常に堂々としているオペラオーと比べて、未熟な面が目立つトレーナーではあれど、オペラオーもやはり指導を求めていることには違いないわけです。
鷹木がテイエムオペラオーに対し、繰り返し伝え続けてきたのは「差し」の作戦である。
周囲のウマ娘たちから見られることも厭わず、ナリタトップロードと並んでの全力練習を続けてきたオペラオー。その走りを鷹木は幾度も観察してきた結果、彼女の脚質はレースのあいだ中団辺りに陣取り、ゴール前でスパートを掛けるのに適していると判断した。
「何より、今回のメイクデビューでは他の血統馬が……というより、お前以外が全員『逃げ』を得意とするウマ娘だ。」
他のクラスメイトではなく、トレーニング機器を相手にする間に限っては常に黙々と練習を続けるオペラオーの前で、鷹木は語り続けていた。
レースをスタートして即、先頭集団に入り、そのままのペースを保ってゴールを目指す「逃げ」。後続を引っ張る形でレース全体のペースを作る立ち位置であり、他のウマ娘の走りに影響されずペース配分を築ける作戦である。
とはいえ、GⅠなどの本番レースで「逃げ」脚質のウマ娘がほとんどを占めることはまずない。実力の拮抗したレースでは同じような能力を有するライバルたちの集団に埋もれてしまうことも多々あり、無理に前へ出ようとし続けるとスタミナも浪費する。
そこでラストスパートを掛けてきた「差し」や「追い込み」の選手に抜き返されてしまいやすくなるというリスクも背負っているのだ。「逃げ」で勝ち続けるためには、レース全体を掌握する戦略性、ないしは自らのペースを精密に計算できる正確性……あるいは何者も寄せ付けぬ常軌を逸した速さ……が求められた。
そんな「逃げ」作戦であるが、メイクデビューにてほとんどのウマ娘がこれを採用することには相応の理由がある。距離が短めなのだ。
オペラオーが出場するのは中距離向けのレースであったが、実際は本式のレースであれば「マイル」に分類される距離である。デビューしたてのウマ娘たちに過度な負担がかからぬよう配慮された結果だが、距離が短いほどにスタミナを切らさず逃げ切れる確率も上がる。
「だが、トップロードとの走り込みを見る限り、お前は『逃げ』に向いていない。スタートダッシュで遅れた後、追いつこうとしても無駄にスタミナを切らすだけだ。」
鷹木の言葉を聞いているのかいないのか、無言のままにただただトレーニングバイクのペダルを漕ぎ続けるオペラオー。額と毛先に汗の玉を光らせながら、目を閉じて黙々と自らを鍛え続ける彼女の姿は、普段の頓狂さからかけ離れている。
まるで別のウマ娘を見ているようだ、と鷹木は感じながら言葉を続けた。
「集団に埋もれてもがくほどに、体力も消耗する。だからオペラオー、メイクデビューでは他の選手の後ろに付くんだ。その作戦で、タイムも上がってきている。」
毎朝トップロードと並走する練習をオペラオーが続けているおかげで、あえてタイムを計る手間が省けているのは都合が良かった。彼女が大仰なセリフ回しを響かせて周囲から笑われている間、鷹木はタブレット上のタイマーを動かして計測を行っていたのだ。
全力で逃げを打つトップロードに無理なくついて行き、自分のスタミナと相談してどこでスパートを掛けるべきか。幾度も繰り返したオペラオーは、その感覚を鷹木から教えられもせず、おのずから身につけていったようであった。
……彼女の成長が喜ばしくはあったが、トレーナーとしては胸中複雑なものがあった。トレーナーからの教えを請わずにタイムを縮めている、ということはトレーナーである鷹木の存在価値が認められていないも同然であったためだ。
伝えるべき必要最低限の内容を告げ終えても、なお鷹木が言葉を続けようとしていたことにはこうした心境も一助となっていたろう。
「逃げを打つ選手の数が多いとなれば、いよいよ同じ作戦を採ったところでスタミナを削られるばかりだし……」
「あぁ!かくもボクのために忠言を尽くす、この者の名前は愛だ!だがヴィットーリアは未だ訝しみの目をこちらに向ける!そこで聡明なるキミに問いたい!」
「うわビックリした。」
どのタイミングでトレーニングへの没頭を切り上げ、いつものオペラオーに戻るのか、これもまた鷹木には判断の付かないところである。
唐突に声を響かせ、ただのトレーニングバイクから降りるだけのはずが、まるで白馬から降り立つ王子のごとき無駄な気品を纏わせながら降りてくるテイエムオペラオー。その優雅かつ典雅な仕草で脇のテーブルに置かれていたスポーツドリンクを取り、一口飲んだ後再び鷹木へと言葉を向けた。
