覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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 オペラオーたちが観戦しているのは、自分より一年先輩のウマ娘たちの大舞台、菊花賞。来年以降は彼女らも飛び込んでいくだろう舞台を見ながら、オペラオーやドトウのトレーナーたちは何を思う。
 実はこの回のお話、自分のブログにおけるフレンドさんが書いたSSとの連動した内容となってました。会話には出てこないものの、セイウンスカイの存在感が大きいのはそのためです。


稀代の怪物、伝説の釣り師

 京都の秋空は快晴であった。

 

 最も強いウマ娘が勝つとの呼び声高い、菊花賞。二度の坂越え、総距離3000メートルを、スタミナを切らすことなく走りぬいた者が、栄冠を手にするレースである。

 

 間もなくそれが開始されるレース場に、出走ウマ娘たちを案内するアナウンスの声が響き渡った。

 

〈やってきました秋の京都レース場、菊花賞です。17名のウマ娘で繰り広げられます3000m、今日は良馬場の発表です。晴天にも恵まれ、まさに本日はウマ娘日和と言えるでしょう。〉

 

 URA界のレジェンドこと結城トレーナーによって招かれ、この大舞台をまさかの特別観覧プライベートルームにて観戦することが叶った鷹木、片桐、そしてウマ娘たち。場内の熱狂に響き渡る客席の歓声は遠く、アナウンサーの声がくっきりと耳元に響いている。

 

 自分の担当ウマ娘が出走するわけでは無いにしても、前回の東京優駿同様に大舞台の開始前は否応なく緊張状態に陥るのがトレーナーとしての性であった。鷹木は言うまでもなく、さしもの片桐も口数少なく、しかしリラックスした座り姿勢は崩さぬままに会場を見下ろしている。

 

 オペラオーをはじめとするウマ娘たちは、居並んで大スクリーンの映像に食い入っていた。パドックに現れる選手たちの紹介が進む中、結城トレーナーは細めた目をして彼女らをいとおし気に見つめている。

 

〈三番人気を紹介しましょう、キングヘイローです。前回の東京優駿においては14着に沈みましたが、その後の神戸新聞杯、京都新聞杯に置きましては3着、2着という結果を残しています。未だに栄冠は逃し続けている彼女ですが、やはり根強い人気を誇っています。〉

 

「キィーーンッグ!一流を超えた、超一流!」

 

 両脇に居たアドマイヤベガとメイショウドトウが思わず耳を塞ぐほどの大声を、テイエムオペラオーは応援用バルコニーから張り上げた。が、それをも掻き消すほどの会場からの喝采は、確かにキングが大勢の観客から慕われている様を示していた。

 

〈二番人気はこの子、セイウンスカイです。東京優駿では並み居る強豪を相手に善戦したものの勝利ならず、ですが彼女の逃げには注目が集まっています。今日のレースもあのウマ娘が居るぞ、果たして今度こそ逃げ切れるか。〉

 

「私は、こないだの東京優駿ではこの子を応援してたんですがね。今回はどうでしょう、勝てますかな。」

 

 何につけても物怖じしない片桐は、静かにパドック映像を凝視している結城トレーナーに声をかけた。老トレーナーの表情は穏やかだったものの、その目つきがあまりに真剣であることを見て取った鷹木は恐縮して口を噤んだままだったのだが。

 

 しばらくの沈黙が続いた。片桐が話題を変えようとしたのか口を開きかけたのを遮って、結城トレーナーは返答する。

 

「何とも言えないね、勝てる調整をしてくるのは、皆同じだから。」

 

「ふむ……御尤もですな。」

 

 ベテランの言葉は、一際大きな歓声とともに現れた次のウマ娘の紹介とともに裏付けられた。先の大舞台で勝利を収めた彼女には、やはり油断や慢心の色など微塵も無かったのである。

 

〈さぁ……さぁ、会場に響き渡る声々とともに、現れましたは一番人気、スペシャルウィークです。これは……中継の声が掻き消されんばかりの歓声です。改めまして紹介いたしましょう、スペシャルウィーク!東京優駿においては歴史的な大金星を挙げました、現URAの黄金世代を最前線にて牽引する、まさにこの時代を代表する優駿です!〉

 

 幾万人の喝采が、地を揺らす。もはや神との対峙に近かった。

 

 数か月越し、パドックに見せたその姿は、前回と比べて遜色ないばかりか、ますますもって力を増したようにも感じられた。URAの歴史へ確実に名を刻む、語り継がれるべき存在と今まさに対峙している実感を、彼女を目にする者たちは例外なく抱いたのであった。

 

 一般の観客さえもそうであるならば、ウマ娘を見る目を持ったトレーナー達がスペシャルウィークの凄みを実走以前から読み取るのはあまりに容易いことである。結城トレーナーが嘆息するところを、鷹木は初めて目撃した。

 

「おぉ……やっぱり、凄いねぇ。あの子は。」

 

