Pixiv小説のほうで連載開始したのが2年前の11月、そしてこちらで投稿を開始したのが昨年の8月、とかなりの長丁場となりました。シリーズ通して72万字近くになりましたがこちらの投稿でも完結へと至りました。お読みいただいた皆様、評価いただいた方々にも、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
窓の外は夕暮れが迫り、薄暗い病室の中を照らしているのはベッドに備え付けられたスタンドの灯りのみ。
鷹木はベッドの脇でスツールに腰掛け、自らの顔を覆って意気消沈の極にある。
「済まない、本当に、済まない事をした……オペラオー、お前が骨折すると分かっていれば、レースに出させたりは……!」
彼の言葉を遮り、枕に持たせかけていた頭をあげながら、テイエムオペラオーはいつもと変わらず朗らかな声で返す。
「どうして後悔するんだい?トレーナー!ボクは本当にうれしいんだ、覇道の最後を、そして新たなる勇者の門出となるレースを、堂々と走り切ることが出来たのだから!」
テイエムオペラオーの声は明るく響き渡り、窓外の夕陽は雲から顔を出したのか、短時間ながら病室の明るみは増す。
しかし、鷹木の悔恨は頑なであり、彼は相変わらず項垂れたまま。
再び陽射しは雲に遮られ、宵をも思わせる暗がりが辺りを包み込む。
「担当トレーナーのことを信じ切って、走った、走り続けたお前を、その脚で立てなくなるまで出走させるだなんて……俺は……トレーナー失格だよ……。」
「やれやれ、こんなにも近くにいるというのに、我が聡明なるトレーナーにボクの声は届かないらしい。」
呆れたような仕草で鷹木を見やり、しかし自分の為を思い続けてくれるトレーナーに対して、どこか嬉しそうな表情を隠せないテイエムオペラオー。
「いやはや誰か、覇道の終焉を晴れやかに祝ってくれはしないものか。グランドフィナーレに、泣き声は相応しくないよ。」
ますます暗さは増していき、日が沈むにはまだ早すぎる時刻だというのに、病室は顔の表情も読めぬほどの闇で満たされていく。
顔を覆ったまま歔欷する鷹木の籠った声だけが聞こえている。
不意に病室の扉が開き、病院の廊下から眩い照明の光が一筋差し込む。
室内からは逆光となり、たった今現れた者の顔は見えない。が、頭上に耳の飛び出たシルエットから、ウマ娘であることは明白である。
「おや、誰だろう。願わくば、この陰気で弱気な我がトレーナーから滲み出た、涙の憂いをすっかり乾かしきってくれるウマ娘であってほしいものだ!」
「残念ね。賑やかな子をご所望なら、私はハズレかしら。」
再び窓外の夕陽は雲から顔を出し、徐々に室内の明るさは取り戻されてくる。
姿が露わとなったのは、アドマイヤベガであった。彼女の言葉に反し、テイエムオペラオーは喜色満面で歓迎した。
「あぁ、あぁ、アヤベさん!宵が訪れると共に、誰よりも早く輝き始める、ボクの一番星よ!やはりキミこそ、舞台から去るボクを真っ先に見送ってくれることと思っていたよ!」
「誰が来ても同じことを言うつもりだったんじゃないの。」
冷めた返しをしながらも、見舞いのため持参した花束を枕元の花瓶へと丁寧に生けているアドマイヤベガ。
花の一本一本、向きを細かく整える手元を動かしながらも、アドマイヤベガはテイエムオペラオーへと尋ねる。
「で、脚の痛みは引いたの?熱が出ているようなら、無理せずに寝ていなきゃダメよ。」
「痛みなど、まるで無いさ!ボクの身体は、羽のように軽い!今すぐにでも、この病室を走り出て、中山レース場のコースレコードを記録できそうなほどにね!」
「それは無茶よね。」
花瓶へと花を生け終えたアドマイヤベガは、病室内に飾る場所を求めて立ち上がる。
が、なおもテイエムオペラオーの枕元でメソメソと泣いている鷹木トレーナーの姿が視野に入り、そろそろ鬱陶しそうに溜息を吐く。
「俺のせいだ、俺がオペラオーの身体を、もっと本気で心配していれば、骨折させるようなことには……。」
「いつまでグダグダと弱音に浸っているのよ、この泣き言ジュークボックスは。」
「はーっはっはっは!今の譬えは、実に的確かつ機智に富んでいるね!この調子なら、アヤベさんが病室を爆笑の渦で席捲するのも秒読みだろう!」
