ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア   作:甘井モナカ

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書きたかった所を詰め込んだ、ハッピーセットです。
(執筆中BGM:アカシア)


#32.決着

 

 遥か彼方に佇む彼女と少年の視線が交錯する。

 

 赤い水晶のような塊に身を包む彼女の背後には巨大な赤黒い体躯がそびえ立っていた。

 外殻の端々が赤く発光する度に、少女が内に居る水晶も輝きを放つ。

 文字通り、ムゲンダイナと一体化したユウリを前にマーチは地面を蹴り上げた。

 

 今度こそ、あなたにたどり着いて見せる。

 

 白熱する意思を従えて、少年は前へと突き進む。

 

 猛然と駆け抜けるマーチの脳裏に過るのは先刻の会話。

 

『あの子は今、ムゲンダイナと同調している。特性とか、力とかをあの子自身が全て扱える状態。……これが話をややこしくしてる全ての原因。だから、まずはムゲンダイナから、あの子を引き離す事が最優先』

 

 白衣を翻しながらソニアは続ける。

 

『その後は、あんたも持ってるその力の出番。あんたの粒子であの子の保有する粒子を因子ごと吹き飛ばす。上手くいけば対消滅してあの子の身体を基に戻せるかも』

『……対消滅って正反対の粒子をぶつけた時に起きるんですよね?僕とユウリさんの操る粒子が対になってる確証はまだないんじゃ……?』

 

 白衣のポケットに手を突っ込んだ女性は全力でそっぽを向いた。

 

『こまけぇ事はいいのよ、少年。大丈夫!なんとかなるでしょ!』

『ひでぇ!ぶん投げた!』

『……で、問題はどうやってあの子の所まで近づくかだけど。それはこちらの経験者が教えてくれるわ』

 

 ソニアは咳払いをして、自身の隣を一瞥した。

 どこかの博士と同じ深青色の髪に黒いスーツを纏った男は口元を吊り上げた。

 

『あれの攻撃は全てヤバいから絶対に当たるな。……以上だ』

『ソニアさんよりひでぇや!っていうかダンデ委員長はいつの間に来てたんですか……』

 

 少年がツッコミを入れる傍らで、ソニアが口をとがらせる。

 

『ちょっとー。真面目にアドバイスしてあげなよ。少年が黒焦げになったらダンデ君のせいになるよ?』

『……あなたもどっこいどっこいでしたよ?』

 

 ダンデは瞼を閉じて深く息を吐いた。

 

『そうだな。あといえる事は1つ。……気合と根性だ。君の兄弟も言っていただろう?考えるより先に前へ進むんだ』

『……いつの間にあのタンクトップと仲良くなったんっすか?』

 

 少年の表情は呆れを通り越して、ある意味泣きそうになっていた。

 回想終了。

 

 じんわりとした痛みが胸に走り、マーチの意識が戻る。

 

 なんだろう。この後どうすればいいんだ?

 

 結局、何1つ具体的な事が決まらなかった作戦会議。

 白い歯を見せて、脳裏の奥へと消えていく二人を無視して彼は顔を下げた。

 

 足元を共に掛けるワンパチの尻尾が揺れる。

 少年の視線に気づいたのか、隣を一瞥したワンパチは口を開けた。

 

『イヌヌワン!』

 

 分かってる。そろそろ来る頃合いだ。

 

 周囲を警戒するように響いた鳴き声を耳にしたマーチは弾かれたように顔を上げた。

 

 彼の視界の隅で燐光が揺らぐ。

 次の瞬間、赤い輝きと共に光の濁流が襲いかかる。

 

「ワンパチ!避けるよ!」

『ワンパ!』

 

 燐光に身体が飲み込まれる直前、マーチは身を捻りながら滑り込んだ。

 傍らのワンパチと共に、濁流の直下へと身体をねじ込んでいく。

 鼓膜を突き刺す様な轟音が通り過ぎる。

 

 燐光をやり過ごした彼らは、すかさず立ち上がり前へと駆け出した。

 

『辞めてよ……』

 

 周囲の粒子を伝って響き渡る声は僅かに震えていた。

 目を見開きながらも少年は足を止めない。

 少しずつ彼女との距離を縮めていく。

 

 やめません。

 だって、僕は……。

 

