ウマ娘たちの授業時間が終わってすぐの時間に鷹木はトレーニング設備の利用予約を取っていたのだが、メイショウドトウからの並走練習を引き受けたテイエムオペラオーの決断によってそれは無に帰した。
「トレーニング機器の使用許可を得るには一週間前からの予約が必要だったんだぞ、特に今の時期は……」
「大変だったろうね、ご苦労!」
世紀末覇王を自称するウマ娘によって、愚痴を一蹴されたトレーナーは口を噤んだ。
徐々に日が長くなってくる時期、傾きつつあるとはいえ暮れる色には程遠い陽光を浴びて、ドトウは片桐トレーナーに連れられ練習場で待っていた。
「きょ、今日も、よ、よろしく、お願いしますぅ……あの、毎度、付き合っていただいて、申し訳ないですぅ……」
「何を言うんだドトウ、キミからの誘いを断るわけなど無いじゃないか!さぁ、共に駆けよう!あのジューノーの二羽の白鳥のように!」
間もなく、彼女らは並んで蹄の音を響かせながら走り出す。ストップウォッチを手にその様子を見つめている片桐から、独り言とも取れる呟きを鷹木は聞かされていた。
「ふむ……やっぱり、速くなっている……」
「レース本番と比べて、ですか。」
「見ているだけでも分かりますか?えぇ、先日のレースと比べても、格段に速いペースで走れています。」
厳密なタイムを計っている片桐でなくとも、今走っているドトウの脚は目に見えて速くなっていた。それこそ、四着という結果に終わったあのレースにおいても発揮できていれば、十分に勝利が狙えるほどに。
それは幾度も繰り返したオペラオーとの並走に慣れているためかとも思われた。
「やはり、先を走ってもらってペースを作ってもらえるというのは、楽なんですな。」
「確かに、走りやすくなっていそうな感じはありますね。」
「しかし……あぁ、確かに、結城トレーナーに言われた通りだ。これでは勝てない。」
練習用コースのゴールを、オペラオーの背をピタリと追う形で駆け抜けるメイショウドトウ。鷹木と片桐、二人のトレーナーにとっては幾度も繰り返し見慣れた光景である。
きっちり全力を出して走ったのだろう、オペラオーもドトウも並んで共に歩きながら声が出せないほどに息を切らしている。
「ドトウには、今度の練習でこそオペラオーを追い越せと伝えたんですよ。」
最終直線での粘りを見た時、そうではないかと鷹木も察していた。ドトウの表情には目に見えて力みが浮かび、焦りに追い立てられるかのごとく蹄鉄の下の地面を蹴り出していた。
……が、スタミナの配分に変化が無い以上、ラストスパートで維持できる速度には変わらぬ限度がある。
「はぁ……はぁ……やっぱり、オペラオーさん、速いですぅ……」
「ドトウも……ぜぇ、はぁ……日々輝きを増しているボクに、ついて来れるのは、素晴らしいよ……!」
「ともあれ、並走練習ありがとうございました。また、お願いさせていただきますね。」
タイムの記録を行いつつ、ドトウを連れて去っていく片桐の背を視線で追う鷹木。担当ウマ娘が伸び悩む壁にぶつかった際、自分がどれほどの焦りや無力感に苛まれるだろうかと考えれば、片桐の落ち着いた振る舞いには脱帽するばかりであった。
見る間にトレセン学園の迎える朝は温かさを増していき、四月が訪れる。
いよいよ間近に控えるは、皐月賞。『皐月』は五月を意味する言葉ではあるが、実際に五月に行われた例は30年ほど前の開催が最後となっている。
毎度わざわざレースへの意気込みを言及することのないオペラオーも、日々のトレーニングに熱意を込めるようになっていた。が、ある朝、彼女の姿は練習場に無かった。
新たな年度の開始とともに、入学してきたウマ娘たちの姿も増え、早朝の練習場は混雑気味ではあった。にしても、毎度毎度歌声や高笑いの主として目立っているオペラオーが紛れてしまうことは考えにくい。
