ようやく初勝利したばかりの無名な世代と、現役で活躍している世代の対比をストーリーの主とする形が固まった回です。
「ウマ娘よりもアナウンサーのが目立っちまってんじゃねーか……。」
三度目の挑戦にて、ようやくオペラオーが初勝利を得た翌朝。
たかだか未勝利バ戦程度で起きた出来事へのメディアによる注目はお察しと言ったところだったが、仮にその件を取り上げた記事があったとしてもほとんどはウマ娘に対してではなく、無音状態を盛り上げるためにライブステージの実況を行ったベテランアナウンサーについての内容ばかりであった。
〈機材トラブルで無音のウイニングライブをDJアナウンサーが盛り上げる〉
〈せっかくの晴れ舞台、ライブ音源無し……ウマ娘の窮地を救ったアナウンサー〉
〈『実況できるのは、レースだけじゃない!』観衆をアッと言わせたアナウンサーの達人芸〉
あのベテランアナウンサーが業界でも重鎮であろうことを鑑みても、メディアの反応としては妥当なものではあった。が、そのウイニングライブにてセンターを飾っていたウマ娘の名、テイエムオペラオーについての記載がほぼ無いことは、担当トレーナーたる鷹木の顔を曇らせた。
唯一ウマ娘の名に触れていた記事も、文章末尾の余白を埋めるが如く申し訳程度に触れた程度である。全国どころか、ローカルのニュースでも話題として取り上げられるには程遠い状況であった。
「中央で走ってる、ってだけじゃ……まだまだ遠いなぁ……。」
当然ながら、ウマ娘関連のニュースはいよいよ目前に迫る東京優駿で持ち切りなのだ。無名のレースで初勝利を飾った新米ウマ娘のニュースなど、そこに入る余地はなかった。
ニュースを流し見していたタブレットの画面を閉じ、カバンに放り込み、トレセン学園へと向かう鷹木。
昨日の晴れ舞台が猶の事オペラオーを浮かれさせているであろう状況を予見し、やはり晴れぬ気を引きずって練習場へ赴いた彼は、その予想が大きく外れていたことを知った。
またしても、オペラオーがひとりで走っていたのだ。その現場を見ずとも、彼女特有の笑い声が聞こえて来ない時点で鷹木は気づいても良かったが。
(そりゃ、そうか。)
全力で走りこみを行う彼女が、口を大きく開けてなどいられはしない。本気で疾走しているウマ娘は、笑うどころか、喋ることも出来るはずがない。
歯を食いしばるオペラオーの視線は真剣に前方へと向けられ、またしても練習場に入って来た鷹木のことなど目もくれず、蹄鉄の音と共に彼女は走り去っていってしまった。
「おや、ここで会うのは初ですな。」
どこか寂しそうな目でオペラオーの背を視線で追っている鷹木の背後から、のんびりとした男の声が響く。
聞き覚えのある声に鷹木が振り返れば、そこには片桐がいた。メイショウドトウの担当トレーナーである。
緊張感無さげな外見に似つかわしくない、底知れぬ思慮と行動力を備えたこの男のことが鷹木は若干苦手であった。いつの間にか背後に迫っていた片桐と距離を取りつつ、返答する。
「おはようございます。こっちは、毎朝同じ時刻にここにいるんですがね。」
「いやはや、お恥ずかしい限りながら、私の担当ウマ娘が毎朝何事もなく登校出来たためしがなくってですな。」
「あなたが担当しているのは、メイショウドトウ……でしたっけ?」
「えぇ。登校の途中で必ず何がしかの忘れ物を思い出し、寮へと駆け戻るのがあの子の日課でしてね。」
あの常に自信なさげな、そしてそそっかしいウマ娘を鷹木は思い出す。かのウイニングライブの日にやらかした特大のドジを思えば、自力で忘れ物に気づけるだけマシなようにも思われた。
「で、あなたがここにいるという事は、今日は忘れ物することなく早朝の練習時間に間に合ったんですか?」
「いや、彼女には忘れ物チェックリストを作って渡してあげたのでね。今朝は、それを活用し無事に遅刻なく到着してくれるものとして、」
