ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア   作:甘井モナカ

4 / 34
戦いの描写ってカロリー多めですよね?


#04.初陣

 僕達は《まどろみの森》を抜け、《ハロンタウン》郊外の草原まで戻ってきた。

 さっきココガラを捕まえたはずの場所が遠い昔に訪れたかのような懐かしさを感じさせる。

 

 色々な事が短時間で起きすぎて、僕の記憶容量が限界を超えてしまったのだろうか。

 そんな事を考えていると、脳内の容量に一番の衝撃を与えた人物の声が聞こえてきた。

 

「ふぅ……!戻ってきたね……!」

 

 振り返ると、両手をいっぱいに広げて気持ちよさそうに体を伸ばしている少女の姿。

 

「助かったよー!ありがとね。マーチ君」

 

 ユウお姉さん。

 《まどろみの森》の奥深くで眠りこけていた彼女は青空の下、日の光を一身に浴びて満面の笑みを浮かべていた。

 

「いやいや、ワンパチのおかげですよ。……でしょ?」

『イヌヌワン!』

 

 件の子犬はというと。

 僕の振りに『その通り!』と言いたいのか、瞼を閉じて顎を上げ誇らしそうにしていた。

 

「うん、うん。君たちがいなかったらどうなっていたか……」

「ユウお姉さん、5回は道を間違えてましたもんね。ほんと良くあそこまで辿りつけましたね?」

 

 僕は、分かれ道でのユウお姉さんの正解率を思い返す。

 見事に惨敗である。

 

「あはは……」

 

 耳が痛い指摘だったのか、ユウお姉さんは顔を背けながら頬をかいている。

 

「……そーいえば。君、ジムチャレンジに参加するんだよね?」

「はい。そうですけど」

 

 ユウお姉さんは、前髪を右手で触りながらこちらの様子を伺うように尋ねた。

 

「お目当ては……リーグチャンピオンかな?」

「え!?なんで……!?」

 

 驚きすぎて、僕は咳き込んでいた。

 彼女の想定外の切り込みに言葉が詰まる。

 

 まさか、顔に書いてあったのか。くそっ。確認できるものが無い。

 

「分かっちゃうよー。彼女、注目の的じゃない?ファンも多いみたいだし……」

 

 僕の反応が可笑しかったのか、彼女は吹き出すように笑った。

 

「あはは……」

 

 恥ずかしくなった僕の口からは乾いた笑い声しか出てこない。

 しばらく笑い続けたユウお姉さんは、小さく息を吐いた。

 

「……でも。大変じゃないかなぁ、彼女。ずーと、チャンピオンやってて。……近くで見たことあるけど、10年間みんなの憧れであり続けるって、何か果てしなくない……?」

 

 息を吸い込んで一呼吸置いた彼女は目を細めて、どこか遠くを眺めた。

 

 僕は言葉が出なかった。

 

 少女の雰囲気に圧倒されていたから。

 先程とは打って変わったその雰囲気はどこか儚げで一抹の寂しさが感じられた。

 

「……っと、ごめんね。こんな所で仕事、運営仕事の愚痴言ってもしょうがないやぁ。今のはカットで……!」

 

 唐突に我に返ったのか。

 彼女は慌ててこちらに振り返り、笑顔を見せる。あの雰囲気はもう微塵も感じさせない、爽やかな笑み。

 

 でも、だからこそ。

 僕の瞼の裏には、直前の光景が色濃く浮かび上がってしまう。

 

「……大変だと思いますよ」

 

 自分の口から出た言葉に僕は驚いた。

 ユウお姉さんも意表を突かれたのか、目を丸くしている。

 

 後悔しても、もう発言は取り消せない。この気持ちも消えない。

 

 それなら。

 胸の奥で生じる何かに突き動かされるように、僕は口を開いた。

 

「でも、大変でも一生懸命な人だから、あんなにも輝いて見えるんだって、みんなを惹きつけるんだって……」

 

 自分の内側に湧き上がる感情を言葉にするが上手くまとまらない。

 気持ちが先行して、言葉が追い付かない。

 