「自分の担当トレーナーを貶されて笑うのも、どうかと思うわ。それにここは病院よ、うるさくするなんて言語道断……」
アドマイヤベガの言葉をちょうど遮るタイミング、凄まじい勢いで病室のドアが引き開けられる。
スライドしていったドアが壁へ激突する轟音とともに鷹木はビクッと跳びあがり、アドマイヤベガはあわや花瓶を取り落としかける。
騒々しく登場したのはキングヘイロー、彼女は高笑いを響き渡らせながら、優雅な足取りでオペラオーの横たわるベッドへと近づいてくる。
「おーっほっほっほ!聞いたわよ、世紀末覇王!ついにあなた、三度目の敗北を喫したわね!」
「あぁ、キングヘイロー先輩!第三の勇者は、エアシャカールだったよ!」
アドマイヤベガは周囲を気にしつつ騒々しい訪問客を制止しようとしかけるが、キングヘイローが滔々と語り続けるため、なかなか割って入るタイミングを見いだせない。
病床の手前で、ずっと背中を丸めて落ち込み続けている鷹木の肩を押して遠ざけるキングヘイロー。
キャスター付きのスツールに腰掛けたままの鷹木は、そのままゴロゴロと車輪の音を響かせながら病室の隅へと滑っていく。
「勿論、見ていたわ!バ群から抜け出していながら、ついに並ばれ、差しきられるなんて、覇王にお似合いの最後といったところかしら!」
「ボクは、ただボクが勝利することを欲していたさ!だが、まさに望みうる最高の敗れ方だったと言えよう!」
「欲しくもないものを望むとは、覇王ってのは難儀な生き物ね!おーっほっほっほ!」
「玉座にあって得られたならば、すなわち覇王の望み通りなのさ!はーっはっはっは!」
キングヘイローはベッドの脇で大袈裟な身振りとともに超一流の見舞いの言葉を贈り、負けじとテイエムオペラオーも横たわりながら病床の上で大袈裟に腕を振り回して返答している。
そんなテイエムオペラオーの腕が、枕元に置かれたばかりの花瓶を思い切り払いのけ、あわや床に落ちて割れる直前でアドマイヤベガがキャッチし、両名を注意する。
「いい加減に、静かにして。ここは病室よ、それにせっかく持ってきた花が床に落ちるところだったでしょう。」
互いの笑顔には反省の色を大して浮かべていないテイエムオペラオーとキングヘイロー、一応は口を噤んで顔を見合わせる。
が、沈黙をすぐさま引き受けたように、新たな訪問客が喋りながら病室へと入ってくる。
「花束なら、私どもも持って参りましたよ。」
「キングちゃん、こういう時に限って、私たちを置いて先に行くんだから……。」
「グラスワンダー先輩!それにスペシャルウィーク先輩!」
自分の見舞い、兼、引退祝いに続々と集まってくる黄金世代の先輩たちを前に、テイエムオペラオーは感極まったように声を高める。
「にゃは~、私がゆっくり過ぎたせいかもだけどねー。」
「それにセイウンスカイ先輩!……な、なんだい?その恰好は……。」
が、グラスワンダー、スペシャルウィークに続いて入って来たセイウンスカイの恰好は、病院に見舞いに来るには少々場違いなものとなっていた。
防水性のつなぎに、ゴム長靴。肩から大きなクーラーボックスをさげ、麦わら帽子を被り、釣竿を担いでいる。さすがのテイエムオペラオーも、戸惑いの色を隠せない。
スペシャルウィークとグラスワンダーが面白がって笑っている前を通り抜け、セイウンスカイは重そうな音とともにクーラーボックスをテイエムオペラオーの枕元に置いた。
「街の花屋さんを見て回ったんだけど、私が遅かったせいか、街中の花が売り切れててさー。」
「うふふ、きっと、オペラオーさんの引退ニュースを聞いて、全国で花束が売れたんじゃないかしら。」
「そうか、流石はボクだね!……ところで、セイウンスカイ先輩は、な、何を持ってきてくれたんだい?」
クーラーボックスを開ける前から、内部からは激しく暴れる音が聞こえている。それを目の前まで持ってこられたテイエムオペラオーは、不穏な予感に若干表情をこわばらせている。
「代わりに何か、お見舞いの品が釣れないかな~って、渓流釣りしてたらさ、活きの良いカンパチが釣れたんだー。」
「えぇっ!?」
「セイちゃん、渓流でカンパチは釣れないよ!」
