ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア   作:甘井モナカ

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半裸で、熱血で、大事な時は背中で語る。そんな兄貴が欲しい人生でした。


#08.開幕

「開会式の手続きが済みました。こちらに着替えてスタジアムの待機場所へお集りください」

 

 ジムチャレンジの開会式が開かれる《エンジンスタジアム》の出入り口。

 

 僕は、受付の人から支給された袋の中身を見つめていた。

 白と赤の刺繍が施されたその服は、よく画面の向こう側で見ていた時より鮮やかに感じられる。

 

 ジムチャレンジャーが纏う戦闘服。世界に1つだけの、僕のユニフォーム。

 

「くぅ……! 遂にここまで来たんだ……!」

 

 頬が妙に熱い。これに腕を通せば、僕もチャンピオンと同じ世界に立つ事を意味する。

 自然と口角が上がってしまう。

 

 逸る鼓動を抑えながら、足早に更衣室へ向かおうと歩き出した瞬間。

 聞き覚えのある声が僕の耳を叩いた。

 

「やっほー」

 

 振り返ると、声の主は手を振りながら駆け寄ってきた。

 白いワイシャツに、薄紅色のカーディガンの優しげな印象を青いデニムパンツで引き締めるような印象のコーデ。

 

 んー。今日もバッチリ決まってますね。ユウお姉さん。

 

「やっぱり来てた。マーチ君、この後の開式に出るもんね」

 

 小走りしてきた影響か、ずれた眼鏡の位置を直しながらユウお姉さんは微笑む。

 

「おはようございます。ユウお姉さんは仕事ですか?」

「……そうなんだよー。これから会場の運営的な事やらなくちゃでさぁ」

 

 先程の微笑みとは打って変わり、ほっぺを少し膨らませるユウお姉さん。

 彼女は眉をひそめつつ、首にぶら下がったカードケースを見せる。

 ケース内のカードには『staff』の文字が。

 

 ふと、横目で周囲を見渡すと同じカードケースを身に着けている人がちらほら。

 皆ユウお姉さんと同じ立場の様だ。……お仕事、お疲れ様です。

 心の中で合掌をしていると、ユウお姉さんの表情が一変した。

 

 目を丸くする彼女が見つめる先には、僕が両手で大事に抱えているものが。

 

「あ!それってもしかしてユニフォームじゃない!?」

「そうです。ついに手に入りましたよぉ。僕だけのってやつです!」

 

 彼女の驚いた表情が妙に心地よく、僕はつい胸を張ってしまった。

 

「うん、うん。私も昔を思い出すなぁ。そーだ!……お姉さん君のユニフォーム姿見たいなぁ」

 

 しばらく頷いていたユウお姉さんは、突如ひらめいた様に手を叩いた。

 

「え!僕の、ですか!?」

「そーだよ!ほら!はやく、はやくー!」

 

 急な話題転換に思わず固まる僕。

 

 そんな僕を彼女は両手でぐいぐいと更衣室の方へ押していく。

 僕の背中に広がる、柔らかい掌の感触。人肌のぬくもり。

 朝から、こんなスキンシップまで堪能できるとは。

 ジムチャレンジ目指してよかった……。あ、でもこれは浮気じゃないですよチャンピオン……。

 

 温かくて、桃色な、ゲスい感情で満たされた僕は、あっという間に更衣室の前へ。

 あと一歩で更衣室内に入る直前、場の雰囲気をぶち壊す無機質な電子音が鳴り響いた。

 

 ふと冷静になり、スマホの画面を確かめるが着信はなかった。僕のスマホからではない。

 ふと、顔を上げると申し訳なさそうなに眉を下げたユウお姉さんの姿が。

 僕は了解の意を込めて頷くと、ユウお姉さんはいそいそと電話に出た。

 

「もしもし。あ。はい。……ちゃんと会場にいますよ。まだ時間に余裕はあるはずじゃ……。え!?それってあの人の担当じゃないんですか!?帰ってきてない?そんなぁ……。はい。……分かりました。とりあえずそちらに向かいますよ。はーい」

 

 電話中、まるでジェットコースターのに乗っているかのように表情を二転三転させた彼女は疲れ果てた表情で通話を切った。

 あぁ。背中がどんよりしているのが見える……。

 