 でも伝えなきゃ。

 この人があんな表情をするのは駄目な気がする。

 僕は身体の奥から溢れ出す、止まる事の無い情動を吐き出した。

 

「立ち止まってもいいのに、止まらなかった。僕はそんなあの人の姿に憧れて、好きになったんです……!」

 

 僕はゆっくりと顔を向けて彼女を見る。

 

 ユウお姉さんは目を丸くしたまま固まっていた。

 日の光を強く反射しているのか、頬がほんのり赤みを帯びている。

 

 ……やって、しまった。

 

「すみません!いきなり変な事言って……!」

 

 僕は食い気味で頭を下げる。

 顔がやけに熱い。おそらく茹蛸の様に真っ赤になっているのだろう。

 

「そっか。……そーだったんだ」

 

 声につられ、顔を少し持ち上げると彼女は目を細めながら独りごちていた。

 

 

 しばらく周囲は静寂に包まれた。

 彼女は俯きがちに顔を落とし、隣のワンパチも毛づくろいに夢中だった。

 

 なんだろう。肩身が狭く感じる。

 この流れを変えるにはアレしかないのか。ないな。うん。

 

 僕は場の雰囲気を和ませるためとっておきを披露した。

 

「そーいえば、ユウってチャンピオンと名前が似てますよね!ファンクラブとかで特典付くのかな。そ、そーだ!これ見てください!チャンピオンの限定スマホケース!これ去年の限定ライブの時のグッズなんですけど、めっちゃ可愛くないですか!いつもは下ろしている髪をポニーテールでまとめてるんですけど、ここの振り向いた表情とマッチしてて。一昨年のサイドテールも良かったですけど、僕的に去年が一番お気にっすね!ユウお姉さんの言う通り僕、ジムチャレンジ参加したのもチャンピオンが理由なんですよ。ライブチケット人気すぎてほとんど当たらないんでもう、直接会いに行っちゃおうみたいな!ま、まぁ、ポケモンバトルもした事ないんでリーグ戦までいけるか微妙ですけど。あはは……!」

 

 周囲の気温が下がったのか、寒気を感じ始めた僕は最後を半笑いで濁し、恐る恐るユウお姉さんの表情を伺った。

 

 彼女は目が点になっている。

 僕が見つめているのに気付いたのか、はっと顔を背けられた。

 

 少々飛ばしすぎてしまったようだ。

 僕は隣のワンパチに目を向ける。相変わらず器用に目を逆三角形の形にしながらこちらを見上げていた。

 

「……えーと。じゃあポケモンバトルしてみる?」

 

 周囲が寒々しい雰囲気に包まれ、さすがに居たたまれなくなったのか、ユウお姉さんがおずおずと提案してくる。

 

 自分の失態に優しく手を差し伸べてくれるその姿勢が今は逆に辛い。

 ちゃんと暴走してた話の前半スルーしてくれてるし。

 

「……おっす!お願いします!」

 

 僕は半ばヤケクソになりながら、勢いで返答した。

 この空気を吹き飛ばすにはもう、突っ走るしかない。

 

 なんとでもなるはずだ……!

 

 

 

「ポケモンバトルのルールは大丈夫?」

 

 草原にたたずむ人影が2つ。

 風上側に立つ少女は両手を合わせ、体を伸ばしながら尋ねた。

 

「はい、バッチリです!」

 

 風下に立つマーチは、右手で手の平のボールの感触を確かめながら脳裏にルール思い浮かべた。

 

 トレーナーとポケモンが一組で戦う競技。

 対戦相手のポケモンと技を繰り出し、先に相手を倒した方が勝ち。

 ルール自体は単純だが、タイプ相性、地形、天候等バトルを組み立てる要因は様々で奥が深い競技。

 

 テレビの中でいつも見ていた状況が手の届く目の前で行われる事に、マーチの表情は興奮と不安が入り混じていった。

 

「今回はわたしの手持ち一体と勝負!頑張ってね!」

 