「スペシャルウィーク……勝つウマ娘となれば、やはり今回も彼女でしょうか。」

 

 結城トレーナーが漏らした呟きに応え、鷹木が投げかけた問いは、先ほど片桐に与えられたのとまったく同じ答えをもって返された。

 

「うん、だから、何とも言えないって、言っているだろう。」

 

 バルコニーでは、めまいを起こしたのか足元をふらつかせたドトウを、オペラオーとトップロードが両脇から支えていた。

 

 各ウマ娘、ゲートイン。レース開始、目前に迫る。

 

〈17名一斉にスタート!先頭はやはり行きましたセイウンスカイです、続きましてレオリュウホウと、キングヘイローが行きますがやや掛かり気味か。スペシャルウィークも前を狙っていますが、こちらも掛かり気味の様子。〉

 

 逃げを得意とするセイウンスカイが先頭へと躍り出たのは、大方の予想通りであった。が、そのリードは通常の逃げの範疇を大きく逸脱し、ますます広がっていく。

 

 大逃げであった。

 

「うーん?冷静なレース展開をする彼女が、らしくないですな。」

 

 片桐が横目で結城トレーナーをチラチラと見つつ、呟く。鷹木にも、あのスペシャルウィークがともに出走しているレースの中で、この作戦が好手だとは思えなかった。

 

 逃げという作戦の中でも、さらに二番手のウマ娘を大きく引き離す、大逃げ。後方の選手たちが互いに牽制し合った結果、追いつかれることなく逃げ切って勝利する可能性が無いわけではない。

 

 が、これは菊花賞である。3000メートルという長丁場において、スタミナを序盤から大きく削るような走法が、相応しい選択であるとはとても考えられない。

 

「大逃げだね。あの子が走っているのなら、安心して見ていられるけれどね。」

 

 結城トレーナーの返した一言に、鷹木も片桐も黙ったまま頷いた。

 

 「あの子」とは、つい数日前に行われた秋の天皇賞、そのレース中に粉砕骨折を起こし、予後が心配されているサイレンススズカに他ならない。

 

 確かに、「逃げて差す」との呼び声高いスズカの走りであれば、このような光景も拝めるだろう……彼女が再びターフ上に姿を現す日が来るのなら。

 

〈1000mを通過して59.6秒と、かなりハイペースなレースとなりました。先頭はセイウンスカイ、2番手とは10~12バ身程離れているでしょうか。2番手は終わらずレオリュウホウ、内を通ってキングヘイローは5番手。スペシャルウィークはバ群中段外側です。〉

 

 静かな部屋の中に流れる実況を聞きながら、鷹木はバルコニーから応援の声を飛ばしているウマ娘たちに視線をやった。口を閉じているトレーナー達とは裏腹に、彼女らは精一杯に声を張り上げ、あるいは拳を握り締めてレース展開に没頭している。

 

 自分たちがこれから飛び込んでいこうとする世界が、この熱狂と輝きばかりではなく、余りに残酷な宿命が待ち構える場でもあることを、いずれ彼女たちは知るだろうか?

 

 いや、一度もそのようなことを知らぬままに走り抜けることこそ、ウマ娘にとって理想的な道のりであろうが。

 

「ペースを落としたね。」

 

「え?」

 

 鷹木が中継の映像から視線を逸らしていたのは僅かの間であったが、結城トレーナーは画面上のセイウンスカイを指さしていた。その展開が何を意味しているのか、判断するには片桐も時間を要していた。

 

「ここでスタミナを温存……ですかね?」

 

「他の子は、下がってくるのを待っているからね。」

 

 当然ながら、長距離レースのこの段階において仕掛けようとする選手はいない。こんな状況で無駄にスタミナを消耗すれば、最終スパートでの競り合いには勝てない。

 

 ゆえに先頭で大逃げを仕掛ける選手を捉えようとしないのは、正しい走法である。セイウンスカイの勝算がそこにあるとするならば……彼女は、レース展開のすべてを自らのペースにて制御するつもりなのだろうか?

 

〈さぁ各ウマ娘縦長となりまして2000m、京都レース場の上り坂に入ってきました。……おぉ、セイウンスカイ、まだ上り坂ですが仕掛けました!2番手レオリュウホウから更に差が開きます!〉

 

 上り坂や下り坂での仕掛けは、スタミナを大きく消耗するため基本的には避けられる走り方だ。が、今回のセイウンスカイはそこで加速した。

 

「これは……しかし、いくら何でも……」

 

「かのミスターシービーじゃあるまいし、この子に真似できる走りですかね?」

 

 鷹木も片桐も、状況を読み取ろうとレース展開に目が釘付けになっている。混乱したのは見ている側ばかりではないのか、後方の集団もペースを乱し始めた。

 

「負ける走りをする子じゃないさ。だから……あぁ、スペシャルウィークが来る。」

 