 耳の中で残響する声に、彼は胸の奥に秘める想いを再確認する。

 

『諦めてよ……!』

『……イヌヌワン!』

 

 突如響く相棒の声。

 それと同時に、視界が再び揺らいだ。

 

 しかし、前回と異なるのはその数。

 計8つにものぼる光の濁流が、少年の視界を埋め尽くした。

 

「嘘、でしょ……!?」

 

 全身に冷ややかな緊張が走り抜ける。

 

 躱す隙間は1つもない。

 視界を赤く染め上げる奔流は、障壁となって少年の行く手を阻む。

 

 心臓が一段と大きく脈を打つ中、彼は思考を加速させた。

 

 どうする。

 点ではない面の攻撃。

 避けられる場所が無い。左右に迂回するか?

 その分発生するロスはいくつだ?

 そもそも、あとどれくらい時間が残ってるんだ?

 

 脳裏を過る答えが浮かんでは消えていく。

 進まない思考とは裏腹に赤い障壁は刻々と迫りくる。

 

「っ!」

 

 マーチは眉を吊り上げて顔を上げた。

 

 迷ってる場合じゃない!答えを決めろ!

 

 体に這い寄る緊張を無理矢理振り払うように、少年は足を踏み込んだ。

 地面を叩く衝撃音が足を伝う中、膝に力を籠めて身体を捻じ曲げる。

 

 視界の端を燐光の光が赤く照らし出した。

 マーチは傍らを駆けていてたワンパチを抱え込み、大きく左へ跳躍すべくため込んだ脚力を解放する。

 

 その直前、視界の先にそれは映り込んだ。

 光の奥に朧気に浮かぶ灰色のスーツ。そこから伸ばされた指が静かに前方を指し示していた。

 

 荒れ狂う燐光の波がその姿を飲み込む前に、仰々しく呟かれた言葉が少年の鼓膜を反響させた。

 

「おや?彼女はあちらですよ。……その手を、差し伸べるのでしょう?」

「!」

 

 どくん、と。

 心臓の一際大きく脈動した音が鼓膜を叩いた。

 胸から湧き上がる熱に急かされ、意識が白熱する。

 

 言われなくても……!

 

 喉まで出かかった買い言葉を噛み砕き、身体に這い寄っていた冷ややかな緊張感を振り払う。

 マーチは、踏み出した足に急制動をかけて視界を反転させた。

 

 強引な方向転換。

 眼前に迫る燐光の障壁が再び視界に映り込む。

 前方から響き渡る轟音が鼓膜を震わせた。

 

 駆け出した少年の姿が濁流に飲み込まれる寸前。

 彼の身体が輝きを放った。

 

「づっ!」

 

 伸ばされた掌は、溢れんばかりの燐光が逆巻く。

 自身の右手から発する光が弧を描く中、マーチはその輝きを前方へと押し出した。

 

 激突する光と光。

 その余波が大気を揺らし、周囲の燐光を彼方へ吹き飛ばしていく。

 

 衝撃音が響き続ける。

 八本に別れた燐光の濁流と一条の逆巻く粒子の輝きが重なり合う。

 僅かの間、拮抗した二対の光。

 

 その瞬間を彼は見逃さなかった。

 

「見えたっ……!」

 

 右手をねじ込む様に動かし、濁流の中へと突き進む。

 腕一本分の隙間を穿たれた八本の燐光の束が僅かに揺らいだ。

 

 突如鳴り響く不協和音。

 それは、一条一条が単独で存在していた故の弊害。

 それぞれの燐光とぶつかり合い、濁流はその勢いを相殺していく。

 

 やがて亀裂が走り、そして発散する。

 

 甲高い炸裂音が響いた。

 霧散した障壁の残滓の中をマーチは迷うことなく駆け抜けた。

 

『……っ!』

 

 遥か彼方から聞こえる、驚愕が漏れる息遣い。

 

 少年はおもむろに口角を持ち上げた。

 

 上手く行った。

 僕の粒子は恐らく、彼女と同質。

 

 黄色の子犬を抱えながら、右腕に残る燐光の残滓を一瞥する。

 

 対象滅とはまでは行かなくても、十分干渉できる。

 だから、辿り着きさえすれば。

 

 脳裏に浮かんで来ようとする白衣の女性を追い払いながら、彼は前を見据えた。

 

