ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
「いつまで寝転んでんの。風邪ひいちゃうぞぉー?……少年」
「ほら、肩貸せよ。持ち上げるぞ。……マーチ」
聞き覚えのある声と共に両肩が温かい感触に包まれた。
僕よりも大きな手に支えられて、地べたに這いつくばっていた身体が持ち上がる。
よろけながらも、地面に足をつけた僕はゆっくりと振り返った。
そこには見覚えのある白衣を纏う男女が静かに佇んでいた。
不意に視界がぼやける。
鼻の奥を鈍い痛みが突き抜ける。
熱くなった目頭を深呼吸でごまかした僕は吐き出すように呟いていた。
「……ソニア、さん!……ホップさん!」
「ちょっと。いくら寂しかったからって感極まるの早すぎるわよぉ。……まだ何も終わってないんだからさ」
「な、泣いてないですよっ!」
堪えていた涙腺が一気に緩むのを見たのか、ソニアさんが慌てて指を振った。
「無理を言ってるのは分かってる。……それでも、あともう少しだけ頑張れるか?今あいつを止められるのはお前達しかいないんだ」
眉を僅かに下げながらも、落ち着いた口調で話すホップさん。
彼の真剣な眼差しが僕の瞳を射貫く。
答えはもう、とっくに決まってる。
自分の中から生じる熱を再確認した僕は迷うことなく口を開いた。
「大丈夫です!まだ、行けます!」
白衣の二人はそろって口角を上げた。
旅に出る前、研究所に助手として入り浸っていた頃の情景が脳裏を過る。
あの頃と同じまるで実家の安心感のような雰囲気が漂い始める中、僕は1つの見落としに気づいた。
「……でも、どうやってここから出るんです?現実に戻る方法が何かあるんですか?……そういえば、ユウリさんはさっきこの奥に行っちゃいました。進もうにもそこの壁に阻まれて全然奥に行けないですけど。とにかくこのままじゃまずいん」
「落ち着いて聞いてくれ、マーチ。」
口に出せば出すほど詰んでいる状況に焦燥感が増し、途中から話がまとまらなくなってしまった。
そんな僕の焦りを悟ったのか、落ち着いた口調で声を出したホップさん。
僕の長い呟きを中断すると、彼はゆっくりと一指し指を立てた。
「ここは今、想像が実体となった世界だ。個人の意識を反映させて居心地の良い空間を作り出す。あいつとムゲンダイナの力は現実を次々とこの世界に書き換えつつある。皆を独自の夢の世界に囲い込むためにな。……だから、それまでの間あいつは現実世界に存在しなきゃならない。なんでだと思う?」
唐突に投げかけられた問いに心臓が僅かに跳ねる。
眉を吊り上げながらも、口元を緩めるホップさんを前に僕は思いつく理由を答えた。
「……あの人の力で、全ての現実を書き換え終えるため……」
「せいか~い!」
僕の答えを隣で聞いていたソニアさんが反応する。
両手をぽんっと弾き、まとめた後ろ髪を左右に揺らしながら彼女は続けた。
「それじゃあ、もう1個質問!……なんで私達、いやあんたは夢の世界に捕らわれてないのかなぁ?」
「……それは」
ソニアさんの質問の意味を再認識しようと、言い淀んだ僕はそこで思考が止まった。
そうだ。
おかしかったんだ。
どうして僕の世界は直ぐに壊れたんだ?