テイエムオペラオーが驚くと同時に、スペシャルウィークもすかさずツッコミを入れる。
が、セイウンスカイは聞く耳を持たず、ガタガタと内部から震えていたクーラーボックスの蓋を開ける。
途端に、凄まじい音とともに内部の氷が撒き散らされ、カンパチの尻尾と思しきものがビタンビタンと暴れる様が覗く。中に実際に何が入っていたかは、客席から見えない。
見る間に散らかっていく病室を前に、アドマイヤベガ、スペシャルウィーク、グラスワンダー、キングヘイローはあたふたとし続ける。病室の隅、ずっと意気消沈し続けている鷹木も、流石にこの騒ぎには顔を上げてこちらを見ている。
クーラーボックスに詰め込まれていた氷片があらかた放出された頃を見計らい、蓋を閉じるセイウンスカイ。
サプライズで氷の破片を大量に浴びたテイエムオペラオーは、呆気にとられながらも、間もなく笑顔を取り戻し、今までになく朗らかに笑い始めた。
「はーっはっはっは!さすがだよ、セイウンスカイ先輩!ご覧!鷹木がついに顔を上げて、ボクの方を見てくれた!」
テイエムオペラオーから手を差し伸べられ、病室中の視線が集中させられた鷹木トレーナーは慌てて顔を自らの腕の中に埋める。
「にゃはー、喜んでもらえたら何より。誰も笑ってくれなくて、怒られるだけだったらどうしよ、って思ってたから。」
セイウンスカイもテイエムオペラオーと共に能天気に笑っているが、その方にグラスワンダーの手が置かれる。
「後でお話があります、セイウンスカイさん。」
「にゃはは……グラスちゃん、目だけが笑ってないにゃぁ~……。」
騒ぎを聞きつけ、医師に扮した桂崎トレーナーも舞台上手より現れ、病室の片づけを手伝い始める。
そんな中、アドマイヤベガは舞台中央に進み出たタイミングで、思い出したようにつぶやく。
「それにしても、連絡はまだかしら。オペラオーの引退祝い、会場が準備できたら連絡が入るはずなのに。」
背後では、オペラオーのベッド脇に車椅子が運ばれている。
テイエムオペラオー、医師の助けを借りながらギプスを填めた脚をゆっくりと動かし、ベッドから起き上がりつつ返答する。
「あぁ、いくら待たされたって構わないさ!ボクのために、これだけ集まってくれたんだ、十分に嬉しいさ!」
「そういうわけにもいかないの、今回は会場をレンタルしてるんだから。予約の時刻を過ぎるわけにいかないし……」
アドマイヤベガの言葉は、またしても勢いよく開かれた病室のドアの音によって遮られる。
驚きの視線を集めながら駆け込んできたのは、ナリタトップロードである。よほど急いで走って来たらしく、盛大に息を切らしている。
「ハッ……ハァ、はあ……」
「これは、トップロード君!姿が見えないと思えば、ボクの引退祝いの準備を知らせに来てくれる役を担ったのかい?」
テイエムオペラオーの問いかけには首を横に振るナリタトップロード。息を整え終え、途方に暮れた表情で一行に告げた。
「み、皆、聞いて!オペラオーの引退祝いパーティー、会場の予約をメイショウドトウに任せたんだけれど……。」
「何ですって!?」
「あのドトウに!?」
「よく任せたわね!?」
一同、口々に驚き、呆れの言葉を吐く。
彼女らの困惑を手で制しながら、ナリタトップロードは言葉を継ぐ。
「『オペラオーさんのお祝い、今度こそドジ無しで成功させますぅ!』と意気込んではいたんだけど……会場、この病院からかなり離れた場所が予約されてたんだ!」
「そんな、病院からすぐに行ける場所じゃなくって!?」
アドマイヤベガも驚きの声を上げる。
突如、立ち上がったのはグラスワンダー。皆が呆然としている中、足早に病室の外へと向かい始めた彼女を、何を勘違いしたかスペシャルウィークが必死になって止める。
「ま、待ってあげて、グラスちゃん!」
「どうしたんですか、スペちゃん。私はただ、今からタクシーを予約できるか調べに行くだけですよ。」
「あぁ、良かった……てっきり、腹を切りなさいとか言いに行くのかと。」
安堵を取り戻したスペシャルウィークとグラスワンダー、舞台の下手へとハケる。
が、やはり不安の色が薄れぬままのアドマイヤベガは、ナリタトップロードの元へ近寄りながら口を開く。