「もしかして……トラブルとかですか?」

 

 僕の問いかけにユウお姉さんは、目にもとまらぬ速さで頭を下げて僕の前で手を合わせた。

 

「そーみたい、とほほ。ごめん!お姉さんちょっと抜けるね。ユニフォームは後で見せて!」

 

 そう言い残すと、彼女は周囲の人々を避け一目散に駆けて行った。

 

「相変わらず、不思議な人だなぁ」

 

 ころころと表情の変わる彼女の顔を思い返し、僕は思わず苦笑した。

 小さく息を吐き、振り返った僕は更衣室へ足を踏み入れる。

 

 

 

 鏡の前に映るのは、ユニフォームを纏う寝不足顔の少年のにやけ顔。

 つまりは僕だ。

 

 白と赤の刺繍が良いアクセントになっている気がする。

 僕は服のデザインを眺めつつ後ろに振り返る。

 背中に背負った数字は『810』。ハートの語呂から取ったのだ。かっこいいぜ!

 

 ユニフォーム姿を堪能した僕は、見出しなみを整え更衣室を出る準備をした。

 忘れ物なし。ロッカーのカギ持った。後は、少し喉が渇くな。

 更衣室の近くの自動販売機があった事を思い出した僕は、更衣室から離れた。

 

 スマホの時刻を確認しつつ自動販売機の設置通路に差し掛かろうとした次の瞬間、僕の目の前に白いタンクトップが現れた。

 

「!」

 

 眼前を覆うように現れたそれに勢いよくぶつかった僕は反動で床に倒れ込む。

 

 しまった。前をよく見てなかった。

 倒れた反動で手からスマホが転げ落ちた。

 

「すみません!ケガはありませんか?」

 

 スマホは床を滑り続けると、僕がぶつかってしまった相手の足元へ。

 

 僕より少し年上なのだろうか。

 タンクトップの様なユニフォームを纏う少年はスマホを広い上げ、にやりと笑みを浮かべた。

 

「こっちこそ、すまねえ。俺の大胸筋が悪さしちまったみてぇだな」

「え?」

 

 僕の思考が一瞬固まった。

 差し出されたスマホを無意識の内に受け取る。

 

 彼は両腕を交差させると、息を吐き全身に力を込める。

 急激に盛り上がる胸部のタンクトップ。

 彼はそのままこちらに流し目を向けるが、爽やかさは一切ない。

 

「そんな熱い視線を送るなよ。……照れるちまうぜ」

「送ってないです」

 

 心なしか、頬が赤く染まった様に見えた彼に僕が食い気味で答えた。

 頼む。幻覚であってくれ。

 

「おいおい。ずいぶんつれないじゃねぇか。兄弟?」

「兄弟って……。あの誰ですか?初対面ですよね?」

 

 頬を伝った汗を振り払うタンクトップ。

 宙に飛散した汗が僕の目の前でダイヤモンドの様に煌めく。

 ん?……ダイヤモンドってなんだ?

 

「……俺を知らないだと?」

 

 僕の冷静な返答に険しい表情を作った彼はタンクトップを強調させるポーズを解き胸の前で腕を組んだ。

 

「なら教えてやる!ダルマッカの如き赤い魂この背に宿し、いずれはガラルの頂点に立つ男!ミース村マッスルランキング第3位のニック様とぁ!俺の事よ!!」

「急になんですか……。後、そのランキングの1位と2位誰だよ……」

 

 真剣な表情と雰囲気から出た斜め上過ぎる発言に思わず脱力する僕。

 

「1位と2位? 俺のじいちゃんと村長のじーさんだな」

「聞かなきゃよかった……。むさ苦しすぎる」

 

 僕のさらなる脱力に見向きもしない筋肉タンクトップことニック。

 

「お前も俺と同じ匂いがするんだ。熱いこれを持ってるんだろ?」

 

 片目でウインクしながら自分の胸を指差す彼は爽やか否、暑苦しい笑みを浮かべる。

 

「えぇ……。会ってまだ数分で、距離間近すぎません?」

 

 僕は困惑しつつも、初対面の線引きについて彼に意見をぶつけようとした瞬間、場内にアナウンスが鳴り響いた。

 

『まもなく、ジムチャレンジ開会式が始まります。チャレンジャーの皆さんはメインゲートより、スタジアム内にお入りください。繰り返します。まもなく……』

 

 ふと周囲を見回すと、先程までの喧騒が嘘の様に辺りは静まりかえっていた。

 この場にいるのは、僕とニックのみ。

 

「やばい。みんなもう移動してる!」

「ふっ。焦るなよ兄弟。そんなんじゃせっかくのこれが台無しだぜ?」

 

 あたふたする僕とは対照的に、落ち着きを払っている彼はまたもや自分の胸を指差す。

 大胸筋ってそんなに必要なんですか?

