覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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経験の浅いトレーナーが、「自分の指導方法が不完全だから戦績が振るわないのでは」と悩むこともありましょう。そんな時でも自信満々に、自らの道を歩もうとするのがテイエムオペラオー。


覇王は往く、手を離そうとも

 インスタントコーヒーの安っぽい湯気に鼻先を撫でられながら、鷹木はタブレット画面をスワイプして流れてきたニュース記事を斜め読みしている。前日の未勝利ウマ娘によるウイニングライブ時に発生した漏電及び停電事故については、記事の片隅に小さく報じられていた。

 

〈昨日の夕方ごろ、○○市××区を中心とした一帯で停電が発生。△△競技場敷地内における漏電が原因と認められる。現在は復旧。〉

 

 拍子抜けするほど短い記事であった。

 

 あの現場においては、あれほど大ごとだと感じられた事故であったにもかかわらず。その漏電が発生した競技場でその日レースが行われたこと自体、記事内容には触れられていない。世間の注目を浴びる内容ではないのだ。

 

 全国の舞台に立つにはあまりにも遠すぎる、そんな競技場にて足掻き、一着を目指し……それでいてなお勝利を得ることが出来ずにいる担当ウマ娘のことを思い、鷹木は溜息と共にコーヒーの湯気を吹き流した。

 

 いずれのメディアにおいても大々的に取り上げられているのは、やはり間近に迫る『東京優駿』関連の記事ばかりである。スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー……話題性を盛り上げるには十分すぎる出走ウマ娘たちの名がずらずらと連なっている。

 

 彼女らのトレーナー達がインタビューに応じた記事を、鷹木は最後まで読み切れなかった。いずれ自分も彼らと同じ場所に立てるとは到底思えない憂鬱さを顔に浮かべつつ、無造作にタブレットをスリープモードにしてカバンへと投げ入れた。

 

 鷹木の頭を悩ませている命題は、もっと身近にも存在した。昨日のレース、テイエムオペラオーが明らかに余力を残した状態で負けてしまったことについて、いかに問い質すべきかという問題である。

 

 トレセン学園内での練習においては、全力で走った後は必ず息切れの様子を見せていたオペラオー。ゴール直後にあれだけ高笑いを披露できるというのは、全力で走っていなかった何よりもの証拠だった。

 

 が……問題は、オペラオーが鷹木の指示した通りに走っていたという点である。

 

 トレーナーから指示されていなかった走り方をし、その上で自らの力を完全に発揮せずレースも適当に済ませた、というわけではない。鷹木が指示した通り、一番人気のウマ娘をマークする形で走り、その結果先頭へと抜け出せず終わったのだ。

 

 すなわち、オペラオーが全力を出せなかった原因を鷹木自身が作ったのだとも取れる。実際にあのレースを走ったのが彼女である以上、敗因を明らかにするためにはオペラオー自身からの報告が欠かせなかった。

 

「……そもそも、マトモにコミュニケーションが取れたためしが無いんだがな。」

 

 重い気分を引きずりながらトレセン学園の門をくぐる鷹木。が、今日に限っては朝練を行っているウマ娘たちの掛け声が聞こえるばかりで、あの特徴的な歌声は響いて来ない。

 

 毎朝毎朝、グラウンドの真ん中で衆目もはばからず大声で歌っているのがオペラオーの謎な日課であったというのに。寝坊でもして、まだ練習場に出て来ていないのだろうか。そう訝りながら顔をのぞかせた鷹木は、意外な光景を目撃した。

 

 朝練用に開放されている練習場のトラックは、集団で走り込みを行っているチームが今は占拠している。その外側の縁をなぞるように、テイエムオペラオーは全力で駆けているのであった。

 

 鷹木はちょうど練習場の入り口から踏み入ったところであったが、その位置は彼女がゴールに設定した地点では無かったらしい。

 

 自分の担当トレーナーの姿が明らかに視野に入ったはずのオペラオーは、しかしいつもの朗らかな挨拶を投げることなど一切なく、ただ一心に自らの走りへと注力したままに鷹木の目の前を走り過ぎて行った。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……。」

 

