ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア   作:甘井モナカ

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お待たせしました。いよいよあの人が動き出すみたいです。


#22.異変

【シュートスタジアム・フィールド内】

 

 星々の光を色濃く輝かせる夜空の闇が茜色に染まり始める。

 

 スタジアム上空の遥か彼方から来る、黄昏を彷彿とさせる明るさに観衆はどよめき始めた。

 

「なんだ……あれ?」

「めっちゃ明るーい」

「すっげぇ光ってんじゃん。はっきり分かんだね」

「なんかの演出か?」

 

 周囲の騒めきを肌で感じ取ったマーチは不意に立ち止まり、上空を見上げた。

 

「……」 

「おい。急にどうしたんだよ?」

 

 隣に並んでいたニックもつられて足を止めた。

 フィールドへ続く出入口の前で空を見上げる二人。

 

 上空に広がるのは茜色が夜空を侵食していく風景。

 それは日が昇ってさえすれば、日の出と誤認できてしまうほどの明るさだった。

 

 目を凝らし遥か彼方を見据える少年の目にそれは映り込む。

 

 舞い散る花弁を連想させる、赤い燐光。

 

 訝しげな顔をするニックとは裏腹にマーチの表情は徐々に驚愕へと切り替わっていく。

 

「……ニック。確か、オトスパスを手持ちに入れてましたよね?」

 

 体の奥で滲み出す、微かな悪寒。

 

「ああ、いるけど。どうかしたのか?」

 

 隣から聞こえる疑問を片耳で捉えながら、少年は遥か前方を見つめ続ける。

 茜色に輝く空の下、赤い燐光の束は徐々に規模を広げていく。

 不意に少年の脳裏のよぎるのはあの街の光景。

 

 影に包まれた街の輪郭。

 周囲に鳴り響く警報音。

 あの時、街の人はどうなっていた。

 

 少年の思考は最悪の答えを導き出す。

 胎動していた悪寒が瞬く間に彼の全身を貫いた。

 

「出してください。……今すぐに!」

「……っ!出ろ!タコ助!」

 

 悲鳴にも似た叫び声に反応したタンクトップの少年がボールを操る。

 

 それと同時に赤い燐光はスタジアム上空へと到達した。

 突如、響き渡る高温の共鳴音。

 柔らかな女性の歌声を彷彿とさせるその音は瞬く間に周囲へ伝播していく。

 

 異変は起こった。

 観客の一人が頭を垂らした。

 それが合図になったかのように、周囲の人々の瞼が落ちていく。

 スタジアム内を駆けまわるスタッフ、周囲を警備する警備員、フィールド付近で状況を報道していたリポーター。

 まるで巨大なドミノ倒しの如く、人々の意識は連鎖的に溶け落ちる。

 

 フィールド出入口直前で佇んでいた二人の少年も崩れ始めた。

 背中を壁に押し付け、力が抜けたかのように潰れる上体を片膝で受け止める。

 意識が虚空へと引っ張られる直前、彼らの前方に青い体躯が躍り出た。

 

「……!」 

「……おうふく……びん、た……!」

 

 主の消え入りそうな声と状況を飲み込んだのか、青色の吸盤が並ぶ手足を捻らせたオトスパスは剛腕を振るう。

 

 今にも眠りに落ちそうだった少年達へと叩き込まれる目覚めの一撃。

 鳴り響く衝撃音は2つ。彼らは顔面を起点に吹き飛んだ。

 

 誇張抜きで二転三転と転がった少年達は暫くの間、両頬の痛みに悶え続けた。

 

「ぶぶぶぶふぅ……(いてててて……)」

「ばぁぶぶぶふー!(あ、いってぇー!)」

 

 覚醒した意識と引き換えに一時的に豚野郎と化す二人。

 

 二人の前で仁王立ちする青色の蛸は一仕事終えたかのような清々しい雰囲気を醸し出している。

 

「……もう、ちょい……手加減あっても良くないですか?」

「……こいつの辞書に、そんな文字ねぇって……」

 

 ポーチから取り出した抗炎症スプレーを顔に吹きかけながら、なんとか立ち上がった二人はゆっくりとフィールドに足を踏み入れる。

 

 依然として鳴り響く共鳴音。

 良く通るその音は周囲の環境音が全て消えていたから、と認識するのに時間は掛からなかった。

 

「……なにが起きてんだ?」

「……」

 

 ニックの呟きがぽつりと零れるの知覚しながら、マーチはフィールド中央を見つめる。

 燐光が舞い散る中、黒い人影がそこには佇んていた。

 

 黒い人影。

 もしかして、この前の人か?

