普段からさして信心深いわけでもないトレーナー連中も、祭日だろうと関係なくトレーニングへ没頭せねばならぬウマ娘たちも、せめて元旦ぐらいは気持ちを新たに迎えようと新年会を催す運びとなった。
とはいえ、晴れ着に袖を通している余裕などない面々、ウマ娘たちはいつも通りジャージ姿で集合していた。
夜明けの冷気の中、トレセン学園近くの神社石段を駆け上がって勝利祈願を行い、そのまま駆け下りてくるというスパルタン初詣を遂行したのち、彼女らはそのまま習慣である早朝ジョギングコースへと入っていった。
一方、学園内の多目的室を借り切ったトレーナー達は点火したカセットコンロの上で鍋に餡子や食塩を投入し、特製のお汁粉を調理していた。部屋の隅では、数台並べられたオーブンレンジの中で餅が膨れ出している。
「業務用スーパーでまとめ買いしてきた安い餅ですので、今を時めくGⅠウマ娘さんのお口に合うかどうかわかりませんけどね。」
片桐が相変わらずの調子で軽口を飛ばす一方、鷹木もまた相変わらず心配事をその小心の中で捏ね繰り回していた。
「片桐さん、こんなにオーブンレンジを同時に使用して、ブレーカーは落ちないんですか?」
「気にしなくていいでしょう、天下のトレセン学園なんだから電気使用限度なんて青天井です。たぶん。」
「そもそも、ここで調理して良かったんですか?こういうのは大抵、食堂の厨房をお借りしたりするものでは?」
「元旦の食堂なんて、既にどこぞのウマ娘チームが借り切ってますよ。ま、こちらが昨年度の皐月賞、東京優駿、菊花賞の覇者を押し立てて見せれば追い出せたかもしれませんが。」
「それだけはよしましょう。顰蹙を買いかねません。」
「鷹木さんなら、そう仰ると思いましたよ。」
片桐が挙げた昨年度の「覇者」というのは無論、テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、そしてナリタトップロードのことである。今年からはシニア級へと進む彼女らは、いよいよ身体能力も本格化を迎えるであろうこともあって広くから期待を寄せられていた。
とはいえ、その中の一名であるアドマイヤベガは、この部屋のトレーナー達と共に食器を準備する手伝いをしていた。彼女の脚の異状はまだ完治しておらず、トレーニングへの参加はまだ見送られたのである。
彼女の眼つき、および突き刺すような弁舌の鋭さに鈍りはなかったものの。アドマイヤベガは片桐の言葉に反応し、即座に口を開いた。
「随分と他トレーナーが担当したウマ娘を頼りにするじゃない。自分の担当ウマ娘の能力を引き出し切れずにいる男がさ。」
「まぁ、もうじきウチのドトウにもGⅠのステージに立ってもらえますよ。昨年は嵯峨野特別やドンカスターステークスでは一着を獲りましたし。」
「その後の六甲ステークス、ビリだったらしいわね。一番人気までもらったのに。」
「あぁ、まぁ、あれは……ちょっとした事故です。あぁいう経験も、本格的な大舞台に上がる前にさせておくべきかと、ね。」
片桐の減らず口にも鈍りはなかった。
それまで順調に戦績を上げ、本番のレースにて二回連続での一着を獲っていたメイショウドトウ。そこにきて最下位の憂き目に遭ったのは、普段から落ち込みがちな彼女のメンタル面に大きなダメージを入れたものかと思われた。
とはいえ六甲ステークスから今日までは一週間と経っていなかった割に、久々にオペラオーと顔を合わせたドトウは暗い表情を見せていなかった。
いつものオドオドした態度に違いは無かったものの、大舞台を幾度も経験していく中で確かにメイショウドトウの精神面は成長しているようであった。
「不甲斐なく感じるのはむしろ僕の方ですよ。去年の有馬記念、トップロードにいつも通りの走りをさせてやれなかった。」
鍋から立ち上る湯気とマスク越しに、ふつふつと煮える鍋の中身をかき混ぜながら籠る声でそう語ったのは桂崎である。
