ポケットモンスター剣盾 外伝 祈望のアカシア   作:甘井モナカ

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憧れは理解から最も遠い感情。小学生の頃に教わりました。


#09.王者

 窓の外から喧騒がこぼれる。

 視界に映り込むのはスタジアムのエントランスを行き来するスタッフの数々。

 開会式前に溢れ出すほどいたジムチャレンジャーは見当たらない。

 

 気が早い人は1つ目のジムに向かっているのだろうか。

 椅子に腰かけ、そんな事を考えながら僕は目の前の2つのジュース缶に視線を戻す。

 

 僕がいるのは、スタッフが行きかう通路の手前。

 式が始まる前に約束した果たすため、僕は飲み物を持ちつつ、ユウお姉さんを待つ。

 っていうか、連絡先とか持ってなかったな。こういう時て聞いといた方がいいのか?

 悶々と答えが見えない自問自答を繰り返していると僕の目の前で人が止まった。

 

 僕はおもむろに顔を上げて、世界が止まるのを感じた。

 

 艶やかなセミロングの髪。

 すらりとした手足。

 柔らかなそうな頬。

 見た人を虜にする咲き誇る笑顔。

 

 僕の前に佇んでいたのはチャンピオンだった。

 

 あの巨大なマントこそつけてないが、黒と白の刺繍の出で立ちは開会式の時のまま。

 紛れもない本物だ。

 

 慌てて飛び上がった拍子に、手のひらから缶が片方滑り落ちる。

 爆速で拾って、椅子の上に戻す。

 

「あれー?君は開会式の時の……」

 

 目と鼻の先にいるチャンピオンが僕を見て微笑んでいる。

 あ。もう最高だ。……幸せだよ。

 

「あ、ああ。えっとぉ、あの……あ」

 

 壊れたレコーダーの様に、どもり続ける僕。

 何を話せばいいのだろう。やばい思考がまとまらない。

 

 僕は混乱する頭の中で必死に話題を探した。

 そして脳裏の奥底でいつも抱いていた1つの願望を思い出す。

 

「あの、サインもらってもいいですか!」

 

 チャンピオンのサイン。

 描かれているグッズは幾つも持っている。

 でも、それは僕に向けられたものではない。

 

 だから、許されるなら――。

 

「いいよー」

 

 はやっ。

 僕の願望への定義付けが済む前に、二つ返事で了承するチャンピオン。

 

「サインはボールに?」

「はい! お願いします! あ! ペンどこだったかな。」

 

 チャンピオンにボールを渡した後、ペンを用意してない事に気づいた僕はバックの中を覗く。

 ペンケースの中に確かあったはず。……あった!

 

 逸る気持ちを抑えつつ、彼女にペンを渡す。

 右手にペン、左にボールを持った彼女はボールをしげしげと眺めている。

 何度かボールを回した後、にやりとなにか閃いたような笑みを浮かべた。

 

「……チャンピオンマジック! それっ!」

 

 ペンのキャップを解いた彼女はそれを上空に放り投げた。

 キャップは弧を描き、再び彼女の手のひらに戻った。

 

 何だったんだ?キャップをただ投げただけでは?

 目の前で起きた出来事に困惑していると、チャンピオンはボールを差し出してきた。

 

「はい。サイン」

「……えぇ!?」

 

 彼女の言葉の意味が理解できないまま、おもむろにボールを眺め、息を飲んだ。

 そこには『チャンピオン・ユウリ』のサインが確かに残っていた。

 

 キャップはすぐ落ちてきてたのに、嘘!?

 

「へへーん。スゴイでしょ?」

 

 手を腰に当て、自慢げに笑うチャンピオン。

 何気ない仕草なのに、不思議と彼女から目が離せない。

 画になるとはきっとこういう事なのだろう。

 

「ありがとうございます……!このボールは大切に飾ります!」

「あははは。気持ちは嬉しいけど大丈夫?。……ポケモン入ってるよね?それ」

『……』

 

 ずいっと近づき、僕の持っていたボールのスイッチを押すチャンピオン。

 ボールから飛び出したワンパチは僕と彼女を何度か見上げた後、僕に不服そうな目を向けた。

 にやけすぎでは?目がそう物語っていた。

 

