ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア 作:甘井モナカ
木材のほのかな香りが鼻腔をくすぐる。
目が回るような数の本に包まれた一室。その中央に位置する机で少年が頁をめくる。
少女は少年の隣に座っていた。
少年は藍色の髪と同じ色の眼鏡をかけ、本を読んでいる。
窓からの光によってより鮮明に映る、文字を懸命に読み込む真剣な眼差しが見える横顔。
そんな彼を隣で眺めるのが彼女の日課になっていた。
幾つかの季節が廻ったある日、少年が口を開いた。
話の詳細な内容はもう覚えていない。
覚えているのは、その時彼女の中で響いた何かが崩れおちる音。
ゆがむ視界の端には長身の白衣姿が写りこんでいた。
彼女の周囲が唐突に暗転する。
彼女の前に音もなく現れたのは遥か天上へと続く1つの階段。
頭上を見上げても、存在するのは僅かな階段の先と暗闇のみ。
後ろを振り返っても、同じ。
なんのために上っているのか思い出せないまま、彼女は鎖が巻き付いたかの様に重い足を前に進める。
一歩。一歩。
足を踏み出す毎に彼女の中の何かがすり減っていく。
脳裏に唯一残る、階段に足を踏みいれた理由でさえ色褪せていく。
音も、光もない世界。
眼前の暗闇に包まれた虚空を映した彼女の瞳は、いつしか体から立ち上る一本の影を捉える様になった。
ふと、瞼が開かれた。
周囲は薄暗く、静寂に包まれている。
気温が下がったのか、冷えた部屋の空気が彼女の肌を刺す。
寝台から上体を起こそうとした彼女は頭が鈍痛に包まれている事に気づき、右手で顔を覆いながらゆっくりと起き上がった。
ここ数年続いている眠りの浅さに嘆息しながら、彼女は体を動かし床に足をつける。
寝台の隣にある明かり火を灯し、立ち上がった彼女は部屋を横切り窓の外へ。
そよ風が目の前を通りすぎ、頬を撫でる。
窓の先には半円状に広がる庭園。
丁重に手入れされた芝や木々が夜に溶け込み大きな影を映し出されていた。
足の裏ではいずり回るような芝の感触に疎ましさを感じながら庭園の端へと歩を進める。
部屋の中で彼女の身にまとわりついてた重い空気が夜風に流されていく。
高層ビル並の高さから見下ろした眼下に広がるのは、人々が営む町の情景。塀に身を委ね、遠くの景色に目を凝らす。
本来であれば、店の看板の光や、窓からこぼれる明かりが広がるが今は見えない。
深夜に該当する時間では、皆寝静まっているのか建物の影が月日に照らされ輪郭が虚ろいでいる。
夜風が不意に止んだ。
微かに聞こえていた大気の揺らぎも消え、辺りは静寂に包まれる。
音も、光もない世界。
誰も彼女を見ていない。
身に覚えのある暗闇を垣間見た彼女は、身を縮めるように両手で自分の肩を抱いた。
影に覆われたこの世界で何かを堪える様に両手に力を籠め、瞼を閉じる。
そんな少女の体を包み込む様に巨大な黒い影が音もなく彼女の後ろに佇んでいた。