「たしかにボクはトップロードくんの後ろに付いて走ることで、より速く、そして美しくなった!」
「美しさはどうか知らんが、タイムは縮んでいるな。」
「だが、トップロードくん相手の時に限るのではないか?実際のレースでは、他のウマ娘の後塵を拝したばかりに、ペースを乱されてしまうこともあるだろう!」
「それは……。」
鷹木は言葉に詰まる。無論、たった今オペラオーが口にした懸念を、彼も可能性のある予測内に上げていなかったわけではない。
ただ、メイクデビュー戦は未知数の塊なのだ。「逃げ」の戦術をとる選手が多いという情報も、鷹木がトレーナーとしての権限で、ウマ娘たちの学園入学時のデータを閲覧し得たものにすぎない。
具体的に各選手が、どの程度の能力を有しているのか。明確に分かっているのならば、どの選手をマークすべきか、もっと細かな指示を与えられるのだが。それが不可能である以上、トレーナーに出来ることは担当ウマ娘の脚質を分析し、勝てそうな傾向のある戦略を提示することばかりである。
その点を包み隠さず伝えるのが適切な対応であったろうが、しかし今の鷹木の胸中を占めていたのは、何も考えずに走ったり歌ったりしていそうなオペラオーから鋭い指摘が飛んできたことに対しての動揺ばかりであった。
「じゃあ逆に聞くが、お前はペースを乱されずに走れる作戦を思いつけるのか?同じメイクデビュー戦に出走するウマ娘が、どんな走りをするか本番まで分からないんだぞ。」
「何のことは無い、このボクの王たる輝きを見せつけ、皆がひれ伏している間に颯爽と駆け抜けるだけのことさ!」
「フザけ無しで、真面目に考えてんだよ、こっちは。そもそもお前の走り方は大勢から毎朝目撃されてる、他の選手からも対策を取られてるだろう。お前の勝手な行動のせいでアドバンテージを敵に与えた状態からのスタートになっているんだ、分からないのか?」
そこまで一気に喋りきって、オペラオーが沈黙をもって返した時、鷹木はハッと口を閉じた。
毎年、いつも今ぐらいの時期に、こういう事は起きる。ウマ娘の側は自分の走り方をそもそも有しているのだが、トレーナーの提示する作戦がピタリとそれに沿うものになるとは限らない。
実際にレースに出走するのはトレーナーではなく、ウマ娘である。ゆえに、理想の走りを見いだせるまで双方でしっかりと打ち合わせを続けなければならないのだが……鷹木には、その点が足りなかった。
チームを任されていた時、鷹木は自らの立てる作戦に絶対の自信を持っていた。実際に勝利を手にした経験があるだけに、なおのことその自信が揺らぐことはなかった。トレーナーの意向に難色を示すウマ娘も説得し、あるいは言い負かし、鷹木の作戦に従わせてきた。
チーム担当から外された昨年度、妙に大人しく従順なウマ娘をあてがわれたのも、その件があってのことかもしれない……鷹木は彼女を勝利へと導くことが出来なかったわけだが。
自分が必死で考えてきた内容を否定されれば、語気が強くなる。そのきらいを、たった今もオペラオーの前で鷹木は露呈してしまったのである。
「フフ……はーっはっはっは!!」
しかし、間が悪そうに沈黙してしまった鷹木の目の前にて、オペラオーの高笑いはいつもと変わらぬ調子で朗々と響いた。
「この覇王に諫言を突きつけるか!よかろう!キミのように遠慮なく意見する者を傍に置いてこそ、ボクの王者としての貫禄は増すというものだよ!さぁ、続けたまえ!どうして黙するんだい、心狭き参謀よ!」
この器が普通と違うウマ娘を前に、鷹木の口はポカンと開いたままであった。
認識がそもそも異なっていた。中等部に入学してきたばかりのウマ娘に対し、トレーナーは若年とはいえ大人と呼ばれる年齢である。ゆえに、トレーナーはウマ娘に対して上位に位置し、導いてやる存在だと鷹木は考えていたのだが……オペラオーの中では、それとはまるきり真逆の構図があったようだ。
「……心狭き、って、まるで誉め言葉から程遠いだろ。」
「もちろん認めているのさ、キミのことを!何故って、王の器たるこのボクには、心の狭い者の考えは分からないからね!凡愚の代表として、キミは欠かせない存在だよ!」
「こんだけ笑顔で貶されるのは俺も初めてだ。」
口先では鷹木も苦言を呈しつつも、オペラオーの底抜けるように明るい笑い声の前で、どこか救われたような気分になっていたのは事実であった。