 練習時点でも時速50キロ、全力を出せば時速70キロ近くまで速度が出るウマ娘。彼女らが走る傍まで接近することはトレーナー以外の人間にとって危険な行為であり、当のトレーナー達でさえもある程度離れて、あるいはズームした映像によって彼女らの走りをチェックするのが常である。

 

 それゆえに、走っている最中のオペラオーの表情を映像越しではなく、鷹木が生で目の当たりにしたのはこれでようやく二度目であった。アドマイヤベガと全力の練習を行った際もラストスパート時に歯を食いしばって駆けてくる表情を見てはいたが、レース中盤の顔つきをハッキリと目撃したのは初のことだ。

 

 走り去るのは一瞬であったが、それでも彼女の目の色は鷹木の印象に強く刻まれた。そこには常々より見せられている、あの自己陶酔や恍惚の色など微塵もなかった。

 

 目は前を向いていたが、視線は自らの脚に注がれているようにも思われた。あたかも、自身の走りを分析しながら足を進めているかのように。

 

 全力で走るウマ娘の地響きと風圧に押され、鷹木は後ずさりつつもオペラオーの背を反射的に目で追っていた。あわや人間との衝突事故を起こしかけた現場に対する不安の視線は周囲からも投げかけられたが、今の彼は不本意な注目を浴びていることを気に留めてなどいなかった。

 

 たった今披露されているオペラオーの走りは、ナリタトップロードと練習した時とも、アドマイヤベガと練習した時とも、そしてレース本番で披露した時とも、まるで違ったものであった。今回は並んで走る者のいない、一人きりの練習。彼女は、追い込みにしては前半からハイペースで足を運んでいた。

 

 思えば、鷹木がオペラオーを「追い込み型だ」と判断したのは、逃げ先行を得意とするトップロードとの練習風景を見てのことである。何の指示も出さずアドマイヤベガと走らせた際は、オペラオーは自ずから競争相手に先行し、負けはしたもののあとわずかという所まで追い詰めたのだ。

 

 ……自らレース状況を判断し、自身の走り方を変えるだけの器用さが、オペラオーにはある。

 

 昨日から鷹木の胸中で頭をもたげつつあった疑念が、いよいよ現実味を帯び始めたのであった。トレーナーとして従わせるべき指示、レースを進める中での作戦を指定したことが、彼女から勝利を奪っていたのではないだろうか?

 

「なんでアイツ、まだ勝ててないの。」

 

 その声が遠巻きに眺める者の無関心なつぶやきとしてではなく、明らかに自分へ向けられ、そして聞き覚えのあるものだと気付いた鷹木は振り返る。

 

 背後から近づいて来ていたのは、アドマイヤベガであった。黒鹿毛の長髪を靡かせて練習場へと向かう彼女の後ろには、いつも通りナリタトップロードも居る。美しく研ぎ上がりつつも不愛想なアドマイヤベガとは対照的に、トップロードの目は常と変わらずにこやかに鷹木へと向けられた。

 

「やぁ、おはよう。オペラオーのトレーナーさん。」

 

「あぁ、おはよう。」

 

「のん気に私たちと挨拶交わしてる場合?トレーナーって、担当ウマ娘の練習を血眼になって見るものだと思ってたけど。」

 

「……。」

 

 アドマイヤベガからの鋭い指摘に、鷹木は何も返せず練習場の方へと視線を戻す。すでにオペラオーは想定していたゴールにたどり着いたのか、はるか遠くに息を切らしている背中が見える。

 

 やはり全力で走った直後はいつもの高笑いを出せないのか、しばらく息を整えているらしいオペラオーの沈黙の中、トップロードがのんびりと呟いた。

 

「やっぱり凄い走りだね、オペラオーくん。入学してしばらく経つけど、アヤベに食いつけるぐらいの脚を持ってるの、あの子と私ぐらいだよ。」

 

「しっかり自分を入れるのね。」

 

「当然さ、私だって同期のウマ娘に負ける気は無いし。」

 

 オペラオーに負けず劣らず輝かんばかりなトップロードの栗毛の前髪に、大流星が靡いて答えた。

 

 ようやく息を整え終えたのか、はるか遠くからもはっきりと聞こえる声が「はーっはっはっは!」と響いてきた。

 