「またどこ行ったんだよ、あいつ……。」
キョロキョロと担当ウマ娘の姿を探し求めている鷹木の顔も、既に目立ちたがり屋のオペラオーのおかげで新入学のウマ娘たちに対しても知れ渡っている。
それゆえに、黒鹿毛の髪を刺々しく逆立て、眉ピアスを埋め込んだ下に鋭い目つきを光らせ、ガラの悪そうなウマ娘が話しかけてきた時は、無用なトラブルに巻き込まれてしまったかと鷹木はつい警戒したのであった。
「おい。」
「な、なんです……なんだ?」
相手の雰囲気にのまれてつい敬語を発してしまった鷹木であったが、一応この場はトレセン学園であり、自分はトレーナーという立場である事を思い出して言い直す。
「お前、テイエムオペラオーのトレーナーだろ。」
必死で平静を装っていた鷹木の脳内では、次に何を言われるのかの予測が全力で行われていた。
無駄に目立っているオペラオーが目障りだと因縁をつけに来たのか、それともチーム未所属のウマ娘に対して圧を掛けるよう、チームトレーナーから送り込まれた鉄砲玉か……。
無用な警戒を続けている鷹木に対し、目つきの悪いウマ娘は有用な情報を伝えに来たに過ぎなかったのだが。
「あっち。三女神像の所にいたぞ。」
鷹木を案内する彼女を改めて見てみれば、身長はそこそこあるものの細身で、ウマ娘の中では小柄な部類であった。それに、着込んでいる体操用ジャージがいかにも新品であることから、今年入学してきたばかりのウマ娘であることは明らかだった。
が、先ほど一声掛けてきた際の威圧感は尋常のものではない。いずれ大舞台に立つウマ娘たちの中には、どこか普通ではない空気を纏っている者がいるが……目の前をスタスタと歩いていくこの子も、そういった部類のウマ娘であろうかと鷹木は訝しんだ。
三女神像はトレセン学園の中心部、後者に囲まれた中庭のちょうど真ん中に立っている像である。
トレセン学園の中庭にはトレーニング設備などなく、練習の空気からはかけ離れた場所である。本来トレーナー達が立ち入ることはなく、休憩時間中のウマ娘たちがしばし鍛錬の厳しさを忘れる憩いの場として機能していた。
目つきの悪いウマ娘が、どこか腑に落ちない表情をしていた理由は即座に判明した。三女神像を取り囲むように、ナリタトップロード、アドマイヤベガがじっと立ち尽くしていたのである。テイエムオペラオーもその場に居合わせていたが、彼女に関しては静かなわけでは無かった。
一名の新入生ウマ娘を相手に、朗々と歌を披露していたのだから。
「はーっはっはっは!始めようか!最高のSchool Life!」
「ひょおぉぅう!ありがたやありがたやぁ!我が学園生活が最高のスタートを切りましたぞぉ!」
「お待たせしたね!ごきげんよう!」
「ごきげんよぉぅう!」
「そうさ、真の本命の登場さ!」
「天地開闢!本の命!!」
オペラオーがやかましく歌を響かせているところに、わざわざ寄って行って共に盛り上がるウマ娘が居るなどとは鷹木も予測し得なかったが……その大きなリボンを頭頂部に付けた特徴的な姿には、どこか見覚えがあった。
その名を思い出すより先に、目つきの悪いウマ娘が彼女の名を呼んだが。
「おい……おい!デジタル!うるせェぞ。」
「はっ!そ、そうでしたぁ、私としたことが!遂に学園内にて直接お会いできたというのに、オペラオーさんのご様子がおかしかったから助けを呼びに行っていただいてたんでした!」
歌うオペラオーの前でトランス状態にも達そうかとしていたアグネスデジタルであったが、目つきの悪いウマ娘から掛けられた声で一気に理性を取り戻したようであった。
