チームに所属すること、チームに所属しないこと、専属トレーナーの有無……などなど、ウマ娘の立場からそれぞれの扱いを考えるのも面白い試みです。
キングヘイローとの交流は、常々より我が道を行くテイエムオペラオーにも少なからず影響を与えた様子であった。
担当トレーナーたる鷹木が学園に姿を現すよりも先に、早朝から走り込みを行っていることは変わらず、加えて放課後のトレーニングにも直ちに姿を現すようになっていた。
以前までは、鏡に映った自らの姿に語り掛けていたり、空が晴れていれば日差しを浴びながら踊ったり、雨が降っていれば雨音に負けじと声を張って歌ったり、屋上で意味も分からぬ失意に暮れたり、かと思えば鷹木をあちこち引っ張り回して覇王の何たるかを説き……時間を浪費する術には事欠かないウマ娘であった。
それが、目に見えて積極的にトレーニングへ意欲を見せるようになったのである。
「さぁ、我が聡明なる理髪師よ!今日はいかなる研鑽を覇王に供すつもりかな?」
「昨日までは集中的に筋力トレーニングを行ったから、今日は身体への負荷をそこそこにして勉強会に移るぞ。」
「よかろう!ならばトレーニングには全力で取り組まねばなるまいね!」
「だから身体に負荷を掛け過ぎないようにしろってんだよ。」
かつてオペラオーをトレーニングへと引っ張り込むために校内を奔走していた頃の鷹木には考えられないやり取りも、日常のように行われるようになっていった。
公式レースに出走する機会の少ない一年度生にも、その力が試される場は用意されている。定期的に行われる実技試験の結果は、トレセン学園に在籍する彼女らの評価基準の一つとしてトレーナー達にも共有される情報だ。
鷹木の言った通り軽めにトレーニングを済ませ、予め資料をまとめておいた図書室へと向かう道すがら、タブレットを操作して学園から送信されてきた成績表に目を通す鷹木。
「今回の実技レースの結果は、二着か。前までは一着続きだったのに……あぁ、アドマイヤベガに越されたか。」
「さすがはボクの愛しの一等星といったところだね!次こそは、その輝きを手に掴んでみせるとも!」
「間違ってもレース中に相手を掴むなよ、違反だぞ。」
オペラオーは冗談を飛ばしながらいつも通りに笑っていたが、鷹木の胸中は複雑なものであった。
今を華やぐ黄金世代を担うウマ娘たちの後継として、オペラオーと同期のウマ娘たちも世間からいずれ注目を浴びるであろう世代に当たる。この中でも未だ頭角を現していないウマ娘も居るであろう中、現時点で抜きんでた成績を有している者は殆ど限定されていた。
アドマイヤベガ、ナリタトップロード、そしてテイエムオペラオー。
よりにもよって、チームに所属していないウマ娘が、しかもそのうちの二名は担当トレーナーも居ない状態で学年成績のトップを占拠していたのである。
アドマイヤベガに関しては優秀な血統を受け継いだというアドバンテージこそあれ、専用のトレーニングメニューやプロによる指導を受けずしてこれほどの能力を発揮できているのは、ひとえに彼女ら自身の天賦の才か、ないしは自然と身に付いた勝負強さか、いずれにしても周囲からは確実な戦績をものにできる能力として見られることには間違いなかった。
(有力チームが、この子たちを引っこ抜こうと動くのも時間の問題だろうな……。)
そのこと自体は、ウマ娘にとって何ら悪いことではない。むしろ、トレーニングに理想的な環境が整った中で、自らの能力を向上させる機会を得られるのであれば、積極的にベテラントレーナーや有力チームからの勧誘を引き受けることは十分に選択肢に入る。
意地でも自分の力で勝とうとするアドマイヤベガは、いずこからの誘いも拒絶し続けているようではあったが。
……そう、ウマ娘自身の決定は、彼女らの意思を尊重するトレセン学園の方針の上でも、非常に重く覆し得ないものである。どれほどの実績を有するチームも、いかなるベテラントレーナーも、勧誘を行う自由はあれども最終的な決定はウマ娘自身に委ねるしかない。
