京都新聞杯は嵯峨野特別のすぐ翌日であった。
トレセン学園での鍛錬を続けつつも、級友たちの勇姿を画面の向こうにソワソワと待ち続けるテイエムオペラオーにとってはたて続けの大舞台観戦である。
が、世間的には出走ウマ娘の名の並びもあり、京都新聞杯の方に注目が集まりがちなのは仕方のないことであった。
京都から帰ってきたメイショウドトウは、次に出走予定のレースが一か月後に決まったこともあり、多少は気の安らいだ表情を浮かべていた。今までが、一週間や二週間のスパンで立て続けに出走する強行軍スケジュールだったせいもあるが。
片桐が京都土産だと言って買ってきた和菓子、きんつばがスポーツドリンクの隣に並ぶという少々異様な光景の中、汗を拭きながら寄ってきたオペラオーはドトウとともに京都レース場の中継画面をのぞき込んだ。
「ふむ、上品な薄皮に控えめな甘さが閉じ込められているね。古都の伝統が、覇王の味覚をも満足させてくれる!」
「さすがはオペラオーさん、食リポもお上手ですぅ……。」
「きんつばは、大阪発祥の和菓子ですけどな。何なら東京にだって売ってますし。」
ドトウが感心している隣で、片桐が冷静なツッコミを入れる。
「どこ発祥であろうと構わないさ!覇王に供された時点で、それは一流の菓子なんだ!はーっはっはっは!」
「お前もめげないな……。」
今さら確かめるまでもなくメンタルのブレないオペラオーに感心しつつ、鷹木もスポドリにはまるで合わない和菓子を口に放り込みながら画面を注視している。
京都レース場の芝2200mは、外回りコース。
オペラオーがスペシャルウィークとかち合った京都大賞典の2400mとは異なり、スタートからの直線が200mぶん短くなっている。
とはいえ、やはり最初のコーナーに入るまでに形成集団は固まりやすく、下り坂となる第3コーナーからの加速で勝負が決する運びは京都大賞典にも似ていた。
画面の中では、アナウンサーがパドックに姿を現すウマ娘たちの紹介を行っている。
〈3番人気、オースミブライトです。先月の神戸新聞杯では見事に勝利を収めました。皐月賞では二着、勝ちウマ娘はテイエムオペラオー。東京優駿では四着、勝ちウマ娘はアドマイヤベガ。同期のウマ娘たち相手には苦戦を強いられている彼女ですが、このレースで栄光を掴むことはできるでしょうか。〉
「あぁ、彼女とまた手合わせしたかったものだ!何といっても、宝塚記念で、あのキングヘイロー先輩より上位の着順だったそうだからね!」
「へぇぇ!?と、というか、もう宝塚記念に出てるんですかぁ……!?私たちと、同期でしたよねぇ……。」
「ブライトさんの担当トレーナーは、随分と強気な姿勢のようだね!」
「よそはよそ、うちはうちだ。お前は菊花賞に向けての調整が最優先なんだから。」
鷹木はオペラオーから目をそらして平然を装った口ぶりを続けるも、スペシャルウィークら黄金世代のウマ娘とこれ以上ぶつかる展開を避けようとしている自分を意識せずにはいられなかった。
アドマイヤベガともオペラオーとも因縁浅からぬウマ娘、オースミブライト。特に、アドマイヤベガには昨年末のホープフルステークスを始めとして負ける展開が続いている。
とはいえ、同期のウマ娘たちが出走を見送った今年の宝塚記念に、彼女は出走しているのだ。結果的にはグラスワンダー、スペシャルウィーク、ステイゴールドといった名だたるウマ娘たちによって上位を占められてしまったものの。
キングヘイローを抜き去り、マチカネフクキタルにハナ差まで迫った彼女の脚は、決して侮れる類のものではなかった。
〈2番人気を紹介しましょう、アドマイヤベガ。言わずと知れたサンデーサイレンスの血統、黄金世代の後継として注目を集めるウマ娘です!東京優駿での美しい勝利は記憶に新しいところ、テイエムオペラオーとナリタトップロードとの三つ巴の様相は大舞台の毎、名勝負となっております。今回はその好敵手の片方が出走、果たして勝てるかアドマイヤベガ!〉
パドック上の彼女は澄ました表情を浮かべているが、その下で並みならぬ集中力を保っているのだろう。
ひときわ大きな声援が上がる様を耳にオペラオーは頷き、メイショウドトウからの問いかけに耳を傾けていた。
「どうしてアドマイヤベガさんが一番人気じゃないんでしょう、えっと、もちろん、トップロードさんも凄いですけど……」
「彼女たちの一騎打ち、だと世間では見ているからだろうね。そして、かつてはトップロードがアヤベさんに対し勝利を収めたんだ。」
トレーナー陣が口を開いて説明するまでもなかった。鷹木が半開きの口のまま片桐の方を向けば、彼も同様にこちらを向いて唇の端をつり上げていた。
オペラオーの言った通り、巷においては報知杯弥生賞の印象が強く残っているのだろう。先行していたトップロードが、アドマイヤベガの最終スパートから見事に逃げ切った、あの一戦が。