テイエムオペラオーの担当トレーナーである鷹木からすれば、皐月賞より後のレースでは常にナリタトップロードに先を行かれていたような印象であったものの、彼女もまたアドマイヤベガの後塵を拝してばかりであったことは違いない。
報知杯弥生賞以来、菊花賞にて八か月ぶりの一着。その勢いのまま、年末の有馬記念に挑んだは良いものの、七着という結果である。
あのレース展開を思い返すに、トップロードにしては非常に珍しくスタートが遅れてしまったことが大いに響いていたであろう。彼女自身も、桂崎トレーナーも、共に本心を露骨に晒す性質ではなかったものの、確実に悔いの残るレースであった。
桂崎に対して口を開いたアドマイヤベガの声からは、刺々しさがハッキリと薄れていた。
「トップロードは、その、仕方ないわ。あのスペシャルウィークに、グラスワンダーまで揃っていたんだもの。うるさいオペラオーのせいで、調子を狂わされたのかもしれないし。」
「だとしたらウチの担当ウマ娘が済まなかったな。」
「我々に対する時と声色が違いすぎません?」
鷹木と片桐が続けざまにボヤいた直後、多目的室のドアがバタンと開き、当の騒々しいウマ娘を先頭にジョギングから一団が戻ってきた。
ナリタトップロードのことを考えて緩みかけていたアドマイヤベガの目元が、彼女にとっては忌々しい相手の歌声が響き始めると共に急速な硬化を見せたのを、鷹木はハッキリと目撃した。
「あぁ!ごらん!春が広間に笑いかけているよ!冬の嵐は初日の出に追い払われて、新春が柔らかな光の中で輝いている!リンデの花に満ちた大気の中で、軽やかに愛らしく奇跡のゆりかごに揺られるのさ!」
「ひょおおぉう!あなた様こそが春です、私が厳しい冬の間、望んでいた春の姿そのままであります!」
全く今が冬の真っただ中であることを忘れ去らせるほどに、暑苦しく賑やかな登場であった。
相も変わらずどこかのオペラから引用したセリフを朗々と歌い上げているテイエムオペラオーに、追随してよどみなく返答しているのがアグネスデジタルだった。変わり者のウマ娘であるほどに博識であることは、既に鷹木も痛いほどに知っていたが。
彼女らの後ろからは目を丸くしたままのメイショウドトウ、ジョギングの汗を拭きながらも爽やかな笑顔を浮かべているナリタトップロード、そしてうるさそうに耳を伏せて眉間にしわを寄せているエアシャカールが続いて部屋に入ってきた。
「ボクたちの心の奥底に愛は隠れていたけれど、いまや愛は春に笑いかける!あぁ、ボクらを引き離していたあらゆるものが崩れ落ちた!」
「あなた様の傍に寄らせてください!あなた様の高貴な輝きを私に見せて!あなた様の目、それにそのお顔!何と光に満ちて私を包むことでしょう!あぁ……じゅるりら……。」
今まで各自のトレーニング、およびレース本番への出走が重なり、なかなか一堂に会することができなかった面々。元旦という特別な日に全員で顔を合わせることが叶ったのがよほど嬉しかったのか、オペラオーとデジタルの即興劇はなおも続く。
いい加減にしびれを切らしたエアシャカールが口を挟んだ。
「うるっせェぞ。いつまでやってるつもりだよ……先輩ウマ娘に言っていいことじゃねぇかもしれねーけど。」
「私が許可するわ、コイツがうるさいのは間違いじゃないもの。」
アドマイヤベガはエアシャカールに悪態の許諾を与えつつも、その足は一直線にナリタトップロードへと寄って行っていた。
彼女がオペラオーに向ける目が冷たく冴えきっていた様から、それがトップロードに向けられたとたん温かな潤みを帯びる変貌は見事なものであった。
「その……あけましておめでとう、トップロード。去年は、なかなか会えなかったけれど……。」
「何を言うんだ、一緒に大舞台を走ったじゃないか。また君と共に走れる日を心待ちにしているよ、アヤベ。あけましておめでとう。」
「……うん。」
それ以降、ナリタトップロードの眼差しに縫い留められたかのようになったアドマイヤベガは、顔をトップロードの方に向け、他の面々にほとんど背を向けたまま過ごしていた。