「……果たして、それだけで遅刻せず済むでしょうか?」
「ここにドトウの姿が無いことからも、お察しです。ま、いちいち気を揉んでたら、あの子の担当は務まりませんから。」
忘れ物を取りに帰るだけで日々の練習時間が削られていく現状に、鷹木であれば躍起になっているであろう所だった。
当の片桐はこの場に入ってくるウマ娘たちの足音を振り返りもせず、練習場の様子を悠然と眺め渡している。やはり変わらず図太い神経を見せる彼であればこそ、ドトウの担当トレーナーに相応しいのだと思い知らされる余裕である。
「そういや、オペラオーは勝ちましたな。おめでとうございます。」
「いえ、まだ最初の一歩を踏み出したばかりなもんで。」
「中継アーカイブで見させていただきましたよ、にしても先行策とはね。難しい作戦を選んだものだ。」
練習場のトラックの向こう側、ようやくゴールして息を整え終えたのだろうオペラオーの高笑いがいつも通りに響いて来る。
「えぇ、本番を走った経験のないウマ娘に指示するには、あまりにリスキーすぎる。だから、これまでは追い込み策を伝えていたんですがね。」
「先行策はどのタイミングで仕掛けるか、逃げにも差しにも意識を向けなきゃならない。実際のレース運びがどうなるか、走ってみなきゃ分からん以上、事前にトレーナーが伝えられる情報も大して当てにならない。」
「……。」
片桐が言外に伝えようとしている内容を、この時点で凡そ察した鷹木の口から返答は漏れなかった。彼がオペラオーの勝因を既に見抜いていたとしても、今さら驚くには当たらなかった。
すなわち、鷹木は一切の指示を出さず、全てオペラオーの判断に任せて走らせた、という事実。
これに言及することは、鷹木のトレーナーとしての能力が劣っていることを殆ど直接的に指摘するに他ならず、さしもの片桐もそれ以上突っ込んだ発言は控えた模様であった。
が、彼の代わりに、その内容へ単刀直入に切り込んだウマ娘がすぐ近くまで迫ってきていた。
「要するに、コイツが余計な指示出さなかったおかげで、オペラオーは全力で走れたってことでしょ。」
「アヤベったら……トレーナーさんも、そうだとは言ってないだろう?」
今朝も校外をジョギングで一周してきたのだろうアドマイヤベガ、ナリタトップロードの二名が汗を拭きながら練習場へ入って来ていた。
その目つき同様に鋭い物言いをするアドマイヤベガも、彼女の隣だと殊に優しげな顔つきに見えるナリタトップロードも、常通りの振る舞いであり鷹木は驚きもしなかった。面と向かって言われれば、想定以上にその事実は胸の奥へと刺さりはしたが。
「……おはよう、二人とも。俺からの指導は受けたくなくなったかもな。」
「私たちの体調や練習メニューを管理して、力を貸してくれる存在は変わらず大切だと思うよ。ね、アヤベ?」
「別に、私はどのトレーナーが言い寄って来ようとどこのチームから誘われようと、誰からの指示も受ける気はないから。」
誰とも目を合わせず、ジョギング後のクールダウンも兼ねたストレッチを続けながら淡々と答えるアドマイヤベガ。
こうして毎朝同じルーティンで行動しているがため、ここに寄って来るオペラオーに絡まれ続けている彼女であったが、それでもナリタトップロードの傍らから離れるつもりは無いようであった。
「はーっはっはっは!おはよう、諸君!そして我が心の一等星よ!」
「うるさいわね、毎朝毎朝……」
「あぁ、どうしてキミへ近づく道は、かくも茨で満たされているんだい?だが、ボクは諦めやしないよ、キミの手に口づけするまで!」
「近づかなくていいから。」
放っておけば延々とオペラオーに絡まれ続けるアドマイヤベガを、トップロードも助ける気はないのか微笑ましく眺め続けている。鷹木も用が無ければこの場に関わることなく済ませたかったが、オペラオーの担当トレーナーとしてはそうもいかない。
