黄金世代最強ウマ娘、スペシャルウィーク。彼女が京都大賞典にて七着という結果に終わった一報は、むろんトレセン学園内においても激震とともに伝わった。
自らの出走するレースを翌週に控えてトレーニングに励んでいたメイショウドトウも、練習場に入ってきたテイエムオペラオーに慌てて寄っていき、レース本番での様子を聞きたがった。
「あ、あ、あのスペシャルウィークさんが七着だなんて、一体、何があったんですかぁ……!」
「ボクにもよく分からなかった!この覇王ともあろう者が、ゴールを前にして上がっていかない彼女を目の前に、焦り動揺してしまったよ!」
「たしかに、私も中継で見てましたけどぉ……オペラオーさん、随分と慌ててゴールに突っ込んでいったように見えましたぁ……。」
「その通りだ、ドトウ!ボクは大慌てだった、結局、勝利には手が届かなかったね!だが、あの皇帝シンボリルドルフの系譜ツルマルにも、美しさでは負けていなかったろう!はーっはっはっは!」
自らの敗北を報告しているとは思えないほど、朗らかに、かつハイテンションでドトウからのインタビューに応じるオペラオー。
既にこのウマ娘の心理状態を推し量ることもすっかり諦めていた鷹木であったが、わずかでも担当トレーナーとしての務めを果たすため、彼女の口ぶりを注意深く聞き取る癖だけは抜けていなかった。
「今、分からな『かった』って言ったよな……今なら、分かるのか?スペシャルウィークの不調の理由が。」
「あぁ、実に単純さ。彼女は、体が重かった。最初は気のせいかとも思ったけれど、今にして思い返せば最初からしっかりとボクの目には見えていたはずだった!そうさ、スペシャルウィーク先輩は太り気味だったんだ!」
「え、え、えぇ~……!?で、ですけどぉ、あの大舞台を前にして、そんなシンプルな調整ミスなんて、まさか……。」
ドトウは面食らい、目を白黒させている。たしかに傍で聞いている鷹木にも意外に受け止められる理由ではあったが、ドトウの驚きっぷりは少々過剰にも思えるほどのものであった。
たしかに、彼女はオペラオーにとって理想の聞き手であるのだろうと思われる一幕だった。
「そうとも!まさか、だよ!スペ先輩が多少恰幅良く見えたとしても、それはひとえに彼女の貫禄、強者のオーラがそう見せているに過ぎない、と信じてしまったんだよ!ボクはね!」
「きっと、ほかのウマ娘たちもだろうな。スペシャルウィークをマークしていたのは、お前だけじゃなかった。他の選手たちも、軒並み最終直線でのスパートが大幅に遅れていた。」
「あぁ、なんということだ、覇王を目指すボクが、スペ先輩の強大さに呑まれ、正確な観察眼を曇らせてしまうとは!これは重大な反省点だね、はーっはっはっは!」
笑っている場合ではなかったが、その高笑いを響かせつつもさっそくトレーニングへと取り掛かろうとしているオペラオーは既に次の勝利を視野に入れていた。
彼女の発言に面食らってはいたものの、同じくトレーニング再開したドトウも同様であったろう。
「前評判に惑わされず、自分に出来ること、精一杯に……」
その翌週に行われた、京都レース場の嵯峨野特別。メイショウドトウの姿は、4番人気として紹介されていた。
1番人気と2番人気のウマ娘は、いずれもノーザンテーストの血統を引く選手である。本番を前にして引き締まった表情を見せる彼女らと比べると、パドックにおいてはオドオドして見えるドトウはいかにも自信なさげに見えた。
「彼女は緊張しやすいからね。だが!闘争心は他の誰にも劣らない!このボクと並走練習を重ねる都度、驚異的な執念で食らいついてきただろう?」
トレーニングを中断し、鷹木が構えるタブレットの画面をのぞき込んだオペラオーは、担当トレーナーの耳元に顔を近づけていることなどお構いもなく朗々と言い放った。
レースのスタートラインを前にする時、メイショウドトウの胸奥には鬨の声が上がるのだ。
彼女自身がそう表現したわけではなかったが、走り出す直前、一気に自らの気力を奮い立たせる様を傍から見るにつけても、そう感じる他なかった。
ドトウが冠する、名将の誉れに偽り無し。
〈各バ一斉にスタートしました。先頭はハリアップスキー、続いて3番人気トニージャスティ、その外側にサンライズヒーローが並びます。続きましてはメイショウドトウ、ウチをついてハリケンキング。〉
嵯峨野特別は、京都レース場の芝、右回り2000mの内回りコース。
先週オペラオーが走った京都大賞典も京都レース場の右回りではあったが、あちらは距離が2400m、直線も長い外回りコースであり勝手は違ってくる。
〈さっそく第1コーナーに入りまして先頭は変わらずハリアップスキー、トニージャスティが続きます。おっとここでメイショウドトウが二番手に並んだ、サンライズヒーローがその後ろ。追いかけるはラモーダバンブー、1番人気ワールドナウがその外につけている。〉
「ドトウ、今回はかなり前に出ているね。」
「ほとんど逃げみたいな走りだな。」
スタート地点から最初のコーナーまでの直線は、わずか308.7m。外枠で出走したウマ娘たちはそのままに大外回りを強いられるため、内枠で出走するほうが有利ではある。
しかし、内側を走っていれば前と外側を塞がれ、バ群から抜け出せない状況にも陥る。
短い直線では勝負を狙えないゆえ、距離の不利を承知でコーナーの外側を走るか、ブロックされるリスクを抱えながらも集団の間から抜け出すか、ウマ娘の技量が問われるレースでもあるのだ。