とはいえ、メイショウドトウが口を開いたときは別であったが。ジョギングから帰ってきた面々が騒がしくも席につき、椀に注がれたお汁粉に舌鼓を打ち始めた時、彼女は自らの次のレースへの不安を口にしたのであった。
「わ、私は、もう今月中に、レース本番なんですぅ……ですよね、片桐トレーナー?」
「えぇ、京都レース場で行われる、日経新春杯です。」
「本当に大舞台ね。勝てるの?」
ナリタトップロードのすぐ隣にピッタリと寄り添って座りながらも、アドマイヤベガの声だけには鋭さが戻ってきていた。
「しょ、正直、不安でいっぱいですぅ……。トレーナー、私ぃ、勝てるでしょうかぁ……。」
「気を引き締めておいてください、とだけ申しあげておきましょう。強敵揃いです、タマモクロスやメジロマックイーンの後継たるウマ娘たちも居ますし、ノーザンテースト血統やサンデーサイレンス血統のウマ娘だって当然出走します。」
「はわわわ……」
ドトウはさらに怯えたような表情を浮かべたが、これも彼女と短からぬ期間を共に過ごした片桐なりの激励法だったのだろう。八の字に下がった眉の下で、彼女の瞳は不思議に力強い輝きを湛え始めていた。
アドマイヤベガはと言えば、隣に座るトップロードから頬についた餡子を指で拭い取ってもらっている瞬間、確かに緩み切った表情を浮かべていた。片桐に言葉を返すために向き直った顔は、既にいつも通りキリリと引き締まっていたが。
「血統で全てが決まるわけでは無いけれど、ペインテドブラックには気を付けて。あの子は強いわ、大一番で力を発揮できない所はあるけれど。」
「き、聞いたこと、ありますぅ……東京優駿にも菊花賞にも出ておいででしたし……」
「あぁ!彼女の名前ならボクの心にも刻まれている!ステイヤーズステークス、あの最終ストレートでの末脚は見事だった!」
むろん鷹木にとっても決して忘れられぬ名である。集団に巻き込まれるとそのまま順位を上げられずじまいになる展開こそ多かれど、一着を狙えるオペラオーを差し切るだけの能力を備えるウマ娘であった。
アドマイヤベガと同じく、ペインテドブラックもサンデーサイレンスの血統を引くウマ娘である。サンデーサイレンス血統と言えば、初対面の印象からはとても想像つかなかったものの、この部屋にももう一名いた。
熱々の汁粉をすすり終えたアグネスデジタルがおかわりを要求しつつ、隣に座っている級友の方を向いて口を開く。
「でもでも、やっぱり血統ウマ娘って実際に強いと思いますよ?シャカールちゃん、ホープフルステークスで一着でしたもん。」
「うっせェ。血統じゃねェよ、俺はロジカルに走りを詰めただけだ。」
ほかならぬ、この粗暴な言動の目立つウマ娘、エアシャカールがアドマイヤベガ同様にサンデーサイレンス血統のウマ娘なのである。
彼女がめきめきとその実力を向上させつつあったのは、むろんシャカールが言う通り自身の研究の結果が一因でもあったろう。が、やはり彼女が置かれた環境こそ要因としては大きかったと判断された。
トップロードの方を向くときと、それ以外の時で忙しく顔つきの変わるアドマイヤベガが、やはり怜悧な眼差しを後輩ウマ娘たちに向けながら尋ねる。
「どう?結城トレーナーの所でトレーニングするのは。」
「あの爺さん、俺には何も言ってくれねェからな……けど、悪くは無ェ。余計な口出しをされなけりゃ、好きなように俺の走りを究められるし、黄金世代の先輩たちを近くで研究することも出来るんだ。」
このところ、オペラオーの練習場を訪れるデジタルがシャカールを伴っていないのも当然のこと、エアシャカールはレジェンド結城トレーナーが担当となったのである。
サンデーサイレンス血統だから選んだというわけではあるまいが、かの生ける伝説が担当しようと選んだ以上、エアシャカールもまたオペラオーを脅かすウマ娘へと成長するのだろう。
今だけはそのことから思考を遠ざけようとする鷹木と違い、アドマイヤベガは恐るべき後輩の存在からも目を背けないつもりのようだった。
「間違いなく、あなたは速くなれるわ。いずれ私にも食らいついてくるでしょうね。」
