「それでは勝てないよ」という言葉も、実績あるレジェンドトレーナーから伝えられると説得力のある響き。自らの担当ウマ娘にどう働きかけるか、若手トレーナーたちは懸命に考えるところです。
テイエムオペラオーがゆきやなぎ賞を制した2月の末。ハッキリと緩み出した寒気の間を縫って温い風が吹き、トレセン学園の木々も頑なな新芽をほぐし始めている。
結城トレーナーから「梅の花でも見に行きませんか」との誘いが届いたのは、阪神レース場から帰って来たばかりのオペラオーと鷹木を迎え、メイショウドトウと片桐が安いドリンクとスナック菓子だけでささやかな祝勝会を催している最中のことであった。
「ま、またあのお方からのお誘い……緊張しますぅ……」
「何のことは無いよドトウ!誘われたのならば堂々と参加すればいい!さすがは結城トレーナー、風雅な趣味を持っているものだね!我らはにんじんジュースとジャンクフードで早春を迎えているというに!」
「貧乏トレーナーで悪かったな。」
鷹木の思いはどちらかというとドトウが抱いているものに近かった。今度はどんな高級車に出迎えられるかと考えるほどに、着ていく服やどんな手土産を持参すべきか、悩みの種は尽きなかった。
きっと、そんな懸念に支配されていたのは鷹木だけであったろう。約束の当日、それなりにフォーマルな着つけぬ装いで窮屈そうに現れた彼の前には、近所のコンビニに寄るついでにでも来たのかと思えるほどにラフな格好の片桐、そして結城トレーナーの姿があった。
片桐の隣に立つメイショウドトウの普段着がゆったりしたセーターとロングスカートであることもまた、ご近所を散歩している感を補強していた。
「あ、アドマイヤベガさん、お久しぶりです……」
「えぇ、中々会えなかったわね。」
「おぉ、我が愛しの!麗しき!高嶺の!比類なき!ターフ上の至宝!一等星!アドマイヤベガよ!!またお会いできたね!!!」
「うっさいわね……」
ドトウに対しては多少優し気な目を見せるも、直後駆け寄ってきたオペラオーに絡まれて、結城トレーナーの傍に控えていたアドマイヤベガがこの上なく面倒臭そうな表情を浮かべている。彼女ともしばらくぶりの再会であった。
「やぁ。久々だね、鷹木トレーナー。オペラオーもトップロードも、こないだのレースではおめでとう。」
「あ、ありがとうございます……。」
「はーっはっはっは!ボクが勝利するのは必然さ!」
「お褒め頂き光栄です、結城トレーナー。」
遠慮を知らぬオペラオーとは対照的に、控えめな反応を返すナリタトップロードも、今回は個別に招待されたのだろう。彼女の姿を目にしたアドマイヤベガは、オペラオーを押しのけいそいそと傍に寄って行った。
その振る舞いには以前と変わった所は見られなかったものの、結城トレーナーのもと、数々の実績あるチームとも練習を重ねてきたのだろうアドマイヤベガの佇まいには確実に纏わりついた緊張感と自信の気が窺えた。
共に居るだけでウマ娘を変えてしまう結城トレーナーがいかに別格か、彼女を目にした鷹木は思い知らされるような心持である。
とはいえ集合場所も駅前であり、さしもの結城トレーナーも公共の交通機関を利用することがあるのだと知った鷹木は同時にどこかホッとする思いであった。結城トレーナーの方に目を向ければ、片桐が彼の話し相手になっている。
「で、結城さん。一日空けておけとだけしか聞いてないんですが、本日はどちらへ?」
「うん、京都までね。元離宮二条城の梅の花、そろそろ見ごろを過ぎてしまうから。」
「ほう、京都まで。レース場以外にはあまり足を向けた事がありませんでしたな。今回は、お車ではなく電車なんですね。」
「あぁ、せっかくだし、ゆったりと座って駅弁でも味わいながら行こうじゃないか。」
やがて列車が到着する時刻となったのか、駅へと入っていく一同。
鷹木が乗車券はどうするのかと尋ねる前に、駅員がずらりと並んで『結城様ご一行』に頭を下げたまま改札口を通したあたりから違和感は膨れ上がっていたものの、ホームに停車していた行先も何も表示されていない黒塗りの車両を目にした彼は尋ねざるを得なかった。
「あの、結城さん、この車両は?」
「これ?僕のマイカー。」
「へぇ……そうなんですね……。」