あれほどの世界を渡っていて、なんで気づかなかったんだ。
だれも自身の世界から抜け出そうとしてなかった事を。
僕の脳裏で閃きの前兆となりうる点が生まれ始める。
夢の世界を渡り歩く。
つまり僕に合致した世界が無かったという事。
加速する思考。
点と点が線で繋がっていく。
この摩訶不思議な世界を外から俯瞰できる存在。
それは僕だけじゃない。
突如、思考の奥で生じた一条の光が脳内を走り抜けた。
自身の記憶が映像に転写され、逆再生をかけたかのように蘇る。
その光景の先に現れたのは、人智を超えた現象を起こしていた人物。
影の奥で赤い燐光を操っていた少女の姿。
「……まさか、僕が……ユウリさんと同じ『何か』を『持ってる』って事ですか?」
確証は何も無い。
でも、そうとしか考えられない事象はすでに起こっている。
僕は半信半疑のまま口を開いていた。
眼前に佇むソニアさんはおもむろに目を細めると、勢いよく親指を立てた。
「ピンポーン!あれだけのヒントでそこまで考えられるなんて大したもんじゃん。さすがは私の助手ってとこね」
ころころと満足気に笑うソニアさん。
思わぬ方向へと進んだ話に耳を疑った僕は、目を丸くすることしか出来なかった。
「あー。順を追って説明するとだな、俺達はこの現象についてずっと研究してたんだ」
体を縮めてフリーズしていると隣から助け船が出された。
眼鏡の縁を軽く触ったホップさんが続ける。
「《ガラル粒子》を相殺するプランとか、《次元断裂》を作ってそこに粒子を集めちまうプランとかいろいろ仕組んでいたんだが……その中の1つ。彼女がどうして粒子を操る力を持ったのか調査している時に見つけたんだよ。粒子に作用する『ある因子』を持つ彼女と同じ反応を示した人物が、もう一人いることに」
一度ここで深呼吸をしてホップさんが僕を見つめた。
言葉にされなくても理解できた。
その真剣な眼差しが冗談でも、なんでもない事を証明していたから。
「……それが僕、なんですね?」
「そういうこと。その因子が宿った経緯とか、因子の特性とか、詳しいことは何にも分かってないのが悔しいけどねぇ……」
苦笑いするホップさんの隣に佇むソニアさんは、脱力したかのように肩を竦めていた。
僕は自分の右手へと視線を落とした。
いつも見ていた右手にはこれといった変化は無い。
色々な事がいきなり開示されて、正直なにも理解できてない気がする。
でも、これが本当の事ならこの状況を打破できるかもしれない。
僕は右手に力を籠めて拳を作った。
「……悩んでる暇なんてない。使えるのなら、どんな力でも!」
僕は右手を広げて天に掲げた。
脳裏に過るのは、片腕で赤い燐光を操る彼女の横顔。
お手本ならいくらでもある。
一番近くでそれを見てきたのだから。
掌に力を籠めて、全神経を右手に集中させる。
そして顔を上げて右手を眺め続けて。
十数秒。
僕の右手に変化は無し。
つまり何も起こらなかった。
え。
「……あれ!?何も起こらない!?」
僕の口から零れ落ちる情けない声。
視界の端でソニアさんが黙って顔に手を当てるのが見えた。
「落ち着け。マーチ。お前の中にある『その因子』は宿主の感情に作用する傾向がある。感情をブレさせるな。1つにまとめるんだ」
「……でも、どうやって?」
ホップさんが冷静に言葉を紡ぐ中、依然変化の起こらない右手に焦燥感を拭えない僕は食い気味に聞き返していた。
ホップさんはおもむろに眼鏡の位置を直して顔を持ち上げた。
なんだかんだ冷静な人だ。
きっと何かあっと驚くような方法を教えてくれるはずだ。
僕は逸る気持ちを押さえながら、次に聞こえてくる言葉に耳を澄ました。
「お前、あいつに惚れてんだろ?」
「ぶっ!急になにを!」
前言撤回。
冷静な助言とは真逆の言葉が僕の鼓膜に残響した。
顔に急速に熱が集まるのを知覚しながら、僕は慌ててホップさんに向き直った。
視界の隅でソニアさんが『あらまぁ~』みたいな表情をしている。
……本当やめてくださいよ。恥ずかしすぎる。
「端から見ていてバレバレだったよ。……自分の心に従え。お前は今、どうしたいんだ?」
「……」
眼鏡の奥に映る瞳を細めながら、ホップさんは僕を見た。
僕は今どうしたい?
投げかけられた言葉が胸の内で反響を繰り返す中、僕は手元に視線を戻した。
僕は、彼女を助けたい。
それはなぜ?
心の内で発した言葉に反応したもう1つの声。
それは、いつも耳にしている自分自身の声。
僕は瞼を閉じて、その問いに答えた。
彼女のあんな表情を見たくないから。
それはなぜ?
