覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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皐月賞でなぜ勝てたのか分からぬままであっても、次なる大舞台の本番は容赦なく訪れる。未だに勝ちへの道が見いだせずにいる若手トレーナーの悩みを置いて、テイエムオペラオーは東京優駿へと赴きます。


玉座への道なお険しく 東京優駿

 担当ウマ娘が余裕の気を常に纏っているのとは対照的に、トレーナーたる鷹木には寝不足の日々が続いていた。

 

 無論、皐月賞にて勝利を華々しく飾り、クラシック路線としては最高の追い風を得たテイエムオペラオーが目指すは、言わずもがな東京優駿である。

 

 今のところ彼女に対し、自分がトレーナーらしい助言を何一つ与えられていないことを自覚している鷹木は、それでもなお次なる大舞台への対策を幾許でも見出せぬかと模索を続けていた。

 

 例えば先日の皐月賞では、1番人気のアドマイヤベガが最終直線で先頭争いにすら加われぬという異例の事態となったわけだが、それはひとえに前年度の勝ちウマ娘、セイウンスカイにあやかろうとした選手の多さが引き起こした結果である。

 

 逃げ、先行の走りで勝負に出ようとしたウマ娘があまりにも多く、アドマイヤベガは前を塞がれて先頭へと上がっていけなかったのだ。

 

 ゆえに、次なる東京優駿においても、過年度の勝ち方を参考にしようとする選手が現れることは予測できたのだが……。

 

「ダメだ、参考になるはずがない。」

 

 片桐やドトウと共に観客席から見つめていたそのレースの光景は、今なお鮮明に脳裏へ焼き付いている。

 

 最終直線、いくら手足をバタつかせようとも逃げ切れぬ悪夢のごとき加速で、スペシャルウィークが上がってくる。競うという表現は、そこに全く当てはまらなかった。ウマ娘たちが、化け物を見送るばかりであった。

 

 二着との差、五バ身……。

 

「次こそ、勝ちを獲りに来るだろうな……アドマイヤベガ。」

 

 黄金世代を華やかに飾るウマ娘たち、サンデーサイレンスの血統。その次代に舞い降りたアドマイヤベガの存在は、どうしても鷹木の中でスペシャルウィークと重なりあってしまうのだった。

 

 ナリタトップロードとの並走練習は時折行えたものの、アドマイヤベガとの並練習はなかなか実現出来なかった。

 

 アドマイヤベガを担当している結城トレーナーがオペラオーやトップロードの存在を軽視しているはずはなかったが、本番でぶつかることとなるウマ娘との走りに慣れてしまうことを避けるためではないかとも思われた。

 

 何が起こるのか分からないのが、レース本番というものである。先の皐月賞然り、定石通りの走りをすれば、あるいは練習時に相手を制した走り方が実現できれば、勝てるなどという単純な論理は通用しない。

 

 「いつも通り」を阻害する要因が、大舞台にはこれでもかとばかりに詰め込まれているのだから。

 

 鷹木のその考えにより強い確信を与えたのは、メイショウドトウが出走した香港ジョッキークラブトロフィーの結果である。

 

 メイショウドトウが以前のレースで敗れたタイロバリ―も出走しているこのレースで、ドトウは6番人気であった。1番人気のウマ娘はハナにたち、終始レースをリードし続けているかのように思われた。

 

 かいどう賞と同様、ドトウは中団後方でおとなしく足をため、最終直線のスパートにも十分なスタミナを残していた。彼女の走りだけで見れば、何ら拙い点は見出されなかった。

 

 が、最終直線に入ると同時に、ドトウと同様に後方で待っていたウマ娘たちが一斉に駆け上がり始めた。ドトウも負けじと先頭を目指すが、実力の拮抗した者同士が出走しているのがレースというものである。

 

 先頭を走っていた1番人気のウマ娘も、あっという間に集団の中へ飲み込まれる。

 

〈エイシンサンルイス下がっていく!シルバーサーベル粘っているが苦しいか!バクシンヒーローが三番手、先頭はオースミリンド、外からマイシーズン上がって来た!内を突いてタカノビッグワン、後ろからブゼンキャンドルも来た、メイショウドトウがぴったり付けている!〉

 

 白熱する最終直線、前に出られるのは当然のことながら前方を塞がれなかったウマ娘だけ。

 

 団子状態となって一塊でゴール板を目指す集団の中、メイショウドトウはスタミナに余裕を残しながらも、抜け出す道を見出せぬままもどかしく足掻いていた。既に2番人気、3番人気のウマ娘はドトウの背後で、これまたバ群に絡めとられている。

 

〈マイシーズンが先頭だ、マイシーズン……いま一着でゴールイン!二着はオースミリンド、三着シルバーサーベル!1番人気、エイシンサンルイスは四着!混戦となりました、上位三着に人気度トップ3の姿は無し!〉

