ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
【色彩の無い世界】
暗雲は消え去り、鮮やかな夕日が空を彩っていた。
おもむろに瞼を開けた少女は、自身の身体に手を当てる。
痛みは、無い。
僅かに息を飲んだ彼女は、ゆっくりと上体を起こした。
少女の視界の先に広がるのはおびただしい量の血痕。
彼女の身体を囲む様に広がった血の痕跡は、雨に打たれ影響か薄くなっていた。
自身の衣服も所々、破損している事に気づいた少女は、僅かに目を見開いた。
自身の衣服の腹部に空いた巨大な穴。
破損部に滲む血痕は医療に詳しくない彼女でも致命傷だったということが理解できる。
しかし、自身の身体に至っては全くの無傷。
あまりにも不自然な状況だが、不思議と疑問は湧かなかった。
自身の身体を漂う、赤い燐光が視界を過る。
少女は顔を上げ、自身を見下ろす大きな影と向き合った。
「……ムゲン、ダイナ」
『……』
彼女はおもむろに手をかざすと、巨大な影はゆっくりその体躯を近づけた。
まるで元気の無い飼い主に鼻を擦り付けて元気付ける子犬のように。
少女の手が影に触れる。
「……君が、助けてくれたの?……そっか、君もずっと独りだったもんね」
少女の身体を包む燐光が輝きを強める。
自身の周囲で起こる異変に一瞬、驚きの表情を浮かべた彼女は静かに目を細めた。
輝きを放つ手足を眺め、漂う粒子を手繰り寄せた。
まるで、初めから扱い方を知っていたかの様に。
そして、少女の身体はゆっくりと浮き上がり、宙を舞った。
黄昏の空の下、2つの影が静かに上昇していく。
自身の前で漂う、ムゲンダイナに導かれるように彼女は草原へと舞い戻る。
雫で濡れた草原に足をつけると、聞き覚えのある声が少女の耳に飛び込んできた。
「ユウリ!ここにいよった!」
声のした方へ顔を向けると、走り寄ってくる黒衣の少女。
黒いブーツで草原に染みた水滴を跳ねさせながら、駆け寄った彼女は静かに佇んでいたユウリを抱きしめた。
「……マリィ、ちゃん」
ずっと走り続けていたのだろうか。
自身より遥かに高い体温を感じ取りながら、彼女は呟いた。
「なにしとん!……一週間も雲隠れしよって!」
耳元で聞こえる、その声音は僅かに震えている。
ユウリはその声をしばらく聴いた後、おもむろに瞼を閉じて口を開いた。
「ごめんね、心配させて。……私ね、人間やめちゃったみたい」
「……は。……何、いっとん?」
びくりと肩を震わせたマリィは、弾かれたように身体を離して眼前の少女に向き直った。
両肩を掴まれ、逃げ場を失ったユウリはゆっくりと顔を持ち上げる。
その顔に浮かぶ笑みは、どこか諦めの雰囲気が滲み出ていた。
「……この子と繋がっちゃったみたい」
呟かれた言葉と同時に。
少女の身体から赤い燐光が漂い始め、周囲を覆う。
驚きの表情を浮かべ、ユウリの肩から手を離したマリィの前に顕現する巨大な影。
二人の間に現れたムゲンダイナは、静かに眼下を見下ろしていた。
ユウリは自身の足元に落ちていた、木の枝を拾い上げると自身の腕に突き立てた。
「ユウリ!?」
「大丈夫だよ」
すかさず飛んできた悲鳴を合図に、少女はゆっくりと木の枝を抜き取った。
腕に付いた赤い傷口が、みるみる塞がっていく。
まるで傷つく前の状態に巻き戻るかのように。
眼前で起こる現象に息を飲むマリィ。
「……!」
「……ね?」
血で濡れた木の枝を放り投げながら、少女は笑みを浮かべた。
先程自身を傷つけた者とは思えないほどの可憐な微笑み。
その可憐さ故に、眼前で起こっている異変が際立つ感覚をマリィは感じ取っていた。
あんなに、震えてる。
抱きしめなきゃ。
温めてあげないと。
私が支えなきゃ、この子は。
自身の身体を駆け巡る感情とは裏腹に、ぴくりとも動かない身体。
彼女は少女の前でただ立ち尽くす事しが出来なかった。
粒子の中心に居る少女は、再び静かに微笑んだ。
赤い燐光は次第に薄れ、宙を漂っていた影も虚空へ溶けていく。
「……私、出ていくよ。こんな身体じゃ……ここにはいられないから」
「……まって」
燐光を纏う少女はゆっくりと立ち上がった。
「今度こそ、チャンピオンは辞退させてもらわなきゃだ。……もともと柄じゃなかったんだよね。……私はただみんなと昔みたいに冒険したかっただけなのに」
「……まってよ」
ゆっくりと言葉を紡ぐ彼女は、眼前で立ち尽くす少女の前から一歩踏み出す。
小柄な少女の後ろ姿が離れていく。
止めなきゃ。
本当に行ってしまう。遥か彼方へ。
でも、止めた後。どうするの?
あの子をなんとか、できるの?