 眼鏡の縁を光らせた少女はそう告げると右手のボールを突き出した。

 

「は、はい!」

 

 マーチも慌ててボールを突き出す。

 その表情は普段より数倍硬くなっていた。

 

「いくよー!」

 

 少女から発せられるバトル開始の合図。

 

 両者はボールを振りかぶり、勢いよく前方に投げ放つ。

 マーチのボールから閃光と共に現れたのは、黄色い毛並みを光らせるワンパチ。

 気合の咆哮を上げながら着地、両手足で地面を踏みしめる。

 

『イヌヌワン!』

 

 対面する彼女のボールから飛沫をあげながらと現れたのは水を受け流す鱗を連想させる蒼色の体躯。

 

「シャワーズ……!」

 

 マーチは前方の水色の尾びれをなびかせるポケモンに目を見開く。

 イーブイの進化ポケモン、シャワーズ。

 知名度が高くトレーナーに根強い人気を誇る。

 

「お、知ってるんだね?……じゃあ行ってみようか!」

 

 少女が繰り出した宣言にマーチは反射的に体をこわばらせる。

 愛らしい見た目に反して、高火力な技を多数覚えるシャワーズ。

 攻撃を受ければかなりのダメージを食らう事を予測したマーチは声をあげた。

 

「ワンパチ、回り込むよ!」

『ワンパ!』

 

 主の指示に従い、草原の右側へと駆けるワンパチ。

 

 シャワーズに視界から外れるように動けば、技の直撃は避けられるはず。

 マーチはまだ動きのないシャワーズを確認しながら、巡る思考の中で次の行動を組み立てていく。

 

 その直後。相対する彼女が動いた。

 

「シャワーズ!みずてっぽう!」

 

 シャワーズは口を大きく開き周囲の水分を収束させ、前方に解き放つ。

 発射される水の弾丸。

 それは空気を押しのけて突き進み、着弾し地面を抉り取った。

 

「この威力は……!」

 

 数秒前まで子犬が立っていた場所に出現したクレーター。

 想定以上の威力に頬を一筋の汗が流れるのを感じながら、マーチは勝ち筋を模索する。

 

 あの攻撃は要注意だ。どうする。考えろ。頭を回せ。

 

 不意に視界の端に映り込んだそれは、少年の脳裏に一条の光をもたらす。

 

「ワンパチ!そのまま進むよ!」

『ワンパ!』

 

 少年の前を駆けるワンパチは大きく右側に回り込み続ける。

 

 目前に見えるのは生い茂る草むら。

 水の弾丸が飛来する前に、子犬は草むらに飛び込んだ。

 

 よし。あの中に入ってしまえば草木で射線が途切れるはずだ。

 

「あらら……。草の中に入られちゃった」

 

 少女は右手を額にかざしながら、ワンパチが入り込んだ草むらを眺める。

 彼女の前に立つシャワーズはその場から動きを見せない。

 

 マーチの心臓が大きく脈動する。

 

 このまま最短距離を突っ切れば!

  勝利を目前に手繰り寄せている感覚に包まれた少年は、勝負を仕掛ける。

 

「飛び出せワンパチ!ほっぺすりすり!」

『イヌヌワン!』

 

 木々の隙間から光が漏れ出す。

 草木を吹き飛ばし体に眩い電光を纏いながら、ワンパチが蒼色の猫の前に躍り出る。

 シャワーズに動きは無い。

 

 直撃コース。もらった!

 マーチの想定通りの立ち回り。雷電の衝撃が蒼色の体躯に迫る。

 

 直後、蒼い一閃が宙を切り裂いた。

 

「シャワーズ。アクアテール!」

『シャワッ……!』

 

 主の指示と同時に体勢を低くしたシャワーズは、すくい上げるように水を纏う尾びれを叩きこんだ。

 直撃したのは、紫電が途切れていた子犬の後ろ足。

 

『ワパッ……!?』

 

 宙を駆けていたワンパチは踏ん張ることもできず、真横へ吹き飛ばされた。

 

「ワ、ワンパチ!」

 

