史実でのレース戦績を調べると、その当時は現在とは異なる呼称のレースも多く、ややこしい場合もありますね。とはいえ、そんな差異をストーリーに上手く落とし込む工夫も楽しいものです。
嫌な予感が胸の内に渦巻いていたことは昨晩以前からのことであったが、今朝眠り足りない目をこすりながら寝床から起き上がった鷹木の中で、抱かれていた不安はいよいよ現実味を帯びていた。
トーストを齧りながら服を着替え、喉を火傷しそうになりながらもコーヒーを飲み込んでそそくさと学園へ出勤する鷹木。今日ばかりは、担当ウマ娘であるテイエムオペラオーを迂闊に行動させるべきではない。
「あっ、おはようございます!あの、トレセン学園所属のトレーナーさんでしょうか!」
決して注目されるほどの実績は立てていない、そもそもトレーナーであることの確認が必要である点からして無名を証明してしまっている鷹木に、学園の校門前で待ち構えていた取材記者が録音機付きのマイクを向けてくる。
「えぇ、まぁ。」
常日頃にはお目に掛かれない光景であるが、これが毎年の恒例行事のようになっていることを知る鷹木は記者に適当な返答を与えた。
一年を通し全国を沸かせたURAの総決算、有馬記念の終わった後に、各種メディアに向けて今年活躍したウマ娘へのインタビュー会場がトレセン学園内に設けられる。その際、先輩記者に連れてこられた新米ジャーナリストたちが、取材の練習とばかりに正門前に立たされているのは暮れの学園の風物詩となっていた。
「今年一年のURAを振り返りまして、トレーナーさんはどのように感じられましたでしょうか?」
取材慣れしていない記者特有の凄まじく漠然とした質問を持ち出され、返答に窮していた頃もだんだん懐かしくなってくる。
「やっぱり、スペシャルウィークの存在感がありましたね。彼女に勝利したセイウンスカイの勝負強さも、先日の有馬記念で勝利したグラスワンダーの復活も劇的でした。」
「なるほど、そうですか!やはり最強世代との呼び声高い彼女らにこそ、注目ですね!」
ここで、各レースにおいていかなる好走が見られたかを話題に出しても、記者たちは満足しない。世の中に出す際、十分に読者や視聴者を食いつかせるだけの話題性がある内容……すなわち、脚光を浴びたウマ娘の名前にしか興味が無いのだ。
致し方ないことではある、世間一般の需要がそうなのだから。連中は過去しか見ていない。トレーナー達、そしてウマ娘たちが、既に次の大舞台に向けて鍛錬を怠らずにいるのとは正反対だ。
「自分は急ぎますんで、これで。」
「どうも!ありがとうございました!」
インタビュー前から予測していた通りの情報を得るインタビューに、いかほどの意味があるだろうか。鷹木は毎度訝りながらも、記者を適当にあしらう術だけは着実に身についている実感を得ながらウマ娘の待つ練習場へ向かった。
学園は既に冬休み期間に入っていたが、チーム未所属のウマ娘たち用に開放されている練習場は学期期間中と変わらぬ光景が毎朝続いていた。一年目も終わりを迎え、来年度はクラシック級に進出する彼女らに時間を無駄にしている暇など無い。
が、今朝に限っては自主練に励んでいるウマ娘の姿が少なかった。恐らく、間もなく始まる優駿たちへのインタビュー番組を視聴するためにテレビ画面前で待機している者が多いのだろう。
当然、大舞台にて金星を挙げた先輩たちの話からは参考になる内容も得られるだろう。が、テイエムオペラオーは、テレビ画面の前で待機などしていないはずであった。
「ボクは求めてやまないのだ……レース場の大気を。ゴール板の上の澄み切った青空を。あのさわやかな緑のターフを。心に沁みるファンファーレを!テレビの画面越しも悪くはないが、やはり直に感じ取るに限るよ!」
有馬記念を直接レース場で観戦できなかったことが、やはり彼女なりに心残りだったのかもしれない。
