黄金世代の次代を支えるウマ娘であろうと見られていたアドマイヤベガに、ナリタトップロードが勝利した弥生賞。その結果はトレセン学園内にも軽からず受け止められたようであった。
それまで黙々と単独で自主練をしているか、あるいは他のウマ娘に練習競走を申し込んでいるばかりであったトップロード。トレーナー無し、チーム所属無しで活動していた彼女に、担当トレーナーがあてがわれることとなったのは弥生賞の一週間後のことである。
ウマ娘の意思が尊重される環境下では、よほどのベテラン、実績を有する者でなければトレーナーの側から担当ウマ娘を指名することは出来ない。
すなわち、ウマ娘の側からトレーニングを指導してほしい、チームに所属したいとの要請が無い限り、担当トレーナーが付くことはほぼ無いと言っていい。アドマイヤベガの担当をさらりと掻っ攫っていった結城トレーナーのようなレジェンドは、例外的な存在である。
殆どのウマ娘が自分に専属のトレーナーが付くことを望む中、トップロードは常に淡々と自らの能力に向き合い続けていたのであった。
「しかし、さすがにトレセン学園も、クールなあの子を放ってはおけなかったようですな。」
珍しく出勤のタイミングが被った片桐と並んで歩きながら、鷹木は彼のお喋りを聞かされていた。三月も半ば、朝の気もすっかり緩んで春の日差しが降り注ぐ道すがらである。
「えぇ、トップロードの担当となるのは、どういう方なのか……。」
「やはり、気になりますか。私もです。」
片桐は不精髭の植わった顎を動かしてニタリと笑う。うららかな春の日差しに照らされるうえで、この男の顔ほど似つかわしくないものは無いだろうと鷹木は感じた。
鷹木はテイエムオペラオーを、片桐はメイショウドトウを担当するよう、学園の方から指名された身である。かたや徹底したナルシスト、かたや破滅的なドジっ子、問題児なウマ娘たちを押し付けられた彼らは、いわば「手の空いているトレーナー」でしかなかった。
ゆえに、優秀な血統を引くウマ娘や、大舞台で勝利したウマ娘の担当を任されるトレーナーについては、二人ともどこかコンプレックスのようなものを感じずにはいられなかったのである。
今朝のトレセン学園内の練習場においても、オペラオーの後を追って走り込みの練習をするドトウの姿があった。そんな彼女に向ける片桐の視線がやはり鋭いことを鷹木は確認しながらも、トップロードの姿を探す気の逸りは抑えられなかった。
オペラオーではない美しい栗毛のウマ娘は、しばし遅れて早朝練習の場に姿を現した。
担当するトレーナーとの挨拶や打ち合わせを済ませてきたのであろう、ナリタトップロードの背後には垂れ目気味の顔に柔らかな表情を浮かべた……どこかトップロードと似通った雰囲気の男が付き添っていた。
どのように彼と接触を図ったものか、と鷹木が考えをまとめるより先に、こちらに近づいてきたのはトップロードの方であった。
「やぁ、オペラオーにドトウ、それにトレーナーさん達。」
「おはよう!君主の道を敷く者よ!素晴らしい朝じゃないか、あぁ、ボクの輝きをおずおずと包み込む柔らかな日差しよ!そう畏れずとも良いんだよ、いかなる光も覇王の輝きに勝ることはないのだから……おや、そちらの方は、トップロードくんの担当トレーナーかな?」
「お、おはようございますぅ……あと、あの、はじめまして……」
オペラオーとドトウが自己紹介として十分すぎるほど個性を反映した挨拶を披露する前で、トップロードのトレーナーは担当ウマ娘が浮かべるのと同じように落ち着いた笑みを見せた。
「えぇ、はじめまして。今日からトップロードのトレーナーを担当いたします、桂崎です。よろしく。」
彼の声には緊張した色などまるで浮かんでおらず、その点もトップロードとどこか似たような雰囲気を感じさせた。トレセン学園が急遽あてがうこととなったトレーナーであろうに、まるで以前よりトップロードと歩みを共にすることが決められていたかのごとき空気の合い方は見事であった。
未だに口の中で挨拶の言葉を整理している鷹木に先んじて、やはり片桐が返答の第一声を発した。
「どうもよろしく、あぁ、私はドトウの担当の片桐です。トップロードさんとは、走りの練習をちょくちょくやらせてもらってまして。」