 

 マーチは目を凝らし、前方を見据え続けて。

 次の瞬間に思わず息を飲んだ。

 

「……チャン、ピオン?」

 

 燐光が徐々に薄れ、人影の輪郭が露わになっていく。

 

 肩まで伸びた長髪に、視線を釘付けにする瞳。

 黒と赤を基調とするユニフォームに巨大なマント。

 

 見間違えるはずなど無かった。

 少年がテレビの向こう側で憧れ続けた存在がフィールドに立っていた。

 

「もしかしてと思って、来て良かったよ。やっぱり君はここぞという所で起点が効くからね」

「……?」

 

 少年の憧れた少女は、微笑みながら歩み始める。

 彼女と対峙した少年は僅かに首を傾げる。

 

 どういう事だ。

 会ったのは開会式の時以来のはず。

 僕を覚えているはずなんてないのに。

 

「あぁ。そっか。まだ気づいてないんだっけ」

 

 少女は閃いたように目を丸めると、右手の指先で音を鳴らした。

 

 少女の姿が変わる。

 肩まで伸びていた長髪が、首元で切りそろえられたボブカットに移り変わる。

 身を包んでいたマントが消え去り、現れる漆黒のローブ。

 

 少年の奥底で心臓が跳ね上がった。

 目の前で起こったのは、普通ではあり得ない不可逆的な現象。

 

 前髪を横に流し、頬に掛かる横髪を耳に掛ける。

 そして手にしていたのは、見覚えのある眼鏡。

 

 相対する彼は目を見開いた。

 

「あとは、この眼鏡をかけてっと。……はーい、マーチ君?」

「……嘘、でしょ?……ユウお姉さんが、チャンピオンのユウリ、さん?」

「やっぱ、あん時の姉ちゃんか」

 

 そこに立っているのは一緒に旅をして、何度も支えられた恩人の姿。

 ポケットから取り出した眼鏡をかけた少女は、にこりと笑みを浮かべた。

 

 相対する少年は笑う事ができなかった。

 心の奥で生じた違和感がそれを許さなかった。

 マーチの記憶とは異なる雰囲気の少女。

 笑みを浮かべているのにその奥の瞳は笑ってない凍り付く様な感覚。

 

 直後、周囲を漂っていた燐光が荒れ狂う。

 

「兄弟……!」

 

 隣にいたタンクトップの少年は燐光の奥へ消えていった。

 

 赤い花弁の絶海に包まれる中、少年は少女と対峙する。

 

「……なんでこんな所、にいるんですか?」

「やらなきゃいけない事が、あるからだね」

 

 髪を靡かせながら彼女は距離を詰める。

 彼女の身体を包み込む黒いローブの端が揺れ動く。

 

「その服装は……なんで、なんであの人達と同じローブを着てるんですか!?」

「その表情……分かってるくせに」

 

 マーチの悲痛な叫び声に少女は変わらぬ笑みを浮かべ続けた。

 

 やがて、二人の距離が無くなる。

 相手の吐息が聞こえるほど近づいた眼前で少年の耳はその言葉を知覚した。

 

 彼がもっとも聞きたくなかった事実として。

 

「私がこの状況を作り出した張本人。ポケモンリーグのチャンピオンで……ムゲン団総帥のユウリだよ」

「……っ!」

 

 マーチの目が見開かれる。

 動揺が走るその瞳の奥に映り込むのは、薄っすらと口角を上げるユウリ。

 

 ユウリはゆっくりと自身の両手でマーチの頬を包み込む。

 

 困惑と諦観。

 2つの視線が交錯する。

 