当事者であったはずにもかかわらず、そういった因果関係を初めて把握したかのようにオペラオー自身も目を丸くしていたが。
「なんと!このボクを心配してくれたのかい?」
「オペラオーがおかしいのはいつものことだが……ふたりとも済まないね、入学早々に妙なものに付き合わせてしまって。」
「いえいえ!この学園の先輩方は皆等しく尊き宝のような存在ですから!」
昨年の有馬記念の中継観戦時の経験から、このアグネスデジタルというウマ娘もまぁまぁ普通ではないことを鷹木はよく知っていたが、オペラオーとは違う方向でこちらの話と噛み合わない相手であることを改めて実感した。
一方、目つきの悪いウマ娘は彼女と同調することもなく、変わらず三女神像の前に居るアドマイヤベガやトップロードに視線を注ぎながら口を開く。
「こっちは気になっちまって仕方なかったんだ、女神像の前で、ウマ娘の先輩たちがボーッと突っ立ってて……ロジカルな行動じゃねェ。」
「うん?そんなことをボクたちはしていたのかい?おや、アヤベさん、それにトップロードもいるじゃないか!」
今まさに気付いたかのように、同級生の存在に驚いて見せるオペラオー。常に仕草が芝居がかっている彼女ゆえ、その驚きが演技か否かは判断の付かぬところではあったが。
オペラオーの声に呼び戻されるかのごとく、アドマイヤベガもナリタトップロードも顔をこちらに向ける。緩み切った表情は、まるで寝起きのような印象を与えた。
「あれ……?私は、何を?」
「……奇妙ね。誰かに呼ばれたような気がして、三女神像の近くに来たんだけれど。」
「おや!奇遇だね、ボクも同様なんだ!ここに来る用事は無かったんだが、気が付けばこちらのデジタルくんの前で歌を披露していた!」
その理屈はいずれも明らかなものでは無かったが、テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロードの三名ともに、何故か三女神像のもとに呼び寄せられたことは同様であったらしかった。
状況を不気味がったのか、そしてあのオペラオーと同様の感覚を抱いてしまったことに抵抗を覚えたのか、アドマイヤベガは眉間にうっすらと皺を刻みながらこの場をそそくさと離れていく。その背後には、相変わらず彼女の美しさを讃える言葉を垂れ流しながらオペラオーが付きまとっていたが。
トップロードはと言えば、その社交性を早くも発揮して新入生たちに話しかけていた。
「春の陽気に、うたた寝をしてしまったのかもね。心配させて済まない、君の名前はアグネスデジタルだったね、覚えているよ。」
「ひょぉぉう!?わ、私なんぞの名を覚えていただけていた!?あんまり尊きイベントを連発しないでください、今日が私の命日になりますよ!?」
「あはは、相変わらず独特だね。それから、君にも心配をかけてしまったようだね。差し支えなければ、名前を教えてもらえるかな?」
「……エアシャカール。しばらく放っといてくれるか。」
逆立てた黒鹿毛をなびかせ、既にその場には背を向けているエアシャカール。しかし、新入生となれば、今の時期は基礎的なトレーニングのため早朝の時間を無駄には出来ないはずである。
鷹木は彼女の背に声をかける。
「おい、練習場はあっちだぞ。授業が始まるまでの間に、早朝の自主練は……」
「うるせェ。」
「……はい。」
やはり相手に気圧されるように黙らされてしまった鷹木に、トップロードは挨拶代わりの会釈を送って颯爽と立ち去っていく。アグネスデジタルはと見れば、早くも興味の対象をオペラオーに戻していたのか、アドマイヤベガを追う彼女を追うような形で小走りに向かっていく。
テイエムオペラオー、入学二年目のトレセン学園。この年も、また個性的なウマ娘たちが蹄鉄の音を響かせ始めていた。