線路の上にさえ専用車両を持っている人物がいるなど、結城トレーナーに出会わなければ鷹木は一生知ることも無かったろう。
車内のスペースが道路上を走る車両と比してもゆったりしていたことは言うまでもない。京都に到着するまでどの駅に停車することもなく、清々しく流れ続ける車窓の景色を独占しつつ、駅弁に舌鼓を打ち、車内に備えられたドリンクバーからめいめいに好きな飲料を取り、盛大にくつろいでいたのはオペラオーと片桐ぐらいのものであった。
ドトウは鷹木同様に恐縮したままシートの隅に座っていたが、オペラオーが何やかやと声をかけては車両の中をあちこち連れ回している。アドマイヤベガは、トップロードと居並んで車内からの展望を前に、口数少なくもあれこれ声を交わすのに夢中な様子だった。
「しかし、結城トレーナー。」
「何だい?」
おそらく酒類と思しきものが入ったグラスを手に、片桐が遠慮なく結城トレーナーへと詰め寄って気楽そうに話しかけている。
「こういう機会は、多いほど良いですな。いや、何も自分が良い思いをしたいってわけじゃなくてですね。」
「あぁ、ウマ娘たちの交流としてね。」
「特に、オペラオーやトップロードなんかはこの学年の中じゃ優秀なウマ娘だ。ウチのメイショウドトウも負けているつもりは無いですが。」
「うんうん、確かに、実力のあるウマ娘たちだ。僕の眼から見ても、それは分かるけどね……」
結城トレーナーが語尾を濁した理由は分からなかったが、片桐なりに察したのか、その話題にはそれ以上突っ込むことは無かった。
京都に着き、至極当然のように駅前まで迎えに来ていたリムジンに乗り、梅の咲き誇る二条城にて一足早い花見と洒落込んだ一行。
普段はレース場にて脚を競い合い、花見などとは無縁のウマ娘たちも、見事な満開の梅には見惚れているのか、息をのむように連れ添って歩いていた。オペラオーは変わらずうるさかったが。
「さぁ、ドトウ!これらの梅の木から、一本選びたまえ!ボクの選んだ木と、その美しさを競おうじゃないか!」
「えぇ~……選べないですぅ、どの木も満開で、同じぐらい綺麗ですからぁ……」
「だが、勝敗は決するものだ!ボクは迷いなく決めてしまったよ!」
「は、早いですぅ……!」
敷地内の道を先に行くウマ娘たちのやり取りを目を細めて聞きながら、結城トレーナーはぼそりと呟く。
「いや、まったく、勝敗を決するというのは、そういうものだね。」
「そういう、と言いますと……?」
鷹木の問いかけに、老トレーナーは手を差し伸べてオペラオーたちを指さす。
「ここに咲き誇る梅の木々は、いずれも見事な美しさだ。ここに優劣、順位を付けるというのは、いかにも無粋な考えだろう。」
「すみません、ウチの担当ウマ娘の教育が行き届いていませんで……。」
「いや、いや。彼女らがウマ娘であり、そして僕らがトレーナーである以上は、避け難い考え方さ。いずれも優劣つけがたい花々の中から、僅かに抜きんでた者が栄光を手にする。」
冬枯れの色を若葉が覆い隠しつつある草地の上を渡って来た風が、梅の濃い香りを運んで鷹木たちの鼻をくすぐる。
「ウマ娘たちのレースは、個々の戦いじゃない。まさにこれらの梅のように、並び立つ優駿の群れの中から、いかに自分だけが抜け出すかを求め続ける戦いなんだ。」
「それは、先ほどのお話の続きですかな。」
口を挟んできた片桐の言葉に、結城トレーナーは口角の片端を持ち上げる。「先ほどのお話」というのは、列車の中で交わされた、アドマイヤベガの練習相手にオペラオーやトップロードを選ばない件についてであろう。
「アドマイヤベガの同年代のウマ娘に優秀な子がいるのは知っているとも、しかし練習相手として相応しいかどうかは別の話だ。」
「やはり、集団を相手に練習すべき、ということでしょうか。」
「うん、それもあるけれどね。決まった相手への対処だけ上手くなっても、本番のレースじゃそれ以外、十名以上のウマ娘に対処しなきゃならない。」
「なるほど……」
思い返せば、鷹木はその点を鑑みてトレーニングメニューを組んでいなかった。実戦を想定した練習を行うとしても、気心知れたトップロードやドトウを相手にばかりしていた。ということは、本番で見知らぬウマ娘と当たる際の対処を練習させてやれていないのではないか。