「もっと色々話したいけど、時間もないの。だから、今は大人しくしていてね?」

 

 ユウリは眼前の少年に言い聞かせるようなゆったりとした声音で言葉を紡いだ。

 

 直後、彼女の周囲の燐光が急速に輝き始める。

 

 マーチの鼓膜を震わせる膨大な共鳴音。

 体の芯まで貫く、その音圧はゆっくりと少年の意識を虚空へと誘っていく。

 

「……ユウ、リさ……ん……」

 

 少年の視界の端に影が立ち込める。

 薄れゆく意識の中で、マーチは眼前の少女の名を呟く。

 

 視界が暗転する。

 

 彼女の表情に一瞬の揺らぎが入るより先に、彼の意識は暗い闇の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 視界を覆うほどの赤い煌めきは、濁流の如く大気の狭間でうねりを上げる。

 荒れ狂う燐光に阻まれ、ニックは転がり込む様に後退した。

 

「くそっ!何がどうなってんだ!?……マーチ!」

 

 隣に並び立っていた、少年の姿は見えない。

 恐らく、あの荒れ狂う粒子の向こう側にいるであろう彼への呼びかけも返事はない。

 

 様々な状況の変化に、焦燥を感じながらもニックは足に力を込めて立ち上がる。

 

 迷うな。進め。

 今はあいつを助け出さねぇと。

 

 舞い上がる燐光を睨み付ける彼の瞳に光が宿る。

 地面を蹴り上げ、眼前へ駆け抜けようとした直後。

 

 渦巻いていた赤い障壁が霧散した。

 

 四方に凪いでいく煌めきの中から現れたのは1つの影。

 

「……次は、君だ」

 

 抑揚の無い声が響く。

 影を纏うかの様に、全身を黒いローブで包む少女。

 

 おもむろに顔に手を当てて眼鏡を外すと、比喩抜きに周囲を包み込む重圧が激しさを増した。

 

 環境の変化に目を見開いたニックの瞳に、それは写り込んだ。

 彼女の後ろで倒れ込んでいる少年の姿。

 

「……まじかよ。兄弟。お前の趣味とんでもねぇな……」

 

 自身に這い寄る、焦燥感が大きくなるのを感じながらも軽口を叩き込むタンクトップの少年。

 

 目線を周囲に配るも赤い花弁の様な燐光が舞うばかり。

 この状況を打破する方法は見当たらない。

 

 焦りを見せるニックとは裏腹に、無表情のユウリは沈黙を貫いたまま歩み始める。

 

「無駄な抵抗は、おすすめしないよ」

「……覚悟決まりすぎてんだろ。さてはカルシウムが足りてねぇな?」

 

 一歩一歩距離を詰めていくユウリ。

 徐々に大きくなるその姿は迫りくる影の様に視界を闇で覆っていく。

 

 頬を伝う汗を拭いながら、唇を湿らせたニックは不敵な笑みを浮かべた。

 迫りくる影に対抗するかのように。

 密に伸ばされた指先が腰の裏に隠したボールへと触れる。

 

 その直後だった。

 

 二人の間に巨大な火柱が立ち昇った。

 赤い燐光をかき消すように燃え盛る柱は、大気を押しのけて突風を巻き起こす。

 

「……っ!」

 

 突然の熱波に焼かれ、皮膚の温度が急激に上昇する。

 思わず眼前を手で覆ったニックの視界の端に黒いスーツで包まれた手足が映り込んだ。

 

 弾かれたように顔をあげた彼の前で、男は立っていた。

 突風にはためく、黒いスーツと深青色の長髪。

 

 自身を焼き付くす熱をも忘れ、少年は息を飲んだ。

 

「委員長としてこれ以上は見過ごせないぜ。……ユウリ!」

「ダンデ、委員長……!?」

 

 対峙していた少女と少年の間に降り立ったダンデ。

 

 周囲の燃え盛る炎を赤く発光する粒子で押しのけながらユウリは静かに前方を見据えた。

 無表情ながらも、僅かに眉が上がっている。

 