 

 集団に呑まれたままゴールしたメイショウドトウは八着であった。

 

 力不足によってではなく、最終の立ち回りで前を阻まれる形の、もどかしい敗北。普段はおどおどした言動が目立つものの、決して闘争心が弱いわけではないドトウは、映像の中で前髪の被さった顔を俯けたまま退場していった。

 

 一般のニュースでは放映されないレース展開を、片桐の録画してきたデータで見終えた鷹木の表情は尚のこと曇っていた。

 

 タブレットを片桐に返却しながら、鷹木は自らにも言い聞かせるように呟く。

 

「……本当に、本番では何が起きるか分からないものですね。」

 

「とはいえ、オペラオーの場合は心配する要因に当たらないと思いますがねぇ。あの子は、攻め所を見誤るタイプじゃないでしょう、天性の勘という奴のおかげで。」

 

「勘に頼るタイプが、トレーナーとしては一番手の出せないウマ娘なわけですが。」

 

 血統に裏打ちされた、優れた脚で先頭を奪い去るアドマイヤベガ。

 

 本番の真っ最中にも冷静に彼我の状況を分析し、堅実に勝ちに行くナリタトップロード。

 

 走り方はその場の気分次第、スタミナ配分も勘頼り、無茶としか思えないコース取り、勝てた理由が分からないテイエムオペラオー。

 

 勝てている内は良いが、困るのは勝てなくなってからだ。なぜ勝てているのか分からない以上、勝てなくなった理由も傍から見ているトレーナーには判断できない。もちろん、おそらくウマ娘自身にも。

 

 鷹木はオペラオーに幾度となく問い質した。体力回復を兼ねた走りの研究トレーニングにて、視聴覚室にて過去の様々なレース映像を確認しながら。

 

「お前は、どんな展開が苦手だと感じる?前が詰まったときか、それとも外側を塞がれたときか……」

 

「ボクは常に完璧さ!どのようなレースであれ等しく、この覇王の輝きをいや増すための舞台なのだからね!はーっはっはっは!」

 

 彼女の目には、どのレース映像の中にも見事に勝利している自分自身が紛れ込んでいるらしかった。あのスペシャルウィークが異次元の走りを見せつけた昨年度のレースにおいてさえ。

 

 鷹木がひとり不安の中で足掻き、思案が空回りする日々は飛ぶように去っていき、東京優駿の日はあっという間に訪れた。

 

 トレーナーが担当ウマ娘に要らぬ心配を掛けてはならぬ、と前日の準備は早めに済ませた鷹木は睡眠も十分であり、いよいよのことながら彼の不安など知る由もないオペラオーは陽気に歌を口ずさみながら二か月ぶりの中山レース場へと入っていく。

 

 出走登録確認も、出走前準備も恙無く済み、悉くは順調にレース本番が迫りくる。

 

 あと数分も経てば開始されるレース内容を占う予兆など、あるはずもない。何に対して祈ったこともない鷹木であったが、余りにも縋りつく先のない現状は、彼の精神を自身の焦燥感で削らんばかりであった。

 

 府中レース場に、ファンファーレが響き渡る。

 

 東京優駿、日本ダービー。昨年は大混雑の中、メイショウドトウと並んで観客席から見つめていたこのレースに、今、テイエムオペラオーは出走しようとしている。

 

 担当トレーナーたる鷹木にとっては、孤独な大舞台であった。ウマ娘を送り出してからは、彼女らの走りをただ祈りながら見つめるしかない。出走ウマ娘に何か不都合が起きた時はトレーナーの出番であるが、そのような事態はそも起きるべきではない。

 

 観客からも、他の出走ウマ娘のトレーナーからも隔離され、個人用のブースでただ手を合わせ、あるいは腕組みし、あるいは席に座らずウロウロし続け……。

 

 鷹木ほど落ち着きなく、焦燥に駆り立てられていたトレーナーも他に居なかったろう。

 

 彼は全くの小人物であった。彼がオペラオーを日本ダービーに連れて来たのではなく、彼がオペラオーに連れてこられたのだった。

 

〈さぁ、三番人気のウマ娘を紹介しましょう、テイエムオペラオー!〉

 

 それゆえに、アナウンサーの声がオペラオーの名を紹介した時、まるで状況を落ち着いて把握することのできていなかった鷹木は、あまりに唐突にアナウンスが開始されたかのように感じたのであった。

 

 慌ててパドックを映し出しているスクリーンに視線を向ける鷹木。彼がそれを見ることと、レースの結果には何らの因果関係も無かったが。

 

