明けて翌年、新年を祝う思いもそこそこに、元旦からいつもと変わらぬトレーニングを続けるウマ娘たち。殊にクラシック級へと進む年度の彼女らには、いよいよ目前に迫る本番の舞台に備えるため一秒たりと無駄に出来ぬトレーニングの日々の連続であった。
先陣を切ったのは、ナリタトップロードである。2月の初頭、京都レース場にて行われたGⅢレース、きさらぎ賞。
GⅢとはいえ、かの怪物スペシャルウィークが前年度に華々しい勝利を飾ったレースである。クラシック級へ上がったウマ娘の、登竜門のひとつとして十分な知名度を誇るこの舞台は、レース場に詰めかけた大勢の観衆の歓声によって幕を上げられた。
流石にこのタイミングで、自分の担当ウマ娘のトレーニングをないがしろにするわけにもいかず、鷹木も片桐も画面越しでの観戦となった。レースが開始される直前までトレーニングバイクを漕いで汗を流していたオペラオーとメイショウドトウは、息を切らせながらテレビ画面の前に集まってくる。
「しかし、やはり応援に行ってあげても良かったのではなかろうか!このボクの美声をもってエールを送れば、勝利の栄光は確実だろう!」
「お前から応援され続けてるキングヘイローのことを思い出せ。」
「けれど、トップロードさん、いまだに担当トレーナーさんも居なくて、ひとりぼっちですぅ……」
「確かにね。我々には勝手にウマ娘を選ぶ権利はないし、その権利を得るだけの実績あるベテラントレーナーは既にチームを抱えてる。あの子は中々にタフな歩みを求められてますな。」
オペラオーやドトウの心配も道理である。付き添いのトレーナーも無しにレース場へと赴くウマ娘は、多大なるプレッシャーを我が身ひとつで受けとめねばならない。サポートしてくれる味方が居ない以上、レース前に何らかのトラブルに巻き込まれたとしても全て自らの判断で対処せねばならない。
それでも無事にパドックに姿を現したトップロードは、2番人気として紹介された。デビュー戦や初勝利戦での好走、およびトレセン学園内における試験成績の優秀さは客観的に見ても突出したものであった。
1番人気のウマ娘は、エイシンキャメロン。結城トレーナーに近しいベテラントレーナーが率いるチーム所属のウマ娘である。トップロード同様に、ゆるがぬ自信を有するウマ娘は、大舞台を前にしても緊張の色を見せていない。
「み、皆さん、こんなに落ち着いておられるだなんてぇ……私、こんなに冷静でいられる自信ないですぅ……」
「何も難しいことじゃないさ!試練を前にしてこそ、ボクたちは美しく輝くことが出来る!胸の内からこぼれ出るその光に、魅了されぬ観衆など居ないのだからね!」
オペラオー流の良く分からない理論が展開されている中、画面上ではウマ娘たちのゲートインが済み、出走の準備が整った。
〈きさらぎ賞、スタートを切りました。エイシンキャメロンもまずまずのスタート、前に出ていきます。向こう正面の長い直線の争い、ナリタトップロードも前寄りの位置につけている。先頭はアストラルブレイズ、二番手にサンキングラッドです。〉
「先行策か。トレーナーとしては、トップロードの脚質を踏まえ、逃げを指示したいところなんですけれどね。」
「えぇ、先行で勝つのは器用な子だけだ。しかし彼女は十分な能力を有していると思います、賢い子ですし。」
優れた能力を充分に発揮して前に出ようとするエイシンキャメロンであったが、逃げに徹しようとするウマ娘たちが先頭を譲らない。ラップタイムは急に早まったかと思えば落ち着き、また加速を繰り返す、不規則な展開となった。
そんな中でもトップロードの落ち着いた走りは、中盤における順位を崩すことなくキープし続けている。
〈エイシンキャメロン、中団のやや前といったところ。その後ろにマルイチトリトン、ウチを通りましてナリタトップロード。タイクラッシャー、アドマイヤマンボ、マイネルサクセスが徐々に前を窺います。間もなく第四コーナーに入ってまいります。〉
マイネルサクセス、この選手も人気度は譲ったものの、ナリタトップロードやアドマイヤベガとは因縁浅からぬウマ娘である。デビュー戦ではトップロードに、昨年末のホープフルステークスではアドマイヤベガに勝利を奪われている。
中団に埋もれながらも、前を走るナリタトップロードの背を真剣に追い続ける彼女の眼差しには鬼気迫るものがあった。