そんな状況下で、ドトウが選んだのはほぼ逃げ寄りの先行策であった。
〈向こう正面に入りまして、先頭ハリアップスキー、続いてはメイショウドトウ、トニージャスティを抜いて現在二番手。続くサンライズヒーローの後にはワールドナウ、ラモーダバンブー、ハリケンキングが並んでおります。2番人気バイオレットパールは中団後方で足をためている。〉
今まで差し寄りの作戦をとっていたドトウであったが、コーナー攻略が勝敗を分けるこのレース、最終コーナーにおける攻防は特に熾烈を極めるであろう。
ドトウもレース中であれば他のウマ娘に勝利を譲るまいとする闘争心を十分に滾らせてはいたのだが、それでもあえてバ群に巻き込まれるリスクを取るメリットは薄い。
「なるほど、ドトウは賢いね。こんなにも直線が短いのなら、もとよりコーナーで競り合わないのが賢明だ。」
「あとは、慣れてない走り方でバテないかが心配だが……。」
彼女にほぼ逃げとも称せる作戦を取らせたのは、片桐の策であろうと鷹木は考えていた。そして、彼が指示したのであれば、相応の勝算があるのだろうとも。
〈さぁ第3コーナーを回りまして、間もなく勝負所!先頭からの順位は変わらず、ハリアップスキー、メイショウドトウ、トニージャスティ。後ろからダイナミックウィン、外を回ってタヤスキチジツが上がってまいりました、ハリケンキング、ラモーダバンブーも粘っている、1番人気ワールドナウ、集団の中でもがいているか!間もなく最終コーナーへ入ります!〉
レース展開は、大方の予想通りであった。すなわち、最終コーナーに差し掛かるあたりで、前へ出ようとするウマ娘たちが一気に上がってきたのだ。
コーナーを抜ければ、ゴールまでの直線は勝利を決めるには短すぎる。ここで外側に膨らむコースを取ってしまえば、ほとんど勝利は逃したも同然だ。先頭のウマ娘にピッタリとついていく形で走り続けていたドトウは、集団に巻き込まれることなく一気に前へ出ることが叶った。
「素晴らしいよ!ドトウ!さぁ、あとは栄光に向かって走りきるだけだ!!」
「相手は画面の向こうなんだから、聞こえてないって。デカい声を出すな、鼓膜がやられる。」
そして、彼女を脅かすウマ娘は、コースの内側を突くように上がってきたのである。
〈さぁ最後の直線は短いぞ、真っ先に飛び出したのはメイショウドトウ!伸びる、伸びる、トニージャスティを突き放して一気に先頭だ!ウチからバイオレットパール!ウチからバイオレットパールが上がってきた!〉
逃げのウマ娘が最も警戒せねばならない相手が、最終直線で差しに来るウマ娘。
コーナーでの混戦に巻き込まれるリスクも厭わず、後方で脚をためていた選手が一気にスパートをかけて襲い掛かってきた。慣れぬ逃げに乾坤一擲を賭したドトウが、果たして逃げ切れるだけのスタミナを残しているかどうか……。
「ドトウ!!力を振り絞れ!!!」
「ッ……!」
顔の真横で叫ぶオペラオーの声圧と、画面内のレースの白熱によって、鷹木は視界がぐらりと揺らぐような心持ちであった。
〈逃げるメイショウドトウ!上がってくるバイオレットパール、トニージャスティに並んだ!先頭はメイショウドトウ、およそ二バ身の差!先頭メイショウドトウ!メイショウドトウ!!〉
ゴール板は、ドトウが十分逃げ切れるほどに近かった。二バ身以上のリードをもって、彼女は真っ先にゴールラインを越えたのであった。
〈勝ちましたメイショウドトウ!今春のかいどう賞以降、苦節が続きましたがついに勝利です!混戦の演じられる中、見事に逃げ切りました!2着はバイオレットパール、3着トニージャスティ!〉
「やったぁぁあ!おめでとう、ドトウ!Brava!ブラーヴァーー!!」
「だから、画面の向こうには声が届いていないんだって。トレーニング室で叫ぶな、声が反響してうるさい。」
これ以上オペラオーに叫ばれると、いよいよ難聴を抱えかねない鷹木。ボリューム調整の壊れた担当ウマ娘に苦言を呈しながらも、的確な作戦で一位となったドトウを讃えたい気持ちは無論彼にもあった。
が、それを曇らせる暗い感情が湧き上がってきていたことも事実だった。
やはり片桐が、レース展開を読んだうえで見事作戦を成功させたのだろうと考えるにつけ、同期のトレーナーに対する嫉妬を抑えられずにはいられなかったのである。
鷹木が、そんな下らない嫉妬を自らの内で温める材料としては他にもあった。
嵯峨野特別の翌日は、文字通りに時を置かず京都新聞杯が実施されるのだ。またしても、アドマイヤベガ、そしてナリタトップロードが激突する大舞台である。
同じ京都新聞杯にはロサードやタヤスタモツ、そしてオースミブライトといった名の知れたウマ娘たちも参戦してはいたものの、大方のレース展開はアドマイヤベガとトップロードの競り合いに占められるだろうと予測された。
本調子ではなかったとはいえ、あのスペシャルウィークと対決する羽目になり、ゆえに不本意な結果で終わったテイエムオペラオー。彼女の走った状況と引き比べれば、なおのこと同期であるアドマイヤベガやナリタトップロードのほうが輝かしい活躍を世に示せるのだろう。
そんなことをずっと考え続けてしまうのが、鷹木という小人物であった。
おそらくテイエムオペラオー自身に問えば、呵々大笑をもって吹き飛ばされるであろう小さな情動に過ぎなかった。