 次々と迫りくる粒子の濁流。

 少年の右腕が再び輝く。

 光の渦を受け流して、押しのける。

 その奥から飛来する凶刃を、傍らから放たれた紫電が撃ち払う。

 

 行く手を阻む壁を越えて、二人は前へと進み続ける。

 

『……来ないで。……もう、やめてよ!』

 

 癇癪を起した様に響く悲鳴。

 その声に呼応するかのように、空間が動いた。

 

「……っ!」

『……ワンパ!』

 

 少年は目を見開いた。視界を埋め尽くすように現れた絶壁。

 戦場を走る彼を囲い込むように、燐光の濁流がそそり立つ。

 

 僅かに過る不安を胸の奥に抑えつけて彼は踏み出す足を加速させた。

 やるべき事、彼自身に残された選択肢は1つだけ。

 

「どんな壁だろうと、最短距離で超えるだけだ……!いくよ!相棒!」

『イヌヌワンッ!』

 

 二人の明確な意思が重なり合い、爆発する。

 全方位から押し寄せる濁流の嵐に立ち向かう様に突き進む、彼らの手足が輝きに包まれる。

 

 大気が獰猛にうねりを上げた。

 

 眉を吊り上げて、大きく息を吸い込む。

 少年の最後の踏み込みが地面へと伝播した。

 

 襲い掛かる燐光の濁流と相対する、眩い雷電と紅い花弁のような煌めき。

 虚空を際限なく照らす二対の光が混ざり合う。

 

 マーチの意識から音が溶け落ちる。

 自身の心音のみが響く世界。

 

 眩しい闇に包まれたマーチの視界の端で、それは瞬いた。

 

 天上から降り注いだ2つの彗星。

 青白い煌めきを、尾を引く様に置き去りにする二条の光は、虚空を焼き尽くすほどの輝きを放った。

 

 地表へと飛来する光弾と光剣。

 

 荒れ狂う大気のうねりを押しのけ、叩きこまれた砲撃が濁流の勢いを相殺する。

 眩い輝きを内包した一閃が空間を走り、燐光の壁を両断する。

 

 鈍い衝撃音が辺りに響くと同時に、空間を滞留していた粒子がはじけ飛ぶ。

 

「……!」

 

 マーチは思わず息を飲んだ。

 一変して澄み渡った視界に映り込むのは、壁に穿たれた大きな切れ間。

 

 そして、背後から漂う温かな雰囲気。

 弾かれた様に振り向いた彼の視線は黄金色に輝く双眸と交じりあった。

 

 青白い輝きを背に、燐光の濁流を塞き止め続ける2匹の獅子。

 

『……ここは任せなさい』

『……そっちは任せたぞ』

 

 優し気に細められた眼差しの奥に込められた想いが、少年の背中を押した。

 

「……はい!」

 

 マーチは振り向いて、前を見据える。

 地面を捉えた足を再び蹴り上げて、前へと体を運ぶ。

 

 眼前に見える壁の切れ間。

 周囲の粒子が蠢き、その切断面が徐々に狭まっていく。

 彼の視界は、その奥にいる彼女の姿を幻視した。

 

 あと少し。

 絶対に、そこにたどり着く!

 

 確固たる意思が胸の奥で象られる。

 体の奥底で続く熱を増幅させたマーチは大地を蹴った。

 

 宙を舞う子犬と少年の身体。

 両側から迫りくる燐光を越えて、彼らは壁を突き抜けた。

 

 移り変わる視界の奥。

 

 水晶のような透明な輝きの中に少女は居た。

 驚愕、そして苦悶。

 彼女の表情の変化が捉えられる距離まで近づいた少年は深く息を吸い込む。

 

 溢れ出る想いに急かされ、宙を舞い続ける彼の口から彼女の名が迸った。

 

「ユウリさんっ!!」

 

 

 

 

 

 叫ばれた自身の名が彼女の鼓膜を震わせた。

 

 仄かに赤く輝く水晶の塊の奥。

 傍らに従える巨大な外殻の奥。

 燐光の絶壁を潜り抜けた先に彼は居た。

 

 ユウリの表情が一段と歪む。

 脳裏を過るのは、今まで自身に向けられた言葉。

 

