覇道のドラマトゥルク   作:Okubo Masau

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トレーナーは前回の敗因を明確に見出せぬまま、不安を胸いっぱいに抱えて菊花賞を迎えた。とはいえ、当のオペラオーはいつも通りに自信満々、今回も最初から一着になるつもりで悠々とターフ上へ向かう。黄金世代の次代を担うライバルたち、三度の激突が導く結末は。


暁光、覇王に先んじて……星は。

 幾度も幾度も繰り返して再生した映像を改めて通して見終え、薄暗い深夜の部屋の中で鷹木は充血しきった目を抑えている。

 

 眼球の毛細血管一本一本が、針金のごとく瞼の裏に突き刺さるような痛みを与えてくる。目薬を差して目の周りをぬぐい、小さくため息を吐き捨てた彼はボソッとつぶやいた。

 

「無理だ、分からん、勝ち筋が……。」

 

 相変わらず自分の担当ウマ娘、テイエムオペラオーに対して何らかのアドバイスを送ろうとあがき続けていた鷹木であった。

 

 が、どれだけ過去のレース動画を見直しても、いかにすればアドマイヤべガ、そしてナリタトップロードという双璧を超え得るのか、まるで判断がつかない。

 

 ナリタトップロードは、毎度のごとく最終直線にて集団の内側からスルリと抜け出してくる。他のウマ娘たちに進路を塞がれることなく、ウチを突いて駆け上がってくるそのスムーズさは、魔術か何かを用いているようにも思われるほどであった。

 

 アドマイヤベガは……詳細な説明をするまでもない、集団の最後方から一気に先頭へと駆け上がっていく、あの化け物じみた末脚が武器である。彼女の場合は集団に巻き込まれると減速してしまう弱点はあったものの、幾度も同じミスを犯すウマ娘ではない。

 

「いや、相手がどうとかじゃない……オペラオーの奴自体を、俺がまだ理解できてないのが問題なんだ。」

 

 テイエムオペラオーの担当トレーナーとして、つぶさに観察し、データを記録し、彼女の能力向上を目の前で確認してきた鷹木。

 

 どのようなトレーニングをしたから、どのような能力が鍛えられたのかは明確な因果関係を有しているがゆえに理解できる。一定距離を走りぬくタイムは数値化できるため、データとしては引き出せる。

 

 だが、数値を比較することが勝敗を決するわけでは無い。鷹木は分かっているつもりだった。データに頼りきった指導など、自分はすまいと考え続けていた。

 

 ……しかし、勝因ないし敗因のつかめぬ状況に追い込まれた今、結局縋りつく先は担当ウマ娘のデータ以外に無いのが事実であった。

 

 皐月賞では、オペラオーの気まぐれで慣れない追い込みで走ったにもかかわらず、勝利。東京優駿では、理想的なペース配分が出来たと思いきや、トップロードとアドマイヤベガに敗れ三着。

 

「全ッ然、分かんねぇ……アイツのことが……。」

 

 結局、菊花賞の当日、鷹木はオペラオーの私物や予備のシューズ、蹄鉄などを運ぶカバン持ちとしてのみの役割に徹してレース場へ姿を現したのであった。

 

 寝不足気味のトレーナーとは対照的に、透き通る水のような色で湛えられた快晴の秋空の下で、自称覇王のテイエムオペラオーは機嫌よくステップを踏み、周囲も憚らず歌を響かせながらパドックへと向かっていった。

 

「覚悟の準備をするのだ、我が理髪師よ!もうすぐ激しい戦いが始まるぞ!ブリュンヒルデよ戦場へ急げ!ヴェルズングに勝利をもたらせ!はーっはっはっは!」

 

「レース前からスタミナを無駄遣いすんなよ。」

 

 常に彼女は肉体的にも精神的にも絶好調をキープしている。そこに勝利の確信も敗北の予兆も見出すことができず、気を揉むのはトレーナーばかりであった。

 

 ウマ娘を送り出した後は、トレーナーに出来ることはただ見守り、結果を待つことばかりである。

 

 だが、やはりというか、パドックに次々と現れる出走選手たちの紹介から目が離せなくなるのもトレーナーの常であった。

 

〈今回は3番人気となりました、ナリタトップロードです。東京優駿、京都新聞杯では惜しくもアドマイヤベガに続く二着に甘んじましたが、報知杯弥生賞における勝利も忘れ難いところ。毎度落ち着いた走りで確実に好走を披露してくれるウマ娘、菊花賞の栄冠を手にすることはできるか。〉

 