「……」
心の隅に残る不安がマリィの立ち尽くす足を地面に縫いつけ続けた。
「じゃあね。マリィちゃん。……みんなによろしくね」
黄昏を背に、再び一歩踏み出す彼女から紡がれる言葉。
立ち尽くす少女のから言葉は出なかった。
彼女の代わりに、別の声が草原に響き渡ったから。
「旅立つ前に、その話詳しく聞かせていただきたいですね」
声の主は草原の先に佇んでいた一人の初老の男。
灰色のスーツを纏ったその姿から漂うのは豪勢な雰囲気。
「……ローズ、さん?」
視線の先に立つ男を目にしたユウリは、僅かに訝しんだ。
あの人は、数年前の事件の影響で拘置されていたはず。
少女の懐疑的な視線に気づいたのか、ローズは肩をすくめた。
「マリィさんの同行ですよ。あなたの捜索を手伝う変わりに、仮釈放という形になりました」
後ろで立ちすくむ少女を一瞥したユウリは、再びローズに向き直る。
大げさに手を広げた男は、仰々しく続ける。
「しばらく観察させてもらいましたよ。推測ですが、恐らくあなたの身体はガラル粒子を制御する、ムゲンダイナのある因子と結び着いたのでしょう。我々は新系統の物質として一時期それをこう呼んでいました。《ダイナ因子》と」
「……」
「なぜそこまで詳しいのかと聞きたそうな表情ですね。……お忘れですか?私は数年前までその子の研究を進めていた第一人者ですよ?」
「……また、《ブラックナイト》でも起こすつもりですか?……みんなに迷惑をかけるなら、今この場で……」
自身の仮説を長々と説明したローズは、少女の腰に付いているボールを指差した。
相変わらず考えている事が見えてこない男に、微かに苛立つユウリ。
開かれた口から発した声音の奥には棘が垣間見えた。
「まさか!ただ、私は提案したいだけですよ。……過去の研究資料を活用すれば、あなたの望みをかなえられるかもしれないと」
眼前で漂い始めた敵意に、対して男は慌てたように両手を大げさに振るった。
動作のみで表情は依然、苦笑を浮かべたまま。
どこか怪しい雰囲気が拭えていない感触がする中、ユウリは一歩踏み出した。
その表情には先程の冷めたような眼差しは無く、驚愕に包まれていた。
「……私の、望み?」
震える唇から零れ落ちる彼女の言葉。
絞り出されたその声音は酷くか細かった。
「言っていたではありませんか。……昔の様に冒険したい、と」
「……!」
ローズはゆっくりと言葉を紡いだ。
彼女の求める救いの言葉を。
数々の出来事で疲弊し、追い込まれていた少女にとってそれは何物にも代えがたいある種の希望。
表情が揺らぐ彼女を前に、ローズは交渉を持ちかける。
「あなたの望みをかなえるためにもし我々を選んでくださるのであれば、代わりというの変ですが、シュートタワーの地下に凍結されている研究施設を開放していただきたい。そこに眠っている各種研究データは今後必要になるものばかりなので。……どうでしょう?ユウリさん?」
向き合う二人の間に静寂が訪れる。
草原を吹き抜ける、湿った風がユウリの頬を撫でていく。
黄昏が終わりを告げ、次第に夜が空を覆い始める。
揺れる前髪で双眸を隠していた彼女は、おもむろに顔を上げローズを見据えた。
彼女の出した答えは。
「……詳しい話を聞かせてください。施設の凍結解除はその後です」
「偉大な選択に心より感謝を。あちらでヘリを待たせております。足元にお気をつけてお進み下さい」
ユウリの呟きに満足気な笑みを浮かべるローズ。
仰々しく一礼をすると、遥か先に大気しているヘリを指し示した。
彼女は頷くことなく、自身の足物に視線を落とす。
周囲に僅かに漂った粒子は彼女の身体を包み込み、その姿を虚空へ溶かしていった。
消え去った姿は、瞬時に遥か先のヘリの前に現れる。
「瞬間移動、ですか……!素晴らしい。……いや、これからの事を考えればこの程度は当然なのかもしれませんね」
遥か彼方へ瞬時に移動したユウリを双眼鏡で眺めながら男は呟いた。
想定以上の力に目を細めながら、ローズは後ろへ振り返る。
彼の目に映るのは、未だ茫然と立ちすくみ黒衣の少女の姿。
「マリィさん。あなたも来てください」
「……わたし、も?」
僅かな反応を示すマリィに、ローズはゆっくりと歩み寄る。
「当たり前でしょう。彼女を探して終わりじゃない。問題を抱えているなら解決しなければ」
「……解決?」
おもむろに顔を上げるマリィの前で立ち止まるローズ。
彼女の瞳に、微笑みを浮かべる男の姿が写り込む。
「ええ。我々で彼女を支えるんですよ。彼女の夢をかなえるためにね」
【シュートタワー 69階 連絡通路】
「元カノと、再び過ごす夢が……」
「総帥の崇高な考えを、否定するとは……」
己の内側に抱えていた言葉を吐き出しながら崩れ落ちる黒衣の男たち。