『……あたし達は間違えたんだ!お願い!戻ってきて!』

『……苦しいなら頼ってください。仲間でしょう?』

『……訂正させてくれよ、ユウリ。お前の希望は、これじゃない』

 

 彼女の視界に映り込む彼らの姿の奥に佇む少年。

 燃え盛る光を宿した瞳が、ユウリを射貫く。

 胸の奥底に鈍い痛みが走った。

 

 ……なんで、立ち上がるの。

 ……なんで、止まらないの。

 ……なんで、諦めないの。

 

 手足から伝わる僅かな震え。

 歪な渇きを覚えた喉から、声にならない呟きが零れ落ちる。

 

 ……どうして君は、諦めさせてくれないの。

 

 悲嘆と焦燥と諦観でぐちゃぐちゃになった彼女の思考。

 

「……わかん、ない」

 

 自分の出した結論を否定され、自身の力を否定され、自分の想いを否定されて。

 

「わかんないわかんないわかんないわかんないわかなんいわかんない!……わかんないよっ!」

 

 もう、何が正しくて。

 何が、間違っているのか。

 この場に立つ彼女を唯一支えていた最後の支柱が崩れ落ちる。

 

 目元へ集まっていく熱。

 自身の鼓膜を叩く激しい動悸。

 白く塗りつぶされた思考。

 

 失意の底へと堕ちていくユウリは今にも泣き出しそうな、その声で叫んだ。

 

「ムゲンダイナァァァァァァァ!!!!!!!」

 

 虚空に響き渡る一条の絶叫。

 影の奥に灯っていた赤い眼光が、静かに輝いた。

 

 

 

 

 

 視界の先で空間が歪んだ。

 

「っ!」

 

 依然として宙を舞う手足。

 時間が引き伸ばされた感覚の中で、背筋が走り抜ける悪寒を知覚したマーチは弾かれた様に顔を上げた。

 

 声を張り上げた少女の直上。

 遥か上空の暗闇の先で何かが瞬く。

 

 次の瞬間。

 

 彼は紅く輝く閃光に包まれた。

 

「がぁっ……!?」

 

 眼前が赤で塗り潰される。

 

 皮膚が燃える盛るように熱い。

 

 粒子の奔流が全身を貫き、体中を激痛が走る。

 

 身体の芯を崩壊させるほどの轟音が周囲へと拡散される。

 

 抱えていたはずのワンパチの感触が溶け落ちた。

 

 荒れ狂う視界の中で、懸命に目を見開いて前を見据えようとする少年。

 

「……っ!」

 

 己の中で象られた決意とは裏腹に、朧気になっていく全身の感覚。

 

 ……進め。

 

 ……前に、進め。

 

 激痛の海に沈む手足は微動だにしない。

 

 籠めるはずの力も体の外側へと霧散していく。

 

 ……ここを、超えて。

 

 ……あの人の、所へ。

 

 次第に白く、色褪せていく周囲の輪郭。

 

 鼓膜が麻痺したのか、耳に残響する歪な振動。

 

「……!……、……」

 

 前へ進もうとする心が溶けていく。

 

 前後だけじゃない。

 

 上下左右も分からなくなる暴風の中。

 

 現実と幻想の境界が曖昧になり、意識が虚空へと薄れていく。

 

 霧が掛かるように白濁する世界。

 

 途切れ行く時間の中でマーチは、その声を聴いた。

 

「ったく、おちおち寝てられねぇなぁ。……兄弟」

 

 ゆっくりと開かれた少年の瞳に映る、1つの人影。

 

 周囲の燐光に流されてはためくのは、見覚えのあるタンクトップ。

 

 僅かに鮮明になる視界の先に彼は居た。

 

 破壊の奔流の中で、その圧に怯むことなく。

 

 当然の様に盛り上げた広背筋を背負って立っていた。

 

「あと一歩だ、踏ん張れよ。……足りない時は『ここ』で補う、だろ?」

 

 託すように。

 信じるように。

 

 彼は、少年の奮起を待っていた。

 

「っ!」

 

 どくん、と。

 胸の奥底で、一握りの熱が脈を打つ。

 

 顎に力が入る。

 眉を吊り上げ、前で佇むタンクトップを睨みつける。

 

 彼の言葉に背を押された身体を、前へ。

 生命が吹き返した手足を振るい、前へ。

 白熱する意識と共に、前へ。

 