ともあれ、画面越しのインタビュー視聴について否定的な見解を述べたオペラオーは、今朝も同じように練習場にて姿を見せているはずであった。が……。
「……居ない。」
いつもよりも自主練する生徒の数が減っている以上、求める相手を見出すに労しない状況である。そもそも、あの無駄に騒がしいオペラオーが、集団に紛れて見つからないなどということがよもやあるだろうか。
いや、ない。
「まさか……」
「やぁ、おはようございます、鷹木さん。」
いつも通り間延びした声で彼に呼びかけたのは、片桐である。振り返れば、傍らにメイショウドトウを連れた彼の姿があった。
「お、おはようございますぅ……」
「どうも。突然ですが、その」
「オペラオーをお探しですか?先ほど、あっちで見かけましたが。」
『あっち』と口にした片桐の腕は、今まさに優駿たちへのインタビュー会場が開かれている学園の大講堂へと向けられていた。
片桐が指さした方向を確認するや否や、鷹木は礼もそこそこに足早に講堂へと進んでいく。最悪の予感が的中しつつある現状に呼吸と動悸が高まる中で、オペラオーの発言の意図を取り違えていた自分の鈍さを改めて痛感していた。
「画面越しが嫌だってことは、つまり現場にそのまま赴くってわけか……!」
オペラオーが取材会場に入っていくのを見たのであれば、片桐も彼女の狙いとするところに気付いたろうに、足止めすることなく放っておくなど人の悪い……と考えかけ、片桐ならば敢えて放っておくぐらいのことはするだろうと思い直す。
傍から見ている分には面白い展開であろうが、当事者となる鷹木としてはたまったものではない。今、インタビュー番組はどのような状況となっているか確認するため、講堂へと脚を急がせつつもスマホで番組配信をチェックする鷹木。
彼が最も恐れ、阻止しようとしていた出来事が既に手遅れである事は、画面から唐突に流れ出してきた高笑いによって嫌というほど知らしめられた。
〈はーっはっはっは!!会場の四方から歓喜の声が響く!ともに我らの歌を響かせよう!これからは覇王と呼んでくれ!〉
いくらテイエムオペラオーが恐れ知らずとはいえ、せいぜい他のウマ娘たちがインタビューを受けている背後に映りこもうとする程度のものだと予測していた鷹木は、自らの顔面から血の気が引いて気が遠くなる思いだった。
オペラオーは、他にウマ娘とともに映っているわけでもなく、彼女だけでガッツリと画面を独占していたのである。
〈お……おっと?彼女は、この学園のウマ娘でしょうか?グラスワンダーさんへのインタビューが終わったばかりで多少時間が空いていますが、一応彼女にも話を聞いてみましょうか……〉
〈問題ないとも!キミは本ッ当に幸運だ、まだ誰も注目していない強者を見出したのだから!このボク、世紀末覇王、テイエムオペラオーをね!〉
「放送事故起こしてんじゃねーよ……」
戸惑うようなインタビュアーの声と共に、スタジオの解説者たちの笑い声が流れて来るスマホの画面をもはや直視できず、鷹木は講堂にたどり着くことなく廊下の途中でへたり込むしかなかった。
その日は、残りの時間をどのように過ごしたのかを大して鷹木は覚えていない。報道が流れて来るネットニュースに目を通す勇気などなく、落ち込んでいる鷹木とは対照的に妙に上機嫌なオペラオーがより精力的にトレーニングへ取り組むに任せていた。
鷹木にとっては幸いな事ながら、その日のニュースにてインタビュー番組への珍妙な乱入ウマ娘が大きく報じられることは無かった。名だたる優駿たちへの取材記事についで、注目されていたのはホープフルステークスについてであった。
かつては『ラジオたんぱ杯ステークス』と称され阪神レース場で行われていたこのレースは、有馬記念より前に行われていた時期もあった。『ホープフルステークス』へと改称され舞台も中山レース場へ移された今はこちらが有馬記念の後に行われることも多くなり、事実上一年最後のGⅠレースである。