 

「さぁて。筋肉たちも温まった事だし、行くか兄弟!」

 

 首を回して、そう告げた彼は僕の胴体をつかみ、駆けだした。

 爆発的な加速に視界が急激に狭くなる感覚に陥る。

 

「ちょっ!うわぁぁぁぁぁ!」

 

 彼の爆走つられ、僕の体も縦横無尽に跳ね回る。

 静寂に包まれたスタジアムの区画には、僕の情けない声だけが反響していた。

 

 

 

『レディース&ジェントルメーン! ボーイズ&ガールズ!わたくし、リーグ委員長のダンデと申します。お集まりの皆さま、テレビをご覧の皆さま、本当にお待たせしました!いよいよ、ガラル地方の祭典、ジムチャレンジが始まります!』

 

 《エンジンスタジアム》内に湧き上がる喝采。

 フィールド出入口前のモニターからは、多くの観客の表情が、興奮、歓喜に包まれている事が伺える。

 

 モニター越しに伝わってくる観客の熱が僕の全身を絶え間なく叩いていく。

 

「開会式が始まりました。チャレンジャーの皆さま、もう少しお待ちください!」

 

 チャレンジャー待機場所の先頭に居た整理人が声を挙げる。

 そんな言葉とは裏腹に、僕の周囲は徐々に色めき立つ。

 静かにしろっていう方が無茶な話だ。すぐそこに夢の舞台があるんだから。

 

「いいぜ。昂ってくるな……!」

 

 隣では鬼気迫る表情でニックが腕を鳴らしている。

 

『皆さんの大歓声が目に見えますね!その場にいられないのが残念です。背景でお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、先程から道に迷っておりまして急遽スマホからご挨拶させていただく形になってしまいました……!申し訳ありません!ちなみに、この段取りもスタッフが尽力してくれました。本当にありがとうございます。……開会式後の打ち上げは私が全部持つので楽しみにしていてください!』

 

 どっと溢れ出す笑い声。

 

 あー。あの時の電話の原因はこれかぁ。

 ユウお姉さんが慌てていた理由を察した僕もつられて苦笑いが浮かんだ。

 

「器がでけぇ人だな。俺も打ち上げ参加したいぜ」

「いや。普通にスタッフオンリーでは?ただ飯狙ってもダメですよ」

 

 モニターを見上げながら、悪だくみを考えているような笑みを浮かべるニック。

 僕は後々問題にならない様、冷静に釘を刺して置いた。

 

「いやっ。……ちげぇぞ?あの人と食事してみてぇって考えであってだな、別に」

 

 歯切れの悪い言葉を繰り返すニックを他所にモニター越しの委員長の演説は続く。

 周囲の人達も各々、ストレッチや瞑想と自分の世界に入り始めていた。

 

「そういや、兄弟。やけに落ち着いてんな」

 

 僕が辺りを見回していると言い訳を並べ終えたニックが首をかしげていた。

 

「……顔に出てないだけですよ。今だって心臓バクバクですもん」

「ほぉう?さては、結構内に秘めるタイプだな?」

 

 僕の返答に不敵に目の端を光らせるニック。相変わらず距離が近い……。

 

「っていうか。ニックこそ落ち着いてるじゃないですか。もっと雄たけびとか上げる人だと思ってましたけど」

「その認識は甘いぜ兄弟。俺を、誰だと思っていやがる」

「……初対面の人を兄弟って呼ぶちょっとやばい人」

 

 僕の本音をものともせず彼はくるりと翻りポーズをとる。

 

「雄たけびは!相応しい場所でしか上げんっ!うおー!!」

「結局上げてるじゃないですか……!」

 

 僕は思わず食い気味に突っこんだ。爽やか否、暑苦しい笑みを浮かべる彼に僕はため息をついた。

 

『……さぁ。私の身の上の話はここまで。ここからは皆さんもお待ちかね、あの人にバトンタッチします!』

 

 ふと、委員長の演説が止んだ。

 

 モニターを見上げると、次第にスタジアムの歓声が収まっていく様子が中継されている。

 多くの人々が声を止めてコートに注目を向ける。

 次に来る人はよほど人気があるのか。

 ……ん。人気?