「ダンデさん。……どうやってここに?」

「おお、あの時はどうも。ただ、こっちには優秀なエージェントがいるんでね……」

 

 ダンデは右手を上げ指を鳴らす。

 

 瞬間。

 彼の前に現れたのは、黒色の巨大な鶏冠。

 滑り込むように現れたインテレオンが抱え込んでいるのは少女の後ろで倒れ込んでいた、もう一人の少年。

 

「マーチ!」

「追跡、脱走から人命救助までお手のもんだ。……こんな風にな」

 

 ニックの口から安堵の言葉が零れ落ちる。

 表情をやわらげた背後の少年を一瞥し、ダンデは口角を上げた。

 

「余計な事を。……なんど来られても結果は同じだと思いますけど?」

 

 和んだ雰囲気を再び凍り付かせる一言。

 

 舞い散る赤い燐光に包まれたユウリは、ゆらりと右腕を上げる。

 燐光に照らされ、影が落ちるその右手は静かに前方の男達向けられた。

 

「同じ手は食わないさ!インテレオン!……リザードン!」

 

 黒衣に包まれた少女がかざした手から何かが飛び出すよりも前に、ダンデが動いた。

 

 主の声に呼応したインテレオンが前方上空に顔を上げる。

 素早く構えられた指から放たれたのは、水の奔流。

 フィールド上空に飛散した水塊は雲のような大きさとなり、周囲の燐光を乱反射させた。

 

 宙を舞う水の塊が自由落下するより前に。

 さらなる上空から太陽の如く輝いた光が到来する。

 

 轟音を轟かせ水塊に直撃したのは燃え盛る炎の矢。

 それは瞬く間に周囲の水分を蒸発させ、圧倒的な量の水蒸気を発生させる。

 周囲を白く染める濃霧は瞬く間に広がりを見せた。

 

 ユウリは伸ばしていた腕を水平に薙ぎ払う。

 彼女の眼前に迫っていた濃霧は鋭い刃で切り裂かれたかのように上下に分断された。

 切り裂かれ露わになる対岸に、不敵な笑みを浮かべていた男の姿はない。

 

 ユウリはおもむろに顔を上げた。

 遥か上空を横切っていく一条の光。

 白熱する炎が尾を引いていくような光景を見つめた彼女はデバイスの電源を入れる。

 

「要観察者が逃走。……タワー内に入られると厄介だから、対応お願い」

 

 手短に連絡を伝え、通話を切った彼女は周囲を様子を眺めた。

 

 座り込んだまま、床に倒れ込んだままの人々とポケモンたち。

 様々な状況に陥っているが各々は一貫して、寝息を立て続けている。

 

 静寂に包まれたスタジアムの中心に佇んでいたユウリは、漆黒のローブに付随しているフードを被った。

 表情を影に隠した彼女は、音もなくその姿を虚空に溶かしていった。

 

 一切の活動音が響かない空間。

 

 彼女の立っていた場所に残る燐光の揺らぎが、微かな余韻として静かに漂い続けていた。

 

 

 

 

 【シュートタウン・上空】

 

 震える身体を突き刺していく冷たい空気。

 巨大な翼が宙を切るたびに巻き起こる突風が全身を叩きつけていく。

 上空を舞う翼竜、リザードンの背中にしがみ付きながら、ニックは声を張っていた。

 

「委員長!なにがどうなってる!?あの光はなんだ?チャンピオンはどうしちまったんだ?説明してくれ!」

 

 しがみつく少年の前で、翼竜の背中に跨っていたダンデは翼竜の横顔に触れた。

 何かの合図だったのか、羽ばたく度に加速していた爆発的な加速が収まる。

 

 羽を固定させ、上空を滑るように飛行するリザードンの上で男は振り返った。

 真剣な眼差しが少年の視線と交わる。

 

「彼らはムゲン団。今まで水面化で動いてた秘密結社さ。彼らの目的は恐らくガラル地方に夢幻世界を作り出すことだ」

「ヒミツケッシャ?ムゲンセカイ?」

 

 突如飛び出てきた聞きなれない単語にニックは思わずオウム返しをしていた。

 