「だから、不思議なのよね。アイツが二度目の未勝利バ戦でどんな負け方をしたのか知らないけどさ。」

 

 アドマイヤベガは靴の調子を整えるついでのように、蹄鉄を打ったつま先で荒々しくグラウンドの土を引っ掻いている。ウマ娘が機嫌のいい時に見せる仕草に似通ってはいたが、今の彼女の振る舞いには明らかに親愛の情など欠片もなかった。

 

「オペラオーが勝てずにいるの、アンタの指導が間違ってるせいじゃないの?」

 

「……。」

 

 やはり鷹木は何も答えられず、じっとこちらへ近づいて来るオペラオーの様を見つめていた。走り終えたクールダウンも兼ねているのか、彼女は軽やかに、まるで舞台の上で舞い踊るかのようなステップとともにクルクルと回りながらこちらへ接近してくる。

 

 思えばこれも、練習の時間にライブ用のダンスのレッスンを組み込んでいると取れなくもない。意外にも思慮深いウマ娘なのではないか……と鷹木の脳裏に新たな考えがよぎった。

 

「やぁごきげんよう!覇王の謁見を待つ騎士たちよ!」

 

「何が覇王よ。この中でまだ勝ち数ゼロなの、アンタだけなんだけど?」

 

「あぁ、アヤベさん!今朝も実に美しいね!夜空を彩る星は、君の姿となって地上に降り立つがゆえに、朝と共に星は姿を消すのだろうか!」

 

「は?」

 

 アドマイヤベガからの冷ややかな視線を浴び続けながらも続々と口から芝居がかったセリフの奔流を垂れ流しているオペラオーを、トップロードが穏やかな笑みと共に眺めている。

 

 毎朝繰り返されるその光景に鷹木が付け入る隙など無かったのだが、今回ばかりは彼も意を決して踏み入ったのであった。

 

「なぁ、オペラオー、聞いてほしいことがある。」

 

「どうしたんだい、そんなにも思いつめた表情で!このボクにニーベルングの指環でも渡そうというのか、あるいは決闘を申し込むとでもいうのか!」

 

「いいから聞いてくれ、フザけは無しだ。昨日のレース……その、俺の指示通りには走りにくかったか?本当は、もっと違った走り方が浮かんでいたのなら、教えてほしいんだが。」

 

 フザけは無し、と聞かされたにも関わらず、オペラオーは相も変わらず芝居がかった仕草で顎先に指を添え、うんうんと大袈裟に頷いて聞いていた。その内容が、トレーナーとウマ娘との間で交わされる話としても茶化すべきではないものだと分かってもなお。

 

 どこまで行っても舞台俳優ぶって振る舞うオペラオーの徹底ぶりを、アドマイヤベガが呆れた表情で見つめる中、彼女は改めて発声しやすい姿勢をつくり高笑いを披露した。

 

「はぁーっはっはっは!不治の病でも宣告されたかと思っていたが、君の顔を青ざめさせていたのはそんなことか!」

 

「いや、『そんなこと』で片付けられる話じゃないだろ、お前の将来が懸かってるんだぞ。」

 

「何も深刻ぶる必要は無い!ボクは覇王さ、絶対的な勝利は既に約束されている!」

 

「その自信がまるで揺るがないのは感心するけどな、このままじゃ本当に勝ちが見えないんだ。……。」

 

 去年までの鷹木であれば、たった今心の表面に立ち上がった苛立ちのささくれをそのまま引きはがして傷口を広げるように、次々に自分の主張するところを連ねてまくしたてていたことだろう。

 

 どうにか罵りの言葉を飲み込み、口を閉じたのはまさに心狭き参謀としての成長であった。オペラオーは、そんな彼の内心をも見通したように、次の言葉を笑みと共に待ち構えていたが。

 

「どうしたんだい?まだ何か言いたそうだったじゃないか!言ってごらん、さぁ!」

 

「いや、いい……ただ、俺の指導が、まるで的外れだと感じるところがあるのなら、言ってほしいだけだ。」

 

「はーっはっはっは!ボクは覇王さ、王の器に入らぬものはない!いかに下手な鉄砲も、撃ちさえすれば覇王の領土に当たるだろう!」

 