 

 右から左へ。

 天啓にも似た一条の閃きが僕の頭を貫いた。

 

 まさか。

 

 突如鳴り響く、ドラムロール。

 スタジアム内を包み込む重低音は、聞き覚えのあるあのリズム。

 

 まさか。

 

『ガラルポケモンリーグの頂点!チャンピオン・ユウリ!』

 

 コート中央に湧き上がる、巨大な炎の竜巻。

 赤く胎動する大渦は内側から膨れ上がり、爆散した。

 

 スタジアム内に吹き荒れる突風。

 芝の欠片が舞い上がる。

 上空に飛び散った火の粉は弧を描き、観客の居るスタンドへと落下していく。

 

 刹那、コート中央から放たれる、水流の数々。

 火の粉に悉く直撃し、至る所で水しぶきが宙を舞う。

 

 コート内に煌びやかな光が広がる中、彼女は姿を現した。

 

 彼女の背後で鮮やかに煌めく火花の数々。

 艶やかな輝きを放つ、セミロングの髪。

 小柄の体躯ながらも、各スポンサーのロゴが刺繍された巨大なマントに身を翻す。

 身にまとうオーラは天真爛漫そのもの。

 

 僕がテレビの画面越しに眺め続けた人物がそこに立っていた。

 

『どーも。ユウリでーす。会場へ来られなかった委員長に変わって、私が司会進行していきまーす!……よろしくね!』

 

 再び、湧き上がる大歓声。スタジアム内はどよめきに包まれた。

 

「……!」

 

 大量のカメラの光に包まれる彼女の笑顔を見ながら、僕は声にならない雄たけびを上げた。

 身体中の体温が跳ね上がる。

 

「兄弟も上げるじゃねぇか。雄たけび」

「そんなのどうでもいいです。やっと見られるんですよ!彼女が生で!やった……!」

 

 ニックの苦言をスルーする僕。

 そんな些細な事より彼女の一挙一動をこの目に焼き付けなければ。

 

『さぁ。それでは、今日のメインキャスト!ジムチャレンジャーの方々に登場いただきたい思います!みんなぁー!カモン!』

 

 フィールド中央でくるりと身を翻した彼女は両手を広げ高らかに宣誓した。

 

『合図確認。……チャレンジャーの皆さんお待たせしました。コート内にお進みください。走らず、ゆっくりとお進みください。繰り返します、チャレンジャーの皆さん』

 

 整理人がコート内へと先導を始めた。

 

「おいおい。落ち着けって兄弟」

「止めないでください。早く彼女をこの目に映すんだ!」

 

 僕は人をかき分けて進もうと踏み出した直前でニックに首根っこを捕まえられた。

 くそぉ。これじゃ首がしまって進めない。

 

「なぁ、大丈夫か。キャラ変わってねぇか?」

 

 ニックという重石が加わった僕の進行速度は大幅に低下するが、通路の先に見えるコートの光が徐々に大きくなる。

 

 後、10m。歓声が徐々に僕の耳に入ってくる。

 後、5m。目が慣れ始めたのか、光の向こう側の輪郭が見え始める。

 後、2m。前を歩いていた人が光の向こう側へ。

 

 ふと目の前が白くなった。

 

 目を細め、再度開くとそこには煌びやかでカラフルな舞台が広がっていた。

 フィールドを囲う、何色にも光るスポンサーの看板。

 歓声や興奮を巻き起こす、大勢の観客。注目を集める環境を鮮明に彩るのは、数々のスポットライト。

 

 そんな舞台の中央に彼女は佇んでいた。

 チャンピオン、ユウリ。10年間無敗の強さと観た人を虜にする美貌、人間性の持ち主。

 

 目の前の光景に僕はただ、息をするのを忘れていた。

 