 その長身、美男子めいた容貌、そして徐々に板につき始めているファンサービスのおかげか、トップロードには女性人気が集まりつつあるようであった。現に今も、会場から上がった歓声には黄色い声援が多分に混じっている。

 

 このレース場の中で、今、脂汗を額ににじませてその姿を見つめているのは、このレースに担当ウマ娘たちを出走させるトレーナー達であったろう……アドマイヤベガを担当する、結城トレーナーを除き。むろん、鷹木は前者の集団に入っていた。

 

 ライバルウマ娘のトレーナーとしては、アドマイヤベガと同等に警戒すべき相手であった。必ず集団をすり抜け、結果の如何にかかわらずゴール前の先頭争いには必ずその姿を現すウマ娘。

 

 トップロードは、今まで三着以上の順位しか取ったことがないのである。

 

〈さぁ、このウマ娘を紹介する時がやってまいりました、2番人気はテイエムオペラオーです!おっと?……これは……何か長いセリフを喋っているようですが、あいにくパドックにはマイクがありません!〉

 

 レース場の全体から浴びせかけられる笑い声が、まるで自らの一身に降り注いでいるかのような心持ちを覚えて鷹木は青ざめて居た。オペラオーの奇行には慣れていたつもりだったが、それが披露される相手が数万人単位となれば話は別だ。

 

〈改めまして2番人気、テイエムオペラオーです。東京優駿ではアドマイヤベガに、京都大賞典ではスペシャルウィークに、いずれも強敵に挑み続けているウマ娘。五か月ぶりの顔合わせとなりました、黄金の次代の三名。皐月賞以来の勝利を得られるでしょうか。〉

 

 鷹木は自分の中で、このレース直前までのトレーニングへの取り組みを幾度もなぞり返していた。

 

 菊花賞の3000mは、長丁場、かつ上り坂やコーナーを通過する回数も多い。相応のスタミナが求められる戦いとなるため、当然ながらオペラオーの練習メニューもその点を重視して組んできた。

 

 昨年度はセイウンスカイがスペシャルウィークを相手に見事な勝利をもぎ取った名勝負があったが、あれもほとんどのウマ娘がスタミナ管理に関して慎重であったがために実現したレース運びである。

 

 過去の勝ちパターンをなぞるように走る選手が現れる可能性は十分にあり、その点も繰り返しオペラオーには伝えている。

 

 具体的なアドバイスを何一つ用意できない鷹木は、担当トレーナーとして出来る限りのことを尽くした……と自分に言い聞かせていた。当のオペラオーの耳に、それが十分に届いていたかどうか定かではなかったが。

 

〈皆様お待ちかね、1番人気のご紹介!ナリタトップロード、テイエムオペラオーに続きましてはやはりこのウマ娘!アドマイヤベガです!〉

 

 京都レース場を、地鳴りのごとき大歓声が包み込んだ。

 

 トップロードが二枚目、オペラオーが三枚目とすれば、アドマイヤベガこそが主役であるかのように観衆たちは受け止めているらしかった。鷹木の本心としては不本意ではあったものの、普段からの振る舞いを見るにつけても否定できないのが現状であった。

 

 なかなか鳴りやまない歓声が、ある程度静まるのを待ってアナウンスが再開するあたりも、一つ上の世代の代表格であるスペシャルウィークを彷彿とさせる反応だった。

 

〈アドマイヤベガ!東京優駿、京都新聞杯にて華々しい勝利を飾りました、今最も勢いのあるウマ娘です!同世代のウマ娘たちと競いあう中においても、頭一つ抜けた強さを誇る彼女が、この菊花賞でどのような活躍を見せつけてくれるのでしょうか!大いに期待の寄せられるところです!〉

 

 彼女の姿が映し出されたスクリーンへの直視を、鷹木は長く続けることができなかった。

 

 その佇まい、ウマ娘としての完全がそこにあると称しても何ら過言ではないアドマイヤベガを、ただ見続けているだけで心を折られてしまいそうに感じたのだ。

 

 一般人程度の精神力が、とても持ちこたえられる舞台ではなかった。

 

 ここから先は、覇王が戦う。

 

〈ゲートイン完了……スタートしました!全員きれいに揃ったスタート、まず最初は第3コーナーに向かいます。先頭で集団を引っ張りますはタヤスタモツ、続いてメジロロンザンが行きました。タイクラッシャーがその隣、ブラックタキシードが早めに行こうというところ、その後フロンタルアタックと並びまして、3番人気ナリタトップロードが行きます。〉

 