 下から飛んでくる非難の視線は隅に置いといて。

 さすがはチャンピオン。ノリもいいなんて。なんて心地の良いツッコミなんだろう。

 

 僕が軽く昇天しかけていると、彼女が胸の前で手を叩いた。

 

「そーだ。君はここで何してたのかな?誰かと待ち合わせ?」

「はい。お世話になった人を待ってるんです。ここでスタッフとしてお仕事してるみたいで」

 

 チャンピオンの問いかけに答えながら僕はふと横に目を向ける。

 目線の先にある関係者専用の扉からは先程から人が慌ただしく行き来していた。

 

「へー。お世話になった人ね。どんな人なの?」

『イヌヌヌヌヌ……』

 

 彼女の足元で戯れるワンパチに手を振りながら、チャンピオンは聞いてきた。

 

 おいおい、ワンパチ君。近づきすぎじゃない?

 

「不思議な人ですかね……?めちゃくちゃバトル強いんですけど、どこか抜けていて……」

「ふーん。バトルに強いんだけど、抜けてるんだ?どんなところが?」

『ヌヌヌヌヌ……』

 

 興味がわいたのか、飛んでくるチャンピオンの食い気味な質問。

 しゃがみ込んだチャンピオンに全身を撫でまわされるワンパチに羨望の眼差しを向けつつ、僕はユウリお姉さんとの冒険を振り返った。

 

「道をよく間違えたり、料理中に初めてみるものを入れたがったり、よく居眠りしたりとかですかね。……でも信じられないくらい優しくて、会う人をいつも笑顔にさせるんですよ。僕はいつもすごいなって思ってました。ああいう所はなんていうか、少しチャンピオンに似てるのかな……ってすみません!なんか変なこと長々と」

 

 話している最中、こちらをまじまじと見つめるチャンピオンと目が合い、意識が現実へと引き戻された。

 

 急激に頬へと集まる熱。

 行き場の見つからない気持ちを再現させるかの様に両手を動かしていると、ワンパチの前にしゃがんでいた彼女が立ち上がった。

 

「君の憧れの人って事なんだね。……お姉さん余計なこと聞いちゃったかな」

 

 首を傾けながら、いたずらが成功した子供のような眩しい笑みを浮かべている。

 突然赤の他人の内心を聞いたからなのか、心なしか頬が赤いように見えた。

 

「……えと。そんな、感じかもです」

 

 僕も負けずと顔が赤いはず。しかもチャンピオンの前で。

 そんな状況を改めて確認すると、一周回って笑えてくる。

 恥ずかしさを感じつつ、首筋をさすっていると彼女がポンっと手を叩いた。

 

「じゃあ。そろそろ私も行かなきゃ。君はここでしばらく待ってるの?」

「はい。関係者はここを出入りするって聞いたので待ってれば会えるかなって」

 

 再び出入りしたスタッフの方を見ながら答えると、彼女は再び笑みを浮かべた。

 

「そっか。多分、もう少し待ってたら会える気がするねきっと。……それじゃ。ワンパチ君もまたね!」

「あの、ありがとうございました!」

 

 にこやかにこちらに手を振りながら、扉の方へ進むチャンピオン。

 

 扉の向こう側へ彼女の姿が消えるまで手を振り続けた僕は、そのまま椅子に座り込んだ。

 忘れていた疲労感が一気に押し寄せる。でもそれはどこか心地が良い、まるで何かを達成したときのようなものだった。

 震える手でワンパチのボールに描かれたサインを見つめる。

 

 確かに見える、彼女の筆跡。夢なんかじゃない。

 

「すごいや。ワンパチ。君のボールにサインが付いちゃったよ。」

『ワンパワンパ……』

 

 椅子の隣にのぼってきたワンパチにボールを見せるが、特に興味がなさそうだった。

 ワンパチの毛並みを撫でていると、唐突に首の奥が乾燥している事に気づいた。

 さっきまで喉が渇いて事を僕は忘れていたようだ。恐るべし、チャンピオン。

 

 僕は、缶の上部の凹みを指で感じながら蓋に手をかける。

 ん。凹み?

 僅かな違和感を覚えつつも蓋を開ける。

 直後。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

 その後。

 

 冷ややかな感触と共に、僕の目の前は茶色で塗りつぶされた。

 


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