彼女には笑っていて欲しいんだ。
それはなぜ?
……。
幾度となく繰り返される自問自答。
呆れるほど繰り返した問答の果て、僕の前に1つの答えが浮かび上がった。
それは、なぜ?
「そんなの、決まってるだろ。……僕はユウリさんの事が好きで、傍にいて欲しいからだぁっ!」
全身を駆け巡る熱が限界を超える。
白熱した視界の中で僕はそれを見た。
己の身体から煌めき出す粒子の奔流。
赤く煌めく燐光は渦を巻き、周囲の暗闇を切り裂くように照らし出した。
「すごい、本当にできた……」
自身の周囲を逆巻く粒子を見渡しながら、僕は無意識の内に呟いていた。
ゆっくりと手を動かすと同時に赤い燐光の束も形を変える。
直感で理解している。
まるで今まで扱い方を忘れていて、それを何かの拍子に思い出したような感覚。
「……!」
僕はおもむろに前を見据えた。
燐光の渦の奥。依然としてそびえ立つ黒い壁。
僕は考えるより先に手を動かしていた。
前方へと伸ばされた両手から迸る赤い粒子の奔流。
光の奔流は虚空を突き進み、暗闇の障壁に激突する。
響き渡る衝撃音。
弾け飛ぶ粒子の奥で掴む僅かな手応え。
黒い壁を押しのけている感覚。
「……行ける!このまま、押し込めれば!」
迸る赤い燐光を前面に放出しながら、僕は一歩前に踏み出した。
直後。
空間全体に低い振動音が突き抜けた。
静止していた周囲の暗闇が何かを象るように動き始める。
「ちょっち、マズい状況ねぇ。……このままだと、先に現実世界の書き換えが終わりそう」
「……っ!」
ソニアさんが天を仰ぎながら物騒な事を呟いた。
そんな、嘘でしょ。
せっかくここから出られそうだって言うのに。
逸る気持ちに押される様に、僕は視線を戻してかざした腕に力を籠めた。
迸る燐光の輝きが増す。
放出された粒子の量が増えて壁を押し出す力を増幅させる。
前へと足を進めながら、僕の頬を冷たい汗が流れた。
ダメだ。
手応えが変わってない。
このままではいずれ……。
僕の中で焦燥感が再び生じ始めた瞬間、ホップさんの呟きが僕の耳に響いた。
「そうはさせないさ。そのために俺達がここに来たんだからな」
空間に轟いたのは、雷鳴音。
僕の視界の隅で虚空を切り裂いた一条の稲妻が地表に直撃した。
強烈な閃光を撒き散らした雷は次第に虚空へと消えていく。
その中心に佇んでいた者の輪郭が鮮明になる。
黄色い毛並みに、首元を一周するスカーフのような膨らみ。
青白い瞳を輝かせた子犬は、いつもと変わらない様子で黒い大地を踏みしめていた。
「ワンパチ!?」
『イヌヌワン!』
僕の声に反応したワンパチは嬉しそうにその場で跳ね上がった。
予想外の登場者に驚きが隠せない。
僕の困惑っぷりを見かねたのか、ホップさんが咳払いをした。
「おいおい。お前の相棒だろ?……ちなみに俺達もあいつに呼ばれてここまで来たんだぜ?」
「そうだぞ、そうだぞー」
隣でソニアさんが笑みを浮かべながら便乗する。
彼女の足元まで駆け寄ったワンパチは、その場で何度も走り回っている。
隣でじゃれ合う二人を見ながら、ホップさんは眼鏡の縁に触れた。
「そんで、こいつが戻ってきたってことは間に合ったってことだ。……来てるんだろ?皆!」
彼はワンパチが現れた地点を見据えて声をあげた。
次の瞬間。
虚空が揺らいだ。
雷撃が落ちた地面の直上に、朧気な輪郭が現れ始める。
人影の数は複数。
彼らは周囲の暗闇を振り払う様にその姿を現した。
「大声出さなくても聞こえてますよ。……相変わらず声の大きい人だ」
言葉尻に棘が含んだ声の主は、薄紅色の髪を靡かせながら歩いてくる。
「……ビートさん!」