 菊花賞は、スタートからわずか208mのところで第3コーナーへと差し掛かる。それも、コーナーの途中まで上り坂が続いている。

 

 前述のとおり複数のコーナーと上り坂が連続する長丁場ゆえ、スタミナの浪費はご法度である。コーナーにおいても素早くインに入って小回りに立ち回れる方が有利となる。

 

 それゆえに、コーナー内側に固まった集団から抜け出すのを得意とするトップロードが警戒の対象であったのだ。

 

〈サクセスエナジーの外はペインテドブラック、アドマイヤベガも中団につけています。そしてテイエムオペラオー、有力視されているウマ娘たちが並んでいる。その後ろラスカルスズカ、ロサードと続いています。坂を下ってまもなく第4コーナーを回ろうというところ。〉

 

 先頭から四番手、コーナーの内側を惚れ惚れするほどに美しいフォームで回っていくナリタトップロード。自身が得意とする走りを完全に理解し、持ち味が活かせる勝負へとすでに持ち込んでいる。

 

 毎度非の打ちどころのない走りを披露し、なおかつ結果に繋げるのがトップロードというウマ娘であった。

 

「トップロードは、順調ってとこか。……だが、アドマイヤベガは、どういうつもりだ?」

 

 最大限の警戒心をナリタトップロードに向ける一方で、鷹木はアドマイヤベガに底知れぬ不気味さを覚える。

 

 いつもであれば集団には混ざらず、最後尾で虎視眈々と足をためるのがアドマイヤベガの走り方である。だが、今回に限ってはオペラオーと並ぶように中団につけていた。

 

 畢竟、彼女もオペラオー同様に先行寄りの走り方をすることとなる。これがどのような目論見あっての作戦なのか、結城トレーナーが何のつもりで出した指示なのか、鷹木には全く理解できなかった。

 

〈テイエムチョウテンは後方から行きました、シンボリモンソー、オースミブライト最後方で並んでいる。一周目の正面スタンド前に入ってまいります、メジロロンザンが先頭であります。二番手はタヤスタモツ、ウチを突いてナリタトップロードは三番手、このあたりの順位は落ち着いています。2番人気テイエムオペラオーは1番人気アドマイヤベガと並んで中団を行く。〉

 

 観客席から投げかけられる声援を浴びつつ、正面スタンド前を駆け抜けていくウマ娘たち。画面に映るオペラオーの表情には今のところ無理をしている様子はない。

 

 彼女が真剣そのものな表情を浮かべることが日常においてはほとんどないためか、こうしたレース本番においても、あるいは記録された映像を見る際においても、鷹木はそれにたじろがされることが多かった。

 

 オペラオーの真隣りでは、アドマイヤベガが肩を並べて駆けている。彼女もまた他のウマ娘たち同様の真剣な顔つきを浮かべてはいたものの、何らかの企みを抱いているような表情には見えなかった。

 

 常とは異なるペース配分で走る意図が、その奥に秘められているようには、とても……。

 

〈1コーナーから2コーナーへ向かいます。タヤスタモツが先頭です、メジロロンザン、タイクラッシャーが後を追う。ナリタトップロードは落ち着いてそのウチ、ピッタリと前を走るウマ娘をマークしています。サクセスエナジーと、その外にペインテドブラック、そしてアドマイヤベガが続きます。ラスカルスズカが上がってきました、テイエムオペラオーと並んで固まっています。〉

 

 レース集団は既に向こう正面に入っている。ここから上り坂へ入るというところで、オペラオーの周辺のウマ娘たちが固まり始めた。

 

 アドマイヤベガがすぐ隣を走り続けているのは変わりないものの、後ろから上がってきたウマ娘たちも近くの位置をキープしようとし続けている。強敵をマークし、ゴール前で逃げ切られまいとするのは自然な考えである。

 

 が、それはオペラオーがより走りづらくなる展開をも示唆していた。よもやアドマイヤベガは、この流れを呼び込むため敢えてオペラオーに並走したのではないか。そう考えかけた鷹木は、自らの考えを打ち消した。

 

 集団に巻き込まれることを何よりもの弱点としているのはアドマイヤベガ自身である。わざわざ、バ群を自らの周囲に呼び寄せるような真似をするとは思えない。

 

〈最ウチからはオースミブライトがぐんぐんと上がっていきます、サクセスエナジーも前へ出始めた、間もなく第3コーナーを回ろうというところ!ロサード、テイエムチョウテン、シンボリモンソー、後方三頭も一塊で上がっていく!先頭から後方まで固まってきました、先頭はタヤスタモツ、二番手はタイクラッシャー、上がってきたフロンタルアタックも並んでいる!〉