 オペラオー的には完璧な返しをしているつもりであろうが、傍から見てもまるで噛み合っていないこの対話に愛想を尽かしたのか、アドマイヤベガはさっさとストレッチを終えて練習用グラウンドへ入っていってしまった。

 

 いつも通り、ナリタトップロードだけが律義に会釈をして離れ、この場には鷹木とテイエムオペラオーだけが残される。

 

「……そうか。俺は下手、か。」

 

「すまない!今の喩え方では、そういう意味になってしまうね!君を貶めるつもりではなかったんだ!はっはっは!」

 

 謝罪する気など欠片もないその口ぶりの前で鷹木が肩を落としていると、さすがのオペラオーも微塵の後ろめたさぐらいは感じたのか、言葉を付け足した。

 

「……昨日のレースは、確かに予想外だったね!ボクも、君の作戦が相応しいと最初は感じていたんだ。」

 

「いいよ、そんな風にフォローされちゃあ余計に惨めになる。」

 

「本当のことさ!このボクが、負けると見た作戦に乗ると思うかい?」

 

 それまでは舞台上に居るかのごとく顔を上に向け、あちらこちらへと歩き回っていたオペラオーの声が、唐突に鷹木の方へと向く。

 

 項垂れていた彼がその声に引き寄せられるかのごとく顔を上げると、確かにオペラオーは彼の方へとしっかり顔を向けていた。重要な内容を告げる時以外は敢えて相手の方を向かず、ここぞという所で注意をひく。

 

 そんな話術を、彼女がどんな経験を通して身に着けたのか、鷹木には不思議であった。

 

「……けれど、レースの最中に、この走り方は違うって、思ったんじゃないのか。」

 

「そんなことは無いさ!まさか、あれほどの混戦になるとは思いもよらなかった!覇王としての試練だね!」

 

「本当のことを言ってくれ。お前は、アドマイヤベガと走った時は先行策を選んだ。自分で走り方を選んでいれば、昨日のレースは負けていなかったんじゃないのか。」

 

 鷹木のそんな詰問に対しても、オペラオーは返答に詰まるそぶりを見せなかった。

 

「はーっはっはっは!既に負けたレースが、いつの間にか勝っていたことにはならないさ!このボクに約束された勝利は、常に未来にある!」

 

「真面目に答えてくれ、実際に走っているお前自身にしかわからないことなんだ。」

 

「君に分からないことがあるのなら、それはボクにも分からないさ。鷹木トレーナー。」

 

 またしても不意を突かれた鷹木は、口を噤まざるを得なかった。彼がオペラオーから名前を呼ばれたのも、『トレーナー』として呼ばれたのも、今のが初めてのことだった。

 

 少し低めたオペラオ―の声は多少神妙な響きを得たようにも聞こえたが、すぐさまにその声色はいつもの朗らかさを取り戻していた。

 

「ボクに分かるのは、走っている間の充足、ゴール前の緊張、そしてボクの美しさだけさ!どんな走り方をすべきかなんて、分かってなどいない!」

 

「感覚だけで、やってるってことか……?」

 

「そうさ!だから君の示した作戦を頼りにしている!今まで以上にボクに相応しい走りを編み出してくれるのだろう!」

 

 オペラオーの芝居がかった身振りは、そのセリフと共に彼女の腕を鷹木の方へ差し伸べていた。

 

 が、鷹木の返答は既に決まっていた。メイクデビューにおいても、未勝利バ戦においても、彼の判断は当てにならなかったのだ。自分に見切りをつける判断自体も、当てにできるかどうか定かでは無かったが。

 

「期待を寄せてくれた矢先に悪いが……次のレース、お前の走りたいように走れ。」

 

「なんと!参謀としての務めを放棄するというのかい?」

 

「そう聞こえるならそう受け取ってくれていい。お前の感覚とやらを、一度信じてみようと判断しただけだ。」

 

「いいだろう!覇王自ら、勝利への策を献じるのも悪くない!はーっはっはっは!」

 

 普通のウマ娘であれば間違いなく不安になるであろう言葉をトレーナーから掛けられても、なおオペラオーは高らかに笑っていた。この特殊過ぎる担当ウマ娘の頼もしさを前に、自らをあまりに頼りなく感じる鷹木は複雑な心境であった。

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