 身体に絡みつく鎖を振り払う様に、少年の口から気炎が迸る。

 

「あああああああああああああ!!!」

 

 その叫びに呼応するかのように、一条の雷光が瞬いた。

 

 巻き起こる暴風の中を駆け抜けた紫電は、紅い濁流を穿ち、道を切り開く。

 それは奇しくも、タンクトップを揺らす彼が佇んでいた向こう側。

 

 轟音が響く中で僅かに聞こえた相棒の声を背に、少年は両足を蹴り上げた。

 濁流をかき分けて、身体を暴風の奥へとねじ込む。

 

 彼の身体は燐光の奔流を突き抜けて、佇んでいた兄弟の背中を突破した。

 

 

 

 

 マーチの視界が澄み渡る。

 

 虚空を漂う中、彼の眼下に広がる巨大な影。

 端々を赤く滲ませる外殻が動きを見せる。

 地を揺らすような低い音を出しながら繰り出された黒い体躯が、宙を舞う少年へと襲い掛かる。

 

 少年は身体を捻り、迫りくる漆黒の凶刃を回避した。

 

 脇をすり抜ける風切り音。

 衝撃が肩や頬を掠め、焼け落ちるような感覚が突き抜ける。

 

「っ!」

 

 息を吐き出し、痛みを押しのけたマーチは、捩じった身体を戻し脚力を解放した。

 

 輝きを纏う両足が蹴り上げたのは、横を通過した巨大な外殻。

 足元で湧き上がる衝撃に弾かれた彼の身体は眼前へと落下する。

 

 突如、行く手を遮るように飛来する粒子の奔流。

 少年の眼前へと凶刃が迫り来る。

 

 次の瞬間。

 主を守るように天上から降り注いだ雷撃がそれを撃ち払った。

 

 僅かに息を飲んだ少年は、すぐさま眉を吊り上げて眼下を睨みつける。

 何条もの紫電を従えて、彼は下へ落ちていく。

 

 激突する燐光と電光。

 巻き起こる閃光と轟音を潜り抜けて。

 

 その先で紅く輝く水晶の塊。

 透明な輝きの奥で雫に濡れた瞳を閉じて俯く少女。

 

 二人の間に朧気に揺らぐ影が生じ始める。

 それはいつか少年の前に立ちはだかった漆黒の障壁。

 

 彼の脳裏が白く輝くほど燃え盛る。

 

 これ以上、邪魔をするなら……!

 

 少年は歯を食いしばり、掌に力を籠める。

 握りしめられた拳に燐光が集まり輝きを放つ。

 

 少女の前に立ちはだかる黒い障壁と、少女の元へと舞い落ちる燐光の輝きが交錯する。

 

「はああああ!!」

 

 眼前を阻む壁に向けて、マーチは拳を振り下ろした。

 

 叩き込まれた拳を通して、瞬く燐光が影を穿つ。

 甲高い衝撃音と共に霧散した障壁を超えて、彼は少女の眼前へと躍り出た。

 

 二人の間を隔てる最後の壁、赤く輝く水晶を少年は迷うことなく叩き割る。

 燐光を纏う拳が水晶を砕いて内部へと突き進む。

 

 深海のように冷え込んだ空間を超えて。

 孤独を縛り付ける閉塞感を超えて。

 

 遂に、彼の熱を宿す手が凍り付いた彼女の手を掴み取った。

 

『……!』

 

 ユウリは目を見開いた。

 

 自身の腕から伝わる確かな体温。

 おもむろに顔を上げた彼女の視界に映り込む、一人の少年。

 

 傷ついた手足。

 流血の跡が滲む頬。

 数々の困難を超えて。

 

 俯く少女の手を、彼は自身の手で繋いでいた。

 

「……っ!」

 

 伸ばされた手に力が籠る。

 掴まれた彼女の身体がゆっくりと上昇していく。

 

「……あああああ!」

 

 少年の口から零れる気迫が彼女の耳に残響する。

 

 徐々に広がる、燐光の輝き。

 自身を縛り付けていた水晶の檻を超えて、少女は現実へと解放された。

 彼女の身体に纏わりついていた粒子が、行き場を失って戸惑っているかのように周囲を逆巻く。

 