 少年の口から吐き出された張り詰めた声。

 自分の想定が一瞬で崩れる落ちた光景を前に動揺が隠せない。

 

 視界の奥で倒れ込む子犬。

 膝を叩き意識を切り替えた彼は、慌てて相棒の傍へ駆け寄った。

 伏せられていた耳が僅かに動く。

 ワンパチは苦悶の表情を浮かべながらも、少年の前で再び立ち上がる。

 

「危なかった~。あの草むらに入れたら、みずてっぽう防ぎつつ意表を突けるもんね。」

 

 彼方に立つ少女は安堵の表情を浮かべながら胸に手を当てていた。

 

 少年の内心に衝撃が走る。

 

 こっちの動きを読まれてる。……あの時動きを見せなかったのは、誘い出す、ためか。

 心の奥底で蠢く冷たい感触。

 マーチは僅かに震えた掌を握りしめながら、目線を落とす。

 自身の前に佇むのは、依然として戦意の衰えない相棒の後ろ姿。

 

 ダメージは受けたけど、ワンパチはまだ動ける。隙をついて接近できれば、攻撃は当たるはず。

 少年は動揺を打ち払うように頭を振うと、おもむろに顔を持ち上げた。

 見据えるのは、彼方に佇む少女と蒼色の戦士。

 

 どうにかして近づけば……!

 脳裏に浮かぶ理想を体現すべく、彼の瞳の奥が微かに輝く。

 

「あの感じだと、次もきっと近づいてくるよね。シャワーズ!みずてっぽう!」

「!」

 

 少年が動き出す前に、少女が動く。

 

 放たれたのは水の弾丸。

 先刻と異なるのはその量。蒼の凶弾は降り注ぐ雨の如く、少年達へと襲い掛かる。

 

 直後、二人の輪郭が揺れ動いた。

 

「え?」

 

 少女の口から無意識に零れ落ちた声。

 

 その遥か前方の戦場で、飛来する散弾の間をすり抜けるように少年と子犬が駆け出した。

 身体の脇を通り過ぎる衝撃音を掻い潜り、眼前で舞う飛沫を避けて彼らは突き進む。

 

「ワンパチ。全部避けてくよ。ジグザク走りだ!」

『イヌヌワン!』

 

 マーチの声に呼応し、ワンパチは草原を縦横無尽に駆け抜ける。

 シャワーズから次々の放たれる砲撃を避けながら、確実に距離を詰めていく。

 

 再び相まみえる両者。

 蒼色の猫の瞳に子犬の姿が映り込む。

 大地を踏みしめたワンパチの身体が最後の加速を果たす。

 稲妻の如く迫りくる黄色の体躯を前に、シャワーズは静かに体勢を落とした。

 

「追い払うよ!シャワーズ!」

「今だ!ワンパチ潜り込め!」

 

 相手を迎え撃つために少女から放たれた指示。

 その裏側で放たれたもう1つの指示。

 

 戦場に響いた二人の声が重なり合う。

 

 少年の瞳の奥で浮かび上がるのは先刻の情景。

 蒼く瞬く一閃。衝撃のタイミングはさっき見た。

 

 だから。

 少年の想いに応えるようにワンパチは四肢に力を籠め、頭を前方へとねじ込む。

 

 白と黄色の頭上を水を纏った凶刃が掠めていく。

 猛進した子犬は紙一重の差で蒼色の一閃を潜り抜けた。

 尾を振り抜いたシャワーズの背面には僅かな隙が生まれていた。

 

 訪れた好機に少年の掌に力が籠る。

 背面をとった。この位置なら攻撃は当たる。

 

「行け!ワンパチ!」

 

 シャワーズの横を潜り抜ける形で通過したワンパチの前足が地面を踏みしめる。

 慣性を相殺して、背後から奇襲を仕掛けるべく身体を反転させた。

 

 蒼色の尾びれは依然、宙を舞い続けている。

 

 帯電した黄色の毛皮が逆立ち、子犬の眼前に雷光が瞬く。

 背後から迫った雷の一撃。

 