「ようこそ。チャレンジャーの皆!リーグコートに立ってみた感想はどうかな?すごい?うれしい?むしゃぶるい?大いに結構!これから、みんなはゴールを目指してあと8回はこの景色を見る事になるよ!」

 

 彼女は腰を曲げ、僕らの方へ小さくウインクした。

 周囲のチャレンジャーから歓声が溢れ出す。

 

「そう!これから各地方の8人のジムリーダーに勝って8個のジムバッジを集めることで私が待つチャンピオンカップに挑戦する事ができます!……準備はいいですか?それでは、ガラル地方が誇る8人のジムリーダーに登場いただきたいと思います!」

 

 両手をあげ、煌煌と光る光源の下を蝶のように舞うチャンピオン。

 湧き上がる歓声はとどまるところを知らない。鳴り響いていた音楽のリズムが切り替わる。ジムリーダー登場用のテーマソングの様だ。

 

『さぁ、これから登場いただくジムリーダーは8人!』

 

 スピーカーから拡散されるのはダンデ委員長の声。

 

『まずはこの人!彼女の魅力に皆クラクラ?毒タイプ使いのクララ!』

 

 現れたのは桃色の髪を左右に揺らしながら、羊の毛皮を彷彿とさせるボアブルゾンを着こなす女性。

 コスチュームは白と紫でシンプルにまとまっているが、メイクが濃くどこかアンバランスな印象を受ける。

 

『続いて!いかなるバトルもエレガントに!エスパータイプの使い手セイボリー!』

 

 やたらと長い帽子をかぶった人が現れた。って帽子の回りにボールが浮いてる?

 

 その後も続く、ジムリーダーの紹介。

 ファッションや、容姿が個性に富んでいたが、皆自信に満ち溢れた表情をしていた。

 

 この人達と戦うのか。

 そう考え、僕はふと視線を落とした。

 

 覚悟はしていたが、いざ目の前で見ると気圧される感覚が胸の底に滞留する。

 音もなく体を蝕む、漠然とした不安。耳の奥で不自然に鳴り響く耳鳴り。

 深い海の奥底へ沈みこむような感覚に包まれる中、僕の鼓膜にあの日聞いた声がこだました。

 

『顔を上げて。マーチ君』

 

 全身を駆け巡る衝撃。

 はっと、意識がスタジアム内に戻る。

 

 鳴り響く歓声と音楽。

 導かれるように顔を上げると、視界の先で彼女と目が合った。

 舞台の上からこちらに目をむけているチャンピオンと。

 

 呼吸が止まる。

 思わぬアクシデントに表情が固まる僕。

 相変わらずの情けない姿にチャンピオンは構うことなく笑顔で手を振ってきた。

 僕に向かって。

 

 暗い海底を照らし出すかのように、熱が灯る。

 心の奥底にある熱が胎動する。身体の体温が戻る。

 そうだ、相手とか関係ない。僕のしたい事、行きたい場所に行くんだ。

 

 だから、僕は――。

 

「お!チャンピオンがこっちに手を振ってのんか?なるほどぉ。さては俺の筋肉に見惚れたな?」

 

 隣のタンクトップが割り込んできた。

 出鼻をくじかれた僕は、彼に抗議の目を向ける。

 

「そーいうのもうお腹いっぱいなので、ちょっと静かにしてもらえます?」

「いーや。この俺の燃え上がる魂に見惚れたんだ間違いねぇ!」

「筋肉どこ行ったんすか」

 

 筋肉を強調するポーズを次々と取るニック。

 

 ちょっと、目立つって。

 相変わらず、独特な感性を持つ彼とコントなやり取りをしていると、突如、背筋に冷たい刺激が走る。

 

 恐る恐る振り向くと、それは舞台の上から。

 ジムリーダーの一人が般若のような表情をこちらに向けていた。

 薄紅色の髪と、同じ色のユニフォームが怒気に揺れているように見える。

 

 僕達はゆっくりと後ろを振り返った。

 

 後ろには誰もいない。

 

「……兄弟。お前にらまれてんぞ」

「どう考えてもあんたでしょ……」

 

 二人揃って冷や汗を流している傍ら、チャンピオンが閉会の挨拶を始めた。

 僕達は依然としてこちらに向くジムリーダーの視線から逃れるため、しばらくの間ホイーガの様に丸く縮こまった。

 

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