 

 ナリタトップロードは落ち着いて順位をキープし続けている。彼女は何らも問題なく、最終直線で駆け上がってくるだろう。オペラオーとアドマイヤベガのどちらにも脅かされなければ、確実に勝利を得るのはトップロードだ。

 

 第3コーナーの上りを、持てるスタミナとの兼ね合いギリギリで攻め切ったウマ娘たちは、最後のコーナーを回ってのスパートに向けて仕掛け始める。

 

〈アドマイヤベガは中団!そのウチに並んでテイエムオペラオーが行きます!ロサードも仕掛けてきた!サクセスエナジーも詰めてくる、もはや集団が先頭と一つに固まって第4コーナーへと突入してまいります!〉

 

 こんな走り方をするアドマイヤベガは、初めて目にする。

 

 第3コーナーから第4コーナーへ入るこのあたりで、ぐんぐんと加速し始めて大外から最終直線のスパートに入るのが、今までのアドマイヤベガであった。

 

 大外から最終コーナーを回ろうとしている点は常と同様であったが、加速にキレがない。先行で走るオペラオーに並び続けたのであれば、十分に脚をためることも出来ていなかったろう。

 

 まさか、あのアドマイヤベガが失策を演じるとは思えないが……。

 

〈さぁ最後のコーナーを回って直線だ!大きく外へ広がっている!先頭は、メジロロンザンか、タヤスタモツか、タイクラッシャーか……中からナリタトップロードが上がってきた、ナリタトップロード先頭!やはりこのウマ娘か!ナリタトップロードが先頭だ、ナリタトップロードが先頭だ!〉

 

 最終直線。当然のごとく、ナリタトップロードが計算されつくした走りを見せつけて先頭へと躍り出た。オペラオーも前方の集団を外へかわし、一直線に上がっていく。

 

 集団をかわす足さばきだけは、鷹木が口を酸っぱくして担当ウマ娘に伝え得た数少ない助言の一つであった。それだけ、先行ウマ娘には前を塞がれる状況が致命的だったのだから。

 

 この直線を走り切れば、ゴールという地点。

 

 アドマイヤベガが常通りの末脚を発揮できていないのは、明らかに何らかの異状に起因していた。

 

〈ラスカルスズカが突っ込んでくる!そしてその外から上がってきたのはテイエムオペラオーだ!アドマイヤベガは……今、四、五番手というところ!どうしたアドマイヤベガ!先頭ナリタトップロード!ラスカルスズカ、外からテイエムオペラオーが上がってきた!前三頭が並んでいる!〉

 

 トップロードはゴール直前の熱狂に包まれながらも、冷静に追ってくる相手を見定め、自らの残存スタミナを調整しつつ脚を運んでいく。

 

 オペラオーは外側からラスカルスズカを追い抜き、トップロードに迫ろうとしている。

 

 アドマイヤベガの姿が、そこに無かった。

 

〈ナリタトップロード!腕が上がりました!勝ったのはナリタトップロード!このウマ娘、やはり強かった!二着にはテイエムオペラオー!三着はラスカルスズカ!〉

 

 大歓声を一身に浴びて、ナリタトップロードはゴール後のターフ上を駆けていく。菊花賞という大舞台で勝利をついに飾った彼女は、しかし背後でのやり取りに気づいていなかった。

 

 オペラオーは後からゴールしてくるウマ娘たちとぶつからぬよう徐々に減速しながらも、振り返ってはしきりに後ろの様子を気にしている。その視線が求める先に、アドマイヤベガの姿があった。

 

 六着という結果に終わったアドマイヤベガの様子は、今までと明らかに異なっていた。俯くこともなく、そそくさとウイニングライブ用の控室へ引っ込んでしまうこともなく……歩調を緩めていたオペラオーと肩を並べている。

 

〈しかし、意外な結果に終わりましたね。あのアドマイヤベガが、入着せずとは。先月の京都大賞典ではスペシャルウィークが七着となりましたが、こういうことが起きるのがウマ娘レースというものなのでしょうか。〉

 

 観客席からの歓声に手を振りながら先を進んでいたトップロードも、背後で向かい合いながら脚を進めているオペラオーとアドマイヤベガの様子に気づき、近づいていく。鷹木の場所からは、彼女らがどのようなやり取りをしていたのかは聞こえていない。

 

 ただ、アドマイヤベガに何かと言葉をかけているオペラオーにはいつもの笑顔がなく……珍しく真剣な色が浮かんでいた。

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