「でも、今からタクシーなんて都合よくつかまらないかもしれない。それにオペラオーは車椅子じゃなきゃ移動できないのよ。」
「車椅子ごと乗れる、貸し切りのバスとか……あぁ、それこそますます、今から予約できるはずないよね……。」
暗い表情のまま、腕組みして考え込んでしまうナリタトップロード。舞台の照明は弱まり、再び病室の暗さは増していく。
一筋のスポットライトが、ベッドの上のテイエムオペラオーに注がれる。
「あぁ、ボクのために皆が集まり、引退を祝ってくれるというのに、この脚が動かないがために!ドトウは、さぞ自分自身を責めてしまうことだろう。」
周囲のざわめきも次第にフェードアウトし、いつしか舞台にはテイエムオペラオーの独白だけが静かに響いている。
「天よ、ボクの祈りを聞き届けたまえ!このボクに、自在に動ける脚を与え、我が愛しのドトウが待つ、パーティ会場へと軽やかに向かわせたまえ!」
突如、荘厳なパイプオルガンの曲が鳴り響く。
驚いたように周囲を見回しているテイエムオペラオーの頭上から、白い髭を長く伸ばした神に扮したアグネスデジタル、背中に白い翼をつけた天使に扮したエアシャカールが、天井からワイヤーに吊られて降りてくる。
神は、いったん病室の床へとふんわり着地するも、自分の身長が余りに低すぎることを思い出したのか、再び微妙に浮き上がって高さを調整する。
観客席からの笑いが届くも、神は落ち着き払った声でテイエムオペラオーに応える。
「聞き届けましたよ、元世紀末覇王。」
「あぁ!よもや、本当に神が降臨なさるとは!ではついでに、“元”ではなく、ボクを再び世紀末覇王として君臨させてくれぬだろうか!」
感極まったテイエムオペラオーは、抜け目なく別な欲望を打ち明ける。そんな彼女の願いを、ウマ娘の神は優し気な眼差しで頷きながら聞き入れている。
「まぁ、何と欲張りなウマ娘でしょう。そういうの、嫌いじゃありませんよ。」
「おぉ、ぜひとも、なにとぞ!」
「嫌いじゃありませんが、それとこれとは話が別です。今は、あなたが自らの脚で走れるようにするだけです。」
落胆の表情を浮かべるテイエムオペラオーであったが、神が目くばせした天使が近くまで来たときは大人しく口を噤んだ。
「さ、エアシャカエル。このウマ娘が、再び走り出せるようにしてあげなさい。」
「チッ、ぅっせーな。」
エアシャカールが扮した天使は面倒くさそうに悪態をつき、ズカズカと歩いてテイエムオペラオーの脚を覗き込む。
途中、幾度か背中の翼がずり落ちそうになり、雑な仕草で背負いなおそうとしては再びずり落ち、観客席からは笑いが巻き起こる。
しばらくテイエムオペラオーの脚を覗き込んでいたエアシャカールであったが、何かを諦めたかのように首を横に振り、アグネスデジタル扮する神の隣へと帰っていく。
「どうしたのですか、エアシャカエル。テイエムオペラオーの脚を治してあげるのです。」
「いや無理だよ、オレは天使だ、医者じゃねーんだぞ。」
「なるほど、確かに。でしたら無理ですね。」
「ウソだろ!?」
間髪入れず、テイエムオペラオーは頓狂な声を上げる。
しかし、天使と並び、黙って首を横に振り続ける神。このままいくら懇願しても事態は好転しないと考えたテイエムオペラオーは周囲を見渡し、ハッと気づいたような表情になって手近にあったクーラーボックスを持ち上げた。
「おぉ、ウマ娘の神!ボクが失念していたよ、願うばかりで、捧げものを忘れていた!」
「ほう、捧げもの、ですか……。」
目を閉じて首を横に振っていた神は、片眼をチラと開けてテイエムオペラオーの方を見る。
セイウンスカイが持ってきたクーラーボックスを差し出しながら、テイエムオペラオーはここぞとばかりに頼み込んだ。
「ここに、活きの良いカンパチがある!どうか、これでひとつ!施してもらえるだろうか!」
「いいでしょう。今晩は久々にまともな食事にありつけます、エアシャカエル。」
「よしきた。」
エアシャカール扮する天使は、先ほどとは見違えてキビキビした動作で病室内を歩き出す。
彼女が脚を止めたのは、病室の隅で頭を抱えて座り込み続けている鷹木トレーナーの前であった。