「存じております、今後とも良き練習仲間でありたい所ですね。ということは、そちらのトレーナーさんは……」
場に居合わせているのにも関わらず沈黙を続けている鷹木に、話を振る桂崎。こういった対談の場に慣れた相手の様子を見て取るに、ますます鷹木は自らが頼りない存在であるかのように感じ始めていた。
「……鷹木です。オペラオーの担当です。」
「オペラオーの活躍も聞き及んでおりますよ、ついでに彼女の目立ちっぷりもね。」
「はーっはっはっは!当然だとも!このボク、世紀末覇王というものは、何もせずとも威光を振りまき、名を轟かせてしまうものなのだから!」
「ははは……ご覧の通りで。」
相手との間合いを考えぬオペラオーの高笑いに思わずのけぞる桂崎を見て、鷹木は自分がいかに彼女の声量に慣れつつあるかを実感していた。相手は苦笑の中にも爽やかさを覗かせながら言葉を継ぐ。
「彼女ともピッタリ息が合っている様子ですね。自分も、担当ウマ娘とうまくやっていきたいものです。」
「私と合わせるのは難しくないと思うよ、桂崎トレーナー。」
「えぇ、トップロードさんの同期ウマ娘たちと見比べれば、尚更ですな。」
トップロードに返す片桐の答えに鷹木は深く頷きつつ、ウマ娘三名の合同練習にてその朝は過ぎていった。
今の時期に新たなトレーナーが任ぜられたことには、これまでのトップロードの戦績以外にも要因がある。間もなく迫る、皐月賞が当然ながら視野に入れられていた。
中山レース場で行われる重賞競走、クラシック級に上がったウマ娘たちにとって文句なしの大舞台、チャンピオンレース。勝利者が歴史に名を刻むこのレースに出走することでさえ、圧倒的多数のウマ娘にとっては夢物語である。
有力視されていたのは無論アドマイヤベガ、そして弥生賞にて彼女に勝利したトップロード。彼女らに負けず好成績を残していたオペラオーも無論鷹木は出すつもりではいたが、そのためにはゆきやなぎ賞の勝利に、もう一つ戦績を加えねばならないだろう。
しかし、片桐はドトウをその大舞台に向かわせるつもりではないらしかった。
「そ、そんなぁ……わ、私も、オペラオーさんから離されずに走れるだけ、練習してきました……」
「彼女から離されないというだけでは、勝てないんですよ。今必要なのは、レース経験を重ねることです。無茶をして大舞台に勝ち上がろうとすべきじゃありません。」
放課後のオペラオーのトレーニングを、ウマ娘たちの寮の門限ギリギリまで続けた後、ドトウと片桐のそんな会話を鷹木が盗み聞いたのは三月も下旬に差し掛かろうかという頃の日暮れであった。
むろん、片桐もドトウがオペラオー以外のウマ娘たちと、集団でのレース練習に参加できるよう取り計らわなかったわけではない。が、ドトウ最大の難点が、急遽決定されたスケジュールに合わせて行動することが出来ない点であった。
前もって、それこそ一か月前から決められていたスケジュールであれば、それに向けて準備することは出来る。が、前日や当日に突然練習の予定が入るなどすると、狼狽え、慌ててしまうドトウは何がしかのミスやドジを披露して間に合わなくなってしまうのだ。
時には練習用シューズの蹄鉄が外れ、時には待ち合わせ場所を間違え、時には学園外の練習場に向かう途中で迷子になり……。
「ふぇえ、き、きっと、今日の練習をする予定だった方々、怒ってらっしゃいますぅ……」
「心配しないでください、私がスケジュールを勘違いしていたことにしますので。」
「わ、私のせいなのに、片桐さんが悪いことになってしまいますぅ……!」
「なぁに、片桐という男の悪評なんて、既に学園中に知れ渡ってますから。」
片桐が、無理にでも実戦練習を行う相手とスケジュールセッティングをしなくなったのは、そんなドトウが思いもよらぬ苦情を引き受けることになるのを避けるためであったろう。
折角練習の場を約束したのに、当のドトウが現れなければ相手は貴重な時間を無駄にさせられたことになってしまう。学園内の生活において、周囲のウマ娘たちから害意を抱かれることがいかに致命的な結果を招くか、片桐はよく観察し、理解していた。
ゆえにこそ、時と場所を選ばずとも、単なる気まぐれであっても、練習相手を快く引き受けるオペラオーとばかり走ることになってしまっていたわけだが。
ドトウが次に本番の舞台に立ったのは、三月下旬の阪神レース場。レース名も何も付いていない、ただ1勝したウマ娘に出走権が与えられるというレースである。