「そん時までに、アドマイヤベガ先輩は脚を治しといてくれよ。」
「当然。」
まるきり性格が違うように見える両名であったが、やはり同じサンデーサイレンス血統ウマ娘同士は波長が合うのだろうか。言葉は少なくとも、彼女らは十分な意思疎通を終えたようであった。
そんなやり取りを傍目に二杯目の汁粉を掻きこんでいたアグネスデジタルが、トンとお椀を置きつつ小さくため息を吐く。
「ふぅ。しかし、私はまだまだ頑張らなきゃですねぇ。シャカールちゃんが早くも先輩方と共に走れる目途が立っているというに、私と先輩の距離は遠いままです……。」
「君の戦績は十分じゃないか、デジタル!たしか昨年の11月と12月、続けざまに出走レースで一着を獲っているんだろう?」
「す、凄いですぅ、入学した年にそこまで走れちゃうだなんてぇ……」
オペラオーとドトウから口々に投げかけられる賞賛に笑みをほころばせつつも、アグネスデジタルは顔の前で手を横に振って見せた。
「あぁあ、ありがたや先輩たちからのお言葉ぁ……!とは言いましてもですね、私が走っているのはダートなんですよぉ。芝でも走れなきゃあ、皆さんと同じ舞台に立てないじゃないですか!」
「ダートはダートの道ってもんがあるだろ、芝とダートを両方走るだなんて、聞いたこともねェ。」
すかさず隣から口を挟むエアシャカールに対しても、アグネスデジタルは一層のこと熱弁を振るい、ドトウとオペラオーに手のひらを差し伸べた。
「いやいやいや!そこに来れば、こちらにおわしますメイショウドトウ先輩も、テイエムオペラオー先輩も!デビュー当初はダートを走っておいででしたが、今や芝のコースにて活躍しまくっておられますから!」
たしかにアグネスデジタルの指摘は正しく、彼女が自主的にウマ娘レースについての見聞を広めている勉強家である様が垣間見られた。
とはいえドトウやオペラオーがデビュー当初にダートコースを走っていたのは、単に脚への負担を考慮した結果である。芝とダートの両方で走るという変態的な路線を想定していたわけではない。
そんなことも博識なアグネスデジタルであれば理解できていただろうが、彼女の熱意は迷いを生まなかったらしい。
「いろいろな先輩たち、そして同い年の親友、いずれは可愛い後輩ウマ娘ちゃんたちとも、分け隔てなくお近づきになるため、私は芝とダート、どっちでも走れるようになりたいんです!」
「なんと!?この覇王の度肝を抜くとは、恐るべしだよデジタル!そして素晴らしい夢を掲げたね!」
「は、はわわぁ、凄いですデジタルさん……。」
「俺は応援できねェぜ、目標の立て方が全然ロジカルじゃねぇ。」
オペラオーが迷いのない勢いで立ち上がって拍手を送り、ドトウが遅れて共に立ち上がろうとして椅子をガタンとひっくり返し、慌てて起こそうとしている。
その隣で冷ややかな声を送るシャカールであったが、これも彼女なりの友人への思い遣りであった。
「デジタル、お前去年一回だけ芝を走ったよな?あん時は八着だった。ダート走ってるときは常に一着か二着だったってのに。」
「あの時は、ちょっと勝手がつかめなかったってだけ!今年からは、芝のレースにもバンバン出走しますからねっ!」
「待っているよ、デジタル!キミと大舞台で競う日も、そう遠くないような気がするよ!」
「おぉうっ!ありがたやありがたや、なんともったいなきお言葉、毎晩唱えて眠りますっ!」
こうして賑やかな新年会は過ぎ去っていき、汁粉をなみなみと湛えていた鍋が底を見せるとともに解散となった。
と同時に、鷹木が年をまたいでなお抱え続けていた懸念は変わらぬ後味でよみがえってきたのであった。オペラオーが次に目指すは二月の京都記念、しかしこれでも勝てなければ……。
既に、テイエムオペラオーが優れた能力を有していることは広く知れ渡っている。自分のように実績のないトレーナーが、担当していることも。
ベテラントレーナーからオペラオーを担当したいとの声が上がるのも、時間の問題であった。