なにより、今日は彼女に伝えるべき事項があるのだ。授業の終わった放課後は、寮の門限までの間にみっちりとトレーニングのスケジュールが組まれており、時間を無駄にしている暇はない。殊に何かとイレギュラーな行動の多いオペラオーなら、尚更。
さらに……これは鷹木個人の問題であったが、この場にトレーナーたる自分としての存在意義をアピールする機会でもあった。
「オペラオー、聞いてくれ。」
「キミの言葉は、何よりも真っ直ぐボクの耳に届いているとも!たとえ、ボクが華々しいステージに上がり、歌っていたとしてもね!」
「それは聞き流してる、って言わないか?ともかく、これを見てくれ。次の東京優駿の観覧席チケットを入手出来た。」
鷹木は懐から封筒を取り出し、中身をオペラオーに差し出して見せる。
東京優駿は言わずもがなウマ娘の大舞台の一つ、そのシーズンにおける最高クラスのウマ娘たちが速さを競う一大レースである。当然ながら観客も全国から集まってくるため、チケットの競争率は相当なものになる。一般人が購入に成功することは、結構な幸運として受け止められた。
そんな東京優駿のチケットも、トレセン学園に所属するトレーナーであれば比較的容易に入手できる。トレセン関係者として、担当ウマ娘のための大舞台見学という名目で、自分と担当ウマ娘の分に限って優先的に予約できるのだ。
鷹木が封筒から取り出して見せたのは、二枚のチケットであった。
「次の東京優駿、行けるぞ。」
「おぉ!いよいよボクも、大舞台にてこの姿をお披露目できるということだね!」
「まさか勘違いしているとは思わないが、見学としてだからな。」
「はーっはっはっは!分かっているさ、仮に観覧席に居ようとも、ボクの輝きは会場中を圧倒するだろう!」
勘違いしていようともいなくとも、その反応に大差のないオペラオー。彼女を東京優駿の観戦へ連れて行く状況を、早くも鷹木は危惧しつつあった。
彼の傍らで、片桐は何やら皺くちゃになった紙を無造作にポケットから取り出している。見れば、それはたった今鷹木が大事そうに披露してみせた東京優駿の観覧席チケット、それも六枚もの束になったものである。
「……片桐さん、それは……」
「あぁ、私もトレセン学園所属トレーナーとしての優遇権を使って、六枚ほど予約しておいたんですがね。あなたとオペラオーの分まで、確保しなくても良かったみたいだ。」
「おぉ、素晴らしい心遣いだ!善きウマ娘の元には、良きトレーナーが惹かれるものだね!はーっはっはっは!」
「いや、確かにお気遣いは有難いですが……何も頼んでいないのに……」
「まぁ、席の確保は多けりゃ多いほど、いいでしょう。」
鷹木が唖然としていたのは、片桐の予約の仕方には明らかに問題があったためだ。
前述の通り、東京優駿の観覧席はすさまじい競争率である。トレセン学園は優先的に予約できる枠を確保しているとはいえ、やはり出来得る限りは一般来客に席を譲るべきである。
また、トレセン学園に所属しておらずとも東京優駿を目に焼き付けておきたいウマ娘や地方のトレーナーも居るだろうし、いずれ学園への入学を希望する幼いウマ娘たちだって東京優駿は見に行きたがっているだろう。
ゆえに、必要以上の数を予約すべきではないというのは、トレーナー間での暗黙の了解になっていた。が、片桐は悠然と六枚綴りのチケットを指先に挟み、そいつで自らの顔を扇いでいる。
この男のほぼ暴挙とも呼べる行為に、今まで黙っていたアドマイヤベガも流石に口を開いた。
「何考えてんの?予約できるにしても、アンタとドトウの二枚分が限度でしょ?」
「いやぁ、予約システムに慣れなくって、ついうっかり指が滑って過剰に予約しちゃったみたいです。まぁ別に、多すぎる席を予約したところで、罰則が設けられているわけではありませんからねぇ。」