〈皐月賞を制し、今もっとも勢いに乗っているウマ娘です。他の人気選手との熱戦も期待されるところ……おぉっと、ポーズを決めて……ファンサービスも常に忘れませんね、こういったところも彼女が人気たるゆえんでしょうか。〉

 

 画面の中では、やはり歌い続けているのだろうオペラオーが優美な振り付けを披露しては観客席からの喝采を得ている。

 

 この大舞台の重圧の中、そのように余裕を持った彼女の振る舞いを映し出されている様は、鷹木の眼から録画か何かのように見えていた。

 

 パドックでの紹介からゲートインまで、レース準備はあっけなく進行していく。いずれのウマ娘も本命の本番で失態を晒さぬようにしているのだから、当然のことではあるが。

 

 今まで長い時間をかけて積み重ねてきたトレーニングの成果が、たった数分で示される。

 

 あまりに厳然と勝敗を切り分ける世界に、いずれも劣らぬ輝き放つ彼女らは飛び込んでいくのだ。

 

〈日本ダービー、今スタートが切られました!あぁっと、ノーザンカピタン立ち遅れました、先頭はワンダーファング、マイネルタンゴが二番手。外からマルブツオペラ、そしてタイクラッシャーが追う形。インコースをブラックタキシード、テイエムオペラオーは丁度中団といったところ。〉

 

 今回のオペラオーの走りは、スタートの瞬間に破裂しそうになった鷹木の心臓を多少はなだめてくれた。

 

 中団、練習で幾度も繰り返した先行のペースを発揮できる位置取りだった。やや外側を走っているのも、コースのイン側で集団に押し込まれ抜け出せなくなる状況を回避しやすい。

 

 むしろ、今は何よりも、トップロードの走りが意外であった。

 

 いつもオペラオーよりも先、逃げ寄りの戦法をとるナリタトップロードが、今はアドマイヤベガとほぼ同じ追い込み寄りの後方に居たのだ。

 

〈2番人気のアドマイヤベガ、思い切って最後方まで下げています。1番人気ナリタトップロードはその少し前を行くところ、この判断が吉と出るか。マイネルシアター後方から五、六番手、内側にロサード、出遅れたノーザンカピタンも後方二番手にまで上がってきました。ワンダーファングが逃げている、向こう正面に入ります。〉

 

 東京優駿のコースは、1コーナーから2コーナー、向こう正面の途中まで緩やかな下りが続く。

 

 上り坂となるのは、向こう正面の中央あたり、そして4コーナーを抜けた後の直線の入り口。距離によっても上り坂によってもスタミナを削られたうえで、さらに数百メートルの直線を駆け続けられるだけのスパートを実現しない限り、勝ち目はない。

 

 アドマイヤベガはもとより優れた末脚を有するウマ娘であったが、トップロードは自身のペース配分を慎重に見極めるウマ娘である。今回のコースから、スタミナに余裕を残して勝てると判断した結果が、追い込み寄りの走りなのだろう。

 

 あるいは、桂崎トレーナーと話し合った結果かもしれない……オペラオーに何ら実のある助言を出来ずじまいであった鷹木は、そう考えずにはいられなかった。

 

〈マイネルタンゴ、ちょっと掛かり気味か。ヤマニンアクロ、ブラックタキシードが続く。後ろにマルブツオペラ、そのウチにタイクラッシャーという順であります。縦長の展開になりました、三バ身ほど離れましてペインテドブラック、テイエムオペラオーと並んでいます。ナリタトップロードは徐々に前に進もうというところか、中団後方です。〉

 

 アドマイヤベガは後方で抑えたままであったが、向こう正面の坂を上り切った辺りからトップロードが上がり始めた。

 

 スタミナを浪費しかねない箇所を抑えて走り抜けた後、常から得意とする先行寄りの走りへ移行しようとしているのではないか。鷹木はそう考えながらオペラオーから目を離さない。

 

 オペラオーもまた、コーナーに差し掛かった辺りから加速し始めていた。もちろん、アドマイヤベガも。

 

〈ワンダーファング、マイネルタンゴ、ヤマニンアクロが先頭で逃げていく、これを追う形で各バ固まってまいりました。テイエムオペラオー外から上がって来た、ナリタトップロードはさらにその外から!さぁ後ろからアドマイヤベガが上がって来るぞ!〉

 

 オペラオーは、おおむね理想的な走りをしてきたように見えた。最初に鷹木が見て取った通り、レーン外側へスムーズに出られたテイエムオペラオーはそのまま集団に巻き込まれることなく加速し始める。先行寄りの位置に付けていたため、無理なスパートも求められない。

 

 皐月賞とはまるで異なる、安定感。鷹木自身も、仮に指示を出すならばこのような走りを指定しただろうと考えながら、最終直線へと入っていくウマ娘たちから目を離せずにいた。

