へ向ける。

 自身を責める幻影はもう居ない。

 

 光の無い暗闇に包まれた一室の中で彼女は、静かに俯き続けた。

 

 

 

【シュートスタジアム。フィールド入口前】

 

 スタジアムを震わせる熱狂。

 フィールドでは話題のミュージシャンによる簡易ライブが行われていた。

 

 壁に据え付けられたモニタからでも分かる盛り上がりに僕は喉を鳴らした。

 

 あと数分後にはこの舞台に足を踏み入れる。

 何度も経験したはずなのに、心の奥底で何かがよどむ感覚。

 一度は解消してはずの緊張感が再び芽生え始めた。

 

 歓声が響いてくる遥か先の扉を眺めていると背後から聞きなれた声が響く。

 

「よぉ。コンディションはバッチリか?兄弟」

 

 振り返ると、相変わらずの不敵な笑みを浮かべるニックが佇んでいた。

 

 僕と目が合うと彼は口元を吊り上げ、上腕二頭筋を強調するポーズをとっている。

 

 どこにいっても変わらないなこの人は。

 平常運転の彼を目の前に僕はため息をついた。

 

「おいおい。テンション上げてこうぜ?俺達の最初で最後の晴れ舞台だろ?」

「……」

 

 彼の言葉が耳に僕は思わず目を見開く。

 

 そうだ。

 今日ここで僕達の旅が終わる。

 

 軽口を叩きながらも共に歩んだ道の終着点。

 

 今までの冒険の断片が脳裏に浮かびあがる。

 僕は何かを話そうと口を動かすが言葉が出て来ない。

 

 おもむろに顔を上げると、真剣な瞳と視線が重なった。

 虹彩の奥に燃え盛るような光を滲ませている。

 

 その瞳に写り込む、戸惑いを隠せない表情の自分。

 

「僕、は……」

 

 どうするのか。どうしたいのか。

 その先が出てこない。

 

 口からでる音は呼吸音となり、虚空に溶けていく。

 

 どれくらい。

 そうしていたのだろうか。

 目の前の男がゆっくりと口を開いた。

 

「……ったく。心配すんな兄弟。こんな所で勝っても、負けても俺達の行先は変わんねぇよ」

「……!」

 

 僕は思わず息を飲んだ。

 

「なんたってここは通過点だからな。俺達の目指す本物のてっぺんはもうちょい先だろ?」

 

 静かに語りかけるような声音。

 彼は目を細めながら続ける。

 

「追い抜かれたら抜き返す、それだけの事だ。大丈夫、置いてったりなんてしねぇよ。……俺達は兄弟だからな!」

 

 端から聞いたらただの稚拙な台詞かもしれない。

 でもそんな稚拙な言葉は確かに僕の心の奥底に静かに溶け込んでいった。

 胸の奥で渦巻いていたわだかまりが消え軽くなっていく。

 

「……あーあ。とんでもない人と仲良くなっちゃいましたね」

「へへっ……お前も大概だと思うけどな?」

 

 僕は天井を仰ぎ息を深く吸い込んだ。

 鼻の奥を突く僅かな痛みをこらえながら、精一杯の軽口を呟く。

 目の前で腕を組むタンクトップの彼は口角を上げている。

 

 ふとモニタに目を向けると、簡易ライブが終わってフィールド内部に人がいなくなっていた。

 

 だれもいないフィールドに徐々に増していく歓声。

 これからそこに立つ二人の姿を望んでいるかのような雰囲気がスタジアムに広がっていく。

 

「さぁ時間だぜ。俺達の舞台に上がるとするか!」

「ええ。僕達の全てを見せつけますよ!」

 

 開幕を告げるドラムが鳴り始める。

 

 僕らは並び立ち、フィールドへと続く通路を進んでいく。

 照明が抑えられた通路は入口から差し込む光をより強調していた。

 

 手足が光の向こう側へ入り込む直前。

 それは起こった。

 

 

 

 時は数分前に遡る。

 

 スタジアムの天井ドームと同じ高さに存在する観客スタンド。

 メイン区画の奥上部に存在するそれは限られた人しか入る事ができない特設エリア。

 

 フィールドを一望できるそこに佇んでいたのは、黒を基調としたデザインの中に赤いアクセントが交わるユニフォームを纏った人影。

 

 肩まで伸びる長髪が風になびき静かに揺れる。

 眼下に広がるスタジアムの風景を眺めている少女は、前髪で目元が隠れて表情が伺えない。

 

 高さの影響かスタジアムを包む熱狂もこのエリアではわずかに響く程度になっている。

 

 暫くの間、続く静寂に近い何か。

 それは突如鳴り響いた電子音で遮れる事となった。

 

 彼女はおもむろにデバイスを取り出すと画面を起動させた。

 画面を見た少女の動きが僅かに止まる。

 やがてデバイスを持っていた手を力なく下げ、彼女は天を仰いだ。

 

 日がとっくに落ちた空はただただ深い常闇が広がっている。

 

 周囲の闇へと同化するように一人佇んでいた彼女は、ぽつりと呟いた。

 

「……始めようか。あの、夢のために」

 

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