翌年にクラシック級を控えたウマ娘たちに出走権は与えられるが、この時点で本格的な能力の開花を迎えている者は限られている。その限られたメンバーの中に、今年はアドマイヤベガが入っていた。
オペラオーによる取材乱入事件の翌朝、前日にもまして寝不足の色を濃くした鷹木の顔色を気遣いつつ、ナリタトップロードが持ってきたのはこのホープフルステークスの観戦チケットだった。
「大丈夫かい?鷹木トレーナー。その……寝不足の理由は、だいたい想像がつくけれど。」
「どーも……で、何の用かな……」
「このチケット、アヤベから送られてきてさ。ぜひ、来てほしいって。」
これを聞いたテイエムオペラオーが、一も二も無く喜び勇んで中山レース場へ向かう支度を始めたのは言わずもがなである。
数日後、いよいよ寒さ厳しい中山レース場の観戦席に、いつものメンバー……すなわち、オペラオーに引っ張られるように現れた鷹木、ドトウに縋られるように悠々と歩いてきた片桐、そして寒そうに着込みながらも颯爽と登場したトップロードが顔をそろえていた。
「まぁ、アドマイヤベガが勝つでしょうな。」
「うん、油断はしてほしくないけれど、アヤベが一着になるだろうね。」
「何度も一緒に練習しましたし、アドマイヤベガさんの強さは桁違いですぅ……」
「もちろん、彼女こそがボクの一等星さ!はーっはっはっは!」
「ちょっと何が言いたいのかよく分からないな。」
声を交わす一同の口が止まらなかったのは、もちろんのことながら寒さも手伝っていたろうが、共通する興奮を感じていたためであることは間違いない。
初めての大舞台、GⅠレースに、自分たちと同期のウマ娘が出走するのである。トレーナー達にとっては、担当ウマ娘の同期が。応援したい気持ちがある半面、どこか置いて行かれているような焦燥を僅かに感じつつあるところであった。
出走ウマ娘の紹介が進んでいき、パドックにて最後に姿を現したのはアドマイヤベガであった。
〈一番人気、アドマイヤベガ。今を時めく黄金世代と同じく、サンデーサイレンスの血統を継ぐウマ娘です。かのレジェンド、結城トレーナーによる個人指導を受けた今、彼女は最高の状態に仕上げて来ているでしょう。〉
「あぁ!!!!!愛しいベガ、我が一等星よ!!!!!」
「うるせぇ。」
オペラオーが観戦席から叫んだ声はマイク無しでレース場全体に響き渡り、よもやパドックまで届きはしなかったろうが、スクリーンに映るアドマイヤベガの眉間に僅かながら皺が寄ったようにも思われた。
とはいえ、きっと中継のテレビカメラには音声が拾われていることは確実である。またしても悪目立ちしてしまった自らの担当ウマ娘の所業に鷹木が頭を抱えている一方で、レース開始準備は粛々と進められた。
〈スタートを切りました。アドマイヤベガ、後ろから行きます。先行はゼンノスピリットが行きました、続きましてワンダーファング、マイネルサクセス。その後ボストンポセイドン、ウチにタヤスタモツです。〉
何が起きるか分からないのが大舞台とはいえ、中団後方に付けているアドマイヤベガの脚は、既に一着を捉えているかのごとき安定した走りを見せていた。
栄光をつかむウマ娘は、何もかもが普通とは違う。あの夏合宿で結城トレーナーから与えられた言葉は、レースの結果を見るよりも先に証明されたようにも思われた。
〈それを見るようにマチカネキンノホシ、その後にアドマイヤベガです。……アドマイヤベガ、中団から、やや後ろという所。ボストンポセイドン、マチカネキンノホシ、そしてアドマイヤベガの順となっています。〉
実況アナウンサーも、妙にアドマイヤベガの名に触れる回数が多い。この世代において、最も注目すべきウマ娘が彼女であることは、もはやトレセン学園内に限った話ではなく世間の常識となりつつあった。
「すごいもんですな、トレセン学園の一年次生が、こんなにも注目を集めることはないですよ。……っと、そちらのオペラオーも、ある種注目は集めていますかな。」
「えぇ、おかげさまでね。」