図書室にて鷹木が先に資料をまとめておいた机にたどり着き、オペラオーは積まれた書籍の量を前に、芝居がかった振る舞いと共に目を丸くしている。
「これは!今から寮の門限時刻までの数時間で、この山と積まれた書物を全て読み通すという鍛錬か!」
「流石に全部読めはしないだろ、関連のある書籍をとりあえず引っ張り出してきただけだ。お前が今後も先行策で走るつもりなら、実際のレースにおける事例も知っておくべきだ。」
「よかろう!ニーベルングの指環も一晩で読破したこのボクが、速読をもって全巻読破してみせよう!」
「流石に嘘だよな?あれ最低でも丸四日かけて上演される舞台だぞ……」
鷹木の言葉に返答を与えることなく、猛烈な勢いで分厚い資料集に目を通し始めたオペラオー。彼女の口走った言葉もあながち嘘と断じられないと感じつつ、鷹木の思いは自らの中へと沈んでいった。
オペラオーがその底力の高さを示しつつあるのならば、これといって実績を残せていない三流トレーナーよりも、ベテランの指導を受けるべきと考えるのが一般的な価値観に照らし合わせて見ても妥当である。
あいも変わらずその真意の読めないテイエムオペラオーというウマ娘が、どんな決断を下しそうかはいよいよ予測の及ぶ範疇に無い。
だが、万が一、有力なチームから声を掛けられ、オペラオーがそれを受諾したとしたら……彼女の決定を覆すだけの権限も、根拠も、鷹木は持ち合わせていないのだ。
そもそもオペラオーは今なお鷹木に対し明確な信頼を寄せる様を一度も見せていない。トレーニングの場と機会を提供する相手であれば誰でも良いというのなら、鷹木などよりもよほど理想的な環境を準備できるベテランは幾人も居る。
(そうだと分かっているんなら、オペラオーにそのベテラントレーナーを紹介するのが、俺の本来すべきことなんじゃないのか。)
胸中ではそう独り言ちながらも、やはりその思い付きを実行に移さない鷹木。彼もまた自分自身が、あわよくばウマ娘の打ち立てた実績を己がキャリアの一部としようとする凡庸なトレーナーの一人にすぎないことを自覚し、顔を曇らせずにはいられなかった。
事態が大きく動いたのは、早くもその翌日のことである。
鷹木が毎朝の習慣通り、朝練に励むウマ娘たちの練習場へ向かうと、どよめきとともにウマ娘たちが群がる一角があった。
今さらオペラオーが歌っている程度で関心を向ける彼女らではあるまいし、メイショウドトウのドジにもそろそろ周囲は慣れてきたころだ。あるいは、ドトウがついに人間を巻き込んで怪我でもさせただろうか。だとしたら大変なことには違いないが……。
人だかりの隅で、目ざとく鷹木の姿を見つけた男が手を振る。群衆に紛れて情報を嗅ぎまわりつつも、自らは速やかにその場を離れられる位置をキープし続ける彼の名は片桐であった。
「どーも、おはようございます鷹木さん。いやぁ、まさかこんなことになるとはね。」
「またドトウが何かしでかしましたか?それとも、ウチのオペラオーが?」
「ドトウなら、朝食のにんじんベーコンエッグを作ろうとした結果、火災報知器を鳴らしましたが大したことじゃありません。それよりも、アレを見てくださいよ。」
あのドトウが起こした騒ぎがその程度で済んだことに一安心している自分に慣れの恐ろしさを感じつつも、鷹木は片桐の指さす方を向いた。
見物客たちに取り囲まれた中心にいるのは、鷹木のいずれの予想とも外れたアドマイヤベガであった。いつもの気の強そうな目つきは変わっていなかったものの、彼女にしては珍しく狼狽えた様子でウロウロと視線を泳がせている。
そのアドマイヤベガに向かいあい、白髪を戴いた頭を下げていた男が顔を上げる。彼が何者であるかを視認した鷹木は、思わずあっと声を上げた。傍の片桐が、小さく頷きながら添える。
「ビックリですよねぇ、結城トレーナーが直々に担当を申し出て来るだなんて。」
「マジか……あのレジェンドが……」
そのトレーナーの名は、ウマ娘でなくとも、トレーナーでなくとも、そこらの道を歩いている一般人を捕まえて聞けば、誰もが知っていると答えるほどのものであった。