 まだラストスパートには早すぎる段階だが、差すつもりであれば共に仕掛けなければ、このまま逃げ切られてしまう可能性は高まる。しかし、レース序盤からあれほどのハイペースで飛ばし、さらに坂でスタミナを浪費したと見えるセイウンスカイを、無理に追いかけようとするウマ娘はほとんどいなかった。

 

 唯一、スペシャルウィークを除いては。中団後方、先頭から遥か遅れて窺っていた彼女が、いよいよ恐るべき脚で上がり始めた。

 

〈さぁ第3コーナーの下り、おっとスペシャルウィークが動き出している!スペシャルウィークが動き出している!バ群中段から外へ抜け出している!この手応えはどうなのか、キングヘイローも状態はいいぞ!〉

 

 バルコニーではキングヘイローの名を叫ぶテイエムオペラオーの声が響いていたが、それも遠くに聞こえるようであった。

 

 最後の直線、迫りくるゴール板、先頭から大きく引き離されたバ群の中、この位置からであっても勝利を手にし得るウマ娘が、スペシャルウィークである。まさに結城トレーナーから繰り返し伝えられた「何とも言えない」という予想通り、展開ここに至ってもなお勝敗の行方は見えなかった。

 

「あっ、これは……」

 

 が、老トレーナーはそう呟いた後、目を血走らせて最終直線の攻防を見つめている若きトレーナー達の必死な表情に視線を走らせ、自分が見て取ったものを伝えてしまわぬように口を噤むのであった。

 

 どれほどの鍛錬を積んで獲得したものか、セイウンスカイは末脚を発揮していた。

 

 中盤にて温存したスタミナを注ぎ込み、逃げを無理に追うべからずという定石に従ったライバルたちを引き離したまま、先頭で駆け続ける。

 

 スペシャルウィークが上がってくる、次元の違うスパートを以て。

 

 10着から、一気に2着の位置にまで。ごく一握りのウマ娘しか出走できない、この菊花賞の選手たちなど問題にならぬ速力で、あっけなく置き去りにしながらも。

 

「あんなのと競り合って、勝てるウマ娘は居ない。」

 

 セイウンスカイは逃げ続ける、全く衰えぬ末脚で。多少の仕掛けなど噛み砕く規格外の化け物までも、釣り上げようと。

 

「が、これは上手い、見事なレース運びだ。」

 

 比喩ではなく呼吸が止まっていた鷹木は、結城トレーナーが何を呟いているのか聞き取る余裕すらなかった。

 

〈逃げ切った逃げ切った38年ぶりセイウンスカイ!!まさに、今日の京都レース場の上空と同じ、青空です!!京都レース場今日は青空だ!38年ぶりの逃げ切り、セイウンスカイ!〉

 

 どよめきと喝采、歓声と悲鳴、叫喚の只中にある京都レース場に自らが居る事を、暫し遅れて鷹木は見出した。

 

 呼吸することを思い出しては咳き込み、見れば片桐も同じ反応を見せながら苦笑していた。バルコニーでゴール板の様を目の当たりにしたウマ娘たちは、身体が痺れたようになって動かずにいる。

 

「今度こそ、ドトウが立ったまま気絶してるかもしれませんな。いや、しかし、まったく、大舞台というものは……」

 

 それ以上の言葉が出てこなかった片桐は、彼にしては珍しくポカンと口を開いたままに沈黙し、照れくさそうに再びの苦笑を浮かべながらテーブルのグラスを取り、水を口に含んだ。

 

「見てごらんよ、世界レコードだ。運びが巧みなだけじゃない、相応の実力を身に着けているね、彼女は。トレーニングの質も良いんだろう。」

 

 結城トレーナーはいつもと変わらぬ調子で語り続けていたものの、皺の刻まれたその顔は心なしか紅潮していた。

 

 先ほどまで神経を完全にレースへ持っていかれていた鷹木は、自分の顔がそれに輪をかけて赤らんでいるか、あるいは青ざめているかしているだろうと思い、俄かに顔を上げていることを困難に思い始めた。

 

 京都レース場の大熱狂は遅れてゴール板前を通過していく他のウマ娘たちにも降り注いでいたものの、その喧噪の海を割くように響き渡る声があった。

 

「キング!キーング!Brava!ブラーーヴァー!!」

 

 テイエムオペラオーの掛け声は、やはり無駄に通りが良く、観客席からは幾名かの訝し気な視線が特別観覧バルコニーへと向けられるほどであった。

 

 5着であったキングヘイローの姿は、もつれあうようにしてゴールした一団の中に埋もれて見えなかった。彼女を取り囲む他のウマ娘たちは悔し気な表情を浮かべ、あるいは耳が折れ項垂れて、唇を噛む顔を隠すかのごとく顔を伏せる者がほとんどであった。

 

「キング!!キングヘイロー!!」

 

 だが、ウマ娘集団の中から矢庭に突き上げられた拳は、緑色の袖に、跳ね上げられた芝にまみれた濃紺の手袋。

 

 不屈の王は、決して俯かず、汚れた勝負服を堂々と纏って、観客席へと向かい合っていた。

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