彼の顔色が変わったのを、結城トレーナーは見逃していなかった。
「オペラオーのような子は相手の出方を窺わない点で強いね、何せ自分自身しか見ていないのだから。彼女の練習方法については、気にすることないんじゃないかな。」
「そ、そうですか……」
鷹木は一瞬安堵して、その後自分のトレーナーとしての能力が全く評価されていないことに気づいて再び落胆した。
結城トレーナーの言葉は、その後も続いていた。
「トップロードも、よく頑張っている。どのチームにも属さず、担当トレーナーも居ないが、彼女なりに練習相手をあちこちから見つけて対決を申し込んでいるそうじゃないか。」
「さすがと言ったところですな、あの子のコミュニケーション能力は見上げたものだ。」
片桐は調子を合わせて頷いているが、鷹木はトップロードがそんな努力を続けていることを今初めて知った。自分の担当していないウマ娘についても、それだけの観察を行っている結城トレーナーにはかなわない、と感じるばかりであった。
しかし結城トレーナーは片桐に対して少々厳しい目を向ける。
「で、メイショウドトウのことだが……オペラオーとばかり練習させていても、あれでは勝てないよ。」
「は……はぁ、そうでしょうか。」
「一線級の脚についていくだけの能力は身に付くだろうけれどね。他のウマ娘を相手した時、どうなるかな。」
「たしかに……仰る通りですな。」
その話題はそれきり途切れたが、片桐はレジェンドトレーナーの言葉を受け止めた上で、尚もあれこれと世間話を持ち掛けていた。
自分が同じようにトレーナーとしてのやり方に不備を指摘されれば、少なくともその日一日は委縮して口を利けなくなってしまうだろうと鷹木は考えていた。いや、先ほどのオペラオーの練習方法についての見識は、鷹木もまたトレーナーとしての能力に期待されていないことを間違いなく示していたが。
「さて、腹も減っただろう。」
結城トレーナーは一行を振り返って告げた。二条城の敷地内をぐるりと回って出てきた面々の前で、日も上がって来た京都の町家は庇の下にくっきりと影を落としている。
人間とは比べ物にならぬスタミナを有するウマ娘たちがこの程度で疲労するはずはなかったが、アドマイヤベガは少し疲れたようなそぶりを見せてトップロードの身体に寄りかかっていた。
「伏見の方に、名物のすずめ焼きでも食いに行こう。」
「えっ、すずめ……って、あのスズメですか?」
「あぁ。タレを付けて焼いて、山椒をまぶしたスズメだよ。頭から食える、中々の珍味だ。」
「ふむ、話には聞いたことがありますが、実際に食べるのは初ですな。」
相変わらずあれこれと物を知っている片桐の知識量に鷹木は驚きつつも、その背後でさらに驚いていたのはメイショウドトウであった。
「えぇ~!?あ、あのスズメさんを、食べちゃうんですかぁ……!?」
「その辺の街中を飛び回っているスズメじゃなくて、専門の猟師から提供されるジビエだ。スズメの顔ごと焼くから、見た目には少々抵抗があるかもしれないが。」
「そう言われれば、覇王としては挑戦せざるを得ないね!待っているがいいスズメ、この覇王が全て食らい尽くしてくれよう!」
決してその発言内容に恐れをなしたためでは無かったろうが、オペラオーが大声を出した途端に付近から数羽のスズメがパッと飛び立って散っていった。
アドマイヤベガはと言えば、騒がしい面々から距離を取ってナリタトップロードと寄り添い続けていた。普段は中々会えない、この実に親密なウマ娘と共に過ごす時間を彼女なりに堪能している様子であった。
「そうだ、トップロード、言っておかなきゃ。」
「何を?」
「私、3月にレースが決まったの。報知杯弥生賞。見に来てくれる?」
「あぁ、それなら私も行くよ。」
「良かった。じゃあ、観戦チケットは……」
「いや、チケットは要らなくって。」
「え……あっ。」
アドマイヤベガは緩みっぱなしだった頬を多少引き締めて、ナリタトップロードの顔を見上げる。相手の端正な顔は、変わらず優しい笑みを浮かべたままであった。
「私も、出走するんだ。アヤベと同じレースに。」
「……そう。」
「よろしくね。手は抜かないから。」
「もちろんよ。」