「あはは……さすがだね、片桐トレーナー。」
多少のことでは狼狽えないトップロードも、平然とそう言い放つ片桐にはそれ以上の言葉を掛けられなかった。
が、この場において片桐が話しかける用があったのは、当のアドマイヤベガ、そしてトップロードに対してであった。
「ところで、どうです、お二人さん。見ての通り、予約したチケットに空きが出ちゃったみたいでして。ウチのドトウと一緒に、東京優駿、見に行きません?」
「……何が狙いよ。」
さしものアドマイヤベガも、あの東京優駿を実際に見に行ける権利を目の前にすれば、断れはしないようであった。トップロードも同様に行きたそうな顔をしてはいたが、しかし問題はこの片桐という曲者が誘っている点である。
アドマイヤベガが、この誘いに下心を疑ったのも無理はない。
「狙いだなんて、私たちトレーナーは常に、ウマ娘の皆さんのためを思って行動しているだけですよ。ほら、いずれあなた方が立つかもしれない夢の大舞台、気になるでしょう?」
「あなたの口から言われると、いよいよ胡散臭いですよ、片桐さん。」
「そうですかね?で、いかがなんです?」
鷹木からの横槍もサラリと流し、ニンジンをぶら下げた釣り竿でも差し向けるかのように、観覧チケットの束をアドマイヤベガとナリタトップロードの方へ差し出す片桐。
胸中では逡巡しながらも、いま差し出された餌からその視線を外せずに居るウマ娘たちの前で、にこにこと笑う男の姿はあまりにも胡散臭かった。結局、アドマイヤベガは意を決したように一枚のチケットを手に取ったが。
「……これを受け取ったからって、アンタのチームに入れって言われても聞かないからね。」
「もちろん。何も下心など無いと申し上げたでしょ?」
「あ、アヤベが行くなら、私も行こうかな……一応、お礼は言っておくね、片桐さん。」
「いえいえ、お礼だなんて。見返りなど求める男に見えますか、この私が。」
(そういう言動がいちいち胡散臭いんだっての……。)
鷹木は胸の内で毒づきつつ、口先では見返りを求めていないと言われつつも片桐から大きな借りを作ってしまったウマ娘たちを僅かな哀れみと共に見つめていた。
変わらずにこやかに笑み続ける片桐の背後で、盛大な破砕音、土埃、そして悲鳴が巻き起こる。
「キャァアアァッ!?」
「おや、私の担当ウマ娘、ようやくのご到着のようだ。」
周囲を小さなパニックが満たしている中、土煙の中からヨタヨタと歩み出てきたのはやはりメイショウドトウであった。すかさずオペラオーが跪いて彼女の手を取り、舞台上の王子様のごとくエスコートしている。
「大丈夫かい、そそっかしい姫君よ。怪我はないかい?」
「あわわ、すみません、私なんかを心配して、わざわざ来ていただくなんてすみません~……」
「はーっはっはっは!なにも労してなどいないさ、君へと至る道は、常に君自身によって切り開かれるおかげで、すぐにはせ参じることが出来たよ!」
「ふえぇぇ、すみません、すみません、園芸用の台車で坂道を下って来れば早く着けるとか思いついちゃってすみませぇん!」
ドトウが白状した通り、土埃が収まったその後には、彼女が乗って来たと思しき台車、そしてその中に積まれていたのだろういくつもの土袋が破れて飛散していたのであった。トレセン学園練習場の入り口、速やかに片付けないことには往来の迷惑になると思われたが……。
「気にしなくても良いですよ、これは学園の園芸員が管理しておくべき品ですから。我々の管轄じゃありません。」
片桐は何ほどのこともないかのようにそう言い放ち、ドトウに東京優駿の観覧チケットを差し出していた。
飛びあがって驚いたドトウが盛大にしりもちをつき、またしてもオペラオーに助け起こされている光景を眺めつつ、鷹木は改めて今年入学してきた世代が波乱を巻き起こすであろう予感をひしひしと感じていた。