 大気を焦がすかのような低い振動音が響く中、その声は放たれた。

 

「シャワーズ。なみのり」

 

 直後。

 雷の一撃が虚しく宙を打った。

 

 蒼色の体躯の足元に顕現する巨大な水の塊。

 膨大な水の奔流に持ち上げられる形で上昇したシャワーズは一瞬でワンパチの射程範囲外へと舞い上がった。

 

「な……!このタイミングで!?」

 

 刹那の差で繰り出された技にマーチは目を見開いた。

 

 地上から見上げるほどの高さまで上昇したシャワーズ。

 太陽を背に足元で固まった水塊を解放する。

 草原に響き渡る、飛沫が跳ねた音。

 

 直後、位置エネルギーを上乗せした水の激流が崩れ落ちた。直下で佇む黄色の子犬は鳴り続ける衝撃音と共に飲み込まれる。

 

 やがて轟音が薄れる様に小さくなり、周囲を膨大な水が押し流していく。

 

 そして。

 訪れる僅かな静寂。

 

 水浸しになる草原で見える2つの影。

 静かに佇むシャワーズの前方で、ワンパチは力なく倒れこんでいた。

 

 

 

「ワンパチ!」

 

 周囲の水たまりに足をとられながら、僕はワンパチの元へ駆け寄った。突いた膝に湿った草木が突くのを無視して相棒の傍へ。

 

 駆け寄った事に気づいたのか、ワンパチはその小さな身体を震わせ始めた。

 黄色の毛並みは泥にまみれ、体の所々擦り傷ができている。

 それでも、まだ立ち上がろうとしている。

 

 泥の上でもがき続ける相棒とは裏腹に、僕の心に溢れるのは不安や焦り。

 距離を離せば、みずでっぽう。近づけば、アクアテール。最後は問答無用のなみのり。

 それに加えて、相手は未だに無傷で、こっちは瀕死に片足を突っ込んでる。

 

 無理、だ。こんなのどうすれば。

 攻略の糸口がつかめない。垣間見える勝利のイメージも一瞬で泡のように消えていく。

 

 不意に目の前の地面が歪んだ。

 草原の稜線がぐにゃぐにゃになっていく。

 目に汗が入ったのか、それとも。

 

 あれだけ脈動していた心臓の鼓動もいつしか聞こえなくなっていた。

 自分の想像を嘲笑う様に超えてくる現状に僕は、ただうなだれる事しか出来なかった。

 

 その声を聴くまでは。

 

「前を向こう。マーチ君」

 

 優しく耳元で囁かれるように響く声音。

 

 おもむろに顔を持ち上げると、視界に映るのは僕を静かに見つめているユウお姉さんの姿。

 彼女の口が再び動く。

 

「顔を上げて、周りを見て。……まだ、勝負は終わってない」

「!」 

 

 口から零れ落ちる吐息。

 歪む視界の端で、黄色の背中が僅かに動きを見せた。

 

 彼方の草原に立つシャワーズの後ろで佇むあの人は形式状、僕の対戦相手。

 ユウお姉さんのしている事は敵に塩を送る行為に等しい。

 追い詰められて挫けそうになる僕へ助言をする義務も、責務もない。

 

 だというのに。

 穏やかに微笑む彼女は祈るように、信じるようにその言葉を紡いだ。

 

「俯いてるだけじゃゴールは見えないよ。勝利のカギはいつだって君の傍にあるんだから」

 

 どくん、と。

 鳴らし方を思い出したかのように心臓の鼓動が鼓膜を叩いた。

 

 ここまで支えられて、励まされて、恥ずかしくないのか。

 

 体の奥底で一握りの熱が生まれる。

 

 諦めるな。俯いてる場合じゃない。前を見ろ。ここで踏ん張らないでいつ踏ん張るっていうんだ。

 

 産声をあげた熱は膨れ上がり、血肉を通して身体中へと伝わっていく。

 

「やるぞ……。ワンパチ」

『イ、イヌヌワン……』

 