「詳しい理屈は理解できなかったが、大まかな流れはこうだ。……みんなを眠らせて意識を繋いでいき、文字通り夢の中である種の世界を構築する」

「……みんなが眠って夢の世界を作る?……なんだってそんな事を」

 

 背中に悪寒が走る。

 それは上空の冷めた空気のせいだけじゃない事をニックは痛感していた。

 突然の巨大なスケールの話に困惑を隠せない。

 

 ダンデは表情を崩し、苦いものを噛み潰したかのように眉を下げた。

 

「……その理由ははっきりとは分からない。しかし、ここで止めないと世界が大混乱に陥ってしまう」

 

 吹きつける風がダンデの前髪を大きく揺らしていく。

 僅かに歪められた双眸が前髪で覆われた。

 

 馬鹿か。

 俺が弱気でどうする。

 今、この状況を変えられるのは俺なんだぞ。

 

 自身の言葉尻の弱さを知覚した男は、慌てて背後の少年に振り返った。

 

「……!」

 

 そこで、男の目に映ったのは、燃えるように輝く炎のような輝き。

 その輝きを瞳に宿す少年はおもむろに口角を上げた。

 

「そりゃそうだな。筋トレしてる間に眠っちまったらプロテインが補給できねぇ。筋肉が痩せちまう!」

 

 少年から飛び出た言葉に、ダンデは思わず目を丸くする。

 

 この状況を彼は独自の目線で受け止め、それに対する考えを述べた。

 幼少期の自分とは違う逞しさを見出した男は、無意識の内に目を細めていた。

 

「……まぁ、そんなところだ。……ちなみにさっき君に渡した奴は、この空間でも眠くならずに活動するための物らしい。詳しい原理はまだ分かってないが、奴らのアジトから拝借したものだ。機能は保証されてるはず」

「まじかよ。だから眠くならねぇのか」

 

 ニックは先刻渡された、黒い腕輪のようなデバイスをしげしげと眺める。

 黒と灰色の無骨な腕輪は時折、赤と青の光を点滅させていた。

 

「これから俺はあの塔に向かい、彼女を止める。……君はどうする?」

 

 前方を一瞥したダンデは背後の少年に問いかけた。

 腕輪を眺めていたニックは、視線を上げダンデを静かに見据える。

 

「決まってるだろ?俺達も行くぜ」

 

 瞳の奥に燃える盛る炎を内包させたニックは、自身とダンデの間で横たわる少年の腕を掴み答えた。

 周囲に響くのは大気を横切る風切り音。両者の間に無言の静寂が訪れた。

 暫くの時を経て、男が口を開く。

 

「……彼も連れていくのか?」

「当たり前だ。あの姉ちゃんを止めんのはマーチの役目だ。背負ってでも連れてくぜ?」

「しかし、彼は……」

 

 自身の前で倒れ込むように、瞼を閉じている少年。

 言葉を零しながら視線を上げたダンデはその先を言い淀んだ。

 

「なぁ。……こいつのスマホの待ち受け画像を知ってるか?……暇な時こいつがいつも話す内容を知ってるか?」

「……」

「俺は知ってる。こいつは気が小さくてよく悩む甘ちゃんだが、一度決めたら絶対に逃げない。だからさ、あの姉ちゃんを止めんのはマーチじゃなきゃいけねえ。」

 

 僅かに息を飲んだ男の瞳に映り込むのは、あの輝きを宿す瞳。

 

「……それが、惚れた男の役目ってやつだろ?」

「達観しているな。……君は本当に子供か?」

「子供じゃねえよ、俺達は。……燃える魂背負った、ただの漢だ」

 

 旋風が駆け抜ける中、ニックはダンデに詰め寄る勢いで言葉を放った。

 

 そうだ。

 こいつがこんな所で終わるはずがねぇ。

 必ず、ここに戻ってきて立ち上がる。

 

 自身の心の奥で溢れる出る予感を知覚しながら、彼は右手に力を籠めた。

 掌の熱が意識のないマーチの腕を通して伝播していく。

 

 眼前の少年の決意を目にしたダンデは、やがて静かに頷いた。

 