 

 気分屋のオペラオーとは異なり、おそらくは意図的にいつもと違う走法を選択したのだろうトップロードの存在が不気味であった。

 

〈最後の直線に入りました!横一線に広がってまいりました、ウチからブラックタキシードが先頭に食らいつこうとするところ、しかし大外から上がって来たのがテイエムオペラオー!一気に先頭に立つか、オースミブライトも後方から上がってくる、その外からナリタトップロード!さらに外からアドマイヤベガが来た!〉

 

 最終直線に入ったところの上り坂で、他のウマ娘たちは続々と失速していく。

 

 その中でもまるで減速することなく、あっという間に先頭を奪い去ったのは三名のウマ娘であった。

 

 すなわちテイエムオペラオー、ナリタトップロード、そしてアドマイヤベガ。

 

〈先を行くテイエムオペラオー!ナリタトップロードが並んだ、大外からアドマイヤ、外からアドマイヤベガ!〉

 

 他のウマ娘たちと何ら変わりないペース配分で走り、なおもラストスパートに鈍りの見られないテイエムオペラオーは、確かに並みならぬ能力を有したウマ娘であった。

 

 が、坂を上りきり、ゴールまで続く直線で……彼女を捉えたのはナリタトップロードであった。いつもと全く異なる走り方を、意図的に選択した結果がそこに現れていたのだった。

 

(明らかに、トップロードの方が加速が伸びている……!)

 

 今回のオペラオーの走りには、足りぬ点がまるで見いだせなかった。

 

 そのオペラオーを抜き去り、さらに加速していくトップロードを、完全に思考停止した鷹木は目で追うばかりであった。

 

 そのさらに外側から翔ってきた、アドマイヤベガをも。彼女の末脚は次元が違った。

 

〈先頭ナリタトップロード!先頭ナリタトップロード!外からアドマイヤ、外からアドマイヤベガ!テイエムオペラオーとの間、ナリタトップロードが先頭!アドマイヤベガが食らいつく!〉

 

 東京優駿の大舞台、熱狂の渦中に、この三名は居た。

 

 熱にうなされながら夢を見ているような目で、鷹木はアドマイヤベガの表情があまりにも晴れ渡っているのを見た。いつも眉を顰めたり、相手を鋭く睨みつけたりするのが常である彼女のあの眼が、その時はいっぱいに開かれ、輝きを湛えていた。

 

 観客席の大喧噪は、彼女たちに届いていなかったろう。互いに拮抗する脚を揃え、三名で横に並び、真っ直ぐにゴールを目指す彼女たちには。

 

 栄光に向かって、夢を抱いて駆ける。

 

 この一瞬のためならば、ウマ娘たちは命の全てを懸けるだろう。

 

〈アドマイヤだぁぁあーーっ!アドマイヤベガです!勝ちましたアドマイヤベガ!東京優駿、輝く一等星に!アドマイヤベガ!!〉

 

 実況の声も、割れんばかりの大歓声に埋もれて所々は聞こえない。暫くしてから鷹木は呼吸を忘れていたことに気づき、彼の喉からは枯れ木の洞を通り抜ける風のような音が漏れ出した。

 

〈いやぁ……最後の末脚、ナリタトップロードも懸命でしたが、その強さ、見せつけてくれましたアドマイヤベガ!やはり最後はこの三名でした、二着はナリタトップロード!三着テイエムオペラオー!〉

 

 他のウマ娘集団に先駆けてゴールし終えた三名は、互いに息を切らして並走しながら近寄っていく。いつもはオペラオーから離れようとし続けるアドマイヤベガも、走り切った興奮で紅潮させた顔をそのままに、肩を並べて観客席の前を通り過ぎていく。

 

〈……今回のアドマイヤベガのタイムは、9年前、アイネスフウジンの打ち立てたダービーレコードとタイです。皐月賞では振るわなかったアドマイヤベガ、日本ダービーで立て直してきました。17万の大歓声を浴び、アドマイヤベガがテイエムオペラオー、ナリタトップロードと共にウイニングライブの舞台へと向かいます。〉

 

 ようやくいつもの澄ました表情を取り戻したアドマイヤベガが……その上気した頬の色はすぐ変わるわけでもなかったが……スタスタと歩いていく背後、トップロードが爽やかな笑顔で、オペラオーが朗々と響く高笑いで観客たちの呼び声に応えている。

 

 昨年は黄金世代をど真ん中で牽引するスペシャルウィークが制した、日本ダービー。その黄金世代を継ぐ代の三名は、輝くターフの上に並んで歩んでいく。

 

 彼女らの笑みは眩いものであったが、やはり今の敗北に十分な分析材料を見出せなかった鷹木の表情は、曇ったままであった。

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