「おい、おい聞こえてんだろ!起きろ!ヘボトレーナー!」
「ひッ……!?な、なんですか……!?」
唐突に、威圧感たっぷりのウマ娘天使によって胸倉をつかまれた鷹木は、動揺と恐怖のあまり声が震えている。
そんな光景を前にしながらも、アグネスデジタル扮するウマ娘の神は落ち着いて解説を始めた。
「ウマ娘たちが走り出す直前、最も強く力を得られる瞬間。それこそ、担当トレーナーによって競走用のシューズを履かせてもらう時なのです。」
「なるほど!ならば、頼むよ、鷹木トレーナー!ボクの脚に、シューズを!」
エアシャカエルに首根っこを掴まれ、半ば強制的にテイエムオペラオーの足元へ引きずってこられる鷹木。
なおも天使からの威圧に怯え続ける彼であったが、どうにか声を出した彼は質問した。
「あの、シューズって、どこに……?」
「あァ゛?トレーナーなら、担当ウマ娘のシューズぐらい、いつでも出せンのが常識だろ。」
「いや、でしたら、あっちに、カバンがありますので、オペラオー用の予備シューズはその中に……ヒッ!」
無言のままのエアシャカエルによって、指さしたカバンの元へ引っ張って行かれる鷹木。
アグネスデジタル扮する神が、そろそろ暇そうな表情でクーラーボックスを抱えている前で、ようやくテイエムオペラオーの競走シューズが取り出される。
「じゃあ、脚を出して、オペラオー……」
「あぁ!いつでも準備は出来ている!」
鷹木が予備シューズを手に取り、テイエムオペラオーの脚へと近づけていく。
同時にギプスは自然と外れて落ち、金色の光がスポットライトとなってテイエムオペラオーの脚付近を眩く照らし始める。
クーラーボックスを開け、中のカンパチを指で突っついていたアグネスデジタル神が、思い出したように顔を上げ、もっともらしい口上を述べ始める。
「えー、只今をもちまして、担当トレーナーによる、シューズ装着の儀を完了とさせていただきます。さぁ、再び駆けなさい、テイエムオペラオー!」
「あぁ、ありがとう、ウマ娘の神と天使!これでボクは、最高の晴れ舞台へと駆けていけるよ!」
「おう。」
ぶっきらぼうな口調で返すエアシャカエルは、既に背負っていた翼を取り外して雑に手で持っている。
アグネスデジタル扮する神、エアシャカール扮する天使は、会場の笑いを誘いながらワイヤーで吊られ舞台の天井へと姿を消す。
「さぁ!ボクはもう、好きなだけ、思うがままに駆けていける!行こう!我が最愛の宿敵、メイショウドトウの待つパーティ会場へ!」
舞台全体が再び明るく照らし出され、意識を取り戻した一同は、軽やかにステップを踏んでいるテイエムオペラオーの姿に驚いている。
「オ、オペラオー!?どうして、マトモに立っていられるはずなんて無いのに……!」
「信じられない、医学的に見ても、奇跡としか思えない!」
桂崎トレーナー扮する医師も、大慌てで手元のカルテをパラパラとめくりながら首をひねっている。
「神がボクに恩寵を与えたのさ!いざ行かん!」
騒ぎを聞きつけ、タクシーの予約を諦めたグラスワンダーとスペシャルウィークも戻ってくる。
BGMスタート。
真っ先に駆け出すテイエムオペラオーを追う形で、ウマ娘たちは舞台前方へと駆け出す。
背後の舞台セットは、桂崎トレーナー扮する医師、そして鷹木トレーナーを残したまま転換。音楽に合わせ、テイエムオペラオーを先頭に立てた一行が、パーティ会場へと軽やかに駆けていく演出。
舞台転換が終われば、そこはメイショウドトウが孤独にポツンと待ち続けている、だだっ広いパーティ会場。
予約すべき会場の選択ミスを悟り、暗く俯いて沈み込んだ様子のドトウであったが、突如として駆け込んできたテイエムオペラオーの姿に驚いて立ち上がる。
「はっ、はわわわわぁ、オペラオーさん!?まさか、病院からここまで、走ってこられたのですかぁ……!?」
「勿論だとも!あぁ、ボクの愛しき好敵手!ドトウ、キミがボクのために用意してくれた祝いの席を、すっぽかすわけにはいかないからね!」
「あぁ、オペラオーさん!わ、私、私ぃ……!」
「ドトウ!今は共に笑おう!最後の最後で、キミは何の失敗もしなかったのさ!」
テイエムオペラオーとメイショウドトウは、共に手を取り、音楽に合わせて踊り始める。