「……わかった。時間も無い、それで行こう。リザードン!」

 

 背に乗る主の声に反応し、赤い翼竜が速度を上げる。

 眼下に海の様に広がる赤い粒子を超え、見えてくるのは巨大な塔。

 塔を構成する外壁から粒子を絶え間なく放出するその姿は、誰が見てもこの一件に深く関係している事が明らかだった。

 

 リザードンは巨大な翼で大気を押しのけ、目的地へと飛翔する。

 

「……しかし、兄弟か。……全然似てる感じがしないな」

「ああ!血じゃなくて魂で繋がってるからな!」

 

 

 

 

【シュートタワー・入口前】

 

 静寂に包まれた、シュートタワーの入り口付近。

 

 警備員、タワー内部のエントランスに居たスタッフも皆、意識を手放していた。

 赤い燐光が漂う中を黒い人影が横切る。

 

「総帥より伝令。これから対要観察者への鎮圧行動に出ます。各員戦闘準備してください」

「了解しました」

「かしこまりでぇす」

「おかのした」

「最後の最後で大きな障壁ですか……」

「あれぇ?……なんか眠くなって来ない?」

 

 タワー入り口前に集まったのは無数の黒いローブの人影。

 同じ衣装に深く被ったフードが相まって、遠目からでは人相が確認できないほど一体感のある軍団となっていた。

 強いてあげるなら、背の大小程度か。

 

 彼らは耳元のデバイスを操り、続々と塔の足元へ集結していく。

 各々の手には灰色と黒の腕輪型デバイスとボールが握られていた。

 

 やがて飛来する、炎の尾を引く赤い翼竜。

 

 上空を見上げた彼らは次々とボールを起動させ、ポケモンを出現させる。

 大小様々なポケモンたちは赤い粒子が漂う地面を踏みしめた。

 

「……作戦開始。各員お願いします……!」

 

 1つの黒いローブから発せられた、開戦の合図。

 

 その声を皮切りに、地表から放たれる数々の攻撃。

 様々な種類の攻撃は牙を剝き、空を舞う翼竜を打ち落とすべく殺到する。

 

「避けろ!リザードン!」

「……っ!なんだこの数!?」

 

 ダンデの鋭い一声とニックの裏返った叫び声が重なった。

 巨大な翼を操り、身を翻すリザードン。

 

 一瞬前に滞空していた場所を横切る刃の数々。

 翼をはためかせ、大きく旋回しながら攻撃を回避し続ける。

 

 爆走する翼竜の背中にしがみつくニックは左右上下に振り回されていた。

 

「あばばばばばばば!!」

「5……10……20人はいるのか?」

 

 急速な回避行動を続けながら、ダンデは眼下に広がる黒い人影の数を確認する。

 タワー前に陣取っている軍団。それと、各方面からも徐々に近づいてきてるな。ここで足止めさせるつもりか。

 

 ダンデは腕手元の時計を一瞥する。

 計画はいつ発動されるか分からない。

 数分後かもしれないし、数時間後かもしれない。……タワー内にも人員が居ると想定した場合、一番きついのは追手の挟み撃ちってところか。

 

 脳裏を過る最悪の想定を巡り思考を回すダンデは、おもむろに背後の二人に目を向けた。

 リザードンの背中に目を回しながらしがみ付くタンクトップの少年と、今なお静かな寝息を立て続けながら眠り続ける薄青髪の少年。

 

 今年のチャレンジャーの中でトップに立つ二人の姿を見つめ続けたダンデは、僅かに息を吐きリザードンに合図を送った。

 急速に傾いた翼竜の体躯は、滑り込むようにシュートタワー外壁へと接近していく。

 

「ここは俺が食い止める!俺が囮になれば彼らも戦力を集中させるはず。……その隙に君達は先に行ってくれ!」

「……っ!分かったぜ!」

 

 ダンデの言葉の端から溢れる決意を感じ取り、ニックは自然と眉を上げ声をあげた。

 

 ダンデは迫りくる外壁を見据えながら、手にしたボールを起動させる。

 顕現する青と黒の体躯に巨大な鶏冠。

 