「い、い、ぃ、行きます……!」
「そう力まないで。ドトウ、あなたにとっての練習こそ、このレースです。いずれ、あなたをGⅠの舞台に立たせるための布石なんですから。」
流石に自らも本番のレースを目前にしたオペラオーは応援に駆けつけることなど出来なかったが、トレーニングの合間にレースの模様はタブレット画面越しに観戦していた。
「こんな小さな画面ではなく、どうして以前のように大きなスクリーンで放映しないんだい?この覇王の宿敵が、今まさに走り出そうとしているのに!」
「仕方ないだろ、一般には放送されない無名レースなんだ。」
タブレット画面に送信されてくる映像は、現地にいる片桐自身が撮影している動画であった。メイクデビューの時と同様に、新米アナウンサーと思しき若い声が実況を響かせている。
〈スタートしました。先頭はリュー、その後にラガーエリート。三番争いはナナヨーベルにヒシアビリティ、1番人気メイショウドトウも並んでいます。〉
オペラオー達の中に居る間は常に自信なさげなドトウであったが、このレースではしっかりと1番人気を得ていた。メイクデビュー戦では二着、その次には一着と、好成績を残すウマ娘であることには違いなかった。
ドトウは先頭のウマ娘を追う形で前方に付けている。その姿は、確かに練習中のオペラオーの背に必死でついていく形と似ていた。
〈直線を抜けて第3コーナーに入ってまいります、順位に大きな変化は無いか。メイショウドトウを追ってタイロバリーが上がって来た、ビッグバリーも上がって現在五番手。リュー、ラガーエリート、ヒシアビリティ、ナナヨーベルが先頭集団となっております。メイショウドトウ抜き返した、三番手にまで上がってきました。〉
「ドトウ、慌てているんじゃないかな?いつものアヤベさんが加速するタイミングで抜かされたから……だが、アヤベさんと同等の脚をもつウマ娘はそう居ない。」
「……そうだな。」
画面を見ながらオペラオーが口にした分析の正確さには今さら驚かず、鷹木は結城トレーナーの言葉を思い返していた。
決まったウマ娘だけを相手にして練習を続けることの弊害が、たった今、このレースで披露されたのだ。コーナーを回り始めたところで順位を争っても、勝ちに直結することはない。
スタミナを無駄に消耗するだけだ……よほどのウマ娘でもない限りは。
〈さぁ第4コーナーを抜けきって最後の直線だ、ここからは上り坂がある!先頭は変わらずリュー、ナナヨーベルとメイショウドトウがその後を追う!大外からタイロバリ―が上がって来た、ビッグバリーも内から来る!〉
先頭に立ち続けた逃げのウマ娘は、おおむね想定通りのスタミナ配分で走って来れたようであった。上り坂に差し掛かっても目立った原則はなく、ゴールを目指して着実に足を運んでいく。
が、二番手、三番手争いを続けていたウマ娘たちは、体力の消耗が目に見えてスピードの伸びを引っ張っていた。ゴール前の上りで減速した集団の中に、メイショウドトウの姿があった。
〈タイロバリ―上がってくる、タイロバリ―が上がってくる!リューに並んで……ほぼ同時にゴールイン!判定は……タイロバリ―です、タイロバリ―が勝利!二着はリュー!三着以降に4バ身の差をつける結果となりました!〉
(周囲に振り回される形になったか。)
鷹木とオペラオーの見つめる画面の向こう側で、四着となったドトウがゴール後のターフを踏みながら減速していく。彼女の耳が自信なさげに寝ているのはいつものことであったが、髪の毛先までも重く垂れさがっていたのは同時に振り始めた雨粒ばかりが原因ではあるまい。
タブレットを掲げて撮影を続けていた片桐の手が、まるで震えていないことに鷹木が気付いたのは、画面の向こうの彼から話しかけられた時のことであった。
〈いやぁ、結城トレーナーの仰る通りだった、という感じですな。〉
「えぇ、とはいえ四着ですし……。」
「ドトウは良い走りだったが片桐トレーナー!彼女の底力はこんなものではないだろう!何といっても、この覇王に匹敵する脚の持ち主なんだから!」
〈はは、ですね。〉
曖昧な返答をした片桐の表情は、画面にハッキリ映らず見えない。
徐々に強まりつつある雨脚が、通信を終了する直前の画面を雨滴で濡らした。