「はぁ……はぁ……ったく。夢だかなんだか知らねぇが……勝手に考えを押し付けてくんじゃあねぇよ」
地に伏せる男たちの前でニックは息を切らしていた。
上下する肩に連動するように一筋の汗が頬を伝う。
「現実に不満があんなら、筋トレしろ!筋トレ!見てみろ、この輝かんばかりのふくらみを……ってやべぇ!過去一で膨らんでねえ!……くそっ。さすがに疲労が溜まってきたか?」
自身の萎んだ腕を眺め、タンクトップの少年は目を見開いた。
追手を躱しつつ、最上階まで駆け上り続ける状況。
自身の身体に這いよる疲労感も徐々に無視出来なくなっていた。
「よくやったぞコグマ。少し休んでろ」
傷を負い、地面に座り込んでいた自身の手持ちをボールに格納しつつ、彼はゆっくりと視線を持ち上げる。
並び立つインテリオンが警戒心を強めている。
視線の先に広がるのは暗闇。
依然として薄暗い影に包まれる構内、その影から音もなく現れる新たな黒衣。
歩む度に響く足音で静まり返った静寂を破りながら、追跡者は距離を詰めてくる。
構えをとるインテレオンの隣でニックはおもむろに口角をあげた。
「侵入者発見。これより対処を開始します。……我々の夢の邪魔はさせない……!」
「……ったく。キリがねぇな。どいつもこいつも、俺らの邪魔すんなら容赦はしねぇぞ!」
【色彩の無い世界】
地下深くに位置する研究施設。
長い通路を進んだ先にある、青白い光源で照らされた一室。
白衣を纏う複数の人々が機械仕掛けの人形のように往来する。
様々な機材が置かれた室内には、定期的に発する電子音が反響していた。
「測定数値算出。抽出完了。《ダイナ因子》適合率97%を突破」
「《ガラル粒子》との結合状態、良好。因子の稼働率も安定域に達しています。」
淡々と報告結果が飛び交う中、寝台の上で横たわっていた少女が上体を上げる。
サイズの大きい検診衣がこすれる音を疎ましく感じながら、ユウリは寝台から降り立った。
「……素晴らしい結果ですね。まさか、これ程とは」
少女の耳に入る乾いた音。
おもむろに顔を上げると、灰色のスーツを纏った男が眼前で手を叩いていた。
「数値上では、あなたはムゲンダイナと同じ領域にいるそうですよ?」
「……私の言う事、信じてなかったんですね。最初から話してたはずですけど」
仰々しく両腕を広げたローズ。
薄い笑みを浮かべながら、飄々と呟く男を前に少女は微かに眉をひそめていた。
「いえいえ、そんなつもりは微塵もありませんよ。ただ、前例がない事でしたので色々とこちらも高揚していることはお許し願いたい」
男は眼前から突き刺すように飛ぶ彼女の敵意をものともせずに、演劇でもしているかのような口調でまくしたてる。
微塵も雰囲気を変えない彼に対して、少女は静かに息を吐いた。
頬で揺れる横髪を払い、彼女は男に向き直る。
「それで、私の夢を叶えるっていうのはどういうことですか?」
「……ムゲンダイナいや、《ガラル粒子》に直接作用する《ダイナ因子》には可能性があります。宿主の感情に反応して半永久的に活動する性質があるからです。……あなたもご存じでしょう?《ガラル粒子》にはこの世の事象を超越する力がある。ポケモンの姿を巨大化させる創造能力。宿主の傷を癒す外的要因を拒絶する力。発生源とされるムゲンダイナが不老不死といわれることも納得できます」
少女の口から零れた問いに、男は整えた前髪に触れながら静かに語りかける。
口を噤んだまま、自身を見つめる彼女を一瞥して彼は続けた。
「そしてその力は因子を通してあなたの中に存在している。その力を活用すればこことは別の世界が作れると思いませんか?あなたが望む夢想の果てを、あなたの思い通りに」
「……!」
男が提示するのは、夢想の構築。
この世に居場所が無ければ別の世界で作ってしまえばいいという暴論。
しかし、その暴論を叶える力を眼前で俯く少女は持っていた。
「私が、望む世界……」
彼女の消え入るような呟きは、反響することなく虚空へ消えていく。
ユウリはおもむろに顔を上げる。
その瞳には一切の光が無く、深淵の如き深い闇が立ち込めていた。
そこから先の映像は断片的だった。
チャンピオンの肩書、元委員長の人徳に賛同するものが次々と集う。
農家。
保育士。
警察官。
猟師。
学生。
トレーナー。
様々な職種、人種が己の夢想を求めて。
漆黒のローブに包まれた人々は次第に勢力を増していく。
そこには、かつて黄昏の草原で雨に濡れた少女を抱きしめた親友の姿も見受けられた。
試験研究部隊。
計画実行部隊。
それらを纏め、指揮する幹部。
その上に立つ総帥。
僅かな年月の間に、彼らは水面下で巨大な組織へと成長する。
やがて、その組織は1つの名前を身に纏う。
夢を幻と諦めずに、掌を伸ばして追い求める。
その組織の名前は《ムゲン団》。