〈外からエイシンキャメロンが良い手応えをもって先頭に並びかけてきました!さぁ直線コースに入りました、ナリタトップロード前に来ています!大きく横に広がって……さぁ先頭はアストラルブレイズか!大外からエイシンキャメロン!その内からはナリタトップロードも来ている!〉
コーナーを抜けたウマ娘集団はばらついて横に広がり、混戦の様相を呈している。優れた足をもって大外を駆けてきたのはエイシンキャメロンであったが、集団に埋もれながらも好機を窺っていたトップロードも一気にスパートをかけて前に出た。
「さすがですな、彼女らしい走りだ。」
「ここに来るまで、全く無茶をした様子が見られない。教科書に載せたいぐらい模範的なレース運びです。」
〈先頭を奪うのはエイシンキャメロンか!先を行くのは、ナリタトップロード!ナリタトップロードが僅かに前か!エイシンキャメロン、詰め寄っていく!〉
「お、追いつかれますぅ!」
「いや、彼女は競走相手をしっかり見ているよ。」
背後からぐんぐんと上がって迫ってくる蹄鉄の音はトップロードの耳にも届いているだろうが、彼女に焦る様子は見られなかった。
半バ身、そしてクビ差、ハナ差へと寄ってこられてもなお、加速を調整し、ゴール板を通過する最後の一歩まで十分なスタミナを以て走り抜けていった。
〈先頭はナリタトップロード!外からのエイシンキャメロン、二頭ならんでゴールイン!ナリタトップロード!勝ったのはナリタトップロード!4コーナーから迫りくるライバルたちを巧みにかわし、落ち着いた走りを披露してくれました!〉
「ハナ差とはいえ、彼女の走りであれば危なげなく見ていられましたな。」
「勝敗の決するゴール直前まで、加速をコントロールする冷静さを保てるとは……」
大舞台での勝利を飾ったトップロードの顔には、いつも通りに落ち着いた笑みだけが浮かんでいた。画面越しではありながらも、底知れぬ強さを秘めた彼女の余裕は易々と伝わって来た。彼女の背後に、遅れてゴールしてきたマイネルサクセスがぐっと悔しさをこらえる表情がチラと映った。
その後のウイニングライブを待たず、テイエムオペラオーとメイショウドトウが早くもトレーニングへと戻っていったのは、この見せつけられた勝利と無縁ではあるまい。
鷹木がトレーナーを担当するテイエムオペラオーの今年最初の舞台は、同じ月の末に訪れた。阪神レース場で開催される、ゆきやなぎ賞。
GⅢにも届かないウマ娘向けの、1勝したことが出走条件となるレースではあったが、しかし今の時点で1勝できている選手が集う時点で十分な実力試しとなり得る舞台である。未だにつかみどころのないオペラオーの性格が、ある程度大きなレース場でどれだけ揺さぶられるのか、あるいは平静を保っていられるのか……知っていく必要がある。
それに鷹木は、未だオペラオー自身の判断にレース展開を委ねきることへ信頼を置いているわけでは無かった。
「今回も、任せてしまっていいんだな?一応、出走するウマ娘についてまとめてはおいたが……」
更衣室から出てきてパドックへ向かうオペラオーにゼッケンをつけてやりながら、鷹木は問いかける。このレースでは勝負服ではなく体操服の着用を求められていたが、自らの容姿に絶対的な自信を持つオペラオーとしては何を着ることとなっても不服ではないらしかった。
「もちろん!覇王として、絶対的な勝利を掴んでみせよう!このボクの輝きを前に、ライバルも皆ひれ伏すこととなるさ!」
「ひれ伏してたらレースにならんだろ。」
このウマ娘が常に自信満々であるため、レース前に手ごたえを尋ねることには大して意味が無いことを鷹木は忘れていた。
オペラオーは、2番人気であった。一勝しかしていないことは他のウマ娘も同様であったが、やたらと目立ちたがる彼女の名と顔が既に広く知れ渡っていたことはもちろん影響していただろう。
3番人気にはクラシックステージの名もあった。鷹木としては忘れもしない、オペラオーに差しを指示していたばかりに敗北を喫したメイクデビュー戦にて、見事一着となったウマ娘である。
生真面目そうな彼女の顔には、今回も緊張の色がうかがえた。パドックに上がるなり歌い出したオペラオーとは大きな違いである。
〈各ウマ娘、ゲートイン。出走の準備が整いました。〉
今回は、誰も共に観戦する者など居ない。鷹木は一人きりで、自分の担当ウマ娘が挑む舞台を見つめる他に無かった。勝っても、負けても、その結果を我が身で受け止めねばならない。
隣に誰も並んでいない今の状況に置かれ、ようやくそんな当たり前のことに鷹木は気づいたような心持ちであった。