「インテレオン!……彼らを頼む。俺の変わりに必ず守り抜くんだ」

 

 言葉の奥底で滲む熱が周囲に響き渡る。

 翼竜の背中に片膝を立てていたインテレオンは主の目を見つめ、静かに頷いた。

 黒い両腕で二人の少年を抱え込むと、インテレオンはリザードンの背中の上で立ち上がる。

 

 巨大な翼が外壁の隣を滑空する。複数の窓に翼竜の姿が映り込み反射された。

 抱え込まれていたニックがダンデを見据える。

 

「……こっちは任せてくれ!俺達が必ず止めて見せる!だからそっちは任せたからな!元チャンピオン!……ダン、わあああああああああ!」

 

 交錯していた少年の眼差しは、インテレオンの跳躍によりタワー外壁側へと小さくなっていった。

 

「上手くいったか。……っ!」

 

 窓を壊し内部に侵入した所を見た所で、眼前に氷の刃が飛来した。

 ダンデ達は身を翻し攻撃の拠点、タワー出入口前へと突撃する。

 

 地表を伝う振動と衝撃音。

 赤い燐光と砂煙を巻き上げたそれは、大きく口を開いた。

 

『!!!!!!』

 

 辺りに響き渡る翼竜の咆哮。

 周囲に漂う粒子を押しのけ、姿を現したリザードンは自身の前に立つ主を守るかのように巨大な羽を広げた。

 

 空に打ち続けられた弾幕は止み、再び辺りは静寂に包まれた。

 

 黒いローブの人影たちとダンデは静かに相まみえる。

 翼竜の前に佇むダンデの脳裏によみがえるのはあの言葉。

 

「元チャンピオンか。……そうだな、かつては王座に居た者の意地を見せるとするか」

「リーグ委員長ダンデさん。直ちに抵抗は止めて投降してください。我々も手荒な真似はしたくありません」

 

 表情の見えない黒ローブの一人が言葉を投げかける。

 不意に飛んできた提案に目を丸めたダンデは、静かに笑みを浮かべた。

 

「……だが断る、と言ったら?」

「残念ですが、実力行使に移ります」

 

 身構え始める黒いローブの人影達。

 周囲に緊張が漂い始める中、ダンデは顔を落とした。双眸が前髪で覆われる。

 

「……そうだよ。俺の相手をしてくれ。それで、抑え込む人数はこんだけか?」

 

 返答は無い。

 

 ダンデはゆっくりと顔を上げた。

 前髪に隠れていた瞳が輝き、口元に獰猛な笑みが浮かぶ。

 

「足りねぇよ。後10倍は持ってこい」

 

 直後、開戦の合図を告げるかのように翼竜の咆哮が轟いた。

 

 

 

 

【???】

 

「……っ」

 

 視界の端々を埋め尽くす白。

 

 それは濃霧が何重にも重なり外部の光をぼやかし続ける、ある種の暗闇と対極に位置する光景。

 

 そこに佇んでいたのは、薄紅色の髪の青年、ビート。

 彼方に残していた彼女から発せられた、思惟が一条の光となって青年の脳裏を貫いていた。

 ゆっくりと進めていた足を止め、額に手を当てる。

 

「遂に、始まりましたか……。という事はいずれここも……」

 

 自身の中で浮かび上がる最悪の想定を振り払うように青年は静かに息を吐いた。

 不意に視線を感じ、ビートは顔を上げる。

 

 目の前に広がる白い絶海。

 

 その奥で僅かに輝き始める2つの眼光。

 その輝きは次第に大きくなり、やがてビートの前に姿を現した。

 

「あなた達も気づきましたか……。そういえばあなた達の元主、でしたね」

 

 青年の呼びかけに、2つの影の眼光は鋭さを増した。

 

「そう、殺気立てないでください。……分かってますよ。ここに来たのはそのためですから」

 

 2つの影が発する重圧に青年は肩をすくめる。

 

 彼の両手に握られているのは朽ち果てた遺物。

 剣と盾のようにも見えるそれは、淡々と鈍い輝きを放ち続けていた。

 

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