そんな二名を見つめながら、アドマイヤベガとナリタトップロードは喋り合っている。
「本当に、とんでもないウマ娘ね。オペラオーも、ドトウも。」
「まさか、引退の瞬間まで奇跡を起こすとはね。とはいえ、私たちも、十分に肩を並べられるウマ娘だと思うよ?」
「……そう?」
ナリタトップロードは黙ったまま、言葉など不要とばかりにアドマイヤベガの手をとる。彼女らに続き、周囲のウマ娘たちも音楽に合わせて踊り出す。
テイエムオペラオーが歌い出したのにつられるように周囲もまた声を合わせ、いよいよそれは大合唱となって、会場全体を震わせ始める。
「この世で もっとも華麗で!」
「この世で もっとも速いよ!」
いつしか、晴れ姿へと着替えたアグネスデジタルとエアシャカールも舞い踊るステージの上へ加わっている。
多少遅れて、スペシャルウィーク先輩、グラスワンダー先輩、キングヘイロー先輩、そしてゴム長靴姿から正装へと着替えたセイウンスカイ先輩も、新たな観客席からの拍手と共に姿を現す。
「世界の中心の勝利者!まさに英雄!」
「ボクこそ それに相応しい!」
メイショウドトウ、アドマイヤベガ、ナリタトップロードがボクを取り囲むようにして、舞台の中央へと進んでいく。
「イマこそ 我が名を讃える時!」
「高らかにね!」
「テイエムオペラオー!」
舞台中央、前方へとボクが歩み出て、皆と共にポーズを決める。
ボクは万雷の拍手を浴び、舞台の緞帳が降りる。
鷹木は呼吸を幾度も整えつつ、ステージの袖から歩み出た。
着慣れないタキシードの背中は既に冷や汗でびっしょりで、眩いスポットライト、そしてオペラオーの舞台を見に来た観客たちの視線を一斉に向けられ、ますます彼は眩暈のするような心持ちであった。
とはいえ、オペラオーがあの日、ジャパンカップを無事に走り切るよう祈り続けていた時の緊張感を思えば、軽いものだ。
もう一呼吸入れ、鷹木は手元の紙を広げながら口を開いた。
「皆様、長きにわたる上演にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
本日、お送りいたしました、テイエムオペラオー脚本・監督による『覇道のドラマトゥルク』は、全て、私たちトレーナーとウマ娘たちが体験した実話の通りであります。
ドラマトゥルクと言いますのは、舞台芸術におきまして、公演の内容、その展開が、物語として相応しいものであるかを検討する役職のことでございます。が、今回の舞台に関しましては、ドラマトゥルクはもはや不要であったと言えましょう。
というのも、我々演者が皆、各々の登場場面を実際に体験した、誰よりも勝る証人であったためです。……あぁ、もちろん、最終幕の、神と天使が降りてくる表現には、いささかの虚構が含まれていることは否めませんが……。
オペラオーが、この脚本の執筆に着手いたしましたのは、ちょうど昨年の11月のことでありました。あの時は皆様もご存じの通り、彼女の脚の骨にはヒビが入っているとの診断が下され、トレーナーたる自分は何の誇張もなく、まさに先ほどお見せした通りに意気消沈の体でした。
が、その後は順調に回復し、ご覧の通り現在のテイエムオペラオーは全く健常に走り回れるほどとなっております。
彼女の事ですから、また唐突に走りたいと言い出すこともあるかと考え、担当トレーナーとしては一時も気の休まらぬ日が続いていますが……しばらくは、新たな作品の執筆に専念したいとの意思をオペラオーは示しております。
なかなかに、他人へマメに反応を示すことのない、気まぐれなウマ娘ではありますが、今回の作品を制作中に皆様から頂きましたコメント、お気に入り評価の数々は、確かに受け取っております。
執筆における大きな助力となったこと、感謝してもし尽くせません。自分からも、彼女に変わりまして心からの御礼を申し上げる次第であります。
以上をもちまして、『覇道のドラマトゥルク』終幕の挨拶とさせていただきます。改めまして、長らくのご観覧、ありがとうございました。」
「さぁ!ボクたちのカーテンコールだ!いざ!再びの栄光を浴しに行こう、ウマ娘たち!」
―――『覇道のドラマトゥルク』 終―――