 吹き荒れる粒子の渦の中心に立つ少年と少女。

 二人の澄んだ視界の中で、頬を徐々に赤くしていった彼が笑みを浮かべた。

 

「……あなたが自分を信じられないって言うのなら、僕が代わりに信じます」

 

 少年の手が彼女の肩に触れる。

 

「あなたが必要とされて無いって感じるのなら僕が、必要なんだって手を掴みます」

 

 二人の視線が交錯する。

 

「絶対に一人になんてさせない」

 

 穏やかに、言い聞かせるように呟かれた彼の語気が強まる。

 

 肩に触れる掌の熱が温度を上げる。

 僅かに揺れ動いた少女の瞳。

 

 その瞳を見つめたマーチは。

 己の中で生じる最後の羞恥芯を捨て去り、口を開いた。

 

 少年の奥底で秘められていた想いが迸る。

 

「だって、僕は、……ユウリさんのことが好きだから!!!」

 

 彼の身体から溢れ出した燐光が周囲を発散する。

 赤い花弁のように宙を舞う、その輝きは周囲に逆巻く粒子を吹き飛ばした。

 

 虚空へ響き渡った大告白。

 

 澄み渡った夜空の下でユウリの濡れた瞳がゆっくりと見開かれた。

 

 顔を真っ赤に染め上げた少年は、彼女を抱き寄せる。

 皮膚を通して伝わる両者の体温。

 耳に反響する互いの息遣い。

 

 どくん、と。

 凍り付いた彼女の身体の奥底で、一握りの熱が胎動する。

 

 解れていく歪な緊張感。

 胸の内に蠢いていた黒い感情が霧散していく。

 

 自身を包む込む穏やかな熱に身を委ねた少女は呟いた。

 

「……信じて、いいの?」

「はい」

「……頼っても、いいの?」

「もちろんです」

 

 耳元で囁かれる、優しい声音。

 迷うことなくむしろ食い気味に返された彼の返事に、吹き出すかの様に零れる小さな微笑み。

 

「君は、本当に……」

 

 今までとは異なる、穏やかに訪れた眠りのさざ波。

 僅かに紡がれた言葉を最後にユウリはゆっくりと瞼を下ろした。

 

 相変わらず頬を真っ赤に染める少年の胸の中で、彼女は静かに寝息を立て始めた。

 

「……あれ?寝ちゃったんですか?……返事は、聞けずじまいかぁ」

 

 僅かに驚いた少年は、彼女を一瞥して小さく息を吐く。

 穏やかな表情を浮かべる彼女を横目にマーチは目を細めた。

 

 

 

 

 

 輝く夜空の下で静かに佇む二人。

 訪れていた静寂は、少年自身の言葉によって破られる。

 

「……まだ、あなたが残ってましたね」

 

 胸の内で眠る少女から視線を戻し、少年はおもむろに顔を上げた。

 

 見据える先は遥か彼方の虚空。

 霧散していた粒子が次第に集まり、輪郭を象る。

 それは少女と一体化する前の姿。

 

 夜空を覆う闇と同化するように、ムゲンダイナは佇んでいた。

 

 鮮血のように赤く輝く双眸が少年を見据える。

 挑むように、向き直ったマーチは違和感を覚えた。

 

 なんで、攻めてこないんだ?

 体制の整ってない今は絶好なチャンスのはずなのに。

 

 脳裏で浮かび上がる疑問を抱えながら、少年は再び前を見据えて固まった。

 

 眼前に広がる、紅く輝く双眸。

 意識を外している僅かな間に、距離を詰めたムゲンダイナがマーチの目と鼻の先に佇んでいた。

 

「……」

 

 面を食らった様に驚いた彼は、やがておもむろに目を細めた。

 燐光の輝きを通して伝わったのは眼前に佇むポケモンの心の声。

 

 謎が解けた。

 

 紅い双眸が見つめていたのは少年ではなく、その下で眠る彼女。

 

 それもそのはず。

 なぜなら、ずっと従者として傍にいたのだから。

 

 少年は心の中で呟き、おもむろに眉を吊り上げた。

 

 瞳の奥に宿る熱を再燃させる。

 身体の奥底で脈動する熱が息を吹き返す。

 

 だから、こそ。

 僕はもう一度戦わないといけない。

 