 視界の揺らぎが消え、端々に灼熱が宿る。

 鼻の奥を突き刺す微かな痛みを吐息と共に吐き出す。

 僕は挑むように足に力を入れ、ワンパチと共に地面を踏みしめた。

 

 依然として、劣勢なのは変わりないけど。まだ諦める訳にはいかない。

 前方に佇む相手を見据えながら、僕は熱を宿した掌で両頬を叩いた。

 

「行くぞ!ワンパチ!」

『イヌヌワン!』

 

 

 

 青空の下で僅かに吹いたそよ風が草木を揺らしていく。

 心を奮い立たせた少年と子犬は再び戦場へと足を踏み入れた。

 

 小さく呼吸を解整えたマーチは周囲に目をやった。

 視界に映り込むのは、水浸しの草原。濁流で根こそぎ沈んだ草木。その中心に佇む蒼色の猫とあの人。

 

 最初に使った草木の影はもう使えない。近づいて、その後の行動を……。考えろ。頭を回せ。

 思考を巡らせて、いくつもの要因を作り出して組み合わせていく。

 

 やがて、彼の前に1つの光景が現れる。

 

 もしかして。あの状況下なら使えるのか。……あれが。

 今までの戦いから、彼が導き出せる現時点の最善策。

 

 成功する確率は低いが、きっとこれ以上の案は出せない。

 

 そう確信したマーチは眉を吊り上げて、声を張り上げた。

 

「ワンパチ、行けるな?……もう一度近づくよ!」

『イヌヌワン!』

 

 見上げるように向けられた双眸が少年を捉える。『任せろ!』という気概を感じさせる相棒の眼差しに少年の口角が自然と吊り上げた。

 前へと向き直ったワンパチは、彼方で佇む蒼色の相手を見据える。

 

 合図は無かった。

 

 二人の足が地面を蹴り上げる。

 少年と子犬は競うように戦場の中へ駆け出した。

 

「準備は整ったみたいだね?……さぁ、もう一度勝負だ!」

 

 そよ風に揺れる草原。

 その中で佇んでいた少女はおもむろに目を細めた。少年が奮起するのを待ち望んでいたかのように。

 

 後方から聞こえる主の声に従い、シャワーズも再び戦闘体勢を構えた。

 迫り来る足音に対し、彼らは応戦を開始する。

 

「シャワーズ!みずてっぽう!」

「ジグザグに走るよ!ワンパチ!」

 

 蒼色の体躯から放たれる水の奔流。

 傍らで駆ける少年の声に呼応した子犬は身体を左右へねじ込み、飛来する凶弾を避けていく。

 

 視界の端で飛沫が上がる。

 発散した雫を振り払いワンパチは戦場を横断する。

 

 そして。駆け抜けた先でシャワーズの眼前へと躍り出る。

 

「前と同じで、近づくだけなら届かないよ?」

「……」

 

 沈黙する少年を前に、少女の口元が吊り上がる。

 それは余裕のある者が見せる不敵な笑み。

 

 迫り来る子犬に向かって、彼女はおもむろに指先を伸ばした。

 

「シャワーズ!なみのり!」

 

 彼女が選択したのは、決定打を与える大技。

 シャワーズの足元に水の塊が集まり、使い手を一気に上空へと持ち上げた。

 

 対してワンパチは水塊の直下に目掛けて進行中。既に《なみのり》の射程範囲内。

 

 各主の指示、ポケモンの位置は先刻と変わらない戦況。

 ある人物の燃えるような意思を宿した眼差し以外は。

 

「この瞬間を待っていたんだ!ワンパチ!突っ込め!」

「え……!?」

 

 張り詰めた声が草原に響き渡った。

 

 一瞬、理解できない言語を聞いたかのように固まる少女。

 主の叫び声に反応するように、黄色の子犬は大地を踏みしめた。

 

『イヌヌワン!』

 

 黄色の毛皮が紫電で覆われていく。

 四肢を広げ前傾姿勢を取ったワンパチは、溜め込んだ両足の力を解放した。

 明滅する雷光が地を這うように突き抜ける。

 