〈スタートしました。まず飛び出したのはファイナルフォース、続いてドラゴンスペシャル。先行争いはこの二名か、続いてアンクルスルー、ゴールデンスワロー、1番人気のグラールキングも並びます。すぐ後ろに2番人気のテイエムオペラオー、3番人気クラシックステージは最後方で様子を窺っています。〉
オペラオーが選択した作戦は、やはり先行であった。あるいは、彼女は自分が先行策を取っているという意識も無く、ただ自らが走りやすいレース運びを行っていたに過ぎないのかもしれないが。
〈先頭は依然変わらずファイナルフォース、向こう正面に入りましてグラールキングは少し前に出まして現在四番手、テイエムオペラオーも続いている。ゴールデンスワローのあとにマンノチャンピオン、ワンモアブイサイン。3番人気クラシックステージはまだ後ろで脚をためているか。〉
カーブを抜け、直線に入ったところで1番人気のウマ娘が徐々に順位を上げ始めた。テイエムオペラオーもそれに追随するようにスピードを上げたのを見て、鷹木は膝の上の握りこぶしからジワリと汗がにじみ出てくるのを感じた。
ここから向こう正面の直線、二つのコーナーが控え、さらに直線に入ってからもゴールまでは長い。1番人気のウマ娘がこの時点で加速し始めることにどのような策があるのかは分からないが、ライバルを焦らせて追いかけさせるのが目的であればオペラオーはまんまと引っ掛かったことになる。
全く歯がゆい思いであった。こちらが指示した通りに走らせることが出来れば……と鷹木はそこまで考え、首を横に振る。今は、オペラオーの判断力とトレーニングの成果を見極めるのが最優先だ。
〈さぁコーナーを回りまして、先頭はドラゴンスペシャル、ファイナルフォースは順位を落としています。アンクルスルーは変わらず二番手、ゴールデンスワローに続いてグラールキング、テイエムオペラオーが先頭の子たちを追いあげる。クラシックステージが最後方から徐々に上がって来た、さぁ最後の直線に入ります!〉
メイクデビューの際は先行していたクラシックステージだったが、今回取ったのは追い込み策のようであった。トレーニングの中で得意とする走りを見出し、デビュー時とは異なった戦法を取るようになるウマ娘は少なくない。
あの悪夢のように別次元の末脚を見せつけられたメイクデビュー戦を思い起こして鷹木は額から冷や汗を噴出させ始めるも、同時に先頭集団におけるデッドヒートから目は離せなかった。
〈このレースは直線に入ってからが長いぞ!グラールキング、持たなかったか下がっていく!先頭ドラゴンスペシャルを抜き去って外からテイエムオペラオー、アンクルスルーが来ています!マンノチャンピオンも上がってきた!〉
1番人気のウマ娘が順位を下げていく。変則的な走法で周囲のペースを乱した彼女であったが、自身にとっても焦りはあったのだろう。スタミナの配分は難しかったはずだ。
なればこそ、そのウマ娘と全く同じペースで走って来たオペラオーが、尚も加速を続けられる理由が鷹木には分からない。一日も休まず、一刻一秒もおろそかにせず、トレーニングを続けてきたのは他のウマ娘だって同じはずなのに。
〈ハナに立ったのはテイエムオペラオー、アンクルスルーとマンノチャンピオンがほぼ並んで後を追う!先頭との差は半バ身、いや、広がっていく!〉
鷹木が最も警戒していたクラシックステージはと見れば、集団に前を塞がれて思うように出られずにいた。もしもオペラオーに口出しするならば差しを指示していただろう鷹木は、その姿をメイクデビュー時のオペラオーに重ねていた。
大舞台で一着になるウマ娘は、違う、何もかもが。集団に埋もれながら中盤から順位を上げはじめ、さらに末脚を発揮するだけのスタミナをオペラオーが残せるなどと、鷹木は予想できなかった。
「トレーナーが邪魔をしちゃいけない。」
〈テイエムオペラオーが一着でいまゴールイン!強い走りを見せつけてくれました!二着はアンクルスルー!三着はマンノチャンピオン!〉
拳を突き上げ、客席からの大声援に応えるオペラオー。思い返せば、このレース展開を目の当たりにしていたはずの鷹木は、相変わらずこのウマ娘について何も掴めていなかった。
自分の担当ウマ娘が強さを見せつけてくれたことが誇らしくないわけでは無かったが、トレーナーとしての自らの有り様を今一度考えなおす必要を彼はひしひしと感じていた。