「はーっはっはっは!ボクの輝きは、太陽のもとにおいても隠しきれるものではないからね!」
「ご覧の通りですよ。」
観戦席の面々は殆ど安心してレースを見るつもりではあったが、やはり展開が後半に入って来れば口数少なく、視線はターフ上へとくぎ付けになった。
〈さぁ、第三コーナーを回って……行きました、アドマイヤベガです。アドマイヤベガが動きました。それをマークするようにマチカネキンノホシも仕掛けます、1番人気、2番人気が第三コーナーの入りからスパートをかけ始めました。〉
「き、き、来ましたぁ、アドマイヤベガさんのラストスパートですぅ……!」
「いつも目の前で見ているけれど……こうして本番の舞台で見ると、やっぱりアヤベは凄いね……」
先頭は三頭ほどが並び、団子状態になっている。アドマイヤベガは大きくコーナーの外に抜け出し、そのままたっぷりと距離を使って一気に抜き去る態勢に入った。並みのウマ娘には、到底真似のできない芸当である。
2番人気のウマ娘もピタリとアドマイヤベガの背後をマークしているが、その差が縮まる気配はない。むしろ離れていく一方であることを、観戦しているオペラオーたちは分かっていた。
アドマイヤベガは、ここからゴールするまでさらに加速し続けるのだ。
〈外を通りましてスーッとアドマイヤベガ上がってまいりました、アドマイヤベガ一番外へ持っていきました、アドマイヤベガ先頭に立ちました!さぁ最後の直線だ、内を通りましてゼンノスピリット頑張っている、オースミブライトも上がってくる……が、アドマイヤベガ!アドマイヤベガ!残り200を迎えます!先頭はアドマイヤベガ!〉
「うん、ま、分かってましたけどね。こうなるだろう、って。」
相変わらず鷹木は返事する余裕も無く、無言で頷くばかりである。
片桐のその言葉は、いつも通りに淡々と語られたようであったが、その内には大きな焦燥が秘められていることを、鷹木は自らの心境と照らし合わせて痛いほどに感じ取っていた。
これから本格的に才能を開いていくウマ娘の同期に、こんな化け物じみた脚の持ち主が居るのだ。
〈アドマイヤベガ!アドマイヤベガが先頭です!二番手争いが混戦になりそうだ!マチカネキンノホシも上がってくる!がアドマイヤベガが未だリード!アドマイヤベガが一着でゴールイン!勝ったのはアドマイヤベガ!!〉
実況の殆どが、アドマイヤベガの名の連呼で占められていた。
〈アドマイヤベガ勝利!次代の優駿を占うホープフルステークス、制しましたはアドマイヤベガです!黄金世代の次を担うのは、この子で決まりか!?〉
「はーっはっはっは!さすがだよ、アヤベさん!これほどの輝き放つキミこそ、ボクという覇王に挑むに相応しい!」
オペラオーは立ち上がり、観戦席の正面ゴールを通過したアドマイヤベガに向けて声を送っていた。この距離であれば、彼女の喧しい声は悠々とアドマイヤベガの耳に届いていただろう。
当の相手は、ツンと澄まして別の方を向いたままであったが。
「アヤベ、おめでとう。来年からは、よろしくね。」
トップロードは比較的抑えた声量で口を開いた。それにつられるように、初めて観戦席へと顔を向けたアドマイヤベガの視野に、同期のウマ娘たちの姿が並ぶ。
メイショウドトウ、ナリタトップロード、そしてテイエムオペラオー。
「……勝つのは、私。」
アドマイヤベガの言葉は観戦席に届ける気も無い、口元だけの呟きだったが、その内容は十分すぎるほどに伝わっていた。
オペラオーは深く頷き、決闘の挑戦を受け入れた騎士のごとく足元の何かを拾い上げる。それは彼女自身が填めていた防寒用のミトンの左手側であり、モコモコしたシルエットのそれは多少不格好だったものの、直視するアドマイヤベガの眼光はいよいよ研ぎ澄まされた輝きを放ち始めた。
アドマイヤベガの紺碧の勝負服に相応しく、空が凍てつくほどの青に染まった冬の中山レース場。ここに、翌年より繰り広げられる激闘の序曲が始まったのである。