 眼前に迫るのはシャワーズではなく水の塊。

 このままではそのの上に位置するシャワーズには当たる事は無い。

 

 しかし、水の塊には当たる。

 水が日光を屈折させて、草原を多角的に照らし出していく。

 

 一筋の光が視界に入り込む中、少年は頭の奥から幼少期に教わった知識を引っ張り出していた。

 

 ごく普通の自然現象。水は電気を通す。

 この事象を逆手に取ればシャワーズは言わば巨大な爆弾の上で胡坐をかいているようなもの。

 水の塊が牙を剝く前に電撃をぶつけることができれば、それは必ず着火する導火線となる。

 

「……っ!?シャワーズ!避けて!」

 

 少年の思惑に気づいたのか、少女の口から出たのは焦燥が滲む声。

 

 ワンパチが水の塊に飛び込むと同時。

 シャワーズが手足をしならせて身を翻した。

 

 直後。

 迸る雷光の瞬き。

 

 水を通して稲妻が縦横無尽に走り抜けるが、僅かに半歩届かなかった。

 

 使い手が離れ発散する水塊。

 帯電していた雫は散り散りになり、溶け込む様に宙を舞った。

 

 雲1つ無い青空の下、発散した飛沫が太陽光を乱反射して無数の輝きが生まれていく。

 

「まさか、なみのり前を狙ってくるなんて……!でも、これで仕切り直しかな?」

 

 上空を漂う輝きに少女は眼鏡の奥で瞳を細める。

 いまだ滞空しているシャワーズを見上げ、次の一手を指示する瞬間。

 

 彼女の耳にその声が響いた。

 

「まだ、だ」

 

 弾かれるように視線を前方に戻す少女。

 視界の奥に映るのは先程の声の主。

 

 彼は顔を逸らすことなく、懸命に、自身の相棒の動きだけを見据え続けていた。

 両足を地面につけ、宙を舞う蒼色の猫の直下に佇む黄色の子犬。

 

 俯くことなく、前を見続けた彼はこの瞬間を、勝利のカギを逃さない。

 

「今だ、ワンパチ!かみなり!」

『イヌヌワン!』

 

 四肢を広げ、黄色の毛並みを逆立るワンパチ。

 周囲に幾つもの電光が瞬き、一条の閃光が天を衝く。

 

『シャ……!?』

 

 直後。

 空から轟音と共に降り注いだ巨大な稲妻がシャワーズの身体を撃ち抜いた。

 

 青い体躯に叩き込まれたのは雷そのもの。

 炸裂音と強烈な光に包まれ、少年は思わず持ち上げた腕で顔をかばった。

 

 先程までの喧騒が嘘の様に、周囲は静寂に包まれた。

 

 不意に聞こえた風の騒めき。

 轟音の余波で麻痺した少年の鼓膜が次第に回復していった。

 

 朧気だった周囲の輪郭が鮮明になっていく。

 

 静まり返る草原で立ち続けている影は1つ。

 マーチの視界に映ったのは全身に擦り傷を負いながらも果敢に戦った、黄色の子犬。

 

「ワンパチ!」

『ワンパ!』

 

 持ち主の元へと駆け寄るワンパチの向こう側。渾身の雷が直撃したシャワーズは地に伏せたまま動かない。

 

 この状況が意味すること。

 それは。

 

「おめでとう。マーチ君。……君の勝ちだよ」

 

 少女はそう呟くと、倒れ込む蒼色の体躯に向けてボールを突き出し、戦い抜いた相棒を収納した。

 眼鏡の奥の瞳はこれまでの健闘を称えるかのように細められていた。

 

 初めてのポケモンバトル。初めての勝利。

 マーチの脳裏にようやく浮かび上がる実感の数々。

 体の内側から湧き上がる達成感に緊張の糸がゆるんだマーチは掌を握りしめてガッツポーズをした。

 

「……やったぁ!」

 

 晴れやかな空の下、激闘の跡が残る草原には初めての挑戦を乗り越えた少年の歓喜の声がこだましていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。