結城尊。
前身となった中央ウマ娘会を引き継いで発足した、現代のURA。その黎明期から早くもトレーナーとしての才覚をあらわし、数々の名勝負を繰り広げたウマ娘たちを育て上げた生ける伝説。彼無くして、URAの今は無いとまで断じられる人物である。
現在は後進のトレーナーたちにチームを譲ったものの、今も精力的に各所のチームへ顔を出してはアドバイスを行っている。その存在感は老いた今もなお健在である。
そんな彼が直々にアドマイヤベガの前に現れ、頭を下げているわけは……いつもの気丈さは見る影もなくうろたえてしまっているアドマイヤベガの反応からおおよそ察せた。
「頼む。僕に君を指導させてもらいたいんだ。」
「言ったでしょう、私はチームなんてお断りだって。」
伝説的な人物を目の前にしても、口調だけは強気なままであり続けるアドマイヤベガに鷹木は別種の感心を抱いていた。
「チームじゃない、僕は今フリーだからね。君のためだけに、指導する準備があると言っているんだ。」
周囲に新たなどよめきが巻き起こる。実質、現在の主力ウマ娘を輩出するチームの、その全てにおける顧問と称しても差し支えないトレーナー。彼が、たった一名のウマ娘のためだけに指導の場へ復帰することは、桁違いの優遇に他ならない。
じっと立ち尽くし、俯いているアドマイヤベガの表情は読めない。今まで多種多様なウマ娘を見てきた結城トレーナーらしく、彼も辛抱強くその返答を待ち続けていた。
「……今ここで、決められることじゃない。また改めて、返事するから。」
「分かった。じゃあ、これ、僕のアドレスを渡しておくよ。」
顔を俯けたまま、結城トレーナーの名刺を受け取るアドマイヤベガ。鷹木には、彼女が苦労してどうにか声の震えを抑えるのに成功したようにも見えた。
その場に踵を返して立ち去る伝説のトレーナーを前に、混雑は自然と道をあける。どよどよと囁き合いながら離れていく群衆の中から、真っ直ぐアドマイヤベガに近づいてきたのはナリタトップロードであった。
「凄いじゃないか、アヤベ。あの人にトレーニングを指導してもらえるだなんて。」
「まだ、決めたわけじゃないから。私は、私のやり方で走れなくなるのが一番嫌だし。」
「だろうね。それじゃ、毎朝のトレーニングに戻ろっか。」
先ほど受け取った名刺をポケットに突っ込み、黙ったままトップロードの脇をすり抜けて練習場に向かおうとするアドマイヤベガ。
ウマ娘にしては非常に珍しいことに、脚をもつれさせてつんのめった彼女をトップロードは優しく抱き留めた。
「ッ……」
「大丈夫?そりゃ緊張するだろうね、今日は軽めのストレッチだけにしておく?」
「う、うるさい。ウォーミングアップが済んでなかっただけ。」
トップロードから話しかけられるまで動けずにいた理由は傍から見ていた鷹木にも一目瞭然であったが、アドマイヤベガは今なお震えている膝をぴしゃぴしゃ叩いて練習場へと出て行った。
「さて、そろそろウチのドトウがご到着かな。それじゃ、失礼。」
「あ、あぁ、また……。」
片桐にぎこちなく返答しつつも、身動きが取れずにいたのは鷹木も同然であった。尤も、その理由はアドマイヤベガのそれとは大きく異なっていたが。
やはり、注目されているのだ、黄金世代の後継は。現状トップの成績を誇るアドマイヤベガに、現時点で最高のトレーナーが自らの売り込みをかけるほどに。彼女と比肩する能力の、テイエムオペラオーも、いずれ……いや、今まさに……。
そんな鷹木の思考に一瞬で金粉を吹き付けるかのごとく、彼の姿を見つけたオペラオーの声が響き渡った。
「今朝は妙に遅かったじゃないか!夢に現れたボクのオールナイトショウに見とれ、目覚めることが出来なかったのかな?」
「なんだ、走っていたのか。さっきの騒ぎに居合わせないと思ったら……。」
オペラオーは先ほどの伝説的トレーナーの出現にも気づかぬまま、練習用トラックを走り込んでいたらしい。いつも通りの笑みを絶やさぬまま首を傾げた彼女の毛先から、汗の雫が光った。