そして、この京都新聞杯には18名のウマ娘たちが出走しているにもかかわらず、アドマイヤベガとナリタトップロードの二名だけが取りわけ高く評価を受けるようになっているのだ。
むろんオペラオーも負けず劣らず、といったところにいると鷹木は信じたかったが……東京優駿で、彼女らの後塵を拝したままである現状、自らの考えに自信を持つことは難しくなっていた。
「そんなことより、刮目したまえ、ドトウ!さぁ来たぞ、我らがトップロードくんが!」
「は、はいぃ!トップロードさん、今日も、かっこいいですぅ……!」
尤も、当のオペラオー本人は絶対的な自身のもと、級友たちへの声援を惜しむ性質ではなかったが。
〈さぁ1番人気です、ナリタトップロード!報知杯弥生賞ではアドマイヤベガから逃げきっての一位、その後はなかなか一着にはなれないものの、皐月賞では三着、東京優駿では二着、着実に順位を上げてきています!今世代、数少ないアドマイヤベガに勝てるウマ娘、その実力をこのレースでも発揮してくれるのか、ナリタトップロード!〉
今まではパドック上だと爽やかな笑顔とともに手を振る程度のトップロードであったが、そろそろファンサービスというものにも慣れてきたのか、あるいはオペラオーの振る舞いから見おぼえたのか、軽くお辞儀をしてからウインクを飛ばしている。
レース場に沸き上がった喧噪には心なしか、黄色い声援が多く交じっていたようであった。
「は、はわわっ、トップロードさん、なんて大胆な……」
「フッ、ボクのパフォーマンスに比べれば、まだまだだけれどね。だが彼女の伸びしろは未知数だ、負けてはいられない!」
スポーツドリンクを飲みこみつつ突如として立ち上がり、テレビ画面の真横でパドック上のポージングを練習し始めるオペラオー。普段からの振る舞いと大差ないだけに、その身のこなしは迷いがなく、滑らかなものであった。
鷹木は早々にそれを中断させたが。
「そこで張り合おうとしなくていいんだよ、座ってろ。」
「おっと、すまない。画面の横にボクの輝きがあっては、眩しくてレース模様を見ることも叶わないね!」
「今は休憩を兼ねてるんだから、座って体力を回復しろってんだよ。」
ドトウはドトウで目を白黒させていたが、それはオペラオーの輝きに目を奪われたためでなく、自分の喉に菓子を詰まらせかけていたためであった。和菓子の風情もなくスポーツドリンクで無理やり嚥下し、いよいよレース本番の観戦が始まる。
ほとんどの観客が、たった二名のウマ娘ばかりに注目するレース。その予想を覆してみせようと、意気込んだウマ娘たちの目の輝きが並んだ。
〈スタートしました。ハナに立ちましたシーパッション、続きましてタイクラッシャー、メジロロンザン、その外アサカウンリュウが並んでいます。一番人気ナリタトップロードは中団外側につけています、アドマイヤベガはぐっと下がって後方、彼女の末脚が今回も見られるか。〉
やはり、最初の直線で大まかなバ群は固まった。ナリタトップロードは先行寄り、アドマイヤベガは追い込み寄りの位置につけている。
今回はトップロードも東京優駿の時のように、いつもと異なった走り方を見せていない。あの慣れない追い込みを東京優駿で行わせたのにはどういう意図があったのか、機会があれば桂崎トレーナーに尋ねようと考えていたのだが……結局、その機会は得られていなかった。
聞いたところで、同期のライバルウマ娘担当には本当のところを話してはもらえなかっただろうが。
〈第1コーナーを回りまして順位は変わらず、先頭集団から遅れて五番手にイブキガバメント、ニシノスープリーム。続いてタヤスタモツ、フサイチビームという順であります。ウチを突くようにナリタトップロード、それを追うようにトウカイパルサー、間もなく向こう正面に入ります。〉
「はーっはっはっは!これはすごい!」
「ど、どうしたんですぅ、オペラオーさん……?まだ、レースは中盤に入ったばかりですぅ……。」
「キミにだってわかっているだろう、ドトウ!アヤベさんも、トップロードも、順調な走りだ!」
「た、たしかに……ということは、このレース……」
「あぁ!あの二名の独壇場だ!」
何らのアクシデントも起きていないということは、アドマイヤベガも、ナリタトップロードも本来通りの能力を発揮してゴールへ向かうということである。
勝つには、彼女らを超えるだけの才能を見せつけるか、スタミナを浪費させる策を弄さねばならない。が、それを可能とするウマ娘は、鷹木の目にも見つけられなかった。
それだけ、アドマイヤベガとナリタトップロードは圧倒的だったのだ。
〈さぁ第3コーナーを回った、そろそろレースが動くか?ナリタトップロードが仕掛けた、だが同時にトウカイパルサー、フサイチビームも前に、タヤスタモツも前に出る!ここからは最終直線まで下り坂、最後の加速を合わせてきたか!アドマイヤベガも、後方から徐々に上がり始めた!〉