 マーチは眼前に佇む影龍を見据え、不敵に笑った。

 

 主を支え続けたこの従者に、相応しいと思わせるために。

 隣に立つ男として釣り合っていると、認めさせるために。

 

 ムゲンダイナが、双眸を動かす。

 穏やかに眠る少女ではなく、今度こそ彼女を抱く少年を見た。

 

 紅く輝く瞳が言外に告げる言葉へ応えるように、彼は口を開いた。

 

「……あなたも、僕も、さっきまでの連戦で余力はもう無い」

『……』 

 

 黒い外殻が震え、くぐもった声音が響く。

 

 口を僅かに開いたムゲンダイナの体躯に刻まれている裂傷。

 周囲を纏う燐光も量が乏しく、回復が追い付いていない。

 

「それに、彼女も眠ってるんです」

 

 目線を一瞬落とした少年は口元を緩める。

 微かに震える手足に力を籠めて、少年は続けた。

 

「だから……一度だけ、ですよ?」

 

 赤い双眸が一瞬細められた。

 まるで穏やかな笑みを浮かべるように。

 

 ムゲンダイナは静かに宙を翻り、虚空へ浮かび上がる。

 

 後方へと距離を取る影龍を見つめたマーチは全身に意識を集中させた。

 体中を包み込む疲労と痛みを無視して、彼は周囲に漂う僅かな粒子を手繰り寄せる。

 

 彼方で咆哮が轟いた。

 

 開戦の合図を告げたムゲンダイナは眼前に紅い光球を作り出す。

 膨大なエネルギーが集約を始め、大気が再び揺れ動く。

 

 胸元で微睡むユウリを抱えながら、少年は前髪の奥で見開いた瞳を輝かせる。

 手繰り寄せて、束ねた粒子を背後へ。

 

「……ダイ……マックス」

 

 振り向かなくても分かるよ。

 ずっとそこで見てくれてたんだろ?

 

 彼の背中でうねりを上げる燐光の奔流。

 それはやがて大きな球体となり、分割面から眩い閃光が零れ落ちる。

 

『……!!!!!』

 

 虚空を照らし出す光と共に顕現するのは雷電の化身。

 巨大化した黄色の毛並みが膨大な紫電に包まれる。

 迸る電光は瞬く度に、空間へ轟音を響かせた。

 

 対峙する、二対の頂点。

 

 紅い燐光と青白い雷光が夜空を照らし合って、反響し合う。

 

 僅かに訪れた静寂。

 大気の揺らぎが不意に止まり、そよ風が両者の間を吹き抜ける。

 紅く輝く双眸と青白い光に灯された瞳が交錯する。

 

 マーチは遥か先を見据えて腕を伸ばした。

 視界の先で、僅かに胎動していたムゲンダイナの体躯が静止する。

 

 少年はおもむろに伸ばした指先を弾いた。

 

「行くよ。ワンパチ。これが最後だ」

 

 最後に呟かれた言葉が夜空の中へ消える。

 

 直後。

 空間が爆ぜた。

 

 放たれた二対の閃光。

 

 鮮血の如く紅い輝きと大気を焦がす青白い瞬きが衝突する。

 大気がうねりを上げて荒れ狂う。

 互いを食い破ろうと相殺する光は重なり合い、混ざり合っていく。

 

 眩い輝きは夜空を照らし尽くし、やがて周囲の全ての影を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 白い霧に包まれた世界の果てで。

 誰かが呟いた。

 

『見事だ。我が力の一端を宿した少年よ』

「……」

『汝の行動で理解した。力のみでは孤独を拭えない。その温かな熱が必要だったとは』

「……、……」

『主にはもうこの力は必要ない。無論、汝にも』

「……、……、……」 

 

 周囲を漂っていた僅かな燐光が、声の主へと集約される。

 

『主の守護、汝に託すぞ。……投げ出すなよ。傍らで見ているからな』

「……任せてください」

 

 黒い体躯の眼前から紡がれた言葉。

 その声は小さくも確かな意思を滲ませていた。

 

 黒い影は満足そうに頷くと、その姿を白霧の奥へと溶かしていった。

 

 周囲を包む白い闇が次第に薄れていく。

 澄み渡った地面の先には、格納状態となった1つの《モンスターボール》が静かに転がっていた。

 

 

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