「君も頑張ってるように何よりですよ。ただ、もっとスマートに進めてもらえれば、ここまで駆り出されずにすんだのですがね……」
僕の呼びかけに相変わらずの反応を示すビートさん。
毎度聞く小言も、今では妙に心地よく感じる。
「ちょっと。あんたいつも一言多いんじゃないの?……その内、ホントに友達いなくなるよ?」
ビートさんの背後から響いた声。黒衣を纏った女性は、腰に手を当てながら足を進めていた。
「マリィさん!」
「ここが、踏ん張りどこだかんね……!気ぃ引き締めてよ、マーチ!」
一緒に街を駆けた時と同じ、自然と背中を押される励ましの声。
奥底で胎動する熱に急かされる様に僕は腹の底から声を出した。
「はいっ!」
虚空より現れた二人はホップさんの前で足を止めた。
服装も、立場も異なる三人が並び立つ。
周囲を舞う粒子に白衣を靡かせていたホップさんが口を開いた。
「それじゃあ、手筈通り俺達で時間を稼ぐぞ。マーチがここから出るまでの間、あいつの動きを少しでも遅らせたい」
「分かってますよ。それよりあなたは良いんですか?このままでは彼女の前に立ちはだかる、邪魔をすることになりますけど」
「大丈夫。今度こそ間違えない。あたしの想いをちゃんと伝える。……まやかしの救いなんであの子には似合わないんだから!」
互いに意思を確認した三人は顔を上げた。
見つめる先は粒子の衝突によって生じた壁から零れ落ちる光。
何をするつもりなのか。
口に出そうとして僕はその言葉を飲み込んだ。
彼らの表情を見て理解したから。その身を挺してまで猶予を作ろうとしてくれてる。
余計な口を動かす前に手を動かせ。
「……っ!」
僕は、眉を吊り上げて両手を介して粒子の奔流を操る。
僅かに生じた穴に粒子を差し込み、内側から引き裂くべく力を籠める。
徐々に大きくなる光。
不意に肩を叩かれた。
振り返ると、ホップさんとビートさんとマリィさんが傍に立っていた。
「俺達も出来るだけ持ちこたえてみる。その後は、頼むぞ」
「僕にここまでさせたんです。大団円以外、認めませんからね?」
「マーチ、ユウリの事をお願い。あんたになら任せられるから」
三者三様。
でも、その眼差しと言葉は、いずれも僕の心を強く打った。
確かに受け取った熱が体の奥で脈動する。
僕はゆっくりと口角を吊り上げて前を向いた。
「任せてください!必ずあの人を止めてみせます!」
両腕に最後の力を籠めて、粒子の奔流を拡大させる。
壁に穿つ穴が僅かに開いた。
穴から差し込む光が瞬いたのと同時に。
背後で浮かび上がる三人の姿が虚空へと舞いあがった。
光の奔流の脇を駆けあがり、光へと突き進んでいく。
「……」
不意に僕の脳裏に過去の情景が蘇る。
いつも見ていた研究所の一室にある写真。
幼い頃のホップさんの隣に集合していた少年、少女たちの姿と虚空を舞う彼らの姿が重なる。
写真に居たのは四人。
だとするなら、残る一人は。
「この再会が、最初で最後なんてあんまりだ。……絶対に何とかして見せる!」
僕は再び前方の障壁を見据えた。
歯を食いしばり、力の込めた両腕を前方へと押し込む。
赤い燐光が逆巻き激しさを増す中、虚空に生じる穴は刻々と大きくなっていった。
このまま、いけるか?
「さて、覚悟が完了したとこ申し訳ないけどもうちっと、説明しとかなきゃいけないことがあんのよねぇ」
「ソニアさん!?」
虚空の彼方へ意識を集めた僕の背後から聞こえたのは、緩やかな声。
しまった。
この人が残っていた事、すっかり忘れてた。
僕は慌てて声がした方へと振り向いた。
視界に映り込むのは、白衣を纏うソニアさんと、もう一人。
先程までは居なかった人物を前に、僕はゆっくりと目を見開いた。
「……あなたは!?」