出走している他のウマ娘たちも、当然ながら要注意ウマ娘である二名をマークし続けていた。トップロードがスパートをかけたと同時に、彼女を挟むように走っていたウマ娘が加速し始めたのもその証左である。
が、ナリタトップロードはあくまでも冷静であった。ここから先、第4コーナーから最終直線へ出るポイントは、最もバ群の乱れる箇所である。
それは、コース内側を突いて一気に上がっていくのを得意とするトップロードのための舞台でもあった。固唾を飲んで画面を見つめている鷹木の隣で、片桐がつぶやく。
「いや、凄いもんですな。自分の担当ウマ娘には、あんな集団の中に自ら突っ込んでいくコースなど取らせたくないもんですが。」
「えぇ。」
どうにかそれだけの相槌を返した鷹木の視界に、ウマ娘集団の中から再び抜きんでてきたトップロードが映る。彼女を挟んでいたウマ娘たちは、バ群に絡めとられて遅れている。
むろん、アドマイヤベガも皐月賞での苦い記憶をしっかりと肝に刻んでいる。外側へのコース取りが甘かったがために、最終直線で横へ広がった集団に巻き込まれてしまうという敗因を。
〈さぁ最終コーナーを回って直線だ、ウチからナリタトップロード、逃げるメジロロンザン!大外を回ってアドマイヤベガがものすごい勢いで上がってきた、その後をロサードが追っている、オースミブライトも懸命に前へ出る!〉
オペラオーは既に席を立って中腰の状態で画面に食い入っていたが、さしもの鷹木も再び座るよう注意はしなかった。
「凄いな……!ボクは、あの走りに追い越されたんだ……!」
「ま、まだ加速してますぅ……!」
アドマイヤベガと、ナリタトップロードのスパートは、ほかのウマ娘とは本質的に違っていた。
気力の限界、スタミナの限りを振り絞り、歯を食いしばって駆けている者たちの中から、トップロードは自らの残存スタミナを注意深く調整しながら駆け抜けてくる。
優秀な血統ウマ娘、いずれ黄金世代に並び立つであろうアドマイヤベガは、天井知らずの加速をもって、集団後方から大外をぶち抜き駆け上がってくる。
京都レース場の熱狂は、この二名に向けてのみ注がれていた。
〈ナリタトップロード!ナリタトップロード先頭!外からアドマイヤベガが来る、外からアドマイヤベガ!どっちだ、ナリタトップロードか、アドマイヤベガか!アドマイヤベガ……アドマイヤベガだっ!!〉
ナリタトップロードが差し切られたということは、アドマイヤベガは冷静なる好敵手のスタミナを超えて加速しきったということだ。
クビ差での勝利。三着以降との間に開いている差を見るにつけても、全くアドマイヤベガとトップロードのために開かれたレースのごとき様相であった。
〈勝ちましたアドマイヤベガ!アドマイヤベガ一着!!得意とする大外からの追い込み、今回は宿敵ナリタトップロードを差し切りました!ものすごい歓声です、やはり黄金世代の次に来るのはこの子達か!二着はナリタトップロード!三着はメジロロンザン!〉
「はは……はーっはっはっは!このボクが震えてしまったじゃないか!こうしてはいられない!さっそくトレーニングの続きに向かおうとしよう!」
「…………あ?……あ。あぁ、あぁ、そ、そうだな。」
ウマ娘レースを何回見ても、ゴール直後の鷹木は放心状態から逃れられない性分のようであった。
そそくさと立ち上がり、トレーニングルームへと向かっていくオペラオーの背を追う。彼の膝はまだ震えており、最初の数歩は壁に手をついて進めざるを得なかった。
背後では、またもや大舞台を見せつけられて気絶してしまったのだろうドトウに、片桐が声を掛けている。
オペラオーが、今の熱狂を目の当たりにした直後も、即座に切り替えられる精神を有していることは鷹木に一つの安堵を付け加えはした。が……この男の性分は、やはり根暗なものであった。
アドマイヤベガの宿敵は、ナリタトップロード。黄金世代を継ぐのは、この子達。
先ほどのアナウンスに、テイエムオペラオーの存在は含まれていなかったのである。オペラオーが皐月賞を勝利したという名声も、世間では早くも薄れているのだろう。
担当トレーナーとして心中穏やかでない部分があるのは当然であり、またしても自らの判断を悔いることにも繋がった。
(俺が、オペラオーを京都大賞典ではなく、京都新聞杯に出させてやっていれば……。)
だとすれば、あのスペシャルウィークとかち合うこともなく、アドマイヤベガ、ナリタトップロードに比肩する同期のウマ娘としての存在を再びアピールできたかもしれない。
そのうえ勝つことまでできたなら、なおさら……。
すでに終わった話を仮定で語ることの虚しさには流石の鷹木も耐え切れず、菊花賞に向け鍛錬に熱を入れるオペラオーへの指導へ没頭することにしたのであった。